彼岸の傾城傾国

高嗣水清太

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第一章 偽りの皇帝

第十五話

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 外城と内城に守られる城郭都市、城陽じょうようの中心部にあたる城塞は、戦で正しく最前線基地だった昔はどうであれ今は領主邸の城館だ。
 だからこそ、国境と言えるこの城陽が条約会談の場に選ばれたのだろう。

 城館はその名の通り、城を模した館だ。
 簡単に説明すると、城というのは王の住居であるだけでないのと同じで、城館は政策職務を担当する西館と、軍事職務を担当する東館に別れている。
 この造りは、東館で北戎ほくじゅとの条約締結を成し、そのまま西館で条約の結果によっては生じるだろう不和を治める為の政策会議を開くことに適していた。会談場所がこの城陽じょうように決定したときは、帝国側にとって利があるばかりと喜んでいたものだが、今はそれが何とも重たい空気をかもし出していた。

 北戎ほくじゅと帝国、両勢力の境界線とも言えるこの城陽じょうようは今、条約締結という目的の為に武装を解いている状態である。
 城陽じょうようは帝国側にとって防衛線であり前線基地だが、言い換えれば武装を解き、北戎ほくじゅ棟梁とうりょう以下幾人もの将軍がこの城陽じょうように集まっている状況は、北戎ほくじゅ側からも侵略しやすい状況だということだ。
 国や領土といったものを持たない遊牧民族の北戎ほくじゅは、何処ででも住居というものを作れる特性から、既に城陽じょうよう付近に天幕テントを張り野営していた。

 本来であれば、北戎ほくじゅ側からの侵略を心配する必要は帝国にはなかった。
 条約を結ぶ為の帝国に有利な城館で、帝国側はまさか宣戦布告を受けるとは思わなかっただろう。


「友交の証として娘を差し出したのに、手酷い裏切りを受けた。これほど侮辱されて黙ってはいられない。帝国からの、無条件降伏を要求する」

 北戎棟梁ほくじゅとうりょうである李冰りひょうが、声高々に宣言する。
 最後通牒さいごつうちょうだ。
 最終的な要求を提示することで交渉の終わりを示唆しさし、それを相手国が受け入れなければ交渉を打ち切る意思を表明することである。これをもって宣戦布告とする。
 が、北戎ほくじゅのこれは、交渉決裂を初めから想定した無理難題を一方的に相手に要求しているので、最後通牒というより本物の、最後の宣戦布告だ。

 条約会談の円卓についているのは、帝国側と北戎ほくじゅ側で半円ずつに別れた、互いの頂点トップとその重鎮じゅうちん達である。
 円卓は皇帝と李冰りひょうを相対させる位置に、両側を互いの重鎮で固めていた。

 李冰りひょうの両隣を固めている人間の位は、戦の経験がある煌威こういにも詳細は分からないが、何度か戦場で見たことがある。
 右側の男は、苛烈な闘い方をする男だった。
 左側の男も、額と頬に傷がある雄々しい外見から、一廉ひとかどの武将なのだろうと煌威こういは見当をつける。
 その左右の武将の隣には、文官らしき初老が二名ずつ、計四人が並んでいた。

 対して、皇帝を中心に座る帝国側は、左に皇后、その隣には煌凛こうりん、右に皇太子である煌威こうい、その隣に紅焔こうえんという武官揃いだ。

 煌威こういは、その空気の悪さに眉を寄せていた。
 確かに、すべてを決めるのは皇帝だ。いくら煌威こういが意見を言える皇太子とはいえ、こういった場での決定権は最終的には無いに等しい。進行役を与えられたと言っても、それは皇帝の決めたことをそのまま代弁するのと変わらない。
 しかし、機変きへんが分からない愚鈍な人間ではなかった。
 帝国側で交渉に不可欠な文官が一人も同席していないことと、対する人数が北戎ほくじゅ側より少ないことが相手を侮っている証明になっていて、李冰りひょうの決意に油を注ぐ事態になっていることに、皇帝はまったく気づいていない。皇帝は李冰りひょうからの宣戦布告にもまったくと言っていいほど、意に介していないようだった。
 思わず煌威こういが皇帝である父に対して、耄碌もうろくしたか、と思ってしまうほどだ。

「……交渉決裂、条約破棄、開戦、ということでよろしいか?」

 李冰りひょうが席を立った。
 続いて北戎ほくじゅ側の人間も次々に席を立つ。
 もう、引き返せない。煌威こういがそう拳を握ったときだ。

「お待ちになってください」

 凛とした声音が響いた。
 誰もが驚愕に目を見開く。
 集まる視線は円卓につく、皇帝の隣に注がれていた。
 声の主が皇帝でも皇太子である煌威こういでもなく、今まで傍観ぼうかんしていた皇后だった為に場は騒然となる。

 円卓を挟んで、李冰りひょう胡乱うろんげに皇后を見た。
 あらゆる視線にさらされながら、皇后はゆっくりと立ち上がる。

「その前に一つ、私事わたくしごとで申し訳ないのですが確認したいことがございます」

 今更なんだ、と周囲から刺さるような視線を受けた皇后だが、微かに微笑みさえ浮かべて口を開いた。

「皇帝陛下」

 皇后の確認が北戎ほくじゅへの確認だと思っていた面々は煌威こういを含め、皇后の矛先が皇帝と知って面食らう。
 声をかけられた自身も軽く目を見開いている状況から、皇帝すら予想しなかったことなのだろう。

 ――そういえば、あの後。李冰りひょうと意味ありげな会話をして、皇帝の居場所を尋ねた皇后は、あの後どうしたのだろう。と、ふと煌威こういの頭を嫌な予感が掠めた。
 様子がおかしかった皇后の姿が、まぶたの裏に浮かぶ。浮かんで、今目の前にいる皇后の姿とかぶった。
 笑っているようで笑っていない、皇后が目を細めて問いかける。

「陛下、北戎棟梁ほくじゅとうりょうがこの李冰りひょう殿だということを、貴方は知っていたのですか?」
「…………、む」

 問いかけは、煌威こういからするとしごく簡単なものだと思った。
 棟梁は皇帝と同じく代替わりするものだ。李冰りひょうが棟梁になって何年かは分からなくても、当代棟梁であることは今この場にいることから、はっきりしていることである。
 しかし、皇帝から返ってきたのは、歯切れの悪い返答どころか口をつぐむもので、煌威こういは眉を寄せた。
 風向きがおかしい。

「知っていたのですか?」

 繰り返す皇后の問いにも、皇帝は黙ったままだ。
 無言の皇帝に、皇后は口を開くことを止めず言葉を続ける。

「貴方は、わたくしに言いましたよね?李冰りひょう殿は死んだ、と」
「――なに!?」

 皇后の言葉に、その場にいた誰もが一斉いっせいに目をいた。
 どういうことだ、と北戎ほくじゅ側の人間が固唾かたずを飲んでいる。

「貴方が李冰りひょう殿は死んだと、証拠だと言って血に濡れた胡服こふくを見せるから、だからわたくしは諦めたのです」
「……な」

 茫然ぼうぜんとした李冰りひょうの声が落ちた。
 それはどういう意味だと、李冰りひょうが身を乗り出してくる。
 李冰りひょうのその声と態度を見た皇帝の顔が歪んだ。

「……まだ、覚えていたのか」

 しくじった。そんな顔で皇后から眼を逸らす皇帝に、非難の目が集まる。
 過去に何があったのか、皆がそれとなく察したからだ。

「忘れる、わけないでしょうっ……わたくしの、愛しい……旦那様をっ」

 泣きそうな皇后の声に、北戎ほくじゅ側どころか帝国側の人間全員が顔をしかめて皇帝を見た。
 どう聞いてもこれは、皇帝が横恋慕の末に女を奪い去ったとしか取れない。

「なにが……っなにが旦那様だ!」

 自分に向けられる、非難の眼に耐えきれなくなったのか。それとも単純で身勝手な怒りからか。
 皇帝が激昂げっこうしたように叫んだ。 

「この男はそなたを側妻そばめにした! 正妻ではなく側妻だ! ちんはそなたを皇后にした! 何が不満だ!!」
「誰が皇后にしてください、と頼みました?」 

 怒鳴る皇帝に対して、目尻に涙を溜めつつも皇后の酷く冷たい眼は変わらない。
 皇后はゆっくりとみ締めるように語った。

わたくしは、何度も申しあげた筈です。愛しい方がいると。その方以外と、
げるつもりは無いと!」
「なぜだ! 側妻だろう!? そんな男よりも……っ」
「そう言って! あなたはわたくしを犯した!!」
「っぐ、ぅ……」
「家に突然押し入って手篭てごめにしただけでは飽き足らず、さらって閉じ込めて、嘘で心変わりまでうながした! 子が出来れば子を人質にとり、自害も許されず……っ、ずっと……あなたはっ、わたくしをッ――」

 赤裸々過ぎて、思わず目を逸らしたくなる内容だ。

李冰りひょう殿が生きていらっしゃるなら、わたくしは……」

 愛おしげな皇后の視線と、動揺に揺れる李冰りひょうの視線が絡む。

「……ッ、紅焔こうえん! こいつらを殺せ!!」

 皇帝が李冰りひょうを指差し叫んだ。

御意……ッ」
紅焔こうえん!」

 一瞬、条件反射で紅焔こうえんの右手が動いたのを、煌威こういが眼と声で止める。
 煌威こういは一瞬交じった紅焔こうえんの視線を皇帝へと流し、警戒をするべき対象を促した。
 意を汲んだ紅焔こうえんが、李冰りひょうから皇帝を間合いの対象に変える。

 最初からこのつもりだったのか、と煌威こういは人知れず唇を噛んだ。
 ――最初から、皇帝は北戎ほくじゅと条約を結ぶつもりなどなかった。
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