旧校舎のマロンちゃん

雪鳴月彦

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第四章:孤独な鏡

孤独な鏡 13

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「おはようございます、湯々織先生」

「ん? おお、久瀬か。どうしたんだ、今日は部活やる予定はなかったよな?」

 キーボードに載せた指を止めこちらを見上げた湯々織先生は、少し驚いた様子で声を返してくる。

「まぁ、そうなんですけどね。ちょっと色々ありまして、急遽やることになったんです。なので、旧校舎の鍵を貸してほしいんですけど」

 今起きている出来事を詳しく語っても、湯々織先生では何も対応する術を持たないだろうと、詳細は適当にぼかしておく。

「あー……まぁ、良いけど。僕は忙しいから、顔だす暇はないと思うよ? 終わったら、また僕に声かけるように。職員室にはいるから」

「はーい」

 鍵を取りに席を立った湯々織先生の背中へ気の抜けたような返事をして、あたしも後へとついていく。

「そう言えば、足達は? いつもなら足達の方が鍵取りに来てるのに、今日は珍しいな」

「流空はまだ来てないです。今日は珍しくあたしの方が先に来たので、たまには気を利かせようと思いまして」

 差し出された鍵を受け取り、意味もなくその表面をなぞるようにしながら、あたしはお礼を告げて職員室を出ていく。

 無人と言っても信じそうなくらいに静まり返った廊下には、何時から来ているのかわからない運動部の元気な掛け声だけが、まるで迷い込んだかのように小さく反響しては消えていった。

 外へ出て旧校舎まで戻り、まだ流空がいないことを確認してから鍵を開けると、そこであたしはどうしたものかと頭を悩ませた。

 勝手に中に入って待っていても、特に問題があるわけではない。

 あるわけではないが、一人でこの中にいるというのも、それはそれで気が引ける。

 外は快晴。雲はあるが、青空がほとんどを占めているし、気温もちょうど良く穏やかなものだ。

 これで怪現象さえ起きていなければ、部室の窓を全開に開けて、うたた寝でもしたい気分になれるのだが。

「うーん……」

 暫し昇降口を見つめて迷ってから、あたしは恐る恐るドアを開けた。

 それから、すれ違いにならないようにと、流空へ鍵は先に開けておいたとメッセージを送り、日陰のように薄暗い校舎の中へ足を踏み入れ、刹那――。

「――っ!?」

 ほんの微かに、マロンちゃんの霊気を感じ取った。

 位置的には、一階の先。ちょうどトイレのある付近。

 しかし、それは本当に一瞬だけの出来事で、すぐに幻か何かだったかのように消失してしまった。

 神経を集中させて旧校舎全体を探ってみるが、感じ取れるのはよーみの気配だけ。

 恐らく高宮先生もいるのだろうが、いつものように日中は気配を殺しているのか、うまく感じ取れない。

 果たして今のは何であったのか。昇降口へ足を踏み込んだまま動きを止めてしまったあたしは、そのままの姿勢で自分の取るべき行動を模索する。

 流空へ連絡を入れるべきか。

 でなければ、ひとまず部室にいるよーみを呼んで、今の気配に気づけたか確認をするか。

 それとも、何もせず大人しくここで流空を待っているか。

 浮かんだ案はこの三つだけだったが、優先的に採用したいのは三番だ。

 一人で下手な行動をしてへまをするくらいなら、仲間の到着を待つのがベスト。

 しかし、そんな悠長にしていて大丈夫なのかという疑問も、同時に胸中へ沸き上がる。

 マロンちゃんの気配を感じたばかりの今なら、何かしら取れる行動があるかもしれない。

 あわよくば、敵の正体を見破ってマロンちゃんを助けることだって、できる可能性はあるのかも。

 もちろん、徐霊をするなんてことはあたしにはできないけど、ただ怖じ気づいているよりは、行動を起こすべきか……。

 コクリと喉を鳴らしてから、あたしは忍び足で靴を履き替え、部室まで伸びる廊下の様子を窺った。

 特に変わったところはなく、人も幽霊も見当たらない。

 相変わらず、奥の部室からヨーミの気配だけが伝わってくるだけの廊下を、あたしは慎重な足取りで進みだした。

 ちらりと入口を振り向けば、外の穏やかな日差しが眩しく瞳に映り込み、つい目を細めてしまいながらすぐに顔を前へ戻す。

 流空はまだ来ない。これはもう、仕方がない。

 ギシ、ギシっと音の鳴る床を踏みしめ――どうしてこういうときは普段より大きな音に聞こえてしまうのか――、ひとまずトイレの前を通過した。
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