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Capture04
04-002 移動準備
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目的地のキャンプ場には、日没前までにたどり着けなかった。
山中にある民家ではない2階建ての1階が倉庫のような建物の陰で車中泊した。
付近に民家はあるが少なく、物資の調達に不向きな場所なので、生人との接触も避けられる。
実際、その夜は何ごとも起きなかった。
翌早朝、出発し、目的地を目指す。何度か道に迷ったが、1時間ほどで到着する。
「そのときの私は少し油断していました。
ここ数日、いろいろとうまくいっていたので……。
靴と銃を手に入れたからだと思います。
気が大きくなったのでしょう。愚かですが、この頃の私はその程度でした。
無警戒にキャンプ場に侵入してしまったんです。
炊事場に生存者がいたんです」
凛子は慌てた。
そして、歯磨き中の男性も慌てる。歯ブラシを捨て、口の周りを白くしたまま、一番手前のバンガローに走る。
凛子は小銃を抱えて、彼女の軽バンを遮蔽物にする。
男性は、バンガローのテラスに駆け上がり、立てかけてあった銃を構える。
凛子と男性が銃を構えたのは、ほぼ同時だった。互いに声を発せず、様子見をする。
凛子は男性が1人であることがすぐにわかった。
彼以外に誰も現れないからだ。彼が警告を発しないことからも、それがわかる。仲間がいれば、この事態を知らせるはずだ。
男性側にも凛子が1人であることが知られている。
軽バンには凛子1人しか乗っておらず、後続車もないからだ。
「無言のにらみ合いは5分を超えました」
「銃を置く。
危害を加えるつもりはない。
俺はここに住んでいるだけだ!」
男性がそう伝え、銃をテラスに置いた。
凛子も小銃を後部座席に置く。同時に、拳銃をすぐ使えるようにする。
凛子が姿を現す。
「私は鮫島凛子、東京に向かっている」
男性も立ち上がる。
「国分兼広だ。
ここに住んでいる。
インスタントじゃないコーヒーがある。
飲まないか?」
凛子は兼広の好意に甘えた。
コーヒーではなく、紅茶を馳走になった。 互いに干渉しないことで合意し、凛子は一番奥のバンガローを使うことにする。
「ここは快適な場所でした。
4キロほど離れていますけど、温泉があって、そこの露天風呂が使えたんです。湯船に浮いた落ち葉とかはどけなくてはならないけど、湯船に入ることができました。
露天の湯船は小さくて、国分さんは何度かお湯を抜いて掃除したそうです。
私も何回か掃除に加わりました。
ですが、一緒に何かをするのはそれだけで、行動をともにすることはありませんでした」
凛子は、JRの駅がある市街地まで何度も往復して、少しずつ物資を蓄積していく。距離は片道12キロほどだった。
危険を冒して、ドラッグストアに侵入したことも1度や2度ではない。生人と遭遇することは少なかったが、まったくないわけではなかった。
凛子が路上放置車からガソリンを抜いていると、かなり離れてはいるが、ランクルが姿を現した。
凛子は慌てて軽バンに乗る。そして、逃げる。ランクルが追ってきて、簡単に追い付かれて並走された。
ランクルには男性が4人乗っていて、車体を寄せてきた。
凛子は迷わなかった。
拳銃を抜くと、前席に向かって4発発射する。助手席の男性が叫び、運転席の男性は顔を押さえた。
命中したのだ。
ランクルは電信柱に激突して止まった。
凛子は、管理棟に置かれていたワインの空き瓶を洗って乾かし、中性洗剤とガソリンを1対1の割合で混ぜた火炎瓶を作る。
彼女は、死人よりも、生人のほうが怖かった。過去に2度、生人が別の生人を襲って掠奪する様子を目撃している。
襲われる生存者は、総じて用心深くない。不用心に移動している。
「私、国分さんから言われたんです。
話し合いを拒むから生き残っていられる、って。私も同じ考えでした。
彼は、話し合いには興味がなかったようです。話し合いを求めるヤツには、要求があるんだって。
長兄は、話し合いでどうにもならなければ、その先は殺し合いだって。話し合いは殺し合いの前段階だって……」
兼広は、一切要求しない凛子をある意味で信用していた。要求がなければ、トラブルもない。
互いにただ存在するだけ。
凛子は最初の冬を乗り切るために、缶詰やレトルト食品を可能な限り集めたが、兼広は違った。
彼は市街地を極度に嫌い、食糧のほとんどを田園地帯や山間部で調達している。自然に実った野菜や果実、魚の養魚場からイワナを捕っている。
淡水魚が彼の動物性タンパク源だった。
また、肉厚のシイタケを手にいててくることもあった。大量で多くを干しシイタケにした。カキは干し柿に。
食糧の調達において、2人が協力することはなかった。
凛子はクルマを探していた。軽バンは軽快で使いやすいが、生人に追跡されると逃げ切れない。
クルマに詳しくなく、どんな車種が適しているのかわからない。手に入れていたオートキャンプ雑誌をめくりながら調べる。
彼女には、大きなクルマを運転する自信はなかった。
ある日、裏通りにある自動車整備工場の前に、手頃なハスラーによく似たSUVが停まっていた。
調べると、キーが付いている。キーを回すとエンジンが始動する。
すぐに切る。死人を呼ぶからだ。
凛子にはよくわからないが、厳ついタイヤが着いている。タイヤの表面にブランドらしい白い文字が書かれている。
タイヤの空気はあまり抜けていないようだ。
彼女は周囲を見回し、死人が近くにいないこと、生人に見られていないことを確かめる。
そして、軽バンの荷物をハスラー似のクルマに積み替える。その作業は、焦りもあって乱雑だった。
キャンプ場に戻ってくると、兼広は見知らぬクルマの接近に警戒して銃を構える。
凛子がクルマから降りて、「私!」と叫ぶと、兼広が銃口を下げた。
「いいクルマを見つけたね」
「いいクルマなの?」
「いまの状況ならね。
そのクルマ、エンジン音がいいし、車高を少し上げているみたいだ」
ゾンビ事変発生時、15歳のまもなく女子高校生は当然のことだが、クルマにまったく興味がなかった。
兼広のクルマがJB74ジムニーシエラであることも識別できていなかった。軽自動車と普通車の違いもわからない。
死人と生人を避けて移動するには、あまり使われていない国道や県道を通るしかない。車幅の広いクルマは決定的に不利だ。
「私は偶然、製造数が多くないクロスビーというクルマを見つけました。排気量1000ccのターボエンジンで、ビスカスカップリングのフルタイム4WDだったので、当時の私にはマストの選択だったんです。
車体サイズは軽自動車と大差ないし、運転も軽バンと同じなので……」
凛子と兼広は、互いに顔と名前は知っていたが、それ以上の情報を交換することはなかった。
だから、互いの出身地さえ知らない。兼広は凛子を“東京近郊出身”と感じていたし、凛子は兼広を“富山出身”と思い込んでいた。
実際は、凛子は北海道からやって来たし、兼広は埼玉生まれで静岡育ち、進学する高校は神奈川の予定だった。
兼広は、このキャンプ場で越冬するつもりはなかった。暖かい伊豆とかに移動しようと考えていた。このことは、凛子に伝えようとしていた。
朝、兼広が炊事場に行くと、凛子が水を汲んでいた。揚水のモーターは止まっているが、水圧で水が出てくる。ただ、圧力は高くない。
「鮫島さん、俺はここで冬は越さない。
それは伝えておこうと思って……」
「私は決めていないけど、どうして?」
「ここは寒すぎる」
北海道育ちの凛子には、寒さへの無神経があった。
「寒いかぁ。
私は北海道育ちだから大丈夫かな」
「北海道?
関東じゃないの?」
「うん。何で?」
「いや、雪が降る。除雪されないから、移動できなくなる。この炊事場に来るだけでも、一苦労だ」
凛子は、除雪されない札幌を想像する。確かに、行動不能だ。死人も生人も近付けないが、凛子自身も行動不能になる。
それは、まずい。
「行くあては?」
「あぁ、雪が降り出す前に、静岡に戻る。
バンガローかコテージのあるキャンプ場を探す」
凛子は、ここに残るメリットとデメリットを天秤にかける。
「私はここに残る。
3カ月間は完全に安全なのだから、それ以上のメリットはないと思う。
私は、春になったら出発するつもり」
兼広は、凛子の判断を少し驚いていた。
凛子は近くにスキー場があるのだから、最大2メートル程度の積雪は覚悟していた。
スキー場までは1.5キロくらいなので、積雪が10センチ程度なら徒歩でも行ける。スノーモビルがあることも確認している。スノーモビルがあれば、完全に身動きできなくなる心配もない。
彼女にも目算があった。
兼広は凛子の決断に動揺する。確かに、雪が降れば死人は動けなくなる。屋外に飛び出してきても、雪に足を取られて追跡されないだろう。
雪上の移動方法さえあれば、物資調達には有利な季節だ。
生人も動きにくい。SUVにスタッドレスタイヤを履かせたり、チェーンを巻いただけでは、雪上は走れない。除雪されないからだ。
翌日朝、前日朝と同じシチュエーションで、兼広は凛子に「よく考えたが、鮫島さんが正しい。俺もここで越冬する」と伝えた。
凛子は、ワイヤーカッターと大型のバールを常備している。南京錠程度ならワイヤーカッターで切断できるし、シリンダー錠みたいなものならバールでこじ開けられる。
スキー場を偵察すると、スノーモビル以外に4輪をクローラーに変更した鞍上型のバギーがあった。
これならば、雪の有無に関係なく走行できる。凛子には都合のいい乗り物だった。
当然、確保することに決め、当日中に回収する。
凛子の行動の素早さに比して、兼広の対応は遅れがちだった。計画変更の影響が顕著に出ていた。
2人は協力し合うという考えがなかった。協力し合えば、強みにもなるが、同時に弱みにもなる。
この極限環境下では、単独行動のほうが安全だと2人とも考えていた。互いの存在を認めつつ、個別に行動するほうが判断に制約がない。協力し合うには話し合わなければならないが、個別判断ならその必要がない。一瞬一瞬の判断の早さが、命運を左右する。
そして、話し合って折り合いがつかなければ、しこりが残る。
凛子と兼広は、それをよく知っていた。
ただ、凛子はスキー場にクローラー付きATVが他にもあることを伝えたし、兼広はその礼に養魚場の場所を教えた。
凛子は魚をさばけないので、養魚場には行かず、兼広はスキー場からATVを回収してきた。
自分のことは自分で行い、互いに手を借りず、そして貸さない。
これが、2人の原理原則だった。
「最初の冬は、想像した以上に厳しく、寒くて眠れない日が何日も続きました。
雪上の移動は、控えました。クローラーの跡が雪面に残るので、生存者を呼ぶのではないかと警戒したんです。
国分さんも同じ考えで、ATVで市街地まで行くことはありませんでした。
半冬眠みたいな状態です。
それでも、食糧がつきる前に雪が溶け始め、どうにか乗り切ったんです。
寒い以外の出来事はありません」
凛子は、春になると物資の調達を始め、それは秋まで続く。
約9カ月間に、生人を見かけたのは6回。うち、4回は富山市近辺を根城にする接触したくないグループだった。
2回は移動している3人と5人のグループ。
寄りかかられる可能性が高く、接触したくないので、避けた。
「2回目の冬は、最初の冬よりも少しだけマシでした。寒さは変わらず厳しい状態でしたが、準備に工夫をしたからです。
そして、半冬眠状態で乗り切りました。
でも、春の終わりに地震があって、状況が一変するんです。
それまでも地震はありましたが、このときは体感ですが震度4か5はあったと思います。
場所によっては、それ以上かも。6とか7とか……。
富山市近郊のゾンビすべてが一気に活性化して、移動を始めたんです。
内陸に向かって……。
すべての道にゾンビがあふれていました。
ゾンビの群に気付いたときは、逃げ出す以外の選択肢がなく、物資の一部を捨てて逃げ出します。
私も国分さんも……」
凛子と兼広はこの日、百瀬川に沿って22キロ南下し、偶然見つけたキャンプ場で車中泊した。
2人は行動を共にしていたが、同じクルマを使ってはいなかった。自分のクルマを手放すことはなかった。
「私たちは、できるだけ道幅が広い国道や県道は避けて、安房峠を越えて長野に入りました。
可能な限り市街地を避け、コンビニがあれば店内を物色し、中小規模のスーパーがあれば物資を確保しました。
大規模でも、危険を冒したこともあります。大型店やモールは店内の様子がわからず、物色に時間がかかるから危険なんです。
少し食料に余裕ができたので、安曇野の山中にあるキャンプ場に隠れたのですが……」
このキャンプ場には先客がいた。2人から4人の3グループで、彼らは直接の関係がなかった。
凛子と兼広が少し離れた場所にクルマを止め、水を汲みに行くとボスママのような女性が絡んできた。
すでに日没間際だったので、2人はそのキャンプ場をすぐに去る。
道を引き返し、目をつけていた別の施設の駐車場でキャンプすることにした。
日没間際で、何ができることもなく、夕食は栄養食品を食べただけで済ませる。
翌朝、凛子は朝寝を決め込んでいた。疲れ切っていたし、我慢できる程度の空腹だったからだ。
うつらうつらしていると、車外で言い合いしている声が聞こえる。
凛子が目隠しのタオルをめくり、外を見ると、兼広とバスママが口げんかをしている。
どうやら、凛子と兼広は、ボスママのテリトリーでキャンプしてしまったようだ。キャンプ場から300メートルほどしか離れていないので、あり得る状況ではある。
兼広が「あんたの土地じゃねぇだろ!」と叫んでいるが、そんな言い合いではどうにもならない。
凛子が助手席側を開け、89式小銃を持って車外に出ると、ボスママがビクリとする。小さなクルマから凛子が完全装備で現れたからだ。
凛子が兼広に「大丈夫?」と尋ねる。
兼広が「あぁ、ちょっともめただけだ。そいつをぶっ放す状況じゃない」と伝える。
凛子が「ゾンビよりも、生きている人間のほうが危険だよ」と。
兼広が「殺す必要はない」と伝える。
「ここは、出たほうがいい」
凛子が促すと、兼広が後退し、ジムニーシエラに乗る。
凛子もクロスビーの運転席に入り、2台は発車した。
ゾンビ事変から日を経ていくと、奇妙な感覚の生存者に出会うことが多くなっていく。
心を病むためか、あるいは極度の警戒心からかはわからない。そういう気質の人物が生き残りやすいのかもしれない。ゾンビ事変後の状況において、政治的な統制を強要したり、終末論的な宗教教義を叫んだり、捕食動物の生態さながらの縄張りを主張したりする人物は少なくない。
だから、凛子は生人を避けるようにしていた。
また、生人は支配者と、従属者に2分する傾向が強い。
凛子と兼広は、支配されたくないし、誰かの指導を求めてもいない。
結果、単独行動になる。
「安曇野の山中には、小さな建物が多く、そこに避難している生存者が多くいました。
私たちのような異邦人が滞在するには、いい条件ではありませんでした。
早く立ち去りたかったのですが、疲れていたし、物資を補給したいのもあって、数週間とどまれる場所を探していました。
だけど、完全な間違いでした」
死人は移動しやすい場所を選ぶ。だから、自然と整備された道に集まる。そして、群を作る。死人の群は導かれるように、定まった方向に移動する。
多くの場合、震動の発生源に向かう。
死人は微弱な振動でも検知する。空気の振動よりも、地面・地中の震動のほうが反応しやすい。
日本は地震が多いから、死人は地震で活性化し、震源に向かう。だが、生き残った人々は、地震はわかるが、震源はわからない。
地震後に死人が向かう方向によっては、死と直結する可能性がある。強い地震を感じたら、しばらく様子を見たほうがいい。
凛子の本能が安曇野は危険だと警告しているが、身体がそれを受け入れなかった。心身ともに、相当に疲れていた。
それは兼広も同じで、むしろ彼のほうが限界に近かった。
数日でも休みたかった。
山中に向かう通り抜けができない道の途中に、沢があり、近くに小屋があったので、その小屋の敷地内にクルマを止めてキャンプを始める。
テントは張らず、車中泊が基本だ。
沢の水は見た目はきれいで、水量も多い。
小屋に入るという選択肢はなかった。出入口が1つで、窓が1つ。もし、死人に包囲されたら逃げ場がないからだ。
車中泊を始めた3日目、建物内でないのに明確に揺れを感じた。大きな地震だった。
地震後に死人が活性することは富山で経験していたから、凛子と兼広はすぐに山を下りた。
山を下りた直後、バックミラーに死人の群が彼らが通ってきた道に進んでいく様子が見えた。時間を無駄に使えば、凛子と兼広がキャンプを試みた一帯は死人で埋めつくされる。
凛子と兼広にしても、2分遅ければ群に行く手を遮られ、進退窮まっていた。
田園地帯と山地との境界付近を、北に向かう。この日は26キロ進んで、青木湖に至る。ここは安曇野と異なり、生人はいるものの彼らの気配が希薄だった。
バンガローを見つけ、ここを当面の拠点に決める。物資の調達は安曇野や松本まで出向かなくてはならないが、それを除けば快適な場所だった。
「青木湖で、私は国分さんから釣りと魚の裁き方を教わりました。
時期的によかったのか、ヒメマスがたくさん釣れ、保存食に加工する方法を考える必要があったんです。
国分さんは3枚に下ろして一夜干しにしてから冷凍していました。
私は冷蔵庫も冷凍庫も持っていなかったので、同じ方法は無理でした。
最初のキャンプ場で拾ったアウトドア雑誌に、燻製の作り方が載っていたので、拾ってあったペール缶2つを使って、燻製機を自分で作りました。
何度か失敗したけど、3回目か4回目にはどうにか作れるようになり、6回目くらいからはかなり上手になりました。
釣りをして、燻製を作って、放置車を調べて、たまに市街地に行って物資を補給する、という生活を3カ月ほど続けました。
キャンプ場の管理棟で、厳冬期の青木湖は結氷することを知りました。結氷した写真が飾ってあったんです。
青木湖での越冬を覚悟するか、移動するかを決めなくてはならなくなりました」
凛子は偶然、安曇野の東側に大型のアウトドア専門店を発見する。
食品や衣料品、日用品や医薬品ではないので、店内に死人がいる可能性は低いと考えたが、それでも用心は必要だった。
凛子は死人との戦闘を考慮して、89式小銃に銃剣を着ける。
レジに店員の死人がいる。ゾンビ事変が発生した曜日と時間とから推測して、客数は少ないはずだが、油断はできない。
客らしい死人が2体。大柄の男性と小柄な女性。
店内に侵入する場合、凛子は氷見にいた頃に手に入れていた地下足袋を使っていた。彼女は、足音を立てなければ死人の認知を遅らせることを知っていた。
しかし、欲しいものが多すぎ、一部は重量物もあり、ショッピングカートを使わないと運び出せないことも確かだった。
このとき、初めて、訓練以外で銃を発射した。3体以外にいれば、厄介なことになるが、危険を冒さなければ何も手に入らない。
店内に入る際、出入口を閉めたので、銃声は店外に漏れないはず。
凛子は撃った。3発で3体の死人を倒す。身体を撃っても死人は平然としているが、頭部を撃てば倒せることは知っていた。
ただ、彼女自身では、撃ったことがなかった。
凛子は出入口まで後退する。そして、待った。5分経過しても死人は現れない。
凛子は89式小銃を背に担ぐ。大急ぎで、欲しいものをショッピングカートに積んでいく。大光量のLEDライト、ポータブル電源、エンジン発電機、車載用冷凍冷蔵庫、カセットガスを使うストーブ、衣類など、カート4台分にもなる。
店外に出ると、カートは移動しない。カートの走行音で死人を呼ぶからだ。
リアゲートを開け、次々に積んでいく。
無音での作業を心がけていても、どうしても音がする。カートが発する金属音は、死人が反応しやすい。
いつもなら、ドアを閉めるのも音に気を使うのだが、このときは違った。
すでに死人が視界内に何体もいるからだ。 リアゲートを勢いよく閉め、運転席のドアもバタンと音を立てる。
走り出すと、完全に活性化した死人が全速で追ってくる。
凛子は慌てない。恐怖から無謀な運転に陥ったりしない。クルマを時速40から50キロで走らせる。
ヒトはどう頑張っても時速35キロ以上では走れないからだ。
こういうことも、日々の死人との接触で学んできた。
凛子が戻ってくると、兼広が彼女の獲得物資に興味を示す。
「そんなにたくさん、どこで手に入れたの?」
凛子がアウトドア専門店の場所と店内の状況を説明すると、兼広が「俺も行ってくる」と笑う。
凛子はなぜか心配になったが、彼は3時間後に戻ってきた。
彼が入手してきたものは、サバイバルナイフ、ハンドアックス、折りたたみスコップなどだった。凛子が欲していたものとは、明らかに違っていた。
2人は個別に、柄の長い大型の薪割り斧やフルサイズのショベルを、キャンプ場などで過去に手に入れていた。
凛子はサイズが近い放置車からルーフキャリアを外し、クロスビーに取り付けていた。ルーフの荷物は、自転車用の荷台ゴム紐で固定していた。
彼女は、小さな車体に似合わない大量の荷物を積めるようにしていた。
兼広は後付けフォグランプを集めてきて、多数をルーフキャリアに取り付けた。山中での夜間走行の用意だ。
凛子には、こういった作業は知識がなくできなかった。
協力し合わない弊害だが、ゾンビがはびこる破滅した世界で2人が生き残るには間違った選択ではなかった。
「私は、3回目の夏の終わりには食料を除いて、越冬することも、どこかに移動することも、どちらでも選択できるように準備を整えました。
でも、食料は決定的に不足していました。
ゾンビ事変から3回目の夏を迎えて、コンビニやスーパーで入手できる食品は極端に減っていました。残っているお店があるとすれば、たくさんのゾンビがいるようなところです。そういった建物に入るのは、自殺行為です。
こんな状況から、自給自足以外に生き残る道はないんじゃないかと、この頃から考えるようになりました」
凛子は外部の情報が欲しくて、アンテナを取り付けているクルマを探していた。放置車を調べていて、据え置き型の無線を載せている大型トラックを見つける。
梅雨の初め頃のことだった。
彼女は、この無線を使って時間がある限り傍受していた。
山中にある民家ではない2階建ての1階が倉庫のような建物の陰で車中泊した。
付近に民家はあるが少なく、物資の調達に不向きな場所なので、生人との接触も避けられる。
実際、その夜は何ごとも起きなかった。
翌早朝、出発し、目的地を目指す。何度か道に迷ったが、1時間ほどで到着する。
「そのときの私は少し油断していました。
ここ数日、いろいろとうまくいっていたので……。
靴と銃を手に入れたからだと思います。
気が大きくなったのでしょう。愚かですが、この頃の私はその程度でした。
無警戒にキャンプ場に侵入してしまったんです。
炊事場に生存者がいたんです」
凛子は慌てた。
そして、歯磨き中の男性も慌てる。歯ブラシを捨て、口の周りを白くしたまま、一番手前のバンガローに走る。
凛子は小銃を抱えて、彼女の軽バンを遮蔽物にする。
男性は、バンガローのテラスに駆け上がり、立てかけてあった銃を構える。
凛子と男性が銃を構えたのは、ほぼ同時だった。互いに声を発せず、様子見をする。
凛子は男性が1人であることがすぐにわかった。
彼以外に誰も現れないからだ。彼が警告を発しないことからも、それがわかる。仲間がいれば、この事態を知らせるはずだ。
男性側にも凛子が1人であることが知られている。
軽バンには凛子1人しか乗っておらず、後続車もないからだ。
「無言のにらみ合いは5分を超えました」
「銃を置く。
危害を加えるつもりはない。
俺はここに住んでいるだけだ!」
男性がそう伝え、銃をテラスに置いた。
凛子も小銃を後部座席に置く。同時に、拳銃をすぐ使えるようにする。
凛子が姿を現す。
「私は鮫島凛子、東京に向かっている」
男性も立ち上がる。
「国分兼広だ。
ここに住んでいる。
インスタントじゃないコーヒーがある。
飲まないか?」
凛子は兼広の好意に甘えた。
コーヒーではなく、紅茶を馳走になった。 互いに干渉しないことで合意し、凛子は一番奥のバンガローを使うことにする。
「ここは快適な場所でした。
4キロほど離れていますけど、温泉があって、そこの露天風呂が使えたんです。湯船に浮いた落ち葉とかはどけなくてはならないけど、湯船に入ることができました。
露天の湯船は小さくて、国分さんは何度かお湯を抜いて掃除したそうです。
私も何回か掃除に加わりました。
ですが、一緒に何かをするのはそれだけで、行動をともにすることはありませんでした」
凛子は、JRの駅がある市街地まで何度も往復して、少しずつ物資を蓄積していく。距離は片道12キロほどだった。
危険を冒して、ドラッグストアに侵入したことも1度や2度ではない。生人と遭遇することは少なかったが、まったくないわけではなかった。
凛子が路上放置車からガソリンを抜いていると、かなり離れてはいるが、ランクルが姿を現した。
凛子は慌てて軽バンに乗る。そして、逃げる。ランクルが追ってきて、簡単に追い付かれて並走された。
ランクルには男性が4人乗っていて、車体を寄せてきた。
凛子は迷わなかった。
拳銃を抜くと、前席に向かって4発発射する。助手席の男性が叫び、運転席の男性は顔を押さえた。
命中したのだ。
ランクルは電信柱に激突して止まった。
凛子は、管理棟に置かれていたワインの空き瓶を洗って乾かし、中性洗剤とガソリンを1対1の割合で混ぜた火炎瓶を作る。
彼女は、死人よりも、生人のほうが怖かった。過去に2度、生人が別の生人を襲って掠奪する様子を目撃している。
襲われる生存者は、総じて用心深くない。不用心に移動している。
「私、国分さんから言われたんです。
話し合いを拒むから生き残っていられる、って。私も同じ考えでした。
彼は、話し合いには興味がなかったようです。話し合いを求めるヤツには、要求があるんだって。
長兄は、話し合いでどうにもならなければ、その先は殺し合いだって。話し合いは殺し合いの前段階だって……」
兼広は、一切要求しない凛子をある意味で信用していた。要求がなければ、トラブルもない。
互いにただ存在するだけ。
凛子は最初の冬を乗り切るために、缶詰やレトルト食品を可能な限り集めたが、兼広は違った。
彼は市街地を極度に嫌い、食糧のほとんどを田園地帯や山間部で調達している。自然に実った野菜や果実、魚の養魚場からイワナを捕っている。
淡水魚が彼の動物性タンパク源だった。
また、肉厚のシイタケを手にいててくることもあった。大量で多くを干しシイタケにした。カキは干し柿に。
食糧の調達において、2人が協力することはなかった。
凛子はクルマを探していた。軽バンは軽快で使いやすいが、生人に追跡されると逃げ切れない。
クルマに詳しくなく、どんな車種が適しているのかわからない。手に入れていたオートキャンプ雑誌をめくりながら調べる。
彼女には、大きなクルマを運転する自信はなかった。
ある日、裏通りにある自動車整備工場の前に、手頃なハスラーによく似たSUVが停まっていた。
調べると、キーが付いている。キーを回すとエンジンが始動する。
すぐに切る。死人を呼ぶからだ。
凛子にはよくわからないが、厳ついタイヤが着いている。タイヤの表面にブランドらしい白い文字が書かれている。
タイヤの空気はあまり抜けていないようだ。
彼女は周囲を見回し、死人が近くにいないこと、生人に見られていないことを確かめる。
そして、軽バンの荷物をハスラー似のクルマに積み替える。その作業は、焦りもあって乱雑だった。
キャンプ場に戻ってくると、兼広は見知らぬクルマの接近に警戒して銃を構える。
凛子がクルマから降りて、「私!」と叫ぶと、兼広が銃口を下げた。
「いいクルマを見つけたね」
「いいクルマなの?」
「いまの状況ならね。
そのクルマ、エンジン音がいいし、車高を少し上げているみたいだ」
ゾンビ事変発生時、15歳のまもなく女子高校生は当然のことだが、クルマにまったく興味がなかった。
兼広のクルマがJB74ジムニーシエラであることも識別できていなかった。軽自動車と普通車の違いもわからない。
死人と生人を避けて移動するには、あまり使われていない国道や県道を通るしかない。車幅の広いクルマは決定的に不利だ。
「私は偶然、製造数が多くないクロスビーというクルマを見つけました。排気量1000ccのターボエンジンで、ビスカスカップリングのフルタイム4WDだったので、当時の私にはマストの選択だったんです。
車体サイズは軽自動車と大差ないし、運転も軽バンと同じなので……」
凛子と兼広は、互いに顔と名前は知っていたが、それ以上の情報を交換することはなかった。
だから、互いの出身地さえ知らない。兼広は凛子を“東京近郊出身”と感じていたし、凛子は兼広を“富山出身”と思い込んでいた。
実際は、凛子は北海道からやって来たし、兼広は埼玉生まれで静岡育ち、進学する高校は神奈川の予定だった。
兼広は、このキャンプ場で越冬するつもりはなかった。暖かい伊豆とかに移動しようと考えていた。このことは、凛子に伝えようとしていた。
朝、兼広が炊事場に行くと、凛子が水を汲んでいた。揚水のモーターは止まっているが、水圧で水が出てくる。ただ、圧力は高くない。
「鮫島さん、俺はここで冬は越さない。
それは伝えておこうと思って……」
「私は決めていないけど、どうして?」
「ここは寒すぎる」
北海道育ちの凛子には、寒さへの無神経があった。
「寒いかぁ。
私は北海道育ちだから大丈夫かな」
「北海道?
関東じゃないの?」
「うん。何で?」
「いや、雪が降る。除雪されないから、移動できなくなる。この炊事場に来るだけでも、一苦労だ」
凛子は、除雪されない札幌を想像する。確かに、行動不能だ。死人も生人も近付けないが、凛子自身も行動不能になる。
それは、まずい。
「行くあては?」
「あぁ、雪が降り出す前に、静岡に戻る。
バンガローかコテージのあるキャンプ場を探す」
凛子は、ここに残るメリットとデメリットを天秤にかける。
「私はここに残る。
3カ月間は完全に安全なのだから、それ以上のメリットはないと思う。
私は、春になったら出発するつもり」
兼広は、凛子の判断を少し驚いていた。
凛子は近くにスキー場があるのだから、最大2メートル程度の積雪は覚悟していた。
スキー場までは1.5キロくらいなので、積雪が10センチ程度なら徒歩でも行ける。スノーモビルがあることも確認している。スノーモビルがあれば、完全に身動きできなくなる心配もない。
彼女にも目算があった。
兼広は凛子の決断に動揺する。確かに、雪が降れば死人は動けなくなる。屋外に飛び出してきても、雪に足を取られて追跡されないだろう。
雪上の移動方法さえあれば、物資調達には有利な季節だ。
生人も動きにくい。SUVにスタッドレスタイヤを履かせたり、チェーンを巻いただけでは、雪上は走れない。除雪されないからだ。
翌日朝、前日朝と同じシチュエーションで、兼広は凛子に「よく考えたが、鮫島さんが正しい。俺もここで越冬する」と伝えた。
凛子は、ワイヤーカッターと大型のバールを常備している。南京錠程度ならワイヤーカッターで切断できるし、シリンダー錠みたいなものならバールでこじ開けられる。
スキー場を偵察すると、スノーモビル以外に4輪をクローラーに変更した鞍上型のバギーがあった。
これならば、雪の有無に関係なく走行できる。凛子には都合のいい乗り物だった。
当然、確保することに決め、当日中に回収する。
凛子の行動の素早さに比して、兼広の対応は遅れがちだった。計画変更の影響が顕著に出ていた。
2人は協力し合うという考えがなかった。協力し合えば、強みにもなるが、同時に弱みにもなる。
この極限環境下では、単独行動のほうが安全だと2人とも考えていた。互いの存在を認めつつ、個別に行動するほうが判断に制約がない。協力し合うには話し合わなければならないが、個別判断ならその必要がない。一瞬一瞬の判断の早さが、命運を左右する。
そして、話し合って折り合いがつかなければ、しこりが残る。
凛子と兼広は、それをよく知っていた。
ただ、凛子はスキー場にクローラー付きATVが他にもあることを伝えたし、兼広はその礼に養魚場の場所を教えた。
凛子は魚をさばけないので、養魚場には行かず、兼広はスキー場からATVを回収してきた。
自分のことは自分で行い、互いに手を借りず、そして貸さない。
これが、2人の原理原則だった。
「最初の冬は、想像した以上に厳しく、寒くて眠れない日が何日も続きました。
雪上の移動は、控えました。クローラーの跡が雪面に残るので、生存者を呼ぶのではないかと警戒したんです。
国分さんも同じ考えで、ATVで市街地まで行くことはありませんでした。
半冬眠みたいな状態です。
それでも、食糧がつきる前に雪が溶け始め、どうにか乗り切ったんです。
寒い以外の出来事はありません」
凛子は、春になると物資の調達を始め、それは秋まで続く。
約9カ月間に、生人を見かけたのは6回。うち、4回は富山市近辺を根城にする接触したくないグループだった。
2回は移動している3人と5人のグループ。
寄りかかられる可能性が高く、接触したくないので、避けた。
「2回目の冬は、最初の冬よりも少しだけマシでした。寒さは変わらず厳しい状態でしたが、準備に工夫をしたからです。
そして、半冬眠状態で乗り切りました。
でも、春の終わりに地震があって、状況が一変するんです。
それまでも地震はありましたが、このときは体感ですが震度4か5はあったと思います。
場所によっては、それ以上かも。6とか7とか……。
富山市近郊のゾンビすべてが一気に活性化して、移動を始めたんです。
内陸に向かって……。
すべての道にゾンビがあふれていました。
ゾンビの群に気付いたときは、逃げ出す以外の選択肢がなく、物資の一部を捨てて逃げ出します。
私も国分さんも……」
凛子と兼広はこの日、百瀬川に沿って22キロ南下し、偶然見つけたキャンプ場で車中泊した。
2人は行動を共にしていたが、同じクルマを使ってはいなかった。自分のクルマを手放すことはなかった。
「私たちは、できるだけ道幅が広い国道や県道は避けて、安房峠を越えて長野に入りました。
可能な限り市街地を避け、コンビニがあれば店内を物色し、中小規模のスーパーがあれば物資を確保しました。
大規模でも、危険を冒したこともあります。大型店やモールは店内の様子がわからず、物色に時間がかかるから危険なんです。
少し食料に余裕ができたので、安曇野の山中にあるキャンプ場に隠れたのですが……」
このキャンプ場には先客がいた。2人から4人の3グループで、彼らは直接の関係がなかった。
凛子と兼広が少し離れた場所にクルマを止め、水を汲みに行くとボスママのような女性が絡んできた。
すでに日没間際だったので、2人はそのキャンプ場をすぐに去る。
道を引き返し、目をつけていた別の施設の駐車場でキャンプすることにした。
日没間際で、何ができることもなく、夕食は栄養食品を食べただけで済ませる。
翌朝、凛子は朝寝を決め込んでいた。疲れ切っていたし、我慢できる程度の空腹だったからだ。
うつらうつらしていると、車外で言い合いしている声が聞こえる。
凛子が目隠しのタオルをめくり、外を見ると、兼広とバスママが口げんかをしている。
どうやら、凛子と兼広は、ボスママのテリトリーでキャンプしてしまったようだ。キャンプ場から300メートルほどしか離れていないので、あり得る状況ではある。
兼広が「あんたの土地じゃねぇだろ!」と叫んでいるが、そんな言い合いではどうにもならない。
凛子が助手席側を開け、89式小銃を持って車外に出ると、ボスママがビクリとする。小さなクルマから凛子が完全装備で現れたからだ。
凛子が兼広に「大丈夫?」と尋ねる。
兼広が「あぁ、ちょっともめただけだ。そいつをぶっ放す状況じゃない」と伝える。
凛子が「ゾンビよりも、生きている人間のほうが危険だよ」と。
兼広が「殺す必要はない」と伝える。
「ここは、出たほうがいい」
凛子が促すと、兼広が後退し、ジムニーシエラに乗る。
凛子もクロスビーの運転席に入り、2台は発車した。
ゾンビ事変から日を経ていくと、奇妙な感覚の生存者に出会うことが多くなっていく。
心を病むためか、あるいは極度の警戒心からかはわからない。そういう気質の人物が生き残りやすいのかもしれない。ゾンビ事変後の状況において、政治的な統制を強要したり、終末論的な宗教教義を叫んだり、捕食動物の生態さながらの縄張りを主張したりする人物は少なくない。
だから、凛子は生人を避けるようにしていた。
また、生人は支配者と、従属者に2分する傾向が強い。
凛子と兼広は、支配されたくないし、誰かの指導を求めてもいない。
結果、単独行動になる。
「安曇野の山中には、小さな建物が多く、そこに避難している生存者が多くいました。
私たちのような異邦人が滞在するには、いい条件ではありませんでした。
早く立ち去りたかったのですが、疲れていたし、物資を補給したいのもあって、数週間とどまれる場所を探していました。
だけど、完全な間違いでした」
死人は移動しやすい場所を選ぶ。だから、自然と整備された道に集まる。そして、群を作る。死人の群は導かれるように、定まった方向に移動する。
多くの場合、震動の発生源に向かう。
死人は微弱な振動でも検知する。空気の振動よりも、地面・地中の震動のほうが反応しやすい。
日本は地震が多いから、死人は地震で活性化し、震源に向かう。だが、生き残った人々は、地震はわかるが、震源はわからない。
地震後に死人が向かう方向によっては、死と直結する可能性がある。強い地震を感じたら、しばらく様子を見たほうがいい。
凛子の本能が安曇野は危険だと警告しているが、身体がそれを受け入れなかった。心身ともに、相当に疲れていた。
それは兼広も同じで、むしろ彼のほうが限界に近かった。
数日でも休みたかった。
山中に向かう通り抜けができない道の途中に、沢があり、近くに小屋があったので、その小屋の敷地内にクルマを止めてキャンプを始める。
テントは張らず、車中泊が基本だ。
沢の水は見た目はきれいで、水量も多い。
小屋に入るという選択肢はなかった。出入口が1つで、窓が1つ。もし、死人に包囲されたら逃げ場がないからだ。
車中泊を始めた3日目、建物内でないのに明確に揺れを感じた。大きな地震だった。
地震後に死人が活性することは富山で経験していたから、凛子と兼広はすぐに山を下りた。
山を下りた直後、バックミラーに死人の群が彼らが通ってきた道に進んでいく様子が見えた。時間を無駄に使えば、凛子と兼広がキャンプを試みた一帯は死人で埋めつくされる。
凛子と兼広にしても、2分遅ければ群に行く手を遮られ、進退窮まっていた。
田園地帯と山地との境界付近を、北に向かう。この日は26キロ進んで、青木湖に至る。ここは安曇野と異なり、生人はいるものの彼らの気配が希薄だった。
バンガローを見つけ、ここを当面の拠点に決める。物資の調達は安曇野や松本まで出向かなくてはならないが、それを除けば快適な場所だった。
「青木湖で、私は国分さんから釣りと魚の裁き方を教わりました。
時期的によかったのか、ヒメマスがたくさん釣れ、保存食に加工する方法を考える必要があったんです。
国分さんは3枚に下ろして一夜干しにしてから冷凍していました。
私は冷蔵庫も冷凍庫も持っていなかったので、同じ方法は無理でした。
最初のキャンプ場で拾ったアウトドア雑誌に、燻製の作り方が載っていたので、拾ってあったペール缶2つを使って、燻製機を自分で作りました。
何度か失敗したけど、3回目か4回目にはどうにか作れるようになり、6回目くらいからはかなり上手になりました。
釣りをして、燻製を作って、放置車を調べて、たまに市街地に行って物資を補給する、という生活を3カ月ほど続けました。
キャンプ場の管理棟で、厳冬期の青木湖は結氷することを知りました。結氷した写真が飾ってあったんです。
青木湖での越冬を覚悟するか、移動するかを決めなくてはならなくなりました」
凛子は偶然、安曇野の東側に大型のアウトドア専門店を発見する。
食品や衣料品、日用品や医薬品ではないので、店内に死人がいる可能性は低いと考えたが、それでも用心は必要だった。
凛子は死人との戦闘を考慮して、89式小銃に銃剣を着ける。
レジに店員の死人がいる。ゾンビ事変が発生した曜日と時間とから推測して、客数は少ないはずだが、油断はできない。
客らしい死人が2体。大柄の男性と小柄な女性。
店内に侵入する場合、凛子は氷見にいた頃に手に入れていた地下足袋を使っていた。彼女は、足音を立てなければ死人の認知を遅らせることを知っていた。
しかし、欲しいものが多すぎ、一部は重量物もあり、ショッピングカートを使わないと運び出せないことも確かだった。
このとき、初めて、訓練以外で銃を発射した。3体以外にいれば、厄介なことになるが、危険を冒さなければ何も手に入らない。
店内に入る際、出入口を閉めたので、銃声は店外に漏れないはず。
凛子は撃った。3発で3体の死人を倒す。身体を撃っても死人は平然としているが、頭部を撃てば倒せることは知っていた。
ただ、彼女自身では、撃ったことがなかった。
凛子は出入口まで後退する。そして、待った。5分経過しても死人は現れない。
凛子は89式小銃を背に担ぐ。大急ぎで、欲しいものをショッピングカートに積んでいく。大光量のLEDライト、ポータブル電源、エンジン発電機、車載用冷凍冷蔵庫、カセットガスを使うストーブ、衣類など、カート4台分にもなる。
店外に出ると、カートは移動しない。カートの走行音で死人を呼ぶからだ。
リアゲートを開け、次々に積んでいく。
無音での作業を心がけていても、どうしても音がする。カートが発する金属音は、死人が反応しやすい。
いつもなら、ドアを閉めるのも音に気を使うのだが、このときは違った。
すでに死人が視界内に何体もいるからだ。 リアゲートを勢いよく閉め、運転席のドアもバタンと音を立てる。
走り出すと、完全に活性化した死人が全速で追ってくる。
凛子は慌てない。恐怖から無謀な運転に陥ったりしない。クルマを時速40から50キロで走らせる。
ヒトはどう頑張っても時速35キロ以上では走れないからだ。
こういうことも、日々の死人との接触で学んできた。
凛子が戻ってくると、兼広が彼女の獲得物資に興味を示す。
「そんなにたくさん、どこで手に入れたの?」
凛子がアウトドア専門店の場所と店内の状況を説明すると、兼広が「俺も行ってくる」と笑う。
凛子はなぜか心配になったが、彼は3時間後に戻ってきた。
彼が入手してきたものは、サバイバルナイフ、ハンドアックス、折りたたみスコップなどだった。凛子が欲していたものとは、明らかに違っていた。
2人は個別に、柄の長い大型の薪割り斧やフルサイズのショベルを、キャンプ場などで過去に手に入れていた。
凛子はサイズが近い放置車からルーフキャリアを外し、クロスビーに取り付けていた。ルーフの荷物は、自転車用の荷台ゴム紐で固定していた。
彼女は、小さな車体に似合わない大量の荷物を積めるようにしていた。
兼広は後付けフォグランプを集めてきて、多数をルーフキャリアに取り付けた。山中での夜間走行の用意だ。
凛子には、こういった作業は知識がなくできなかった。
協力し合わない弊害だが、ゾンビがはびこる破滅した世界で2人が生き残るには間違った選択ではなかった。
「私は、3回目の夏の終わりには食料を除いて、越冬することも、どこかに移動することも、どちらでも選択できるように準備を整えました。
でも、食料は決定的に不足していました。
ゾンビ事変から3回目の夏を迎えて、コンビニやスーパーで入手できる食品は極端に減っていました。残っているお店があるとすれば、たくさんのゾンビがいるようなところです。そういった建物に入るのは、自殺行為です。
こんな状況から、自給自足以外に生き残る道はないんじゃないかと、この頃から考えるようになりました」
凛子は外部の情報が欲しくて、アンテナを取り付けているクルマを探していた。放置車を調べていて、据え置き型の無線を載せている大型トラックを見つける。
梅雨の初め頃のことだった。
彼女は、この無線を使って時間がある限り傍受していた。
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