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第4章

第112話 東方

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 ガンシップは、外翼下面に補助燃料タンクを懸吊すれば4500キロ飛行できる。
 積み込んだ荷物の重量は、500キロほどだ。燃料は半載、砲弾は満載している。
 機長から連絡。
「ハンダさん、1時間30分で到着します。上空を旋回しながら、最適な投下場所を探します。
 高木が少なく、草原が10キロ以上続く場所が最適です。
 地上に高木と起伏がなければ、高度を10メートルまで下げます。高度が低ければ低いほど、作戦の成功が確実になります」
 この時期、マルユッカ隊が助けた「グスタフに会いたい」という数人が、どこから来たのか、目的は何か、そして彼らを追っているのはヒトか、ヒトではないのか、バンジェル島ではまったくわかっていなかった。
 最も事情を知るであろう半田千早とは、バギーが搭載する無線の性能と、距離の関係から、明確な状況報告は得られていない。
 ただ、半田千早たちが置かれている、危機的状況は理解している。

 離陸の5分後、追跡してくる機影を確認する。
 ガンシップの真横に並ぶ。垂直尾翼を赤く塗った単発機。ウルヴァリン。ララの乗機だ。
 フルギア、フルギア系、ヴルマン、一部の北方人は、ララとマーニを英雄視しており、命令違反と機材の不正使用で拘束されていた2人と協力者の即時釈放と嫌疑の消滅を要求している。
 嫌疑不十分でも、無罪評決でも、減刑でも、執行猶予でもない。嫌疑自体を消滅させろと……。
 ノイリンの司法機関は、一時的処置として関係者全員の拘束の停止と職務復帰を命じた。
 腕のいいパイロットは必要だし……。
 プカラ双発攻撃機2機も追及してきた。こちらは、城島由加の命令だ。
 ララから無線が入る。機長は、機内に放送した。
「護衛します。
 チハヤは、単発機と交戦したと伝えてきました。
 司令部の命令を受領しています。
 離陸のあとですが……」
 機内で笑い声と喝采が起きる。ララはまた命令に違反したのだ。
 俺はまだこの時、ララの存在がガンシップを救うことになるとは思ってもいなかった。

 4機編隊は、どういうフォーメイションをとるべきか、まったくわからない。前例がないのだ。
 ウルヴァリン戦闘爆撃機は、ガンシップの前方やや上空に占位し、プカラ双発攻撃機は左右同高度に位置する。
 ノイリンでは、黒魔族のドラゴンによる空襲を恐れ、防空体制の構築を急いでいる。高射砲と戦闘機の配備を中心に……。
 高射砲は76.2ミリ野戦高射砲が完成し、105ミリ高射砲の配備も近い。
 だが、戦闘機の開発はグダグダだ。アイロス・オドランが着手し、ブロウス・コーネインが継承したが、当初の計画を完全に反故とし、ビーチクラフト・ボナンザのコピー機の胴体以外を利用した飛行機の形をしたものしかできていない。
 極めて危機的な状況にあった。

 それでも、パイロットの養成は進んでいた。初等練習機にボナンザ、高等練習機に本物のオルリクを使い、着実に進めている。
 それでも、まだまだ足りない。
 生物であるドラゴンの機動は極めて不規則で、200万年前の空中戦の経験はほとんど役に立たない。
 対ドラゴン戦の訓練は当初、複葉機のピッツ・スペシャルとヘリコプターが、ドラゴン役(アグレッサー)を務めていた。
 ただ、アグレッサーとして、機数不足からヘリコプターを常用できない。
 そこで、ドラゴン役に最適ではないかと目をつけたのが、サビーナたちがもたらしたポリカルポフI-153bis複葉戦闘機の製造資料だった。
 200万年後でも製造できるよう、いろいろと工夫された改設計機で、鋼管、合板、帆布と少しの軽金属板があれば、機体自体は作れる。
 ドラゴンとの戦闘では高速を必要としていないことから、引き込み脚から同系のI-15bisの固定脚に取り替えられている。
 1000馬力のエンジンを搭載し、最大時速400キロ、航続距離は500キロほど。
 製造に関しての最大の問題は、搭載する空冷星形9気筒エンジンだが、原型機はシュベツォフM-62を搭載していた。
 このエンジンの設計・製造資料ももたらされている。
 旧ソ連製シュベツォフM-62はアメリカ製ライトR-1820サイクロンのライセンスから産まれた。
 ライトR-1820サイクロン系列のエンジンは、幸運にもカラバッシュが製造している。カラバッシュからエンジン6基を購入し、I-153bis複葉戦闘機4機を製造した。
 ポリカルポフI-153bisチャイカ(カモメ)は、対ドラゴン用アグレッサーとして、最適の機材だった。
 製造は断続的に継続され、改良も行われる。エンジンカウリングにカウルフラップがなかったが、これを追加。推力式排気管は、第二次大戦期の日本軍空冷機の型式に改められる。
 固定脚が強化され、不整地での離着陸も可能になる。
 7.62ミリ機関銃2挺の搭載を可能にし、爆弾架も加えられた。機関銃の搭載は対ドラゴン戦闘用、爆弾架はドラキュロ対策だ。
 つまり、気付けば実戦機に格上げされていた。
 既存の製造機は、順次改良型に改修され、現在は24機に増えている。
 だが、製造を続ける根本の理由は、戦闘機がないからだ。

 一部のパイロットは、このポリカルポフの複葉戦闘機、ノイリンではチャイカと呼ばれている、で対セロ戦に従軍した。
 セロの飛行船は最大時速130キロ程度なので、複葉機でも十分に対抗できる。
 結果、速度よりも機動性を重視するパイロットが現れる。パイロット側からオルリク不要論が出され、より高機動な“複葉戦闘機”の要求が出始める。
 チャイカの増産を希望するパイロットが論を展開し初めてもいる。

 だが、航空機の開発側は、真っ向から反対しないものの、絶対に反対であった。
 飛行機は、より速く、より高く、より遠くまで飛ばなくてはならない、と考えているからだ。
 これは、正論だ。
 第二次世界大戦が勃発した1939年秋、一部の参戦国は複葉戦闘機を主力の一部として配備していた。
 イギリスのグロスター・グラディエーター、イタリアのフィアットCR-42なども実戦配備されている複葉機だった。
 しかし、複葉の多発爆撃機はとっくに退役している。爆撃機は、戦闘機の脅威から逃れるため、高速化を追及してきた。結果、爆撃機に追いつけない戦闘機が実戦配備されているという、不都合な事実が起きていた。
 速度よりも機動力を重視した、運用側の認識不足が招いた結果だ。
 設計側は、これを心配している。
 実際、機動性最重視論はノイリンだけで、カラバッシュやクフラックでは起きていない。
 設計・開発側は、運用側の“複葉戦闘機万能論”が台頭する前にこの問題を解決したいと考えている。

 ノイリンがピラタスのPC-9とPC-21をベースとした戦闘爆撃機の運用を始め、クフラックがエンブラエルEMB-314スーパー・ツカノの生産と配備を進めると、カラバッシュはこれに影響され、単発戦闘機の開発を始める。
 この世界の機械製造レベルは、おおよそ1940年代後半から1950年代前半まではある。
 電子機器に比べると、かなり劣るが、それでも過不足はない。顕著な傾向は、メカトロニクス化がまったくないこと。機械は機械であり、電子・電気製品はそのままだ。両者の融合はないし、融合しているものを入手したら、即座に切り分ける。そうして、延命を図るのだ。
 1930年代後半から1940年代前半に設計・開発された機械ならば、数量はともかく、少数ならば何でも作れる。
 ヒトと精霊族の混血の街カラバッシュは、彼らが作れる戦闘機を模索し始める。
 カラバッシュが運用するフェネクは、もともとはノースアメリカンT-28トロージャンというアメリカ海空軍の練習機だった。
 これをシュド・アビアシオンが改修した機体がフェネクだ。
 このフェネクに相当する機体をカラバッシュは製造している。
 エンジンは空冷星形9気筒1200馬力を搭載しているが、これを空冷複列14気筒1700馬力に換装して、速度と搭載量の増大を図った。主翼を改設計し、12.7ミリ機関銃を片翼に2挺ずつ、計4挺装備できるようにした。
 カウリングを改修し、推力式排気管に変更するとともに、空力的な洗練を加えた。
 この世界では、高性能な戦闘爆撃機といえる。

 クフラックは、理由は不明だがノースアメリカンP-51マスタングのターボプロップ化を諦めていなかった。200万年前にキャバリエ・マスタングの実例があるが、この機体は攻撃機だった。
 クフラックはなぜか、ドラゴン用戦闘機として、ターボ・マスタングの計画を放棄しない。

 ノイリンは焦っていた。
 戦闘機がない!
 骨董品のような複葉機を作っていて、それがいいとのたまうパイロットまで現れている。
 アイロス・オドランも、金沢壮一も、誰もが焦っていた。
 行政府や議会も。

 航空機関連の班ではなく、機械班の若い開発者数人が、ライブラリーを漁っていて、ピラタスP-3の詳細な設計情報が残されていることに気付く。
 この機は、PC-7の原型となった。最初のPC-7試験機は、空冷水平対向6気筒レシプロだったP-3のエンジンをターボプロップに換装することで1966年に完成している。
 その後、主翼や胴体に大がかりな設計変更が加えられ、1978年に試作機が初飛行した。
 機体の形状が大きく異なることから、P-3がPC-7、PC-9、PC-21へと続くピラタス製練習機のルーツとは思わなかった。
 P-3の設計資料が見つかったことから、P-3をベースに戦闘爆撃機の開発の計画が、機械班で持ち上がった。
 P-3の発展型であるPC-21が車輌班にあることに気付いた機械班の設計グループは、金沢壮一を訪ねて相談。
 オルリクの開発遅延、あるいは失敗に備えた“保険”として、製造の可能性を検討し始める。
 これが、機械班による航空機開発の端緒となった。
 ノイリンは、航空班、車輌班、機械班が航空機開発の現場を担う、3班態勢となった。

 しかし、運用側の目は冷ややかだった。
 また、懐疑的でもある。
 行政府や議会からは、開発力が3分割されるとの批判もある。

 ノイリン中央行政府にとって、ウルヴァリンを西アフリカに送るだけでも根強い反対があるのに、加えて、即時回収すべきとの意見が強くあるのに、ピラタスPC-21を西アフリカに送るなど、絶対に許可できない。
 許可すれば、街人のデモが起きるかもしれない。

 だが、車輌班は単にピラタスと呼ばれているピラタスPC-21を、アネリアのために送りたいと考えていた。
 そのためには、かっこいい戦闘機をでっち上げる必要がある。
 替わりがあれば、街人のデモは起きない。中央行政府や議会も納得する。
 そこで、車輌班は機械班の新型戦闘機開発に全面的な協力をしている。

 航空機に関する情報は錯綜している。クフラックは、ジェット機のノースロップF-5または練習機型のT-38を保有しているらしい、という噂が交易商人の間で広まっている。

 ヒトは、ドラキュロ(人食い、噛みつき)も、黒魔族(ギガス)も、白魔族(オーク)も、セロ(手長族)も恐れていた。
 味方もいるが、周囲は敵だらけだ。

 俺は、赤道以北アフリカ内陸に存在する新たな敵の可能性を示され、気が狂わんばかりに苦悩している。

 ガンシップは1時間30分後に、半田千早、ミエリキ、王女パウラがいると思われる上空に到達する。
 すぐに無線が入る。
 空から地上の小さい目標を見つけるよりも、地上からなら飛行機を簡単に見つけられる。
 半田千早たちは、ガンビア川の南、草とわずかな低木しかない草原のどこかにいる。
 低空を旋回しているが、その所在はまったくわからない。
 巧妙な擬装を施している。

 機長から連絡が入る。
「チハヤによると、敵は機関銃を持っているそうです。
 あまり降下するなといっています」
 俺は“敵”という言葉に違和感を感じたが、そこは突っ込まない。
「機長、物資を投下して欲しい場所を示せと伝えて欲しい」
 機長から。
「直接お話になったらどうです?」
 俺は正直に答えた。
「いいや、機長が伝えてくれ。
 声を聞いたら泣き出してしまう」
 機長は笑いを含む声で「了解」とだけ答えた。
 機長が困惑している。
「チハヤは、包囲されているといっています。
 姿を現せば、攻撃を受けるとも……」
 俺が機長に問う。
「ここからは、ヒトの姿は見えない。
 操縦席からはどう?」
「人影どころか、動物もいませんよ」
 確かにそうだ。
 この一画だけ動物がいない。半径2キロほどが、動物の空白域になっている。そこを除いて、東西南北のどこにでも動物がいる。
 ゾウやキリン、サイなどの大型哺乳類も。巨大なクルロタルシ類もいない。何らかの危険を探知して、避けているのかもしれない。
 ガンシップは左旋回を続けている。前部バルカン砲の砲手から報告。
「南の森にヒトがいるようです。ヒトではないかもしれませんが……」
 76.2ミリ砲の砲手からは「北の森にも何かあります。車輌のようです」とあり、機長からは「草原に履帯らしい痕跡があります」と。
 ウルヴァリンは爆装していない。プカラ双発攻撃機も爆弾を懸吊していない。
 対地攻撃は機関銃になる。
 機長に「千早に一番近い投下目標を指定しろ、と伝えてくれ」と頼む。半田千早からは、草原の南北の中心付近、東寄りの3本の低木が東西に等間隔で並ぶ位置への物資投下を求めてきた。

 ガンシップは、高度を下げ続け、電波高度計は10メートルを示し、危険を知らせるランプとブザーが危機感を煽る。
 貨物室の全員がハーネスで機体と身体を結ぶ。
 貨物室のランプドアが開く。
 投下準備ランプが点灯。ランプの色が赤色から黄色に変わり、黄色が3灯になる。
 ランプが青になる。
 機首が少し上がる。
 投下レバーを引く。ロックが外れ、特性のパレットに載った物資が派手な音を残して投下される。
 パレットが地面に接すると、計画したように潰れる。これで、接地の衝撃の何割かを吸収できた。
 ランプドアから地上を見ると、木箱が砕け、内容物が顔を出している。だが、箱を2重にした効果はあった。内箱は砕けていない。
 俺は、心の中でガッツポーズする。

 半田千早は、彼女にとっては巨大な双発双胴機が地上スレスレを飛び、機首を少し上げた姿勢をした瞬間に積荷を投下した様子を見ていた。
 投下物資は軟着陸せず、パレットは潰れ、木箱は砕けた。
 これで、何を回収しろというのか。わずかな怒りを感じた。
 ミエリキが「ご飯投下!」と喜び、王女パウラは「すぐ食べられるものがいい!」と、はしゃぐが塹壕代わりの地面の亀裂のような凹部から出ようとはしない。
 半田千早たちは、カザマンス川支流の痕跡に潜んでいる。一時的にできた流れなのか、それとも流路が変わったのか、それはわからないが南北5キロに及ぶ線状の凹みにいる。
 深さは30センチから2メートルほど、幅は50センチから4メートルまで、と変化が大きい。彼女たちは、もっとも深く、もっとも広い場所にいる。
 すでに2日間、動いていない。北と南の森に追跡者が潜んでいることはわかっている。
 パンクしているテンパータイヤはまだ使えるが、限界が近い。燃料はあるが、バンジェル島へは戻れない。
 投下物資を調べに行きたいが、ここを出れば居場所を知られてしまう。
 追跡者の4×4トラックは、侮れない走破性がある。実際、何度振り切っても、追い続けている。車重4トン近い車輌が走った痕跡は消せないから……。

 ミエリキが問う。
「チハヤどうする?」
 半田千早が答える。
「この涸れ川の底を300メートル南に進み、200メートル匍匐すれば、物資まで行ける。
 北と南の森とは距離があるし、背中に草を縛り付ければ、見つからないと思う」
 王女パウラが不安な顔をする。
「どうやって持ち帰るの?」
 半田千早には案があった。
「うまくいくかわからないけど、100メートルのロープが2本ある。それをつなぎ、少し足りないだろうから、牽引ロープも使う。
 荷物をロープで結び、それを4人で引っ張る。
 少しずつだけど、回収できると思う。
 食べ物から、水、燃料の順で……。
 荷物までは、私が行くよ」

 俺は、物資投下後、すぐに半田千早たちが現れると思い込んでいた。
 食料、水、燃料、そして交換用のタイヤを投下したのだが、それらは彼女たちに不可欠なものだ。
 草原を見る限り、クルロタルシ類はいないし、その他の危険な動物もいない。
 なぜ、回収に現れない?
 俺の不安は極大化しつつあった。

 上空から物資に眼を凝らす。
 北からゆっくりと匍匐して近付く、人影がある。草が倒れ、進んだ痕跡がくっきりと残っている。
 25メートルを5分ほどかけて進む。まだ、100メートル以上残っている。物資まで、あと20分以上かかる計算だ。
 機長から連絡。
「無線です。
 我々以外に無線を使っています」
 俺が機長に問う。
「森に潜んでいる連中か?」
 通信士が答える。
「わかりません。
 ですが、頻繁に電波を発しています。
 短波です」
 通信士に問う。
「内容は?」
 通信士が答える。
「言葉がわかりません。
 ですが、ジブラルタルの言葉ではないかと……。
 通信自体は非常に短いです。暗号か符丁みたいなものかもしれません。
 電波は、弱いです」

 ララが叫ぶ。
「北に不明機!」
 雲を背に白い単発機が、一直線にガンシップに向かってくる。
 俺は、それを貨物室の小さな窓から見ている。
 機長が「全員、何かにつかまれ」と叫び、俺がモタモタしていて手すりにつかまる前に、機は左旋回から右旋回に急激に切り替える。
 ターボエンジンが一段甲高い音になる。俺は、貨物室の床でぬいぐるみのように転がっている。
 胴体側面に背中を打ちつけ、その痛みよりも恐怖が先にたち、手にあたった何かにしがみつく。
 ガンシップは低空を必死に逃げる。
 小型単発機にプカラ双発攻撃機が1機、捕捉された。狙いをガンシップからプカラ双発攻撃機に移し、追尾している。プカラは水平旋回で逃れようとするが、小型単発機の追尾は振り切れない。水平速度も小型機のほうが速いようだ。
 機首から曳光弾の光の帯がプカラに延びる。俺は小さな窓から、それを見ている。俺にはどうすることもできない。狙われたプカラに逃れる術はない。
 次の瞬間、白い小型機の主翼に曳光弾が向かう。
 小型単発機は、それを機体を横滑りさせてかわす。狙われていたプカラは危機を脱し、上昇に入る。
 俺は胴体左側によろけながら移動する。
 眼前で、2機の単発機の壮絶なドッグファイトが始まる。
 地上を見る。投下した物資を、5人が必死に運ぶ。タイヤを転がすもの、木箱を2人で運ぶもの。
 空がにぎやかなうちに、巣穴に餌を運び込もうとしている小動物ように、5人が物資を運ぶ。
 正体不明の小型単発機とララが操縦するピラタスPC-9ベースのウルヴァリンは、互角の戦いをしている。ウルヴァリンが翼下の12.7ミリ機関銃を発射。小型単発機が機体をロールさせ射線を避ける。
 水平旋回で小型単発機がウルヴァリンの後方に取り付くと、ウルヴァリンは急上昇から垂直旋回に移る。
 水平旋回では小型単発機に分があるようだが、上昇力はウルヴァリンが勝っている。同じ傾向は対ドラゴンとの空戦でも指摘されており、ララは“教科書”に従った戦い方をしているのだろうが、それだけでは説明できない果敢な戦いぶりだ。
 徐々にウルヴァリンが押し始める。ウルヴァリンの12.7ミリ弾が、小型単発機の左主翼に命中する。
 ガンシップの貨物室の搭乗員が、この決定的なシーンを目撃する。
 機内に大歓声が沸き起こる。
 小型単発機が、高速で戦場を離脱する。

 ララから。
「燃料をかなり使ってしまいました。
 帰投します」

 この上空には、すでに40分以上滞空している。ウルヴァリンだけでなく、ドロップタンクを装備していないプカラも限界に近いはずだ。

 俺は一瞬、つまらないことを考えた。この空戦は誰かが酔っぱらって話す。それがフルギアに伝わり、叙事詩となる。尾鰭どころか、胴体の拡張もされるだろう。小型単発機の数は1機ではなく、10機に増えてもおかしくない。フルギアは、こういう話が大好きなのだ。
 フルギアの叙事詩は、時間を経ずに精霊族に伝わる。主役は精霊族のララ。すぐに同族の活躍は戯曲となり、街々で上演される。
 1カ月後には、ララは精霊族の英雄になっている。

 俺は、それを否定しない。
 ノイリンにララがいる限り、精霊族との友好は堅固であり続ける。

 タイヤがなかなか運べない。悪戦苦闘している。
 木箱2個は4分ほどで、運び込んだようだ。5人でタイヤを持ち上げ、急ぎ足程度の速さで進んでいく。
 1人が転ぶ。タイヤを落としそうになる。

 機長から。
「北の森から車輌2!」
 その2輌に向かって、プカラが降下していく。
 プカラ2機による地上掃射で、トラックの進出を阻止する。1輌は破壊した。
 副操縦士から。
「南の森から車輌4!」
 機長から。
「北から新手です」
 南北の森から、湧き出るようにピックアップトラックが現れる。
 プカラがどうにか阻止しているが、森から出たり入ったりを繰り返し、からかうような行動をする。

 バギーの5人は、タイヤをどうにか運び込んだようだ。

 半田千早は息を切らしていた。王女パウラは立っているが、ミエリキは座り込んでいる。
 まだ道半ば。大地の亀裂を200メートル以上進まなければならない。
 半田千早の心配は、上空のプカラ双発攻撃機が、あとどれほどの時間、一帯を制圧し続けられるかだった。
 航続時間から判断すれば、1時間は無理。30分は可能だろうか?
 30分でタイヤを運び、交換し、テンパータイヤを仕舞い、5人が乗って溝のような涸れ川から出て、追撃をかわせるだろうか?
 そんな彼女の心を見透かすように、プカラは西に飛び去っていく。
 それを、泣き出したくなる気分を押さえ込んで、彼女は2回いった。1回目はヴルマンの言葉、2回目はジブラルタルの言葉で……。
「あと半分、頑張ろう。
 時間がない。私たちの天使は去った。
 時間との勝負だよ!」

 バギーは、南北に伸びる大地にうがたれた細い溝のなかにある。高さ2メートル、幅5メートルあり、そこにすっぽりと収まり、周囲からは見えない。
 南北の森からは等距離にあり、それぞれ2キロほど離れている。
 つまり、草原は南北に4キロ、東西は15キロ。
 追跡者は、北と南からバギーを監視し続けていた。バギーが姿を現す瞬間を待っていたのだ。
 装輪車にとって、2キロという距離はそれほどではない。こんな不整地でも、1分あれば時速40キロに達する。時速40キロならば、2キロは3分の時間距離だ。
 南北から複数の車輌を繰り出せば、簡単に包囲殲滅できる。

 半田千早は間に合わない、と半分以上諦めていた。タイヤを交換する時間なんてあるわけない、と。
 しかし、何もしなければ殺されるだけだ。それに、楽に死なせはしないだろう。オルカとムリネから聞いた話を真実とすれば、セロとは異なる残虐性を持つヒトと戦っている。

 タイヤはホイールごと交換するのだから、10分程度で終わる。だが、重いタイヤを表土に刻まれた狭い溝のなかで200メートル運ぶことは簡単ではない。
 半田千早はタイヤを転がし始めたが、溝の底が平坦ではなく、微妙なアップダウンがあり、ヒトの頭大の石もあり、悪戦苦闘視しながら進む。
 ミエリキは先行して、ジャッキアップとテンパータイヤの取り外しを始めていた。
 王女パウラは、この溝が1メートルほどの深さになっている南側で、警戒に当たっている。
 もし、森から車輌が出てきたら、引き付けるために自動小銃を発射する。

 半田千早がバギーの在り処まで進み、ミエリキと合流する前に、北の森から車輌4が現れる。
 王女パウラは、遥か彼方のその車輌に向かってAK-47を発射する。自身の存在を暴露して、追跡者を彼女に向かわせるためだ。
 それは危険な行為で、囮となることと意味は同じ。生き残れる確率はかなり低い。

 俺は、76.2ミリ砲に威嚇発射を命じる。ただし、命中しても責を問わないといった。つまり、ギリギリを狙え、ということだ。
 砲身長23口径76.2ミリ砲が、榴弾3発を連続して発射。砲弾は、森を出てきた4輌の鼻先に落下する。4輌ともボンネットが盛大に土を被る。
 4輌が停止する。

 ガンシップは草原を周回するように左に旋回している。草原の北側に機体が移動すると、南の森から2輌が出てきた。
 M61バルカン砲で北進を阻止する。20ミリ6銃身の油圧駆動ガトリング機関砲は、1分間に3000発を発射して鉛の集中豪雨を降らせる。
 南側の2輌は完全に怖気付いた。それは空からでもわかる。何しろ、武装トラック1輌の乗員は車輌を捨てて森のなかに走り込んだのだ。もう1輌は、森に向かって全速で後退する。
 無人となった武装トラックに20ミリ機関砲弾が降り注ぐ。爆発はせず、榴弾と徹甲弾によって完全に破壊されるが、それがかつて何であったかはわかるから、恐怖を増幅させる。
 76.2ミリ砲と20ミリ6銃身機関砲は、どちらも人力操作ではない。油圧で俯仰と限定旋回が可能だ。操作は、ジョイステックで行う。光学照準器で狙いを定め、ジョイスティックのボタンを押して発射する。

 ガンシップは高度100メートルの低空を、円周15キロを失速ギリギリの低速で飛行しながら、地上に銃砲撃を続ける。5分で1周するのだから、北側の武装トラックは身動きが取れない。

 王女パウラがミエリキに「恐ろしい機械鳥だよ」といい、ミエリキは「あんなのノイリンは持っていたんだ!」と半田千早に問う。
 問われた半田千早は答えられない。彼女だって、知らないのだ。
「ジャッキとテンパータイヤを車内に入れて。それから燃料を取りに行こう」
 オルカとムリネを後部ハッチから車内に押し込む。
 バーストしたタイヤ、取り外したテンパータイヤ、木箱が2つ。ラゲッジスペースにミエリキを加えて3人は狭すぎる。オルカとムリネは、奇妙な格好をしている。
 半田千早がバギーを発信させる。
 上空の巨鳥が地上を制圧しているうちに、投下された物資のなかから燃料を探し出し、脱兎のごとく逃げ出さなくてはならない。
 この鋭角に曲がりくねった溝のような涸れ川は、南に行くほど狭くなる。
 バギーは北から進入したから、バックしないと出られない。だが、ラゲッジスペースは荷物とヒトでいっぱい。後方は見えない。運転席と助手席のウィンドウは開かない。防弾ガラスのはめ殺し。
 半田千早は、運転席側のドアを少し開け、ドアを手で押さえながら、バックし始める。4分間バックを続け、ようやく溝から出る。
 そして、一目散に投下された物資に向かう。
 バギーを止め、半田千早と王女パウラが、ジェリカン4缶を見つけ、2缶を助手席に、2缶を無理やり後部ハッチから車内に入れる。
 半田千早が後部ハッチにジェリカンを積んでいる間に、王女パウラは缶詰やビスケットを回収。水も手に入れる。

 全速で西に向かった。

 半田千早たちが無事に離脱したことは、無線で確認された。
 バギーは、ジェバ川に沿って西進し、浅瀬を渡り南岸に出て、河口に向かった。

 帰還は6日後のことであった。

 我が家にとって、半田千早の帰還はお祝いムードとはならなかった。
 城島由加は完全に“母親化”してしまう。16歳の娘を心配するただの母親だ。半田千早は誠実に任務を遂行しただけなのに、司令官は司令官の任務を忘れ、単なる母親になってしまった。
 さすがに衆目の前では半田千早を抱きしめたりしなかったが、我が家の占有スペースとして割り当てられた石造りの家のなかでは、抱きしめるは、全身を撫で回すは、怒り出すは、泣き出すは、で収拾がつかなくなる。
 あげく、半田千早が正体不明の武装集団に追われた原因は、俺にあると……。

 帰還した夜、半田千早は疲れと安堵が重なって、少し熱を出した。
 ミエリキや王女パウラも体調不良を訴えたらしい。オルカとムリネは、シャワーを浴びて埃を落としたが、緊張は別の次元に入っていた。2人は、気を抜いていない。

 マルユッカとイロナは、すでに戻っており、マルユッカは5人の来訪者を伴っていた。年長の3人は、我々に心を開かず、グスタフ以外とは話をしないと主張している。
 5人を拘束する権限と理由はないが、事実上、バンジェル島に“軟禁”している。バンジェル島より南には、セロの斥候が頻繁に進出しているし、クルロタルシ類が多い。
 それに、彼らは食料と弾薬を使い切っている。支援してもいいが、それでは凶悪の世界に放り込むのと同じだ。
 バンジェル島にも複数のグスタフがいる。マルクスが送り込んできた連絡員としてのグスタフもいるし、バンジェル島に起居しているグスタフもいる。
 3人はグスタフという名以外は、よくわからないらしく、グスタフであるディラリが身分を明かして話をしても、信じてはいないようだ。
 そもそも、彼らは、グスタフが人名なのか組織名なのかもわかっていない。
 彼らが戸惑っていることも理解している。

 この3人とは異なり、半田千早、ミエリキ、王女パウラが連れ帰ったオルカとムリネは、不安は感じているが、我々に対して強い警戒心を示してはいなかった。
 半田千早たちと親交を深め、相互に信頼関係を醸成していたのだろう。
 俺たちにとって、オルカとムリネの情報は極めて貴重だった。

 テントから石造りの平屋に移った司令部会議室には、俺と書記を務める幕僚、そして半田千早、オルカとムリネの5人がいる。
 オルカが話し始める。
「私たちの村は、ここから50日以上歩き続けてようやくたどり着ける川の畔にあります。
 村は貧しく、粗末な土壁の家しかありません。食べ物も乏しいです。川で魚を獲り、草原で動物を狩り、小さな畑で作物を育ててどうにか暮らしています。
 私たちの3代前、祖父母の時代のことですが、東方で反乱があり、反乱に加わらないように、創造主によって西に連れてこられました。
 大きな川にたどり着き、そこでキャンプをしました。その周囲を調べ、高台に雨と日差しを避ける屋根を作りました。
 それが、村の始まりだと聞いています。いまも、そのときと大きくは違いませんが……」
 俺が尋ねる。
「東方の反乱について、知っていくことはある?」
 オルカが言葉を選ぶように話す。
「父や母から聞いた話ですが……。
 私たちの村よりもさらに東に南北に長い大きな湖があります。南北1000キロ、東西300キロもあると聞いています。
 祖父母の代までは、湖の西に住んでいました。たくさんの街があり、たくさんのヒトが住んでいたと聞いています。
 湖の東のことはわかりません。湖を渡ることや、湖岸を通って東岸に向かうことは禁止されていたので……」
 俺はオクラの話を遮った。
「誰に禁止されていたの?」
 オクラは、当然であるかのように淀みなく答える。
「北の伯爵です」
 オクラとムリネを除く、全員が目を見開く。俺たちは、ついに北の伯爵にたどり着いた。
 俺は焦る心を抑えつけ、穏やかに尋ねた。
「北の伯爵、って?」
 オクラはまったく躊躇わず答える。
「黒羊の貴族です。
 黒羊には、貴族、自由民、労農の階級があり、貴族には公爵、伯爵、子爵、男爵、騎士の爵位があります。騎士は貴族ではなく、自由民と貴族との中間にある軍人の家柄と聞いています。
 黒羊は公爵家が代々治めていましたが、数百年前、伯爵家が実質的な支配者になったそうです。私たちは伯爵家代々の当主を“北の伯爵”と呼んでいます。
 公爵家から伯爵家に権力が移った理由は知りません。
 黒羊は、金羊と銀羊を監視し、白羊を保護していると……。
 金羊と銀羊は、ヒトの住む地域から連れ去られてきたヒトです。金羊は創造主のための道具を考案し、銀羊は創造主のために道具を作ることが役割でした。
 創造主は、黒羊と白羊を作ったとか。信じられませんが……。」
 俺は4種が何なのかを問う。
「金羊、銀羊、黒羊、白羊の関係は、どうなの?」
 オルカは、これにも端的に答える。
「金羊と銀羊は、そう呼ばれているだけです。私たちはヒトです。創造主は金羊には慈悲を、銀羊には苦役を課すよう定めたそうです。
 金羊は少なく、銀羊は多く、銀羊は常に反乱の機会を狙っていると……。
 金羊についてはわかりませんが、私たちは創造主とその手先である黒羊を憎んでいます。戦う覚悟は常にあります。
 数十年前、祖父母の時代、父母が幼い頃、金羊と一部の銀羊が反乱を起こします。
 しかし、銀羊の多くは状況がわからず、この反乱に参加しませんでした。
 まだ幼かった父や母は、湖西岸の街に住んでいました。
 反乱軍は黒羊の城を襲わず、湖南岸の銀羊の街を攻略しました。南岸の街は、ことごとく反乱に組みしました。
 ですが、西岸の街は状況を見極めようと……。
 結局、傍観してしまったのです。
 父母が住んでいた街は、湖西岸の南側にありました。
 湖南岸に拠点を置く、反乱軍は彼らから見た裏切り者の街を襲い、黒羊から配給される食糧を奪うようになります。
 反乱軍によって食料を奪われることを恐れた黒羊は、父母が住んでいた街への食糧配給をやめてしまいます。
 街は反乱軍に蹂躙され、黒羊からは変わらぬ苦役を押し付けられ、食べ物はなく、悲惨な状況に陥ります。
 そして、その状況が極まった頃、創造主によって西への追放が命じられたのです。
 私の村は、追放者の村です」
 俺は、過去数日についての出来事を尋ねる。
「きみたちを追っていたのは、黒羊、それとも反乱軍?」
「反乱軍です。
 彼らは、救世主と名乗っています」
 俺は重ねて尋ねる。
「なぜ、救世主はきみたちを追っていたの?」
 オルカは少しいい淀んだ。伝えるべき事柄を整理しているようだ。
「私たちの村に救世主が乗り込んできたとき、12歳以下の子供を集めさせたんです。
 そして、黒羊が来る前に子供たちを殺すって……。
 大人たちは、そのことを事前に知っていたらしく、子供を隠したんです。
 だけど、それではいつか子供たちが見つかってしまうので、10人が選ばれ、6人で守って西に逃げることに……。
 途中でつかまって殺されれば、他の子は助かるって……。
 5組、10歳から12歳が10人、10代後半が30人選ばれ、村から脱出したんです。
 西に向かい、グスタフに出会えれば助けてもらえると……。
 私たちは囮です」
 俺は、こういう話が大嫌いだ。全体を助けるために、少数が犠牲になる。合理的なようだが、実際は不合理だ。囮にされた子供たちは恣意的に選ばれただろう。村での立場が弱いか、少なくとも優位ではないはずだ。
 ムリネが俯いていう。
「10人の子は、志願したわけでも、公平な方法で選ばれたわけでもないんです。
 両親がいなかったり、ひどい両親だったり、お父さんしかいなかったり、親が病気だったり……。
 私も両親がいないので、そういう子が選ばれたことが我慢できなくて、守らなきゃ、て思って志願したんです。
 だけど、簡単につかまってしまって……。
 救世主のことも、自分たちのことも、何も知らなかった……。
 きっと、創造主のことも知らない……」
 オルカが補足する。
「村から脱出するために、食料と武器は与えられた……。
 村に残っても、救世主か創造主の手下の餌食になるだけ。
 逃げたほうが、生き残れる可能性はあった……。
 判断は、間違ってはいなかったと思います。
 結果は悪かったけど……」
 俺は2人に「結果がすべてだ」とはいえない。この世界では結果はすべてだが、同時にどう動いても同じ結果しかないことも多い。ヒトが万物の霊長であって、食物連鎖の頂点に君臨しているのならば、結果がすべてだろう。
 しかし、この世界は違う。ヒトは万物の霊長ではないし、食物連鎖の頂点にもいない。いかなる努力も、結果を変えることができないことは往々にしてあるのだ。
 オルカが問う。
「村を助けてください、とはいえないけど、村には小さな子供たちがいる……。
 この子たちは助けていただけませんか?」
 俺は沈黙した。
「……」
 だが、半田千早は違った。
「私はやる。
 オルカとムリネの行動の結果はまだ出ていない。
 いまは過程。これから結果を出すんだ。大人を助けるつもりはないけど、同じ歳の子やもっと小さい子は助けたい。
 ノイリンで養父〈とう〉さんたちがしたように!」
 書記役の幕僚がいう。
「いま、3日に一度はどこかの船が入ります。
 先日、北地区の船が入りましたが、新型のトラックと装甲車を積んできました。
 新型トラック3輌と装甲車2輌で偵察隊を編制してはどうでしょう。
 対セロ戦の直前ですが、白魔族の動向を知らずに大がかりな作戦を決行することは危険です。
 深部偵察の合理的な理由はあります!」
 俺は曖昧な返事をして、彼らの意見をはぐらかした。

 その夜、半田隼人と城島由加による“夫婦の会話”は、激烈な意見の応酬となった。
 俺がサブサハラ北辺、西アフリカ西岸から1000キロ付近を調査したらどうだろう、と軽く提案してみる。
 城島由加の顔が般若に変わる。
「これからセロと戦うの。
 わかってる?
 2正面作戦は愚の骨頂、中国と戦っている真っ最中にアメリカと先端を開いた日本、イギリスとの戦いが決着つかないからってソ連に攻め込んだドイツ、どうなったか知ってるでしょ?
 セロと戦う準備をしているのに、別なところのヤブは突っつかない!」
 彼女の意見は正論だ。それは理解している。
「戦線が2正面にならないよう、東を調べたい」
 俺は嘘をいった。俺は、アフリカ大陸サブサハラ北辺の情勢を知りたい。それを知らねばならないような気がする。何とも薄弱な理屈なのだがそれを口にはできない。
 しかし、そんなこと、城島由加はお見通しだ。だからといって、痛いところを突くほど、稚拙な女性ではない。
「いまは何もしない。それが得策。ヤブをつついてヘビが出るくらいならいいけど、戦車や戦闘機が出てくる可能性があるのよ」
 城島由加の腹はわかっている。東に再度の調査隊を送るとなれば、当然、半田千早が志願する。これは、止められない。だから、調査そのものの必要性を否定しているのだ。
 俺はそのことを知っている。そして、偵察ではなく、調査ならば、内陸の情勢を知る上で必要であることを、彼女が理解していることも……。
 だが、そこは突かない。それをしたら、仲直りHでは、関係修復ができなくなる。
「救世主の武装トラックとレシプロ戦闘機は、この目で見た。
 ノイリン、クフラック、カラバッシュ、カンスク以外で、航空機を運用する初めての集団だ。
 何者か、我々に危険はあるのか、それを見極める必要がある。
 それは、由加も認めるだろう?」
 互いに本心を隠した夫婦の会話ほど、解決策を導き出せない不毛な議論は、この世に存在しない。
 俺は好奇心に負けているだけ、城島由加は養子〈むすめ〉の身の安全を願っているだけ。
 俺は好奇心からヒトの立場を危険にさらし、城島由加は利己的感情からヒトに危害を与える可能性を無視しようとしている。
 どちらも、ひどい理由だ。
 互いにそれを知りながら、論理的な嘘を構築しようと、必死になっている。
 俺が問う。
「オークが、白魔族がサブサハラのどこかにいる。サハラの南端かサブサハラ北辺のどこかだ。
 北アフリカのオークは、アフリカ内陸に向かって、組織的に撤退している可能性がある。
 とすれば、進行中の精霊族と鬼神族によるリビア西部攻略の様相が変わってくる。
 そのことをヒトが知っていながら、伝えなかったとわかれば、彼らとの同盟はどうなる?
 アフリカの内陸部にオーク、白魔族の拠点があるかもしれないことは、バンジェル島にいる精霊族や鬼神族も早晩知ることになる。
 その前に、状況掌握のための調査隊を派遣することを、明らかにしたほうがいい」
 城島由加の反論は端的だった。
「純軍事的に、白魔族の存在は無視していいの。
 なぜならば、白魔族の拠点は大きな湖の北岸にあるらしい。
 アフリカ内陸にそんな大きな湖が存在するとそれば、チャド湖しかない……。
 オルカという子は、南北1000キロ、東西300キロに達する巨大な湖だと証言している。
 楕円としたら90平方キロを超えるでしょ。そんなに大きな湖は、チャド湖しか可能性はないわけ。200万年前の、さらに1万年前のチャド湖は100万平方キロもあったらしい。
 もし、チャド湖とするならば、ここから3500キロも離れているから、西アフリカに干渉できるほどの距離じゃない。
 西アフリカの軍事行動と、チャド湖沿岸の情勢は連動するわけないの。
 だから、調査も、偵察も、純軍事的には不要なの。
 わかる?」
 その理屈はわかるが、世のなかは軍事だけでできているわけじゃない。経済と政治、そして感情もある。
 それと、城島由加がチャド湖に気付いたことは、意外だった。彼女の近くに新参者の策士がいることは確実だ。
 俺が反論する。
「セロを叩いても、オークの危険は残る。
 それを知って行動するか、知らずに行動するか、それは根本にかかわることだ。
 多大な犠牲、時間、経費を費やして西アフリカをヒトの勢力圏としても、オークに奪われれば何も得られずに終わる。
 大人も子供も、飢えることになる」
 城島由加の議論。
「チャド湖には流れ込む川はあっても、流れ出る川はないの。
 だから、白魔族はチャド湖沿岸に封じ込められる」
 水掛け論であることはわかっている。この議論は、半田千早のことが核心であって、軍事、政治、経済の問題じゃない。
 俺が城島由加の論を否定する。
「オークは、原則、水路を移動に使わない。すべて、陸路だ。
 千早はウマに乗ったオークを目撃している。オークの文明は、過去数百年間、退行を続けている。自動車による移動から、馬車やウマに移った可能性がある。
 となると、燃料による移動距離の制限がなくなる」
 城島由加は視点を変える。
「白魔族は黒色火薬を使う。
 銃や大砲の発射薬は黒色火薬……。
 アフリカには火山が少ない。はるか東、グレートリフトバレー(大地溝帯)まで行かないと、火山はないの。
 だから、硫黄が手に入らない。少なくとも、戦争するほどは……」
 俺は沈黙した。
 これ以上の議論は無駄だ。
 なぜならば、西アフリカをどうするかが2人の問題ではなく、半田千早をどうするか、なのだから。
 西ユーラシアと西アフリカの情勢を議論しているのではなく、パパとママによる16歳になった娘を心配してのいい争いなのだ。

 翌日、午前、情勢分析の会議が開かれる。フルギア、フルギア系、ヴルマン、北方人、クマン、精霊族、鬼神族も参加している。
 いろいろな議題があり、それぞれに議論が決して行く。会議の最後に幕僚の1人が意見を述べる。
「アフリカ深部、サハラ南端付近に白魔族がいます。
 当面の情勢とは無関係でしょうが、動向を含めて何もわかっていません。
 戦力も、です。
 白魔族とヒトとは、何らかの関係があることはわかっています。古くから知られていることでもあります。
 ですが、詳細がわかりません。
 そして、西ユーラシアの命運を握る西アフリカに出張ってくる白魔族がいる……。
 何も調べずに放置しておいていいのでしょうか?」
 城島由加が発言。
「調べる必要がある。
 ただし、ごく少数の部隊で……。
 できれば穏やかに……。
 内陸1000キロから1500キロ付近までの一帯を速やかに。その後、3000キロ付近、サハラ南端中央部にあるチャド湖の調査が必要だ」
 俺は、昨夜、彼女がいっていたことと180度違う城島由加の言説に驚く。
 昨夜は半田千早の養母〈ははおや〉で、いまこの瞬間はノイリンの司令官なのだ。

 第2次内陸調査隊の編制が始まる。
 ノイリンの半田千早、ヴルマン商人の娘ミエリキ、クマン王国第4王女パウラの3人は、真っ先に志願した。
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