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第二章 悪意を呑んだ天命
第二十四話
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煌凛の降嫁は、煌威にとって予想外と言えば予想外だった。
確かに煌凛は条約締結の為、李冰と婚姻予定ではあったが、交換でこちらに嫁ぐ予定だった北戎側の、李冰の娘が亡くなった事件により、それどころではなくなったからだ。
一時は破談どころか帝国と北戎の関係が破綻するかに思われたが、先帝を排した後煌威が皇帝として即位することを条件に、李冰が友好条約を打診してきたのは記憶に新しい。
様々な思惑があった、というか、現在進行形であるのだろう。
煌凛は煌威の妹であると同時に、李冰の妻だった玉環の娘だ。
煌威を皇帝に推した理由は推し量ることができたものの、煌凛を娶った理由は何か大きな思惑でもないと説明がつかない。
煌威には理解できず、万が一、を想像するのはとてつもなく恐ろしかった。
だが何にせよ、李冰に思惑があるのならあるで、早々危険な目には合わないだろうというのが救いだ。
そもそもこの帝国で一端の女武将だった煌凛をどうにかしようものなら、相手もタダでは済まないことは明白であって、一ヶ月後に煌凛が北戎側の人間としてでも謁見に来るというのなら、まだ考慮の余地はある。
「北戎との謁見は、今後の動向を見る為にも必要かと存じます。了承の旨を返すことが一番かと」
嗣尤が簡潔に述べる。
上書にして認められずとも、この件に関して煌威に異存はなかった。
「そうだな。李冰殿も棟梁という立場から長期滞在にはならないだろうが、陽当たりの良い部屋と滞在準備の他、北戎式の作法や食事も調べておいてくれ。余計な摩擦は起こしたくない」
「御意に」
「次は……」
す、と抄昊が手を上げる。
「夏王国ですが、主に陛下に対する縁談が目的の謁見申請かと思われます」
「却下だ」
「御意。次に那鬼国という国が謁見を希望しておりますが、いかがなさいますか? 聞いたことがない国ですが、那鬼の王が直参して来ております」
「先触れはなかっただろう。国として信用に欠ける。却下」
「御意。次に伊都国から皇帝即位の祝辞が届いております。小国ですが、あの国は信仰国家として名高いです。祝辞は受け取っておくに越したことはないと思いますが……」
「……ああ、確かに信仰国家は対応を間違うと後々に影響するな……。拝受の返事を」
「御意」
執務が滞りなく進められる手際の良さと、上手く纏められた上書は嗣尤と抄昊の優秀さを示していて、 もう上書を読む必要すら無いのではないかと、煌威は流すように竹簡を巻いて、置いて、を繰り返していたときだ。
「次は?」
「隣国の動きがきな臭いです」
嗣尤の発言に手を止める。
隣国の架瑠羅という国は、麗氏という女王が支配する軍事国家だ。
古い国ではなく、まだ歴史の浅い国だが、女王の麗氏はその美貌と武力で、一代にして国を築き上げた女帝と言える。
戦好きの戦闘狂かと思えば、思慮深いところもあり、腹の黒い、搦め手を得意とする女だった。
幸い、戦で争うより帝国とは友好を築いたほうが良しと判断された為か、今まで大した問題もなく過ごしてきたが……。
視線を上書に落とせば、それは最後の竹簡で、架瑠羅の動向に関してその概要、進言、対抗策で埋まっていた。
「きな臭いというのは?」
「最近、大量の火器を輸入しています。さらに傭兵も国庫から雇い入れています」
「……」
明らかに戦を仕掛ける気だというのが分かる。
しかし、あからさま過ぎるような気もした。
煌威自身、新国家としての挨拶で女王が帝国に来訪したときに数度会っただけだが、武力もさることながら狡猾で、賢知の人間だと思ったことを覚えている。
思い出すのは、己の血を帝国の皇統に入れようと、あの手この手で女王が仕掛けてきた、煌威が皇太子だった頃のことだ。
己の娘を次期皇帝の皇后に出来れば、という思惑を抱いたのだろうが、あいにく既に紅焔以外には興味がなかった煌威にとって、それは暖簾に腕押しといった状態だった。
「――……懐かしい、な」
「……陛下?」
「あ、いや」
紅焔まで苦い顔をして見ていたのを思い出し、自然と緩んだ頬を慌てて引き締める。
あるまじき、と嗣尤に指摘されたわけではないが、執務で晒していい顔ではないし、そんな場合でもないことを煌威は理解していた。
もし架瑠羅が戦を仕掛ける気であれば、それは当国相手以外考えられないが、女王にそう決心させたのは何なのだろう。
今までは何事もなく、友好国としてやってきていた。敵対を選ぶ理由が何かあった筈だが、如何せん煌威には心当たりが全くと言っていいほど無い。
ここ最近の帝国の動向に理由があるとしたら、煌威が皇帝に即位したくらいだが、皇帝の代替わりで直ぐ戦を仕掛けるほど浅慮な女王ではない筈だった。
架瑠羅は軍事国家だ。利になると踏んでいる国に、戦を仕掛ける能無しが王ではないし、軍事基盤の国が農耕に強い隣国を蹂躙しては、数年後に自国も打撃を受ける可能性に気づかない筈もない。
友好国ではあったものの、買収も懐柔もできないと踏んで開戦を選んだか。
もしくは何らかの情報を掴んで、帝国に未来はないと踏んだ上での開戦か。
――……わたしが、先帝の血を引いていない事実情報をどこからか掴んだか。
ふと、頭に浮かんだのを煌威は振り払う。
まさか。と思うものの、相手は軍事国家だ。情報網は油断できない。
「……架瑠羅に間者を放つ。詳細は、間者が持ち帰った情報を待ってからだ。不確かな情報では、確実な対策の立てようがない。……今日はこれまでだな」
執務に時間の限りはない。限りはないが、さすがに日が暮れてきた今の状況では、一旦区切るしかなかった。
花窓から漏れる橙色の光は、燈籠のものでないことは一目瞭然だ。
日出が早い季節と太陽の位置から、だいぶ時間が経っていたことを悟る。
いつの間に、と思いながらも、時間の経過を忘れるほど執務に熱中していたと思えば、そう悪いことではなかった。
「解散」
簡単に言葉で表す。
「御意」
「御意」
「……御意に」
嗣尤と抄昊が即座に席を立った。
叩頭礼で皇帝を見送る二人を他所に、紅焔は頭を垂れる仕草で目線を逸らす。
その仕草を、煌威はやはりと横目で窺った。
何時、何処ででも感じていた視線が、今は一切ない。
自惚れでもなんでもなく、紅焔からの視線を感じない日は無かったというのに、今日に限って紅焔は何故か、煌威を頑なに見ようとしなかった。
いや、沐浴までは普通だった。
淫らとも言える行為に耽るのが普通というのも、少々外聞が悪いので言いづらいが、いつもの紅焔だったように煌威は思う。
ではいつから?と自問しつつ、執務殿を出て、隣の書庫の前を通ったときだ。
腕を、引かれた。
確かに煌凛は条約締結の為、李冰と婚姻予定ではあったが、交換でこちらに嫁ぐ予定だった北戎側の、李冰の娘が亡くなった事件により、それどころではなくなったからだ。
一時は破談どころか帝国と北戎の関係が破綻するかに思われたが、先帝を排した後煌威が皇帝として即位することを条件に、李冰が友好条約を打診してきたのは記憶に新しい。
様々な思惑があった、というか、現在進行形であるのだろう。
煌凛は煌威の妹であると同時に、李冰の妻だった玉環の娘だ。
煌威を皇帝に推した理由は推し量ることができたものの、煌凛を娶った理由は何か大きな思惑でもないと説明がつかない。
煌威には理解できず、万が一、を想像するのはとてつもなく恐ろしかった。
だが何にせよ、李冰に思惑があるのならあるで、早々危険な目には合わないだろうというのが救いだ。
そもそもこの帝国で一端の女武将だった煌凛をどうにかしようものなら、相手もタダでは済まないことは明白であって、一ヶ月後に煌凛が北戎側の人間としてでも謁見に来るというのなら、まだ考慮の余地はある。
「北戎との謁見は、今後の動向を見る為にも必要かと存じます。了承の旨を返すことが一番かと」
嗣尤が簡潔に述べる。
上書にして認められずとも、この件に関して煌威に異存はなかった。
「そうだな。李冰殿も棟梁という立場から長期滞在にはならないだろうが、陽当たりの良い部屋と滞在準備の他、北戎式の作法や食事も調べておいてくれ。余計な摩擦は起こしたくない」
「御意に」
「次は……」
す、と抄昊が手を上げる。
「夏王国ですが、主に陛下に対する縁談が目的の謁見申請かと思われます」
「却下だ」
「御意。次に那鬼国という国が謁見を希望しておりますが、いかがなさいますか? 聞いたことがない国ですが、那鬼の王が直参して来ております」
「先触れはなかっただろう。国として信用に欠ける。却下」
「御意。次に伊都国から皇帝即位の祝辞が届いております。小国ですが、あの国は信仰国家として名高いです。祝辞は受け取っておくに越したことはないと思いますが……」
「……ああ、確かに信仰国家は対応を間違うと後々に影響するな……。拝受の返事を」
「御意」
執務が滞りなく進められる手際の良さと、上手く纏められた上書は嗣尤と抄昊の優秀さを示していて、 もう上書を読む必要すら無いのではないかと、煌威は流すように竹簡を巻いて、置いて、を繰り返していたときだ。
「次は?」
「隣国の動きがきな臭いです」
嗣尤の発言に手を止める。
隣国の架瑠羅という国は、麗氏という女王が支配する軍事国家だ。
古い国ではなく、まだ歴史の浅い国だが、女王の麗氏はその美貌と武力で、一代にして国を築き上げた女帝と言える。
戦好きの戦闘狂かと思えば、思慮深いところもあり、腹の黒い、搦め手を得意とする女だった。
幸い、戦で争うより帝国とは友好を築いたほうが良しと判断された為か、今まで大した問題もなく過ごしてきたが……。
視線を上書に落とせば、それは最後の竹簡で、架瑠羅の動向に関してその概要、進言、対抗策で埋まっていた。
「きな臭いというのは?」
「最近、大量の火器を輸入しています。さらに傭兵も国庫から雇い入れています」
「……」
明らかに戦を仕掛ける気だというのが分かる。
しかし、あからさま過ぎるような気もした。
煌威自身、新国家としての挨拶で女王が帝国に来訪したときに数度会っただけだが、武力もさることながら狡猾で、賢知の人間だと思ったことを覚えている。
思い出すのは、己の血を帝国の皇統に入れようと、あの手この手で女王が仕掛けてきた、煌威が皇太子だった頃のことだ。
己の娘を次期皇帝の皇后に出来れば、という思惑を抱いたのだろうが、あいにく既に紅焔以外には興味がなかった煌威にとって、それは暖簾に腕押しといった状態だった。
「――……懐かしい、な」
「……陛下?」
「あ、いや」
紅焔まで苦い顔をして見ていたのを思い出し、自然と緩んだ頬を慌てて引き締める。
あるまじき、と嗣尤に指摘されたわけではないが、執務で晒していい顔ではないし、そんな場合でもないことを煌威は理解していた。
もし架瑠羅が戦を仕掛ける気であれば、それは当国相手以外考えられないが、女王にそう決心させたのは何なのだろう。
今までは何事もなく、友好国としてやってきていた。敵対を選ぶ理由が何かあった筈だが、如何せん煌威には心当たりが全くと言っていいほど無い。
ここ最近の帝国の動向に理由があるとしたら、煌威が皇帝に即位したくらいだが、皇帝の代替わりで直ぐ戦を仕掛けるほど浅慮な女王ではない筈だった。
架瑠羅は軍事国家だ。利になると踏んでいる国に、戦を仕掛ける能無しが王ではないし、軍事基盤の国が農耕に強い隣国を蹂躙しては、数年後に自国も打撃を受ける可能性に気づかない筈もない。
友好国ではあったものの、買収も懐柔もできないと踏んで開戦を選んだか。
もしくは何らかの情報を掴んで、帝国に未来はないと踏んだ上での開戦か。
――……わたしが、先帝の血を引いていない事実情報をどこからか掴んだか。
ふと、頭に浮かんだのを煌威は振り払う。
まさか。と思うものの、相手は軍事国家だ。情報網は油断できない。
「……架瑠羅に間者を放つ。詳細は、間者が持ち帰った情報を待ってからだ。不確かな情報では、確実な対策の立てようがない。……今日はこれまでだな」
執務に時間の限りはない。限りはないが、さすがに日が暮れてきた今の状況では、一旦区切るしかなかった。
花窓から漏れる橙色の光は、燈籠のものでないことは一目瞭然だ。
日出が早い季節と太陽の位置から、だいぶ時間が経っていたことを悟る。
いつの間に、と思いながらも、時間の経過を忘れるほど執務に熱中していたと思えば、そう悪いことではなかった。
「解散」
簡単に言葉で表す。
「御意」
「御意」
「……御意に」
嗣尤と抄昊が即座に席を立った。
叩頭礼で皇帝を見送る二人を他所に、紅焔は頭を垂れる仕草で目線を逸らす。
その仕草を、煌威はやはりと横目で窺った。
何時、何処ででも感じていた視線が、今は一切ない。
自惚れでもなんでもなく、紅焔からの視線を感じない日は無かったというのに、今日に限って紅焔は何故か、煌威を頑なに見ようとしなかった。
いや、沐浴までは普通だった。
淫らとも言える行為に耽るのが普通というのも、少々外聞が悪いので言いづらいが、いつもの紅焔だったように煌威は思う。
ではいつから?と自問しつつ、執務殿を出て、隣の書庫の前を通ったときだ。
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