彷徨う屍

半道海豚

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01-005 襲撃

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 3月末、厳しい冬を乗り越え、高原から下界に降りられるようになると、最初の仕事は野田芽依の盛岡行きだった。
 連日、野田芽依と立花一希が話し合いという名の怒鳴り合いが続く。
 一希は芽依の本心に気付いていた。彼女は、自分は医師であり、誰よりも尊敬されるべきだ、と考えている。
 確かに彼女は医師であり、医学知識は貴重だ。だが、聴診器を含む医療機器は一切なく、医薬品もほとんどない状況では、医師にできることは限られる。
 医療態勢は、江戸時代と大差ないのだ。薬種問屋さえないのだから、江戸時代以下だ。この状況で医師として何ができるのかを、芽依は考えない。
 また、必要な機材・物資を要求することもない。
 医師として、何かをしようとする様子がない。

 一希は芽依に高原に留まるよう、何度も説得する。生き残っている人が盛岡に大きなコロニーを建設した、とする情報は不確かなもので、そのコロニーを知っているという一次情報や物証はもちろん、そこにいた人と会ったといった二次情報さえない。
 良平が遠征した際、盛岡との無線通信を試みたが、応答はなかった。
 他地域からの応答はあった。どこも小規模なグループで、物資確保に苦労しているという。
 英語による呼びかけでは、アメリカ西海岸とニュージーランド北島から応答があった。
 人は生き残っているが、誰もが困窮している。例外はない。
 こういった情報も芽依には知らせてある。しかし、芽依は盛岡の大規模コロニーの存在を信じて疑わなかった。

 一希が根負けし、芽依と一緒に高原を出る決意をする。驚いたことに、これを芽依が拒否。
「仙台を出てから、人のいない場所を選ぶと言って、遠回りばかりしていたでしょ。
 なぜ、そんな無駄なことをしたの?
 私と一緒にいたいからでしょ!
 私は無駄な遠回りなんてしない。まっすぐ、盛岡に向かう。
 邪魔はさせない」
 これが、芽依の言い分だ。一希はうなだれるしかなかった。

 3月末、野田芽依は1人で盛岡に旅立った。彼女のために小型オフロード4WDを用意し、食料とキャンプ道具を分け与える。
 彼女は、当然のように受け取った。

 健太が一希に「芽依さん1人じゃ県境までたどり着けないぞ」と言った。
 一希の悲しそうな顔を見て、健太は自分の発言を深く後悔した。事実であっても、言うべきではなかった。

 良平は軽装甲機動車で、東北を縦に貫く国道まで芽依を誘導する。良平には洋介が同行する。
 2人の目的は、東北南側県境付近の農家敷地内に残置した軽装甲機動車の回収だ。このクルマには、大量の5.56ミリNATO弾とSTANAGマガジン、ミニミ軽機関銃、88式鉄帽、防弾チョッキ3型が積まれている。
 厳しさを増す物資調達を考慮すると、ゾンビとの遭遇が増えると予想するので、ヘルメットやボディアーマーなどの装備が欲しかった。

 県境よりもやや北の市街から西に少し外れた道路脇の民家に軽装甲機動車は残されていた。田植機などの農機と一緒に、屋根付きの車庫に取り残されるように、後部だけを見せて止まっている。
 洋介が「ここに隠したときはブルーシートを掛けたんだけど、やっぱり飛んじゃうよね」と笑う。
 良平が「あのブルーシート?」と田んぼを指さすと、洋介は「どうかな?」と息を吐く。

 軽装甲機動車はセルを回しても、反応がない。イグニッションもランプがつかない。持参したバッテリーと交換する。
 だが、セルモーターが回らない。オートマなので、押しがけもできない。
 考えられる原因は2つ。セルモーターかオルタネーター(発電機)の故障。セルモーターの交換は厄介なので、持参したトラックのオルタネーターと交換してみる。
 エンジンが始動する。
 良平と洋介が声を出さずに笑う。
 修理した軽装甲機動車の運転席に良平が座る。
 瞬間、視線を感じる。
 屋内にゾンビがいる。身体をガラス戸にぶつけ、出ようとしている。
 洋介がバックする。それに、良平が続く。人家の近くには危険が潜んでいる。できるだけ、近寄らないほうがいい。

 良平は荷室の積荷が気になっていた。加納千晶の説明通りに荷が積まれているのか、いささか疑問だった。放棄されてから、半年以上経過しているからだ。
 誰かが見つけて、持ち去った可能性はゼロではない。
 先導する良平は、坂道の頂上付近で止まる。航続する洋平も止まる。2人がクルマを降りる。
 洋平の「どうした?」との問いに、良平が「積荷があるか確認したくてね」と答え、洋平が微笑む。
 ルーフの使い回しダンボール箱にはヘルメットが入っていた。銃塔の中にはボディアーマーが積んである。銃塔を荷台代わりに使うとは、面白い発想だ。
 荷室には大量の弾薬。木箱が2つ。木箱の蓋を開けると、1つにミニミ5.56ミリ機関銃が、もう1箱に74式車載7.62ミリ機関銃と三脚が入っていた。
 千晶の説明通りだ。
「洋介さん、何も盗まれてはいないみたいだ」
 洋介が顎を掻く。
「上下2車線でも国道脇の家だから、目立たないわけじゃない。だけど、高くて密度の濃い生け垣が隠してくれたんだ。
 手入れされない生け垣ははるかに高くなっていたし、車庫の向きもよかったのだろう。
 誰にも知られることはなかった。
 黒のワンボックスも残っていたし」
 確かに黒のワンボックスが残っていた。スマートキーは車内にあった。簡単に動かせるクルマは貴重だ。それが残っていたのだから、あの家には誰も立ち寄らなかったのだろう。

 物資の調達が困難になっている。物資確保のためには、危険を冒すしかない。
 高原には、ひまわり畑が広がっている。ここで農業をしようと砂倉裕子が提案する。彼女の実家は兼業農家で、農作業を手伝うことが多かったそうだ。
「ジャガイモやダイコンを植えてみましょうよ」
 彼女の提案に全員が賛成する。高原は台地状の丘陵で、平坦な場所はひまわり畑になっている。開墾しなくても、耕せば作物を育てられる。
 農機を集めたり、種芋や種苗を探すことは、それなりに危険だが、成功すれば必ずやってくる食糧難を回避できるかもしれない。

 別に重要な問題があった。
 県境よりも南、つまり関東の状況が不明なことだ。
 生存者よりもゾンビのほうが確実に多いが、北関東の街がどうなっているのかを知ることは安全を確保する上で重要だ。
 良平が「関東の平野部までは行ってみたい」と発言し、健太が賛成する。
 美保と莉子は反対。千晶と洋介、砂倉親子は「絶対にイヤ」と受け付けない。
 一希は芽依を案じて上の空。益子親子は「人口密集地に行くなんて、正気の沙汰じゃない」と断固反対。
 何も決まらないまま、数日が過ぎた。

 芽依は太平洋岸に向かうつもりだった。太平洋岸ならば、仙台の手前までは人口密集地を避けられると、彼女なりに考えた。それは、正しい判断だった。
 だが、新幹線よりも東の小さな街で、彼女の旅は終わってしまう。
 30歳代の女性が指揮する30人ほどのグループに捕まったのだ。
 2日間にわたる壮絶な暴行と、クルマを含むすべての物資を奪われて、顔をひどく殴られ意識を失っていた。衣服はすべて剥ぎ取られ、靴も履いていない。
 殺さなかった理由は、ゾンビにさせないため。生きていれば、いずれゾンビが始末してくれる。
 強盗・暴行犯たちは、一番残酷な殺し方を選んだ。

 芽依の右目は腫れ上がり、何も見えない。だが、左目は辛うじて見えていた。
 彼女は自分だけの力でたどり着けそうな隠れ場所を探す。
 内科・小児科の看板が見える。レンガ風の壁面の戸建てで、住居と兼用かもしれない小さなクリニック。
 彼女は立ち上がらず、這ってクリニックの入口に向かう。
 ガラスのドアは閉まっていたが、施錠されてはいなかった。四つん這いでクリニックに入り、ガラスのドアを施錠する。
 医院内にゾンビがいれば、それで終わるが、このままでも死ぬ。
 彼女は絶対に死ねない、と何度も自分に言い聞かせる。車内にあった高原に・をした地図を見られた。
「こいつは、ここから来たんだ。
 身体つきから栄養がいい。物資を持っているってことだ。いい獲物を見つけた」
 リーダーの女がそう言った。
「知らせなくちゃ」
 歯が折れ、切れた口では言葉にはならないが、そう口に出す。
 だが、いまは動けない。折れた肋骨、激しい痛み、足も痛めつけられた。まともに動くのは利き手の左だけ。
 芽依は、診察台に座り、診察室内を見渡す。小さなクリニックだ。どこに何があるのか、何となくわかる。
 鎮痛剤、安定剤、抗生剤、必要な薬を自分で点滴する。折れた肋骨を押さえるため、胸にサポーターを巻く。
 激痛が走る。
 壁に掛けられていた白衣と、床に落ちていた白衣を重ね着して、寝台に横たわる。
 寝て、起きて、点滴する。これを何度か繰り返す。
 身体が動くようになると、顔を冷やす。目の腫れを抑えないと、視界が狭い。
 右肩の脱臼は、2度目の目覚めで、強引に治した。強い鎮痛剤が効いていたが、激痛が走った。
 経口補水液と液体の栄養食だけで、それ以外は口に入れていない。食べ物はないし、口内の状態がひどく、食べられない。
 2日後、クリニック内を物色する。住宅部分はなく、クリニック部分だけ。衣類などはほとんどなく、女性用のカーディガンと男性用のジャケットを見つけた。
 それらを重ね着する。
 股間の痛みはひどいはずだが、鎮痛剤が効いているのか麻痺した感じしかしない。ロッカーからナースシューズを見つける。幸運にもやや大きいサイズだった。

 往診鞄と保冷バッグを持つ。保冷バッグには、持てるだけの医薬品を詰める。
 持っていくのはこれだけ。
 芽依は、クルマを調達するため院外に出る。目がかすみ、よく見えない。視力には自信があるが、視野が狭く、ぼんやりとしか見えない。
「古い商用車が動かしやすいのね」
 くぐもった声で、腫れ上がった口から言葉を出す。舌が腫れていて、喉を塞いでいる。
視界に入ったのは彼女がよく知る医薬品卸会社のライトバンだった。
 この医院に立ち寄ったのかもしれないが、クルマは少し離れたところに止まっている。
 左足を引きずって、ライトバンに近付く。ドアは閉まっていて、キーはシリンダーに刺さっている。
 キーを回すと、エンジンが始動しない。
 シフトレバーがドライブのままで、パーキングブレーキも踏まれていない。
 シフトレバーをパーキングにし、セルモーターを回す。
 今度はエンジンがかかった。
 パーキングブレーキが踏まれていないことは、幸運だった。彼女の左足では解除ができないのだ。
 医院までクルマを移動させ、左手だけで、往診鞄と保冷バッグを後部荷室に積む。
 運転席に乗り込み。
 鎮痛剤の点滴を始める。痛みさえ抑えられたなら、高原までたどり着ける自信はある。
 ガソリンの残量は、視力が落ちているのでわからない。他のクルマから抜き取る方法は、一希から習った。しかし、よく思い出せない。記憶が混濁している。
 灯油のポンプがあれば便利だと聞いていた。
 しかし、それを探している余裕はない。
 このクルマがダメになれば、次のクルマを探せばいい。
 芽依は襲撃者たちより先に、高原にたどり着けると信じたかった。

 高原の雰囲気は明るい。ジャガイモの植え付けで、全員が忙しい。大声は出していないが、ときどき笑い声が聞こえる。姉妹と陸人も静かにはしゃいでいる。
 沙耶は「いつ採れるの~」とそればかり尋ねる。
 こんな状況でも、高原は安全で、電力があり、水には少し困る。食糧の確保が安定すれば、ここほど快適な場所はない。ゾンビが跋扈する世界にしては……。

 千晶と一希は、高原周辺の監視センサーを気にしながら、新規入手の軽装甲機動車に74式車載7.62ミリ機関銃を載せる新造銃架のテストをしている。
 載りはしたが、撃てるかどうかはまだわからない。

 千晶が人感センサーの反応に気付く。
 一希が「また動物じゃないの。クマとかトラとか?」とあり得ることを言う。近くの山中でホワイトタイガーとライオンを目撃している。
 シカやカモシカもいる。小型の動物は、多種多様。動物がセンサーに反応することは、珍しくない。
 しかし、数が多い。
 一希が「大型動物が10から15か。いくら何でも多いな。シカの群かもしれないけど……」と言い終わる前に、千晶が「警戒しよう」とやや慌てる。

 一希が植え付け真っ最中の北側に向かって走り出すと、それに陽咲が気付く。
 鉄柱の赤ランプが回転する。
 非常事態を知らせるシグナルだ。音を出せないので、警戒は黄ランプ、非常時は赤ランプが回転する。
 赤ランプの回転を見て、農作業中の全員が仮囲いに向かって走る。

 千晶はスコープ付きのボルトアクションライフルを手にし、監視塔に上がる。この時点では、人か動物かは判断していなかった。
 可能性としては、シカの群が一番高いからだ。シカは、人が去った現在の環境によく適応している。イノシシはブタと交雑して繁殖力を増し、激増しているが大きな群を作らない。

 良平は慌ててはいなかった。シカの群だろうと、推測していたからだ。耕作地から囲いまで、300メートルも離れてはいない。

 北から侵入された。トレール2台とピックアップ1台で、10人ほど。全員が手に武器を持っている。
 鉄パイプや金属バットで武装した集団。
 健太が「畑の中を走れ!」と叫ぶと、全員が畑に入る。
 陽咲だけは、道路上を自転車で逃げた。賢明な判断だ。
 自転車からの距離があった沙耶は、裕子に手を引かれて畑を走る。その背後に陸人がいる。
 陸人は、非常時の指導を守っていた。振り向かず、走って逃げる。
 だが、母親は息子が気になり振り向いてしまう。そして、転ぶ。
 沙耶も指導を守らなかった。
「おばちゃん!」
 沙耶が裕子を起こそうと手を引っ張る。
 トレールが畑の中を走る。
 陸人は母親に駆け寄ると、振り向き両手を広げる。
 母親を守ろうとしたのだ。
 金属バットが陸人の頭を直撃する。彼の身体が宙を舞い、沙耶に覆い被さる。
 裕子は四つん這いで進み、2人の身体に覆い被さる。裕子も2人を守ろうとした。

 発射に躊躇いがあった千晶は、なはなは撃たなかった。だが、陸人が宙を舞った瞬間、撃った。
 大型動物を狩猟するためのライフルから、7.62ミリ弾が発射される。トレールが倒れる。もう1台のトレールにも発射。これにも命中。

 健太は一希とすれ違い、互いに顔を見合わせる。一希は、陽咲を向かい入れ、次々と囲いの中に他のメンバーを入れる。
 心臓に問題のある則之まで全力で走る。

 健太は89式小銃に30発弾倉を装着すると、すぐに囲いの外に出る。
 ピックアップのキャビンに向けて発射。同時に千晶も発射。
 ピックアップの荷台に乗っていた6人は、ピックアップが止まると降車し、徒歩で逃げる。
 4人が射程外に出たところで、射撃が終わる。

 陸人は即死。沙耶は胸部打撲。陸人の頭が沙耶の胸を直撃したのだ。裕子は、頭部を角材のようなもので殴打され、意識が混濁している。
 千晶が陸人の脳幹に針を刺す。この残酷な処置を裕子が見ないことだけが、救いだった。

 捕虜は2人。2人とも男だ。
 健太が尋問する。
「どこから来た?
 仲間は何人いる?」
 20歳代後半の男が答える。
「あっちから来た。
 たくさんいる」
 20歳代前半の男が噴き出し笑いをする。
 千晶が近寄ってくる。
 良平はヤバイッと思った。2人とも殺すつもりだと。
 千晶が20歳代前半の男の後頭部に9ミリ拳銃を向け、撃った。
 真横にいた20歳代後半の男が悲鳴をあげる。
「ウヒャァ~、ウエェ~、ファウゥ~」
 薄ら笑いが完全に消える。
「こいつを裸にして、鎖で厳重に縛れ。
 絶対に逃がすな。
 手は後ろ手にして、結束バンドで固定しろ。親指と手首の両方を縛るんだ。
 明日の朝には、喜んで何でもしゃべてくれる」
 健太は千晶の言葉に感動する。
「了解しました。
 将軍閣下」

「お水飲みたい」
 要求はこれだけ。
 沙耶の容体は、よくわからない。身体的なダメージもあるが、精神的なショックが大きい。
 裕子は、深く眠っている。

 良平と健太は、襲撃者6人の死体がゾンビ化する前に処置する。2人は頭部に命中していて、処置の必要はないが、4人は腹部や胸部だったので脳幹に針を刺す。
 なお、2人は呼吸していた。

 朝になると、男は聞かれたことすべてに答えるようになっていた。
 足の銃創は軽い。治療などしない。畑の真ん中で、凍える寒さの中、全裸で過ごしたのだ。完全に怯えている。
 健太が尋問する。
「何人いる?」
「30人……」
「どこを拠点にしている?」
「そんなものはない」
「移動しているのか?」
「そうだ」
「どこから来た?」
「北から、盛岡の近く」
「盛岡?
 盛岡には大規模コロニーがあるだろう?」
「そんなものないよ。
 盛岡市内も、周辺も、ゾンビだらけだ」
「コロニーの噂を聞いたことは?」
「安全地帯のことか?
 北海道にあるって聞いたことがある」
「物資をどうやって調達していた?」
「……」
「生存者を襲撃して、か?」
「そうだよ。
 それしか方法がない。
 街にはゾンビが溢れているから、危険なんだ。家の中にいたゾンビが外に出始めている。大きな群をいくつも見た。
 街には近付けない」
「だから、危険を冒して物資を得た生存者を襲うのか?」
「あぁ、ゾンビと戦うよりも簡単だから……」

 死者1、負傷者2。
 甚大な犠牲だ。病気やゾンビに襲われたのなら、仕方がない。しかし、人に襲われた。
 もっと警戒すべきだった。全員が後悔している。
 良平が「ここに至るルートのすべて、と言っても北側と南側しかないけど、フレコンバッグで塞いでしまおう」と提案すると、反対はなかった。

 陸人の葬儀には、裕子は出られなかった。彼女の意識は混濁したまま。
 ミニショベルで深い穴を掘り、合板で作ったお棺に納めて埋葬した。墓石には、自然石を使う。
 陽咲が泣いていて、彼女を見ている則之が泣く。良平は何度か葬儀に出たことがあるが、これほど悲しいと思ったことはない。

 健太と一希が南側の道をフレコンバッグで封鎖していると、つづら折りを登ってくるライトバンに気付く。
 健太がクロスボウを、一希がライフルを持ち警戒する。
 ライトバンが停止し、運転席側ドアが開き、奇妙な恰好の女性が降りる。
 顔が変形していて、健太には誰だかわからない。
 一希が「芽依!」と呼んで、健太が驚く。
 一希と健太が走り寄ると、芽依は「たいへんなの。ここが襲われる」と不明瞭な声を絞り出す。

 芽依が略奪と暴行に遭い、高原の存在を察知されたことを知らせに戻ってきたことは全員を驚かせた。
 芽依は重傷で、動けるような状態ではなかった。大量の鎮痛剤によって、無理矢理身体を動かせるようにしていた。
 千晶と真琴が治療に手を尽くしたが、芽依は7日後の朝、心肺が停止する。
 彼女の脳幹にも針が刺され、陸人の隣りに埋葬される。これも、全員にとって悲しい死だった。
 死者2、負傷者2となった。

 捕虜には、水と食料は一切与えていない。日ごとに衰弱している。

 千晶が「連中を放っておけない」と主張。良平が「復讐に意味はない」と意見し、健太が「ならば害獣駆除だ」と言い換える。
 一希が「正義感、復讐心、害獣駆除。何でもいいよ。芽依の死を無駄にはしない」と決意を述べる。
 莉子が「害獣の群を駆除することに賛成な人」と挙手を求め、真っ先に陽咲が手を上げる。
「悪い人をやっつけて!」
 全員が賛成する。裕子と沙耶は、意志を示せない。
 健太が「その害獣の群を率いているのは、キタザワレイカという30歳代の女だ」と伝える。

 早朝、美保が監視塔で歩哨をしていると、両手を挙げた40歳くらいの男が近付いてくる。
 全員が叩き起こされる。

 男は襲撃に加わり、逃げた2人のうちの1人だった。
「私は岸辺芭蕉。盛岡市内で芭蕉庵というジビエ料理屋を経営していた。
 決して、悪人じゃない。
 脅されて、襲撃に加わったんだ。
 盛岡を脱出して、相馬付近まで南下したんだが、そこで捕まった。妻と息子は殺されたが、娘はまだ生きている。
 娘を助けたい。
 知っていることは何でも話すから、私に銃をください」
 そう言ったあと泣き出す。

 捕虜のこともわかった。キタザワレイカの弟だそうだ。キタザワレイカは岸辺家族を捕らえた際、弟に「ババァとガキはいらない。殺せ」と命じた。そして、弟は2人をなぶり殺しにする。
 それを芭蕉に見せ、「娘が同じにならなきゃいいな」と脅す。
 芭蕉は抵抗する気力を失う。
 捕虜の処刑を懇願するが、良平が「絶対にダメだ」と強く反対。
 健太が「もって10日だ。楽には死なせない」と残酷すぎる目で芭蕉を見る。
 莉子が「こっちは2人殺された。20人は殺さないとバランスがとれない」と言い、則之がウンウンと頷く。
 芭蕉は背筋が凍る。悪人よりも残虐な人たちに出会ってしまったのだ。

 キタザワレイカの拠点もわかった。北の湖西岸の小さな集落にいる。
 千晶が作戦を提示する。
「捕虜になっている女性が4人。だけど、うち2人は積極的に荷担している。
 岸辺さんのお嬢さんともう1人を救出し、それ以外は容赦しなくていい。
 女性4人は、この建物にいる。
 レイカがいる建物はここ。
 レイカの子分たちは、こことここ。
 1号車は私と莉子、そして美保。2号車は健太さんと一希さん。
 1号車で救出、2号車は援護」

 キタザワレイカは、たった1人戻ってきた男の報告を聞き激怒する。しかも、溺愛する弟が捕虜になった。
「向こうのリーダーと手打ちだ。
 まず、弟を取り返す。
 そのあとは思い知らせてやる!
 銃があるらしいが、こっちにも銃ならある」

 芭蕉は高原の面々が暴力的であることに、大きな不安を感じていた。
 襲撃を実行するにあたって、誰からも反対がなかったのだ。平和的に誠意を持って話し合うという姿勢がまったくない。
 キタザワレイカは、弟が捕虜ならば話し合いに応じるはず。弟と交換で、娘を取り返せる。
 このことを強く主張したが、誰も耳を貸さなかった。
 良平が「お嬢さんは取り返す。だが、交渉はしない。俺たちはすべきことをやる」と言い切った。
 温厚で分別のある高齢の則之なら、と話をしたが「話し合うべき相手ではない」と言下に否定される。
 大柄で強面な洋介にも怖々と話を向ける。洋介から「この問題は、話し合いでは解決しない。殺し合いしか選択肢はない」と反論される。
 それは理解している。だが、試みないことはどうかしている。話し合いを試み、それでもダメなら……。

 岸部芭蕉は、自分の無力さに歯がみした。
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