旧校舎のマロンちゃん

雪鳴月彦

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第四章:孤独な鏡

孤独な鏡 18

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 この先永久に、鏡の世界へと閉じ込められる未来を脳裏に浮かべ、あたしはここでやっとどれほど危険な状況に身をさらしているのか、理解が追いついた。

「いや! 離して!」

 慌ててもがき、掴んでいる少女の手を振り払おうとするも、まるで固定された金具ででもあるかのようにピクリとも動かせない。

 その間に、あたしの身体はまた鏡の中へと引き込まれ、気づけばもう腰の辺りまでが入り込んでしまっている。

 どうすれば良いのか。この状況で危機を脱するには、どんな方法が残されているだろう。

 マロンちゃんは今も悲痛な声をあげながら、少女にあたしを離すよう訴えてくれているが、どうにも効果は得られていない。

 そもそも、他人の声を聞き取ることができているのか疑問に思えてしまうくらいに無反応なまま、ただひたすらあたしの肩をがっちりと掴んでいるだけだ。

 またあたしの身体が引っ張られ、鏡の中へと移動していく。

 腰を過ぎ、太腿の辺りまで引きずり込まれ、これはもう駄目かと諦念に身を任せてしまいそうになりかけたとき――右足に、違和感のような感覚が走ったのを自覚した。

 咄嗟に首だけで振り向くと、鏡の奥でよーみがあたしの足を咥えて引き戻そうとしてくれている。

 痛みがないのはありがたいが、よく見れば思いきり噛みついている感じでそれはそれで大丈夫なのかなと一瞬不安がよぎったが、鏡に閉じ込められるよりは遥かにマシだとすぐに頭を切り替えた。

 猫の姿をしたよーみではあるが、これでかなり力が強い。

 もっとも、お互い肉体のない者同士となっているため、あたしが感じ取っているのは物理的な力ではなく、純粋な霊力だろう。

 あたしを引き込もうとする少女の力とよーみの力が拮抗し、動きが止まる。

 よーみの背後にしゃがむ流空は応援しているのかあたしへ何かを伝えようとしているのか、あたしの身体を守るように抱えて普段は見ることのないくらいの真面目な表情で口を動かしている。

 威嚇するようなよーみの目が、あたしを掴む少女を睨む。

「おねえちゃんのことはなして! はなしなさい!」

 大声をあげるマロンちゃんが、幽霊の穿いたスカートを掴んだ。

 僅かに幽霊の身体が揺れ、そこで始めてあたしへ向けていた顔を下へ――マロンちゃんの方へと動かす。

 反応するということは、自我はちゃんとあるのかもしれない。

「おねぇちゃんを、はなしなさい! わるいことしちゃだめ!」

 愛くるしい声音で、必死に少女の幽霊へ叫びかけるマロンちゃんだが、相変わらずあたしを掴む手から力が抜けてくれる兆しはない。

 よーみもマロンちゃんも自分を助けようとしてくれているのに、いつまでも呆然としてはいられない。

「……っ!」

 意を決して、あたしは所在なげにさせていた両腕を上げ、こちらを掴む幽霊の腕を掴み返した。

 生きた人間に触れるのとは違う、弾力のある空気を掴むような感覚に、本能的な違和感を覚える。

 それでも、相手にはきちんと感触が伝わってはいるようで、少女はすぐにこちらへと顔を戻してきた。

「……え、えっと……取りあえずさ、言葉が通じてるんならあたしのこと離してもらえないかな?」

 無理だろうという予感は普通にあった。

 だけど、こちらの予想に反して幽霊はまともなリアクションを返してきた。

“……嫌。もういなくなるのは、嫌”

「え? あなた、喋れるの?」

 正面にある濁ったような暗い瞳を見つめ、あたしは驚いた勢いでついそんな言葉を追加する。

“お願いだから……もう一人にしないで”

「一人って……」

 普通の人がよくイメージするような、おどろおどろしい幽霊の声とは似ても似つかない、女の子らしい声だった。

 無表情のまま、唇を動かすこともなく吐き出されてくるその声を、直接頭の中で聞く感覚で、あたしは言われた内容を反芻する。

 一人にするなとは、どういう意味か。

 この少女の幽霊が鏡の中に棲みついていることと、何か関係があるのだろうけれど、皆目見当がつかない。

「一人にって、あなた他に誰か友達がいたっていうこと? 離ればなれになっちゃったの?」

 とにかく考えをまとめるための時間を稼ごうと、あたしは思いついた質問を投げかけてみるも、何故か今度はあっさりと無視され、少女は更に力を込めてあたしの身体を引っ張り始めてきた。
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