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第3章 奪還

第25話 バルティカ

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 アークティカは、帝国との決戦を間近に控えて、新型兵器の開発に邁進するだけではなかった。
 この国は本来、軍事的には弱体な国家であり、国家防衛の基本は他国との「良好な関係」を基本にしていた。もちろん、権謀術数にも長けいている。
 ただ、そのような外交的手段は、換金資源を生きた人間の売買に求める神聖マムルーク帝国=奴隷商人には、通用しなかったということだ。
 帝国は、白い海の北岸をほぼ制圧し、白い海と赤い海に挟まれた穀倉地帯も北部の大城郭都市エリスと南部の大環濠都市カフカを除いて、ごく一部を除いて勢力下に組み入れている。
 帝国は勢力下にある各国、各都市国家に対して、国民の三割を奴隷として供出するよう要求し、人口減=労働力減の補填として奴隷を購入するよう強要している。

 自国民の三割供出を要求され、各国の政府は苦慮することになる。
 ある国は問答無用で自国民の三割を捕らえて帝国に供出。
 ある国は帝国に従わず開戦して滅亡。
 ある国は奴隷として選別される基準を巡って内戦となった。
 どの状況でも帝国にとっては好ましいもので、開戦や内戦になれば、戦況を制御してその国の民のすべてを奴隷にすることも可能だ。
 ただ、バタやラシュットのように、国民の大半が組織的に脱出し、別の地で反帝国の戦いを仕掛けられることは厄介であった。
 そのような反帝国の顕著な萌芽がアークティカである。
 帝国にとってはアークティカなど、指に刺さった棘ほどの痛痒も与えてはいないが、無視していい存在ではない。
 帝国の威信をかけ、諸国・諸都市への見せしめとして、考え得る最も残虐な方法で皆殺しにする必要があった。

 だが、帝国側はアークティカの情報をほとんど持っていない。
 少数の銃、弓、槍、刀剣程度の武器は持っていること。参集しているアークティカ人は、最大でも三〇〇〇人ほどであること。訓練された兵は数百しかいないことは情報として得ている。
 また、指導者は当初、予言の娘と見られていたが、リケルという名の下級官吏であることも調べている。
 帝国政権内部では、「アークティカ人三〇〇〇を奴隷として捕らえ、南方諸国に売ればいい」と言う意見も多かったが、皇帝は皆殺しを命じた。

 アークティカ側は情報収集に重きを置いていた。
 バルティカ南部二国は、アークティカとの縁が深い。友人・知人だけでなく、血縁もある。特に赤い海沿岸のパノリアは、アークティカ人との婚姻が多い。
 また、アークティカが共和制であったことから、その影響もあってパノリアは立憲君主制であった。
 青い海沿岸のローリアは、東方諸国・諸都市の影響が強い国である。だが、ローリア王家は、アークティカ人の血が濃かった。
 旧アークティカ王家とローリア王家は、姻戚関係にあり、一五〇年以上前ではあるがローリア王がアークティカ王を兼ねたこともある。
 直近のアークティカとは経済的な結びつきが強く、豊かな大地の恵みをアークティカの商人に売り、アークティカから西方諸国の文物を買い入れて東方諸国に売り、その貿易で国は豊かだった。
 だが、アークティカ崩壊後は、バルティカの盟主であり、バルティカ中部の大国であるアトリアに農作物を買いたたかれて、ローリア国民には不満が溜まっている。

 パノリアとローリアには、密かに逃げ込んだアークティカ人が民衆によって多数匿われている。

 バルティカの北方二国、赤い海沿岸のウルリア、青い海沿岸のユンガリアは北方諸国との関係が深く、アークティカへの興味は薄い。
 また、北方諸国との連合によって、神聖マムルーク帝国に対抗できると考えていた。

 バルティカの盟主であるアトリアは、バルティカの中央に君臨する大国だ。
 専制君主制、絶対王制を標榜する独裁国家ではあるが、王家の台所は火の車だった。
 原因の多くは国王の散財と、統治の不手際なのだが、絶対王制は建前で、有力諸都市が半独立状態で国内情勢は混沌としている。
 王家は、いつ排除されても不思議でない状況だ。
 そして、アークティカの民主的議会制は、アトリア王家にとっては根源的な不安を抱かせる統治体制であった。
 国民は農地の拡大を望んでいた。外敵を作れば、脆弱化しつつある王家の延命を画策できる。
 国民は農地を欲している。アークティカには広大な農地がある。
 アークティカ人がいなくなれば、アークティカにアトリア人が植民できる。
 アークティカ人を排除するには、この属国を国ごと奴隷商人に渡せばいい。
 そして、自国民をアークティカに植民させ、植民した自国民は奴隷商人が新設する国=神聖マムルーク帝国の奴隷として働く。
 自国民の三割を奴隷として供出できるほど王権は強くないが、アークティカの豊かな農地に植民したい民は多いだろう。
 彼の地でどうなろうが、アトリア王家には関係ない。
 これが、アトリア王家中枢の意思であった。

 アークティカ側は、これらの情報を正確に把握していた。
 情報源は各国の商人たちで、各国政府内部の意見の対立、各国の経済状況、民衆の不満や不安など、あらゆる情報がもたらされている。

 リケルは、毎日一〇〇通を超える直筆の手紙を書かされていた。
 それは私が提案した作戦で、赤い海沿岸と青い海西岸各国の要人に向けて「ごく個人的な私信」として送られた。
 手紙の内容はほぼ同じで、アークティカの窮状を伝え、「どうかご支援を!」と訴えるものだ。
 私はリケルに「可能な限りの泣き言を並べろ」と言った。
 その理由は二つある。
 一つは、手紙の内容が帝国側、あるいは帝国に従属する各国政府に漏れれば、アークティカが脆弱であると判断させられる。
 戦いは避けられない。ならば、可能な限り侮ってもらった方が戦いやすくなる。
 もう一つは、同情や哀れみを感じてもらうこと。
 我々が幸運にも戦闘に勝った場合、アークティカ人が己が生命を守ることのみを理由にやむを得ず戦ったことにできる。
 つまり、絶対的正義の戦い、正当防衛にできる。
 リケルは偽りは書かなかった。
「我が国民は、子供、老人、女性しかいません。誰もが帝国の侵攻に怯えています。
 服はなく、寒さをしのぐために穀物袋に穴を開けて着ています。
 食料もなく、飢えています。
 武器はなく、民には城壁を築くための石を運ぶ体力がありません。
 仕方なく泥を積んで身を隠す場所を造っています。
 どうか、そんな我々にご支援をいただきたい」というような文面だ。
 どれも嘘ではない。戦いに適した年齢層は極端に少ないし、帝国の侵攻に怯えているし、土嚢積みの作業着として穀物袋を使っているし、食糧の確保に東奔西走しているし、野戦築城の資材として泥や砂を詰めた土嚢を多用している。
 ただ、リケルが絶対に書かないことがある。それは、アークティカ人は負けるつもりがない、ということだ。

 二〇〇〇通を超えるリケルの手紙への返信は、一通もない。
 だが、アークティカに興味のなかった各国要人でも、我々に強い関心を持つようになったことは事実だ。
 赤い海沿岸世界がアークティカを注視するようになっていた。

 パノリア王レーモン三世は、アークティカの窮状に深く同情している。また、自国軍が自分が承認した政府の命によりアークティカ領に攻め入らねばならないことを、心底から嫌悪していた。
 だが、それをしなければ自国の国民を三割も帝国に供物として差し出さなければならない。
 ぎりぎりの葛藤から導いた結論である。自分に統治権はないが、王として行政府の決定を承認したのだ。
 二七歳の王は、自分が国の飾り物であることをよく理解していた。
 だが、側近の元に届いたリケルの手紙を読み、進軍するが戦闘を避ける方法はないものか思案し始めていた。
 政府に命令はできないが、王としての意見は言える。
 パノリア政府はリケルの手紙とは別に、派兵戦力を極限まで減らす方策と、戦闘に加わらない理由を考えていた。
 パノリア政府にも意地がある。自国兵をアトリアや帝国に捨て駒同然に使われたくない。
 パノリア政府は領内での疫病発生を理由に、派兵戦力を二〇〇〇にして欲しいとバルティカの盟主アトリアに申し入れた。
 疫病と聞いてアトリア政府は震え上がり、その兵力を了承した。
 また、軍勢本隊からは離れて行軍するよう命じた。
 パノリア軍司令官は、派遣軍将兵に勇敢に戦えとは命じず、アークティカとの国境を越えたら、尻の穴が痛くなるまで便所に行け、と命じた。

 ローリア王ベルナル九世は、王位について四〇年になる。専制君主として君臨し、領内を豊かにする統治を行ってきたつもりだ。
 だが、アークティカ崩壊後のアトリアからの締め付けが厳しく、今期収穫の穀物の売値はひどいものだった。
 国は急速に貧しくなり始めている。アトリアとその背後にいる帝国には、腹に据えかねるものがある。
 自国高官に送られてきたアークティカの指導者を名乗るリケルという男の手紙を読んだ。
 内容は、下級官吏らしく弱音の連呼だ。この男では国は治められない。
 彼は、隙を見て、アークティカ北部の併合を考えている。
 参陣戦力を三〇〇〇にとどめ、アークティカとの国境に一万五〇〇〇を集結させることにした。
 
 北の国ウルリアとユンガリアは、バルティカからの分離独立を画策している。
 だが、その機は熟しておらず、今回はつきあい程度の兵力各二五〇〇を派遣するつもりでいた。
 もちろん、戦闘に参加するつもりはない。

 アトリアは苦悩している。バルティカ五カ国の内、アークティカ侵攻に積極的なのは自国だけ。バルティカ軍総勢三万を集めるには、アトリアが二万を出さなければならない。
 二万は、ほぼ全兵力に相当する。ウルリアやユンガリアが南下してきたら、ひとたまりもない。
 その可能性はあるし、ローリアも怪しい動きをしている。
 アークティカ国境を越えてから一週間以内に戦闘を終結させなければ、自国の命運まで怪しくなってくる。
 アトリア王トゥルー三世は、帝国の勢力圏に入ったことを後悔し始めていた。
 だが、国民は南の豊かなアークティカ領が手に入ると熱狂している。
 アトリア王は、自分の画策に嫌悪を抱いている。
 アークティカに入植する人々は、いまはアトリア国民だが、入植後は帝国の奴隷となる。
 豊かなアークティカの地は、帝国の直轄地になるのだ。

 バルティカは分裂しかけている。アトリアが行ったアークティカに対する行為は、バルティカの構成国間の疑心暗鬼を極限まで高めてしまった。
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