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【 戦争 】
イリオン
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魔王が初めてを失った頃、リッツェルネールは自陣の天幕にいた。
現在は無位無官。
名目上は、戦場での臆病行為による指揮権剥奪及び、負傷のため予備役行となっている。だが実際には、兵站管理をしないだけで、ほぼいつも通りの業務をこなしている。
だが負傷の方は実際に深刻だった。未だ白き苔の領域の毒は彼の体を犯し続け、全身は包帯でぐるぐる巻き。出立が必要な業務以外はベッドに釘付けという有様だ。
「多いな、全く。全部把握するのには一か月以上かかりそうだ」
ベッドの上で大量の書類の束を確認する。
炎と石獣の領域に同行した兵士達の5%を確認し終わったが、その中に22人の重複が認められた。
「僕の隊にはメリオが居てくれたから、かなり厳しくチェックしていたんだけどな。これでは第一軍や第二軍、いやそれ以前の侵攻軍まで考えると万単位の不正が出てきそうだよ」
指揮下にある全人員の情報、補給計画書、備蓄の目録。それらを一手に管理していたのが、情報将校であり副官であるメリオだった。だが、それらの詳細なデータは全て彼女の持っていた通信機に収められ、現在では白き苔の領域で彼女の戦死と共に失われている。
今残っているのは、ざっくりとした紙の書類のみだ。
「それにしても、今頃中央は大騒ぎだろうね。おそらく当分は寝る間もあるまい。しかし本当なら、いつもその位は働いてもらわないと前線はたまらないのだけどね」
リッツェルネールは彼らしい事務的な、必要な内容のみの報告書を中央人事院に提出していた。無論アイワヨシキに関してだ。
今まであの防壁を当てにして、絶対の安心感と共に魔族領に攻め込んだ。しかしそれが砂上の楼閣となれば、人類側の計画が全て狂う。その混乱は、彼にとってはプラスに働くと予想された。
「それで、君は一体何をやっているんだい、イリオン君」
身長は148センチ。欠食児童と言った細い寸胴の体系。緩いウェーブのかかった薄い色素の髪と藍と茜の混ざったような不思議な色の大きな瞳。前歯は左側が2本欠けており、童顔と合わせてものすごい間抜け顔に見える。
「不肖者ですが、これからよろしくお願いしますっす」
怪我の程度でいえば彼女の方が重傷だ。それなりの装備を整えて注意深く行動した彼に対し、彼女はあまりにも無防備だったからだ。
包帯を全身に巻き、支給品の麻の膝丈までのワンピースを着ている。だが下着を付けていない。髪も体も駐屯地では珍しく、綺麗に洗われた状態だ。
そしてその彼女は今、彼と同じベッドに正座して座っていた。
――……ふむ、そう言う事か。
彼女の様子は慣れた感じだ。戦場の様子とは違い、落ち着きすら感じさせる。
何かと訳アリの彼女の事だから、戦場でこういった事はよくあったのだろう。お世辞にも美しいとは言えないが、兵士にとってはあまり関係無いと思われる。しかし……。
「仕事の邪魔だ。用が無いなら自分の宿舎に戻り給え。そこの棚に通信機の説明書と魔道言葉の手引書がある。時間があるなら勉強でもすると良い」
リッツェルネールにその気はない。邪魔者にはさっさと退散してもらうに限る。
「大丈夫っす。お邪魔にはならないっす。御用がありましたら何なりとお申し付けくださいっす」
だがイリオンも引き下がらない。彼女にとっても正念場だ。
非登録市民である彼女は、本来なら兵役ではなく希望塚に送られ名誉の殉職となるのが常だ。それが無官とは言え元司令官の身の回りを任されたのは、この上ない幸運と言える。
――何とか今のうちに功績を立てて家族を助けなきゃ……。
だがちょっとした気まぐれで捨てられてしまえばそれまでである。
何としてでも役に立つアピールが必要であった。
だが彼女は性交渉に来たのではない。イリオンにはそういった経験も知識も無く、純粋に彼の手伝いに来ただけである。
落ち着いて見えるのは、単に彼女が無知であるからだ。
「君を僕付きの兵士にしたのは療養させるためであって、そういった事をさせる為ではないよ。僕を見くびらないで貰えるかい」
髪や体を洗っているのは治療のためであり、下着をつけていないのもまた治療のためだ。普通に考えれば容易に想像できることであったが、今の彼の思考は遥か彼方へと権謀術数を巡らせ飛んでいる。商家、軍事と真っ黒い社会で生きてきた彼にとって、訳ありの女性がわざわざそんな恰好で、身なりを整えて、しかも夜に男の寝室を訪ねてくる理由を、逆に図り切れていない。
「大丈夫っす! そのお体では色々不便もあると思いますので、何でもお申し付けくださいっす!」
書類の運搬やお茶くみなどなら今の自分でも出来る!
イリオンは自信満々だ。
「君の事情は十分に理解している。だが僕にはその気はない。君はもっと自分の体を大切にしたまえ」
「お気遣い頂きありがとうございます。でも大丈夫っす。今は自分の事は真剣に考えているっす!」
真剣にか――確かに非登録市民の違法兵士。放り出したら居場所は無い。しかしそのために選んだ手段があまりにも不純だ。
これでも一応はコンセシール商国三大商家筆頭アルドライト商家の人間。色仕掛けなどに転ぶはずもないだろうに。
「出ていきたまえ」
さっさと終わらせたい、そう考えながら溜息交じりに言うが、逆に少女の危機感を煽ってしまった。
「お願いするっす! 何でもするっす!! 御傍に置いて欲しいっすぅ~!!! 捨てないでぇー! お願いっす~~!」
リッツェルネールの服に縋り付き涙目で大騒ぎする。
外で歩哨のヒソヒソ声が聞こえてくる。
――まずい。本当にまずいことになった。思えば本当に厄介な荷物を拾ってしまったのかもしれない。
リッツェルネールとメリオの仲は公然の秘密だ。それが合同葬も終わらないうちに新しい女性を連れ込んだとは兵士も思っていない。だがそれもたった今まではだ。
「ハッキリ言おう、君を僕付きにしたのは負い目があるからだよ。僕の私闘に巻き込んでしまった。それも未成年をだ。そして大怪我をさせた。毒もまだ抜けていないだろう? 暫くは業務を忘れて治療に専念してくれ」
だが――、
「捨てないで……欲しい……す………」
重症患者である彼女の体力はとうに限界で、今の騒ぎでとうとう尽きてしまった。
ああメリオ、君がいないと僕は本当にダメだ。子供一人あしらえやしない……
だが彼の責任感が、この世からの逃避を許さない。
そのまま寝付いてしまった少女を見ながらリッツェルネールも静かに眠りについた。
現在は無位無官。
名目上は、戦場での臆病行為による指揮権剥奪及び、負傷のため予備役行となっている。だが実際には、兵站管理をしないだけで、ほぼいつも通りの業務をこなしている。
だが負傷の方は実際に深刻だった。未だ白き苔の領域の毒は彼の体を犯し続け、全身は包帯でぐるぐる巻き。出立が必要な業務以外はベッドに釘付けという有様だ。
「多いな、全く。全部把握するのには一か月以上かかりそうだ」
ベッドの上で大量の書類の束を確認する。
炎と石獣の領域に同行した兵士達の5%を確認し終わったが、その中に22人の重複が認められた。
「僕の隊にはメリオが居てくれたから、かなり厳しくチェックしていたんだけどな。これでは第一軍や第二軍、いやそれ以前の侵攻軍まで考えると万単位の不正が出てきそうだよ」
指揮下にある全人員の情報、補給計画書、備蓄の目録。それらを一手に管理していたのが、情報将校であり副官であるメリオだった。だが、それらの詳細なデータは全て彼女の持っていた通信機に収められ、現在では白き苔の領域で彼女の戦死と共に失われている。
今残っているのは、ざっくりとした紙の書類のみだ。
「それにしても、今頃中央は大騒ぎだろうね。おそらく当分は寝る間もあるまい。しかし本当なら、いつもその位は働いてもらわないと前線はたまらないのだけどね」
リッツェルネールは彼らしい事務的な、必要な内容のみの報告書を中央人事院に提出していた。無論アイワヨシキに関してだ。
今まであの防壁を当てにして、絶対の安心感と共に魔族領に攻め込んだ。しかしそれが砂上の楼閣となれば、人類側の計画が全て狂う。その混乱は、彼にとってはプラスに働くと予想された。
「それで、君は一体何をやっているんだい、イリオン君」
身長は148センチ。欠食児童と言った細い寸胴の体系。緩いウェーブのかかった薄い色素の髪と藍と茜の混ざったような不思議な色の大きな瞳。前歯は左側が2本欠けており、童顔と合わせてものすごい間抜け顔に見える。
「不肖者ですが、これからよろしくお願いしますっす」
怪我の程度でいえば彼女の方が重傷だ。それなりの装備を整えて注意深く行動した彼に対し、彼女はあまりにも無防備だったからだ。
包帯を全身に巻き、支給品の麻の膝丈までのワンピースを着ている。だが下着を付けていない。髪も体も駐屯地では珍しく、綺麗に洗われた状態だ。
そしてその彼女は今、彼と同じベッドに正座して座っていた。
――……ふむ、そう言う事か。
彼女の様子は慣れた感じだ。戦場の様子とは違い、落ち着きすら感じさせる。
何かと訳アリの彼女の事だから、戦場でこういった事はよくあったのだろう。お世辞にも美しいとは言えないが、兵士にとってはあまり関係無いと思われる。しかし……。
「仕事の邪魔だ。用が無いなら自分の宿舎に戻り給え。そこの棚に通信機の説明書と魔道言葉の手引書がある。時間があるなら勉強でもすると良い」
リッツェルネールにその気はない。邪魔者にはさっさと退散してもらうに限る。
「大丈夫っす。お邪魔にはならないっす。御用がありましたら何なりとお申し付けくださいっす」
だがイリオンも引き下がらない。彼女にとっても正念場だ。
非登録市民である彼女は、本来なら兵役ではなく希望塚に送られ名誉の殉職となるのが常だ。それが無官とは言え元司令官の身の回りを任されたのは、この上ない幸運と言える。
――何とか今のうちに功績を立てて家族を助けなきゃ……。
だがちょっとした気まぐれで捨てられてしまえばそれまでである。
何としてでも役に立つアピールが必要であった。
だが彼女は性交渉に来たのではない。イリオンにはそういった経験も知識も無く、純粋に彼の手伝いに来ただけである。
落ち着いて見えるのは、単に彼女が無知であるからだ。
「君を僕付きの兵士にしたのは療養させるためであって、そういった事をさせる為ではないよ。僕を見くびらないで貰えるかい」
髪や体を洗っているのは治療のためであり、下着をつけていないのもまた治療のためだ。普通に考えれば容易に想像できることであったが、今の彼の思考は遥か彼方へと権謀術数を巡らせ飛んでいる。商家、軍事と真っ黒い社会で生きてきた彼にとって、訳ありの女性がわざわざそんな恰好で、身なりを整えて、しかも夜に男の寝室を訪ねてくる理由を、逆に図り切れていない。
「大丈夫っす! そのお体では色々不便もあると思いますので、何でもお申し付けくださいっす!」
書類の運搬やお茶くみなどなら今の自分でも出来る!
イリオンは自信満々だ。
「君の事情は十分に理解している。だが僕にはその気はない。君はもっと自分の体を大切にしたまえ」
「お気遣い頂きありがとうございます。でも大丈夫っす。今は自分の事は真剣に考えているっす!」
真剣にか――確かに非登録市民の違法兵士。放り出したら居場所は無い。しかしそのために選んだ手段があまりにも不純だ。
これでも一応はコンセシール商国三大商家筆頭アルドライト商家の人間。色仕掛けなどに転ぶはずもないだろうに。
「出ていきたまえ」
さっさと終わらせたい、そう考えながら溜息交じりに言うが、逆に少女の危機感を煽ってしまった。
「お願いするっす! 何でもするっす!! 御傍に置いて欲しいっすぅ~!!! 捨てないでぇー! お願いっす~~!」
リッツェルネールの服に縋り付き涙目で大騒ぎする。
外で歩哨のヒソヒソ声が聞こえてくる。
――まずい。本当にまずいことになった。思えば本当に厄介な荷物を拾ってしまったのかもしれない。
リッツェルネールとメリオの仲は公然の秘密だ。それが合同葬も終わらないうちに新しい女性を連れ込んだとは兵士も思っていない。だがそれもたった今まではだ。
「ハッキリ言おう、君を僕付きにしたのは負い目があるからだよ。僕の私闘に巻き込んでしまった。それも未成年をだ。そして大怪我をさせた。毒もまだ抜けていないだろう? 暫くは業務を忘れて治療に専念してくれ」
だが――、
「捨てないで……欲しい……す………」
重症患者である彼女の体力はとうに限界で、今の騒ぎでとうとう尽きてしまった。
ああメリオ、君がいないと僕は本当にダメだ。子供一人あしらえやしない……
だが彼の責任感が、この世からの逃避を許さない。
そのまま寝付いてしまった少女を見ながらリッツェルネールも静かに眠りについた。
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