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31 和田村 大宮八幡神社
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御子神紋多は、清河と別れると、酔客でにぎわう根津の居酒屋に立ち寄り、ちびちびと酒をのみながら、祐天の調べあげた商家の図面を検討する。
盗みに入る商家の候補は、二軒あった。
ひとつは、和田村(現在の杉並区大宮)の大宮八幡神社の門前町にある米穀問屋『松葉屋』、もうひとつは、青梅道の田無宿の造り酒屋『磐田屋五兵衛』だ。
御子神は、松葉屋に注目する。
図面を見るかぎり、松葉屋のほうが侵入しやすそうに見えるし、奉公人の数が少ないわりに、質屋も兼業しており、資産が多いところが魅力である。
勘定を払うと、御子神は松葉屋の下見をするため、和田村に向かった。
深夜に近い刻限なので、木戸を避けて、水戸屋敷を大きく回りこみ、小石川から護国寺を経て、目白台に抜ける。
この時代、江戸の町は、郊外を呑み込むように拡張し続けており、新道や裏道が多く造られ、木戸を通らなくても済む近道もあったが、辻番を避けるため、どうしても大回りにならざるを得なかった。
御子神は、草深い大久保から、にぎわう内藤新宿を避けるように、十二社で甲州道中に出た。
甲州道中は、内藤新宿の先で、青梅道と分岐しているが、その真ん中を、江戸道と呼ばれている細い間道が通っていた。
江戸道は、江戸っ子の信仰を集めた、大宮八幡神社に直接ぶつかる。神社に参詣するためにあるような道である。
この道は、文献などにより、存在していたことは知られているが、東京の発展にともなった再開発で埋もれてしまい、どこを通っていたのか、不明になってしまった。
夜目が効く御子神は、犬の仔一匹見あたらぬ、夜更けの江戸道を、飛ぶように走った。
大宮八幡神社の門前町は、常夜灯の灯りがあるだけで、遊女を買う客でにぎわう根岸とちがい、ひっそりと闇に沈んでいる。
場末だけに、根岸のような規模もなく、茅葺きや板葺きなどの粗末な茶店や荒物屋、雑貨屋、古手屋(古着屋)などがならんでいる。江戸に近いだけあって、洒落た料理屋、呉服屋なども混ざっていた。
松葉屋は、すぐに見つかった。間口は狭いが、うだつも上がり、堂々たる店構えだ。
あたりを見回し、誰もいないことを確認して、御子神は、屋根庇の上に音もなく飛びあがった。人間業とは思えない跳躍力である。
二階の戸締りをたしかめると、予想どおり、錠前はおりていなかった。
城郭のように堅固な店の鎧戸を過信するあまり、まさか、二階から侵入する者などいるはずがないと、すっかり油断しているのだ。
窓の桟などは、どうにでもなる。
御子神は、錠前を確認して、これなら、仮に施錠されていても、容易に破れると確信し、不敵な笑みを浮かべた。
間取りは、わかっているし、その一点さえ確認できたら、長居は無用だ。
御子神は、ふわりと地面に降り立つと、忍び足で歩きだす。門前町は、しんと静まりかえっていた。
一町ほど歩き、門前町の外れまできたときである。
路地から不意に、ふたりの男が歩み出て、出会い頭にぶつかりそうになり、御子神は、素早くそれをかわした。
「おっとあぶねえ……おい、おめえ、こんな夜更けに、なにしていやがる」
ぶつかりそうになった男が、御子神を睨む。酒臭い息が匂った。
「兄貴、このちび、なんか怪しいですぜ」
ふたりは尻っ端折りに、丸に金と記された印半纏を羽織り、どう見ても堅気の人間には見えない。
風体だけでなく、その全身から発している剣呑な雰囲気は、今も昔もかわらない、暴力を生業とする者に、特有のものであった。
「へえ……あっしは、代田橋の百姓で、紋多と申します。三鷹の親類の通夜に出て、遅くなりましたが、道筋なんで、八幡様にお参りをしてゆこうかと……」
「へっ、こんな真夜中にお参りだと? ますます怪しい野郎だ。おう、おいらは、この八幡様の門前に拠を構える、野方の金造一家の若い衆だ」
「そいつは、お見それいたしました」
御子神は以前、祐天仙之助から、大宮八幡神社を中心に、勢力を張る博徒がいると、耳にしたことを思い出していた。
「こんな夜更けに、ひとり歩きは物騒だ。おいらたちが、代田橋まで道連れに、なってやろうじゃないか」
「ありがたいお話ですが、お手間をとらせるには、およびません。どうぞお構いなく」
御子神が、いかにも気の弱そうな声でこたえた。
「なあに。おいらたちも、世田谷の先の砧村まで、出掛けるところだったんだ。遠慮しねえで、仲良く道連れになろうや」
子どものような背丈を見くびって、ふたりは、御子神を挟みこむようなかたちで、いっしょに歩きだした。
もちろん、親切心からではなく、商人のなりをした、御子神の懐が目当てであろう。
この程度のやつらならば、御子神の実力をもってすれば、瞬きする間に片付けることができたが、標的の近くで騒ぎを起こすのは、避けたいところだ。
代田橋にゆくには、しばらく先で神田川をわたる。御子神は、それまでは、ふたりに従う素振りでとおすことにして、唯々諾々と歩きだした。
門前町を外れると、あたりには、一面の田圃や畑が広がっていた。住宅が密集した現在の杉並区の景観からは、想像もつかない田舎じみた景色である。
三人は、連れだって畦道をゆく。
四半刻もかからず、神田川のほとりにでる。清流に月明かりが反射して、川面がきらきらと光っていた。
「あのぉ、お哥いさんがたは、八幡様の近所にお住まいでございますよね。門前町の松葉屋さんには、金蔵に、千両箱が山と積み上げてある……と、耳にしたことがありますが、まことでしょうか」
御子神が、おずおずと尋ねた。
「は、ははは……そいつは、ちょっと大げさな噂だな。まあでも、あやつは金貸しだ……千や、二千は、いつでもあるだろうよ」
兄貴分は、笑いとばすが、すぐにドスの効いた声にかえ、
「そんなことよりも、神田川を越えれば、六町もいけば代田橋だ。ねだるようで悪いが、ちょいとばかり酒手を頂こうか」
と、脅しつける。
「へ、へえ。酒手でございますか……」
御子神は、うつむき加減で懐から小粒をとりだし、震える手で、兄貴分に差しだした。
「おいおい、ふざけてもらっちゃあ困るぜ。餓鬼の使いじゃあねえんだ。有り金を、残らず全部出してもらおうかい」
三下が本性を、むき出しにすると、御子神の態度が一変した。
「ふふん、おぬしらに恵んでやる銭などは、一文たりともござらん」
怯えるどころか、三下の脅しを、鼻で笑いながら続ける。
「それよりも、おぬしらは、拙者の顔を見てしまった。――かわいそうだが、ここで死んでもらわねばならぬ」
そう言った瞬間、御子神の拳が、兄貴分の顔にめり込んだ。
「ぎゃっ!」
鼻血を噴出させながら、兄貴分が吹き飛ぶ。
「て、てめえ!」
もうひとりの三下が、素早く短刀を抜くが、構える暇もなく、御子神の蹴りが股間を直撃すると、短刀を手離し、またぐらを押さえながら、その場に崩れ落ちた。
殴り飛ばされた兄貴分が、よろよろと起きあがると、御子神は、落ちていた短刀を拾い上げ、鳩尾に、ずぶりと突き刺した。
続けて、即死した兄貴分の懐から短刀をとりだし、鞘を払い、股間を押さえながらのたうち回っていた三下の胸に突き刺し、素早く引き抜くと、傷口から鮮血が迸る。
御子神は、引き抜いた短刀を、兄貴分の死体の手に、しっかりと握らせた。
「酔った挙げ句の仲間割れ。哀れ、相討ちの場面……の出来上がり。で、ござるな」
ふたりの死体を、それらしく並べると、御子神は、くすくすと笑いながら、その場をあとにした。
科学捜査などは、存在しない時代である。
おそらく検視する役人は、御子神が目論んだとおりの結論を導きだすにちがいない。
盗みに入る商家の候補は、二軒あった。
ひとつは、和田村(現在の杉並区大宮)の大宮八幡神社の門前町にある米穀問屋『松葉屋』、もうひとつは、青梅道の田無宿の造り酒屋『磐田屋五兵衛』だ。
御子神は、松葉屋に注目する。
図面を見るかぎり、松葉屋のほうが侵入しやすそうに見えるし、奉公人の数が少ないわりに、質屋も兼業しており、資産が多いところが魅力である。
勘定を払うと、御子神は松葉屋の下見をするため、和田村に向かった。
深夜に近い刻限なので、木戸を避けて、水戸屋敷を大きく回りこみ、小石川から護国寺を経て、目白台に抜ける。
この時代、江戸の町は、郊外を呑み込むように拡張し続けており、新道や裏道が多く造られ、木戸を通らなくても済む近道もあったが、辻番を避けるため、どうしても大回りにならざるを得なかった。
御子神は、草深い大久保から、にぎわう内藤新宿を避けるように、十二社で甲州道中に出た。
甲州道中は、内藤新宿の先で、青梅道と分岐しているが、その真ん中を、江戸道と呼ばれている細い間道が通っていた。
江戸道は、江戸っ子の信仰を集めた、大宮八幡神社に直接ぶつかる。神社に参詣するためにあるような道である。
この道は、文献などにより、存在していたことは知られているが、東京の発展にともなった再開発で埋もれてしまい、どこを通っていたのか、不明になってしまった。
夜目が効く御子神は、犬の仔一匹見あたらぬ、夜更けの江戸道を、飛ぶように走った。
大宮八幡神社の門前町は、常夜灯の灯りがあるだけで、遊女を買う客でにぎわう根岸とちがい、ひっそりと闇に沈んでいる。
場末だけに、根岸のような規模もなく、茅葺きや板葺きなどの粗末な茶店や荒物屋、雑貨屋、古手屋(古着屋)などがならんでいる。江戸に近いだけあって、洒落た料理屋、呉服屋なども混ざっていた。
松葉屋は、すぐに見つかった。間口は狭いが、うだつも上がり、堂々たる店構えだ。
あたりを見回し、誰もいないことを確認して、御子神は、屋根庇の上に音もなく飛びあがった。人間業とは思えない跳躍力である。
二階の戸締りをたしかめると、予想どおり、錠前はおりていなかった。
城郭のように堅固な店の鎧戸を過信するあまり、まさか、二階から侵入する者などいるはずがないと、すっかり油断しているのだ。
窓の桟などは、どうにでもなる。
御子神は、錠前を確認して、これなら、仮に施錠されていても、容易に破れると確信し、不敵な笑みを浮かべた。
間取りは、わかっているし、その一点さえ確認できたら、長居は無用だ。
御子神は、ふわりと地面に降り立つと、忍び足で歩きだす。門前町は、しんと静まりかえっていた。
一町ほど歩き、門前町の外れまできたときである。
路地から不意に、ふたりの男が歩み出て、出会い頭にぶつかりそうになり、御子神は、素早くそれをかわした。
「おっとあぶねえ……おい、おめえ、こんな夜更けに、なにしていやがる」
ぶつかりそうになった男が、御子神を睨む。酒臭い息が匂った。
「兄貴、このちび、なんか怪しいですぜ」
ふたりは尻っ端折りに、丸に金と記された印半纏を羽織り、どう見ても堅気の人間には見えない。
風体だけでなく、その全身から発している剣呑な雰囲気は、今も昔もかわらない、暴力を生業とする者に、特有のものであった。
「へえ……あっしは、代田橋の百姓で、紋多と申します。三鷹の親類の通夜に出て、遅くなりましたが、道筋なんで、八幡様にお参りをしてゆこうかと……」
「へっ、こんな真夜中にお参りだと? ますます怪しい野郎だ。おう、おいらは、この八幡様の門前に拠を構える、野方の金造一家の若い衆だ」
「そいつは、お見それいたしました」
御子神は以前、祐天仙之助から、大宮八幡神社を中心に、勢力を張る博徒がいると、耳にしたことを思い出していた。
「こんな夜更けに、ひとり歩きは物騒だ。おいらたちが、代田橋まで道連れに、なってやろうじゃないか」
「ありがたいお話ですが、お手間をとらせるには、およびません。どうぞお構いなく」
御子神が、いかにも気の弱そうな声でこたえた。
「なあに。おいらたちも、世田谷の先の砧村まで、出掛けるところだったんだ。遠慮しねえで、仲良く道連れになろうや」
子どものような背丈を見くびって、ふたりは、御子神を挟みこむようなかたちで、いっしょに歩きだした。
もちろん、親切心からではなく、商人のなりをした、御子神の懐が目当てであろう。
この程度のやつらならば、御子神の実力をもってすれば、瞬きする間に片付けることができたが、標的の近くで騒ぎを起こすのは、避けたいところだ。
代田橋にゆくには、しばらく先で神田川をわたる。御子神は、それまでは、ふたりに従う素振りでとおすことにして、唯々諾々と歩きだした。
門前町を外れると、あたりには、一面の田圃や畑が広がっていた。住宅が密集した現在の杉並区の景観からは、想像もつかない田舎じみた景色である。
三人は、連れだって畦道をゆく。
四半刻もかからず、神田川のほとりにでる。清流に月明かりが反射して、川面がきらきらと光っていた。
「あのぉ、お哥いさんがたは、八幡様の近所にお住まいでございますよね。門前町の松葉屋さんには、金蔵に、千両箱が山と積み上げてある……と、耳にしたことがありますが、まことでしょうか」
御子神が、おずおずと尋ねた。
「は、ははは……そいつは、ちょっと大げさな噂だな。まあでも、あやつは金貸しだ……千や、二千は、いつでもあるだろうよ」
兄貴分は、笑いとばすが、すぐにドスの効いた声にかえ、
「そんなことよりも、神田川を越えれば、六町もいけば代田橋だ。ねだるようで悪いが、ちょいとばかり酒手を頂こうか」
と、脅しつける。
「へ、へえ。酒手でございますか……」
御子神は、うつむき加減で懐から小粒をとりだし、震える手で、兄貴分に差しだした。
「おいおい、ふざけてもらっちゃあ困るぜ。餓鬼の使いじゃあねえんだ。有り金を、残らず全部出してもらおうかい」
三下が本性を、むき出しにすると、御子神の態度が一変した。
「ふふん、おぬしらに恵んでやる銭などは、一文たりともござらん」
怯えるどころか、三下の脅しを、鼻で笑いながら続ける。
「それよりも、おぬしらは、拙者の顔を見てしまった。――かわいそうだが、ここで死んでもらわねばならぬ」
そう言った瞬間、御子神の拳が、兄貴分の顔にめり込んだ。
「ぎゃっ!」
鼻血を噴出させながら、兄貴分が吹き飛ぶ。
「て、てめえ!」
もうひとりの三下が、素早く短刀を抜くが、構える暇もなく、御子神の蹴りが股間を直撃すると、短刀を手離し、またぐらを押さえながら、その場に崩れ落ちた。
殴り飛ばされた兄貴分が、よろよろと起きあがると、御子神は、落ちていた短刀を拾い上げ、鳩尾に、ずぶりと突き刺した。
続けて、即死した兄貴分の懐から短刀をとりだし、鞘を払い、股間を押さえながらのたうち回っていた三下の胸に突き刺し、素早く引き抜くと、傷口から鮮血が迸る。
御子神は、引き抜いた短刀を、兄貴分の死体の手に、しっかりと握らせた。
「酔った挙げ句の仲間割れ。哀れ、相討ちの場面……の出来上がり。で、ござるな」
ふたりの死体を、それらしく並べると、御子神は、くすくすと笑いながら、その場をあとにした。
科学捜査などは、存在しない時代である。
おそらく検視する役人は、御子神が目論んだとおりの結論を導きだすにちがいない。
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