上 下
32 / 51

31 和田村 大宮八幡神社

しおりを挟む
 御子神紋多は、清河と別れると、酔客でにぎわう根津の居酒屋に立ち寄り、ちびちびと酒をのみながら、祐天の調べあげた商家の図面を検討する。
 盗みに入る商家の候補は、二軒あった。
 ひとつは、和田村(現在の杉並区大宮)の大宮八幡神社の門前町にある米穀問屋『松葉屋』、もうひとつは、青梅道の田無宿の造り酒屋『磐田屋五兵衛』だ。
 御子神は、松葉屋に注目する。
 図面を見るかぎり、松葉屋のほうが侵入しやすそうに見えるし、奉公人の数が少ないわりに、質屋も兼業しており、資産が多いところが魅力である。

 勘定を払うと、御子神は松葉屋の下見をするため、和田村に向かった。
 深夜に近い刻限なので、木戸を避けて、水戸屋敷を大きく回りこみ、小石川から護国寺を経て、目白台に抜ける。
 この時代、江戸の町は、郊外を呑み込むように拡張し続けており、新道や裏道が多く造られ、木戸を通らなくても済む近道もあったが、辻番を避けるため、どうしても大回りにならざるを得なかった。

 御子神は、草深い大久保から、にぎわう内藤新宿を避けるように、十二社じゅうにそうで甲州道中に出た。
 甲州道中は、内藤新宿の先で、青梅道と分岐しているが、その真ん中を、江戸道と呼ばれている細い間道が通っていた。
 江戸道は、江戸っ子の信仰を集めた、大宮八幡神社に直接ぶつかる。神社に参詣するためにあるような道である。
 この道は、文献などにより、存在していたことは知られているが、東京の発展にともなった再開発で埋もれてしまい、どこを通っていたのか、不明になってしまった。
 夜目が効く御子神は、犬の仔一匹見あたらぬ、夜更けの江戸道を、飛ぶように走った。

 大宮八幡神社の門前町は、常夜灯の灯りがあるだけで、遊女を買う客でにぎわう根岸とちがい、ひっそりと闇に沈んでいる。
 場末だけに、根岸のような規模もなく、茅葺きや板葺きなどの粗末な茶店や荒物屋、雑貨屋、古手屋(古着屋)などがならんでいる。江戸に近いだけあって、洒落た料理屋、呉服屋なども混ざっていた。

 松葉屋は、すぐに見つかった。間口は狭いが、うだつも上がり、堂々たる店構えだ。
 あたりを見回し、誰もいないことを確認して、御子神は、屋根庇の上に音もなく飛びあがった。人間業とは思えない跳躍力である。
 二階の戸締りをたしかめると、予想どおり、錠前はおりていなかった。
 城郭のように堅固な店の鎧戸を過信するあまり、まさか、二階から侵入する者などいるはずがないと、すっかり油断しているのだ。
 窓の桟などは、どうにでもなる。
 御子神は、錠前を確認して、これなら、仮に施錠されていても、容易に破れると確信し、不敵な笑みを浮かべた。
 間取りは、わかっているし、その一点さえ確認できたら、長居は無用だ。

 御子神は、ふわりと地面に降り立つと、忍び足で歩きだす。門前町は、しんと静まりかえっていた。
 一町ほど歩き、門前町の外れまできたときである。
 路地から不意に、ふたりの男が歩み出て、出会い頭にぶつかりそうになり、御子神は、素早くそれをかわした。

「おっとあぶねえ……おい、おめえ、こんな夜更けに、なにしていやがる」
 ぶつかりそうになった男が、御子神を睨む。酒臭い息が匂った。
「兄貴、このちび、なんか怪しいですぜ」
 ふたりは尻っ端折りに、丸に金と記された印半纏を羽織り、どう見ても堅気の人間には見えない。
 風体だけでなく、その全身から発している剣呑な雰囲気は、今も昔もかわらない、暴力を生業なりわいとする者に、特有のものであった。

「へえ……あっしは、代田橋の百姓で、紋多と申します。三鷹の親類の通夜に出て、遅くなりましたが、道筋なんで、八幡様にお参りをしてゆこうかと……」
「へっ、こんな真夜中にお参りだと? ますます怪しい野郎だ。おう、おいらは、この八幡様の門前に拠を構える、野方の金造一家の若い衆だ」
「そいつは、お見それいたしました」
 御子神は以前、祐天仙之助から、大宮八幡神社を中心に、勢力を張る博徒がいると、耳にしたことを思い出していた。

 「こんな夜更けに、ひとり歩きは物騒だ。おいらたちが、代田橋まで道連れに、なってやろうじゃないか」
「ありがたいお話ですが、お手間をとらせるには、およびません。どうぞお構いなく」
 御子神が、いかにも気の弱そうな声でこたえた。
「なあに。おいらたちも、世田谷の先の砧村まで、出掛けるところだったんだ。遠慮しねえで、仲良く道連れになろうや」
 子どものような背丈を見くびって、ふたりは、御子神を挟みこむようなかたちで、いっしょに歩きだした。
 もちろん、親切心からではなく、商人のなりをした、御子神の懐が目当てであろう。
 この程度のやつらならば、御子神の実力をもってすれば、瞬きする間に片付けることができたが、標的の近くで騒ぎを起こすのは、避けたいところだ。

 代田橋にゆくには、しばらく先で神田川をわたる。御子神は、それまでは、ふたりに従う素振りでとおすことにして、唯々諾々と歩きだした。
 門前町を外れると、あたりには、一面の田圃や畑が広がっていた。住宅が密集した現在の杉並区の景観からは、想像もつかない田舎じみた景色である。
 三人は、連れだって畦道をゆく。
 四半刻もかからず、神田川のほとりにでる。清流に月明かりが反射して、川面がきらきらと光っていた。

「あのぉ、おあにいさんがたは、八幡様の近所にお住まいでございますよね。門前町の松葉屋さんには、金蔵に、千両箱が山と積み上げてある……と、耳にしたことがありますが、まことでしょうか」
 御子神が、おずおずと尋ねた。
「は、ははは……そいつは、ちょっと大げさな噂だな。まあでも、あやつは金貸しだ……千や、二千は、いつでもあるだろうよ」
 兄貴分は、笑いとばすが、すぐにドスの効いた声にかえ、
「そんなことよりも、神田川を越えれば、六町もいけば代田橋だ。ねだるようで悪いが、ちょいとばかり酒手を頂こうか」
 と、脅しつける。
「へ、へえ。酒手でございますか……」
 御子神は、うつむき加減で懐から小粒をとりだし、震える手で、兄貴分に差しだした。
「おいおい、ふざけてもらっちゃあ困るぜ。餓鬼の使いじゃあねえんだ。有り金を、残らず全部出してもらおうかい」

 三下が本性を、むき出しにすると、御子神の態度が一変した。
「ふふん、おぬしらに恵んでやる銭などは、一文たりともござらん」
 怯えるどころか、三下の脅しを、鼻で笑いながら続ける。
「それよりも、おぬしらは、拙者の顔を見てしまった。――かわいそうだが、ここで死んでもらわねばならぬ」
 そう言った瞬間、御子神の拳が、兄貴分の顔にめり込んだ。
「ぎゃっ!」
 鼻血を噴出させながら、兄貴分が吹き飛ぶ。
「て、てめえ!」

 もうひとりの三下が、素早く短刀を抜くが、構える暇もなく、御子神の蹴りが股間を直撃すると、短刀を手離し、またぐらを押さえながら、その場に崩れ落ちた。
 殴り飛ばされた兄貴分が、よろよろと起きあがると、御子神は、落ちていた短刀を拾い上げ、鳩尾に、と突き刺した。
 続けて、即死した兄貴分の懐から短刀をとりだし、鞘を払い、股間を押さえながらのたうち回っていた三下の胸に突き刺し、素早く引き抜くと、傷口から鮮血が迸る。
 御子神は、引き抜いた短刀を、兄貴分の死体の手に、しっかりと握らせた。

「酔った挙げ句の仲間割れ。哀れ、相討ちの場面……の出来上がり。で、ござるな」
 ふたりの死体を、それらしく並べると、御子神は、くすくすと笑いながら、その場をあとにした。
 科学捜査などは、存在しない時代である。
 おそらく検視する役人は、御子神が目論んだとおりの結論を導きだすにちがいない。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

転娘忍法帖

あきらつかさ
歴史・時代
時は江戸、四代将軍家綱の頃。 小国に仕える忍の息子・巽丸(たつみまる)はある時、侵入した曲者を追った先で、老忍者に謎の秘術を受ける。 どうにか生還したものの、目覚めた時には女の体になっていた。 国に渦巻く陰謀と、師となった忍に預けられた書を狙う者との戦いに翻弄される、ひとりの若忍者の運命は――――

戦国の華と徒花

三田村優希(または南雲天音)
歴史・時代
武田信玄の命令によって、織田信長の妹であるお市の侍女として潜入した忍びの於小夜(おさよ)。 付き従う内にお市に心酔し、武田家を裏切る形となってしまう。 そんな彼女は人並みに恋をし、同じ武田の忍びである小十郎と夫婦になる。 二人を裏切り者と見做し、刺客が送られてくる。小十郎も柴田勝家の足軽頭となっており、刺客に怯えつつも何とか女児を出産し於奈津(おなつ)と命名する。 しかし頭領であり於小夜の叔父でもある新井庄助の命令で、於奈津は母親から引き離され忍びとしての英才教育を受けるために真田家へと送られてしまう。 悲嘆に暮れる於小夜だが、お市と共に悲運へと呑まれていく。 ※拙作「異郷の残菊」と繋がりがありますが、単独で読んでも問題がございません 【他サイト掲載:NOVEL DAYS】

不屈の葵

ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む! これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。 幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。 本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。 家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。 今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。 家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。 笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。 戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。 愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目! 歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』 ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!

思い出乞ひわずらい

水城真以
歴史・時代
――これは、天下人の名を継ぐはずだった者の物語―― ある日、信長の嫡男、奇妙丸と知り合った勝蔵。奇妙丸の努力家な一面に惹かれる。 一方奇妙丸も、媚びへつらわない勝蔵に特別な感情を覚える。 同じく奇妙丸のもとを出入りする勝九朗や於泉と交流し、友情をはぐくんでいくが、ある日を境にその絆が破綻してしまって――。 織田信長の嫡男・信忠と仲間たちの幼少期のお話です。以前公開していた作品が長くなってしまったので、章ごとに区切って加筆修正しながら更新していきたいと思います。

半妖の陰陽師~鬼哭の声を聞け

斑鳩陽菜
歴史・時代
 貴族たちがこの世の春を謳歌する平安時代の王都。  妖の血を半分引く青年陰陽師・安倍晴明は、半妖であることに悩みつつ、陰陽師としての務めに励む。  そんな中、内裏では謎の幽鬼(幽霊)騒動が勃発。  その一方では、人が謎の妖に喰われ骨にされて見つかるという怪異が起きる。そしてその側には、青い彼岸花が。  晴明は解決に乗り出すのだが……。

明治不忍蓮華往生

No.37304
歴史・時代
明治十一年。 不忍池のほとりに閃く白刃がふたつ。 何故に、彼らは刃を向け合うのか──?

処理中です...