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異世界編

02-019 ロイバス男爵

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 南部はロイバス男爵に、1個連隊規模約2500もの兵力を送り込んだ。ロイバス男爵の手勢と合わせて、一気に中部東側を攻略できると考えた。
 ロイバス男爵は小麦の収穫を終えると、勢力圏全域から徴兵し、南部からの兵を加えて、総兵力1万の大軍を3つに分けて東に向けて進軍させる。
 南攻軍は南部からの増援、北攻軍はロイバス男爵の嫡子が指揮、中央軍はロイバス男爵自身が統率する。

 最初に戦場に到着したのは、北攻軍2500だった。新たに嫡子となったロイバス男爵の三男は、武功をあげるべく勇躍して東部との境界を越える。
 迎え撃ったのは、強硬派の若者たち。アネルマを指揮官として、8輌の装甲車で機動防御戦を仕掛ける。
 2500対125では戦力差がありすぎるからだ。
 アネルマの作戦は、麗林梓から授けられた。「こちらの戦力は20分の1以下なんだから、まともに戦っても勝てないよ。
 ならば、できるだけ領内深く呼び込むんだ。計画的に後退しながらね。
 そして、十分に呼び込んだら、退路を断つ」
 アネルマはおびき寄せる場所も選んでいた。底に小さな池があるすり鉢状の場所だ。
 周囲に人家はないし、戦えない人は東に逃がしている。
 このすり鉢状に誘い込んだら、退路を断ち、進路を塞いで、高所から一斉攻撃を仕掛ける。

 南攻軍には、麗林梓と彼女の仲間たちが出撃した。この一帯は森林が多い。大軍が進撃するルートは限られる。
 その進撃路だが、梓は事前に啓開しておいた。つまり、幅の広い平坦な道を造ってあった。

 南攻軍の下士官が将校に話しかける。
「小隊長殿、中部の連中はバカなんですか?
 こんなに進撃しやすい道を造って。
 東側に入ってから進撃速度は倍ですよ」
「分隊長、かもしれんが、油断はするな」
「しかしですね、小隊長、周囲は深い森。この森のどこから我々を襲うんです?
 道はないんですよ。道を造るにしても、何年もかかりますよ」
「そうなんだが……、分隊長、気に入らないんだ。この深い森にこんな広い道をどうやって造ったんだ。西側の森の道は馬車がどうにか通れる程度だった。砲を運ぶのにどれだけ苦労したか……。
 だが、この道は……。
 どうやって造ったんだ。切り株も岩も残っていない。木切れ1本落ちていない」
 分隊長は小隊長の不安を理解していた。

 2500の兵力のうち、戦列歩兵2000、騎兵300、砲兵200で、工兵や輸送兵は伴っていない。砲兵は野砲よりも若干軽量な騎砲16門を装備している。青銅製ではなく、最新の鋼製砲だ。

 麗林梓のグループは戦闘部隊ではなく、技術者集団だった。
 当然、勇気よりも合理性を重んじる。

 砲兵隊は進撃の速い騎兵や歩兵から、やや遅れていた。道の状態がよすぎて、騎兵は前進しすぎ、歩兵は追い付けないのに騎兵を追い、砲兵は砲の破損を恐れて進軍速度には制限がある。
 結果、突出する騎兵、進軍速度が上がって疲れていく歩兵、遅れる砲兵と部隊は3つの集団に別れる。

 砲兵隊の指揮官は、砲が順調に進んでいることを不安視していた。過去、こんなことはないからだ。
 すでに歩兵の最後尾が見えない。
 砲兵隊の指揮官は、近くにいる乗馬の将校を呼ぶ。
「先行して、歩兵の居場所を調べてこい。
 そう遅れてはいないはずだが……」
 砲兵将校は馬上で敬礼すると、乗馬している若い将校2を引き連れて東に走った。

 3騎の姿が見えなくなると同時に、森の両側から甲高い連続音がする。
 道路上に4本の大木が倒れる。
 進路が塞がれた。

 砲兵隊の最後部で、騒ぎが起こる。森の北側から巨大な動く何かが現れたのだ。
 迷信深い老砲兵が叫ぶ。
「魔獣だ!」

 ブルドーザーとドーザーショベルが、そこそこ太い高木をなぎ倒して、森から現れる。退路が塞がれると同時に、麗林梓たちの攻撃が始まる。
 だが、ブルドーザーの登場で、南部の砲兵は完全に戦意を失った。どう戦ったらいいのかさえわからない。
 それに、そもそもが何で攻め込むのか、その意味さえ知らない。この遠征に不満を感じていたから、ブルドーザーの登場で大混乱に陥る。

 東側には、標準サイズのバックホウとキャリアダンプが現れる。
 騎兵の抜刀突撃をバックホウの360度旋回がなぎ倒す。ドン・キ・ホーテの風車への突撃のように滑稽な姿だ。
 1回の旋回でウマ4頭を騎手ごとはじき飛ばした威力は凄まじく、ウマも人も森の中に消えていった。
 現実的にはバックホウの破壊力は限定的で、南攻軍騎兵の多くは狙撃によって倒された。
 圧倒的な存在感のバックホウに惑わされた、南攻軍兵士はヴァロワの狙撃兵に対して、まったく無防備だった。

 異世界の軍事ドクトリンは、元世界の18世紀末から19世紀初頭と大差ない。元世界において最後の大規模戦列歩兵戦は、アメリカの南北戦争(1861年~1865年)だったが、日本の戊辰戦争(1868年~1869年)では戦列歩兵戦は行われなかった。
 銃器は18世紀初頭から19世紀中頃までに相当する。フリントロック式が主流で、より確実に発射できるパーカッションロック式は登場していない。
 また、命中精度と射程距離の延長が可能なライフルは、ごく限定的にしか存在しない。
 一方、コルマール村に集結している一領具足は、パーカッションロック式と紙薬莢を飛び越えて、センターファイアの金属薬莢に達している。
 つまり、トラック競技に例えるなら、2.5周ほど先行しているのだ。0.5は初期の金属薬莢であるリムファイアを経ていないこと。

 一領具足が生まれた理由は判然としない。だが、元世界と関係があることは確かだ。元世界の戦国時代に、異世界から元世界へ、元世界から異世界へ、大きな人の移動があったことはほぼ確実。
 少人数の交流では、両世界とも影響は限定的だった。だが、相対的に異世界のほうが大きな影響を受けた。
 その結果が一領具足の誕生だ。まず、彼らは戦列を作らない。最初から散兵戦を基本にしていたようだ。
 それと鉄砲の存在。鉄砲は異世界でも、マッチロックからフリントロックへと“進化”した。だが、マッチロックをもたらした人々と、フリントロックを持ち込んだ集団は違う可能性が高い。
 その理由だが、一領具足は瞬発式マッチロックを捨ててはいなかった。つまり、引き金を引くと即座に火ばさみが落ちる日本式(東南アジアタイプ)の火縄銃の使用を続けていた。
 このタイプは発射精度と命中精度が高い。
 一方、多くのフリントロック式長銃および短銃は、トリガーを引き始めても即ハンマーが落ちない。トリガーを戻せば、ハンマーの動作は停止する。
 火打ち石と金属を打ち合わせて火花を得る構造から、ハンマーのスプリングが強力で、発火時の衝撃が大きく、命中精度に劣る。
 マッチロックは火ばさみが落ちる瞬間に大きな火炎を放出するので、密集陣形には不向き。だが、戦列を作らない一領具足には、この欠点は問題ではない。
 密集陣形は採用しないが、集団運用を基本としていた。
 一領具足の装備はキュトラ伯爵軍に奪われてほとんど残っていないが、残ったものを見る限り、甲冑は戦国末期の当世具足の影響を明確に受けている。
 刀剣は、湾曲刀を腰に下げ、ダガータイプの両刃短刀を腰に差す。湾曲刀には護拳があるが、柄は総じて長い。常用は片手だが、両手でも使える。
 この装備で、長銃を持ち戦場に赴く。かなりの重装備だ。
 またウマには乗るが、騎兵ではなく、乗馬歩兵として戦う。つまり、ウマに乗って移動し、散兵として戦う。
 手強い軍事集団として、周辺諸国からは恐れられていた。それゆえ、歴代ヴァロワ国王は一領具足を厚遇していた。

 ロイバス男爵は、東西境界の森に近付いていた。森の東側に敵の小部隊がいることは、斥候の報告で知っていた。
 兵力は350ほど。
 ロイバス男爵は、どうすべきか迷っている。南北から戦況報告があるのだが、なぜか情勢が不利なのだ。
「ご嫡子討ち死に!」
 この報を聞いたとき、耳を疑った。絶対的に優勢な戦力を持っていたはずなのに、どうして討たれたのか理解できなかった。
 心の中では、三男の討ち死には間違いであろうと感じていた。

 フラン曹長は、新型山砲4門と自走山砲1門を指揮している。自走砲は、九八式装甲運搬車の改造車体に四一式山砲の砲架以上を搭載している。新型山砲はウマ2頭か耕運機による牽引砲だが、四一式山砲を開脚式に改めて、長砲身化して、長射程化を実現していた。
 ロレーヌ準男爵が指揮する遊撃農民隊が、この砲兵隊を護衛する。フリントロック式マスケットで武装する、十分な訓練を受けていない2線級の部隊だが、ヴァロワ中部東側にしてはまとまった戦力だ。
 だが、フラン曹長にとっても、ロレーヌ準男爵にとっても、最大最強の兵器は、新型砲でも、士気の高い農民たちでもなかった。
 2人は、ドローンを操縦する10歳代中頃の女の子を最重要視していた。何しろ、腕の立つ騎士や従士の家系出身者を10人も護衛に付けているのだ。
 その中にはオリバ準男爵やロレーヌ準男爵の息子もいる。

「いつものことだが、これはないな」
 ロレーヌ人男爵の気持ちは、フラン曹長もまったく同意だ。
 ドローンによって、ロイバス男爵の動きが手に取るようにわかるのだ。
 フラン曹長が顎をかきながら「ロイバス男爵のご尊顔を拝したいが、できるか?」と少女に問う。
「できま~す」
 軽い返答のあと、カメラがズームする。
 ロレーヌ準男爵が「敵の総大将は浮かぬ顔だな」と感想を述べると、少女が「だって、アネルマが三男を殺しちゃったんだから」と答える。
 フラン曹長が慌てる。
「まことか!」
 少女が「うん。通信隊がコルマール村あての無線を傍受したって」と答える。
 フラン曹長が心配する。
「これから準備射撃を始めるが、ドローンはいまの位置で大丈夫か?」
 少女がフラン曹長を見る。
「もっと、高く上昇させるから、少し待って。
 可哀想だよね」
 ロレーヌ準男爵は、少女の言葉の意味が理解できなかった。
「何がだ?」
 少女が口籠もる。
「あの人たち、どこから大砲の弾が飛んでくるのかわからないんだよ。
 踏み潰される虫みたいに、どうして死ぬのかわからないんだよ」
 フラン曹長もそれは気にしていた。彼が知っている砲撃戦とは異なるのだ。戦列歩兵戦における砲撃は、相手の姿を視認しての直射照準射撃だ。
 しかし、これから行う砲撃は、ドローンによる間接照準射撃だ。こんな攻撃方法は初めて。そして、射程距離が8000メートルもある砲を扱うことも初めてだ。
 ドローンで着弾観測し、敵の姿が見えないはるか遠方から大砲を撃つのだ。フラン曹長は砲撃される相手を高見から観察するが、敵はどこから砲弾が飛んでくるのかわからない。
 一方的に叩くのだ。
 兵にとっては理不尽でしかない。

 ロレーヌ準男爵は、フラン曹長の新型砲から離れて立っている。だが、砲兵特有のバカでかい声は聞こえる。
 フラン曹長が命令する。
「間接照準射撃用意!
 距離5000、方位2度20分、準備射撃始め!」
 砲兵下士官が時計を見て、ロレーヌ準男爵に「弾着します」と教える。遠方から爆発音と、若干の振動が伝わったように感じる。
 射撃指揮所の役目をする、ドローン操作員の少女が無線に叫ぶ。
「距離5200、方位2度22分に修正」
 無線を受けたフラン曹長が、修正値を操砲員に伝える。
 1発目は、ロイバス男爵軍の80メートル南に落ちたが、2発目は隊列の真ん中に命中する。
 少女が「隊列の中心に命中」と叫ぶ。
 フラン曹長は満足する。
「全砲門開け!
 効力射!
 撃て!」

 ロイバス男爵は、何が起きたのか理解できなかった。落下しているものが砲弾であることはわかるが、近くに敵はいない。
 東に森があるが、南と北は大草原。西は味方の領域。
 砲弾は大仰角で落下してくる。頭上から降ってくるのだ。東側の連中が数十門もの大砲を集められたとは思えない。あっても数門のはず。
 だが、ウマが竿立ちしている間に砲弾は15発は落ちている。その後も砲弾の攻撃は続き、息を止めている間に50発以上撃ち込まれた。
 気付けば、ロイバス男爵自身が路上から草原に逃げ、地面に伏して、頭を抱えていた。
 砲撃が一瞬、やむ。
 無理矢理徴兵してきた兵は、逃げ去っていた。
 ロイバス男爵は、彼方の召集兵を目で追うが、どうすることもできない。恐怖で身体が動かない。

「逃げてくよ」
 少女の言葉に少女の隣に来たロレーヌ準男爵が答える。
「逃がしてやれ。
 召集兵だ」
 兵の大半が西に向かって走って行く。

 ロイバス男爵は、泥に足を取られながら、西に向かって歩いていた。
 何があったのか、どうしてこうなったのか、まったくわからない。
 嫡子の死を忘れていた。自分が生きているだけで満足だった。息子は他にもいるのだから、嫡子の死は痛手ではない。
 副官が「踏みとどまれ!」と剣を抜いて叫んだが、その結果、さらに数十発が降ってきた。副官は戦死、ロイバス男爵の従士は行方不明。古参の多くの部下を死なせてしまった。
 心から忠誠を誓う部下の死はロイバス男爵にとってはどうでもいいが、身内が死んだことをきっかけにして貴族の離反が起こりかねない。こちらの方が問題だ。子の死よりも、家が大事なのだ。
 東側との講和条件をどうすればいいか、必死に考えている。講和に失敗すれば、攻め込まれかねない。
 だが、譲歩しすぎれば、友好貴族各家の反発を招く。さじ加減が難しい。

 ルクワ川は、南部と中部を分けるヴォルカン高地に源を発し、北に向かって流れ、アリエ川と合流する。
 大河ではなく、河川敷を含む川幅は最大でも10メートル程度。水量は多く、深い。上流部は流れが速いが、アリエ川合流付近は穏やか。
 オリバ準男爵はダルリアダ軍の南下に備えていたが、その兆候がないことからアリエ川を下ってルクワ川合流部まで進出する。
 同時に、アリエ川に沿って、陸路を強硬派が進撃する。
 麗林梓たち技術者集団は、バックホウの故障というトラブルに見舞われたが、2台のブルドーザーを先頭に南の丘陵地帯北縁の大森林を西進する。
 ロレーヌ準男爵とフラン曹長の部隊も東西の境界を越えた。

 東側の総攻撃が開始されたのだ。

 元世界の日本では、大量の鉄砲が使用された戦国時代末期、徳川家康の大坂攻めの際には塹壕戦が起きていた。
 だが、塹壕戦を知らないロイバス男爵は、防衛態勢を一切考えずにルクワ川を渡ってしまった。
 南を攻めた南部が派遣した南攻軍は瓦解していたし、北を攻めたロイバス男爵嫡子部隊は壊滅していた。
 ロイバス男爵の召集兵たちは、逃げ散っている。
 北と南、そして中央を進む東側の各部隊は、何もない荒野を進むがごとく、まったくの無抵抗で進撃した。

 エイミス伯爵家は商売に失敗して没落してはいるが、ヴァロワ貴族の名家であった。美しい娘が4人いて、父親が商売に失敗さえしなければ娘たちはしかるべき家に嫁げるはずだった。
 長女20歳、次女18歳、三女16歳、四女14歳。
 早婚の異世界では、貴族の娘で20歳や18歳は完全に行き遅れ、行かず後家だった。それでも、長女と次女は必死に嫁ぎ先を探していた。
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 4人の娘は、母親からせかされていた。
 長女は可能な限り、ドレスを持ち出そうとしている。ドレスがなければ、縁談がありそうな場には出られないからだ。
「何をやってるの!
 もうすぐ後家の軍が攻めてくるというのに!
 後家の軍が乗り込んできたら、縁談なんてなくなるのよ!」
 それは事実だ。
 次女の縁談が消えた理由は、数年前、この館にロイバス男爵軍が乗り込んできたからだ。縁組み先の商家は、次女の貞操が汚された可能性を気にした。
 4人の娘たちの行動は、明らかに浮き世離れしていた。

 アネルマは林に隠れて、美しい青い外壁の館を観察している。
「動きはないね」
 アネルマ隊は、装甲車1、ピックアップトラック1、2トントラック2という強力な兵力で、東西の境界を越えた。
 彼女たちが指示された目標が、このエイミス伯爵邸の偵察だ。東西境界からルクワ川に到るアリエ川沿いで、最大の建物だ。しかも、この区間の中間に位置する。
 アリエ川が流れを変えた際に封じられた三日月湖の畔にあり、この三日月形の池には湧水がある。
 敷地は森に囲まれているが、3階建ての館の周囲は芝で覆われている。
 だが、雑草が目立つし、芝は手入れされていない。防衛のための濠や城壁はない。過去にはあっただろうが、戦のための城から交流のための館に生まれ変わった。
 この変化は数十年前から始まり、ダルリアダ国王のヴァロワ国王即位まで続いた。

 エイミス伯爵は、衣装をのんびりとトランクに詰める娘たちにイラついている。次女の縁談が事実上破談になったことは、娘たちは知らない。
 その理由が、彼の屋敷に軍靴が入ったことに原因があることも知らない。軍が押し入れば、その家の娘は傷物扱いされてしまう。その現実を知らない。
 貴族の娘の価値とは、それほどまでに低いのだ。家柄と清純さ以外の評価基準がないのだ。

「ロイバス男爵の兵が隠れているようには見えないね」
 だが、アネリアは自分の言葉とは裏腹に、強く警戒している。
「館の前の荷馬車が気になる。
 よし、装甲車で乗り込む。
 もし、攻撃されたら、回り込んで制圧するんだ」

 エイミス伯爵は娘たちをせかせるが、彼女たちは動かない。
 思わず怒鳴った。
「後家の兵がこの館に入れば、おまえたちは傷物だと思われるんだぞ!
 すでにロイバス男爵の兵に犯されたと思われている!
 絶対に嫁に行けなくなるんだぞ!」
 父親から「嫁に行けない」と言われることは、エイミス伯爵家の経済状況からすれば死を意味する。父母の死後、彼女たちには生活の糧を得る手段がないからだ。

 父母と娘の計6人が、抱えきれないほどの荷物を馬車に積み込もうとした瞬間、鋼で囲まれたウマがいなくても走る馬車が館に向かって突進してくる様子を見る。
 父親は「遅かったか!」と嘆く。
 4人の娘は呆然とする。

「エイミス伯爵のお館と推察する」
 オープントップの車上から、立ち上がったアネルマがやや太り気味の男に声をかける。
 伯爵は覚悟を決めた。
「私が当家の主だ。
 ご貴殿は?」
「私はアネルマ・レイリン。
 コルマール村の兵だ。
 つまり後家の兵だ」
 伯爵は、顔を緑や黒で塗る戦化粧の女性を見ている。
「この館には、私と妻、そして娘4人しかいない。乱暴はしないでほしい」
「ロイバス男爵の兵が隠れていないか、調べさせてもらう」
 無線で他の3輌を呼ぶ。
 エイミス伯爵の緊張は最大になる。商売に失敗していなければ、国外に逃げ出していた。運が悪かった。
 娘たちを守りたいが、どう考えても無理だ。
 1人か2人は殺せるだろうが……。

 無蓋の軽快な荷馬車の御者席から、エイミス伯爵のフリントロック式マスケットが取り上げられる。
 エイミス伯爵は身体検査され、腰のベルトに差していたフリントロック式短銃が奪われる。
 ただ、奪った若い男は、空に向けて発射し、フリント(火打ち石)を外すと、短銃を返した。長銃も同じで、発射できないようにすると返却された。
 4人の娘たちは、女性兵士が身体検査し、手荷物から離れるよう命令される。このとき次女と三女が抵抗するが、女性兵士は次女を投げ飛ばした。
 伯爵は次女が空中を舞う様子に驚く。次女は地面に叩き付けられ、しばらくは動けなかった。

「館の中には、誰もいません。
 ネズミも見ませんでした」
 アネルマは報告に満足する。
 そして、エイミス伯爵に向き直る。次女は昏倒したままだ。母親が心配そうに抱きかかえている。
「伯爵、誰もかくまっていないことは確認した。私たちは去るが、戸締まりは厳に。
 ロイバス男爵の残兵がウロウロしているからな。
 連中は食料ほしさに農家を襲っているようだ。気を付けたほうがいい」

 エイミス伯爵が驚く。銃を奪わず、食料を求めず、次女を投げ飛ばしただけで去るというのだ。
 彼には行くあてがなかった。どこかに逃げても、その先はどうなるかわからない。生きていくには、4人の娘のうち1人は売らなくてはならない。
 だが、ここに残れば、食べるものは食料庫にある。しばらくは、生きていける。
 瞬間、彼は自分でも信じられない言葉を発していた。
「待ってくれ、隊長殿。
 ここに残ってくれるなら、寝床を用意する」

 アネルマは、エイミス伯爵の申し出に驚く。
「我らが怖くないのか?
 後家の軍だぞ」
 伯爵は躊躇わなかった。
「貴殿たちよりも、男爵軍のほうがタチが悪い。ここが襲われたら、私は殺され、妻と娘たちは遊び道具にされる。
 でも、貴殿たちがいれば……」
 アネルマが皮肉な微笑みを返す。
「つまり、用心棒か。
 司令部からは前進基地の設営を命じられている。館の周囲を使わせてもらえるとありがたい」
 伯爵は若干やけくそだった。
「かまわんとも、いつまででもいてくれ」
 伯爵は、心にもない言葉が一切の淀みなく自分の口から出たことに驚いた。

 アネルマは、コルマール村の司令部から指示された通り、ルクワ川から離れた場所、エイミス伯爵邸敷地内に前進基地を設営する。
 ただ、豪奢な母屋は使わず、庭師が住んでいたレンガ積み家屋に無線機を置く。
 この前進基地に残るのは、アネルマが指揮する1個班6人のみ。他はルクワ川東岸に向かう。

 麗林梓と彼女の仲間は、ルクワ川源流部に近い最上流部を目指して、道がなければ森を切り開きながら前進している。
 その圧倒的パワーは、進路付近のロイバス男爵派豪農たちに抵抗を諦めさせた。

 ロレーヌ準男爵とフラン曹長の部隊は、ロイバス男爵軍の残兵を駆逐しながらルクワ川を目指す。

 コンウィ城城主代行ベングト・バーリは、ヴァロワ中部東側国境付近に残るダルリアダ農園主の排除に動く。
 すでに、農園主の財産の半分となる奴隷は解放済み。銃を突き付けて、不当に拘束されている人々を解放した。
 もちろん、希望者には新たな仕事を紹介した。
 今回は、ダルリアダ人農園主を中部から駆逐する。

 ロイバス男爵軍の東進をきっかけとして、ヴァロワ中部東側は全面攻勢に出た。
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