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22 下谷保村 本田覚庵

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 歳三は、中島峯吉の家に一泊したあと、石田散薬の行商を続けた。
 峯吉の住む小田野(現在の八王子市西寺方)から、戸吹を抜けて秋川をわたり、伊奈、五日市、大久野に立ち寄り、青梅で商いをして、箱根ヶ崎に一泊。
 翌日は、拝島から砂川に出て、日野には戻らず、下谷保に向かった。
 甲州道中沿いに、野暮天の語源になった、谷保天満宮がある下谷保村には、土方家から、が嫁に行った、名主の本田家があるからだ。

 本田家の当主は覚庵かくあん
 下谷保村の名主であり村医者。そして、米庵流の書家としても知られている、多摩の名士で、歳三と勝太の書の師でもあった。
 下谷保の名主は、本田家、遠藤家が持ち回りで務めており、どちらの家も、いずれ劣らぬ豪農だが、薬医門を構えた覚庵の屋敷は、ひときわ豪壮だった。
 なにしろ、下谷保村の土地の五分の一は、本田家の持ち物なのだから、このあたりでは、一番の分限者といってよいだろう。

「おじさん、お久しぶりです。ご無沙汰しておりました」
 覚庵に出迎えられると、この男には珍しく、はにかんだように言った。
「しばらく顔を見せなかったが、元気そうだな……なんだ、今日は仕入れか?」
「はい。今度の商いで、黒龍散を売り切ってしまったので、よろしくお願いいたします」
「おお、もう捌いたか。おまえも行商をはじめたころに比べると、ずいぶん商売が上手くなったなあ……」
 覚庵が嬉しそうに目を細めた。
 歳三が江戸での奉公にしくじり、実家に戻って行商をはじめたころ、石田散薬は、さっぱり売れず、兄からは、しじゅう小言を喰らっていた。
 それが近頃は、江戸に寄るたびに、岡場所や吉原で遊ぶ金ができるほど稼いでいる。

 それは、歳三の工夫であった。
 石田散薬は、打ち身骨折の薬である。これを行商するさい、得意客ならばともかく、一見いちげんで訪ねた先に、打ち身の薬だけを売るよりも、他の薬もあるに越したことはない。
 本田覚庵は、家伝薬として、頭痛やのぼせ、産前産後の目眩などに効く黒龍散という薬を販売していた。

 ふしぎなことに、土方家の石田散薬をはじめとして、多摩の農家には、こういった家伝の薬を伝える家が多かった。
 三鷹の吉野家には、保寿丸が、小野路の荻生田家には、こせかさ蒸薬が、そして、歳三の義理の兄である彦五郎の佐藤家は、虚労散を販売している。
 そのほとんどが縁戚関係にある、多摩の豪農・名主のネットワークを利用して、これらの薬を安く仕入れ、さらに四ッ谷の『いわし屋』で仕入れた風邪薬や腹下しの薬、千住の名倉から仕入れた黒膏など、様々な薬を売ることで歳三は、大きく売り上げを伸ばしていた。

「わかった。いま為吉に、取りにいかせよう」
「お手数を、おかけします」
 弟子の為吉。国分寺村名主の四男、のちの本多雖軒である。
「しかし、おまえさんは、相変わらず間がいいなあ……」
「えっ、なんの間でしょうか?」
「昨日から江戸より、市河米庵先生のご子息の遂庵すいあん先生がいらしておる。剣術ばかりでなく、久しぶりに、手習いもしていきなさい」
「はあ。それは幸いでした。ぜひ、そうさせていただきます」
 歳三は内心、舌打ちをしたい気分だったが、愛想笑いを浮かべた。
「市河先生といえば、江戸でも指折りの書の大家……このような片田舎に、なんの用事が、おありなのですか?」

「ああ、そのことか……こんど盛車宗匠(佐藤彦五郎)が句会を催すことになってな。わざわざ手紙で、お誘いしたのだ」
 覚庵が続ける。
「しかし米庵先生は、いま病床にあってな……律儀に、ご子息の遂庵先生をつかわされた。というわけじゃ。どうじゃ、豊玉宗匠も出席するかな?」
 市河米庵は、覚庵の書の師匠である。つまり、覚庵に書を習った歳三の師匠の師匠にあたる。

 覚庵は、天保三年に、本田家の跡取りだった父、昴斎を病で失い、ついで、当主の随庵も亡くなり、本田家を継ぐまでは、江戸で医術や書を修行していた。
 市河米庵とは、そのころからの付き合いで、いまも交際を、絶やしていなかった。
「ははは……わたしの句などは、ほんの手慰み。それは勘弁してください」

 商売道具を下男に預け、歳三は、覚庵に促されるまま、書院に向かった。
 ふたりが、部屋に入ると、遂庵が床の間の前に座っている。
 その横には、まるで色小姓のような秀麗な容姿の、華奢な若者が控えていた。
「お初にお目にかかります。手前は、石田村の土方歳三と申します」
「市河遂庵と申します。親父の具合が、どうもないので、不肖の息子ですが、厚顔にも、代理で推参いたしました」
 ひととおり挨拶が終わると、雑談の途中で歳三が、
「ところで、そちらのお若い方は、お弟子さんでしょうか?」
先ほどから、遂庵の隣に、姿勢よく座る男が気になっていたので、遂庵に尋ねた。
 男は、前髪が取れたばかりのような年頃に見えるが、それにしては、落ち着きはらい、気品すら感じさせる。
「わたしではなく、父の門人の伊庭八郎殿です。わたしは、へなちょこですが、伊庭道場で心形刀流を習っておりまして、だから、どちらかといえば、師匠と言えます」

「遂庵殿、師匠だなんて勘弁してください。わたしはまだ跡をついだわけでもないし、だいいち、剣術も大したことがありません」
「ははは、なにをおっしゃる。伊庭道場の小天狗とも呼ばれているお人が」
「あなたが伊庭八郎殿! いやあ、お噂は、かねがね……お目にかかれて光栄です」
 歳三が如才なく世辞を使うが、半分は本心だった。
 歳三のように、江戸周辺を修行して回っていると、天才剣士という噂の、伊庭の小天狗・八郎の名前は、嫌でも耳に入ってくる。
 ところが、八郎が伊庭道場に顔を見せるようになったのは、ごく最近のことで、伝聞ばかりが先にたち、実際に八郎を見たという者は、あまりいなかった。
 だからその八郎が、目の前に座っている優美で華奢な若者であることに、歳三は、むしろ戸惑っていた。

「伊庭氏も句会に出席するために、ここまで出向いたのでしょうか?」
 歳三が問うと。
「いえ、遂庵殿が武州まで、ちょっとした旅に出ると小耳にはさみ、遊山がてら、このあたりの剣術道場を見て回ろうかと……
武州は、百姓町人といえども剣術を遣い、なかなか盛んだときいております」
「ははあ、さようでしたか。それならば手前が、いろいろと、ご案内してさしあげましょう。
すぐ隣の日野宿では、句会を主宰する義兄あにの彦五郎も、道場を開いておりますし、八王子横山宿にも、ご案内いたしますよ」
「それは、わたりに船です。どうか、よろしくお願いいたします」

 歳三は、八郎を彦五郎の屋敷に案内するため、連れだって甲州道中を歩いていた。
 下谷保村を抜けて、柴崎村の坂をくだり、日野の渡しで多摩川をわたる。
 八郎のおかげで、退屈な手習いをせずに済んだので、歳三は上機嫌だった。
「土方殿も、天然理心流を修行なさっているのですか?」
「はい。少々ですが……手前は、初歩だけ習って、あとは自己流です。ところで、その土方殿は、照れくさいので、どうか歳三と呼び捨てになさってください」
「わかりました。それでは、も、伊庭氏などと、尻っぺたが、むず痒くなるような呼び方をやめて、八郎とお呼びください」
「困ったな……仮にも直参旗本二百石を、下の名前で呼ぶなて、畏れ多くていけません」
「ここでは、お互いに、ただの剣術修行者。身分など、詮なきことだと思います」
 八郎が、屈託なく笑った。
 最初は、貴公子然とした八郎に、かすかな反発を感じた歳三だったが、話しているうちに、すっかりこの若者に魅力されていた。

 多摩川をわたると、平坦な田園地帯が広がっていた。
 行く手には、高幡城跡の山が見える。この先甲州道中は、右に曲がり日野宿に入る。
 ふたりが日野用水下堰の分水路に、さしかかったときである。
 水路にかかる橋のたもとに、ぽつりと建つ茶店にいた、三人の男たちが、歳三を眼にすると、あわてて立ちあがり、ふたりの前に立ちふさがった。
 三人のうち、ふたりはまだ若く、歳三と同じような年頃に見える。
 しかし、長脇差をぶちこみ、あわせをからげて帯に挟んで、肩をいからせ、いかにも柄の悪そうな、陰惨な目付きで歳三を睨みつけた。
 残るひとりは、大刀を落とし差しにした浪人で、柄に手をかけて凄んでいる。

「よお、トシ。久しぶりだな……なんだ、女に飽きて、念友としっぽりかい? 衆道しゅどうの道行きとは、憎いね色男」
 まさかこの華奢で美麗な若者が、伊庭八郎とも知らず、若造が凄みを効かせて言った。
 まだニキビ面だが、いっぱしの悪党気取りらしい。
「ふん、シゲ。相変わらずてめえには、品ってものがねえな。八王子の山ん中で、猿ばっかり相手にしてるから、ひと様に対する、口のききかたを、忘れたらしいな」
 歳三が、せせら笑った。
「なにを! やるのかっ!!」
 長脇差に手をかけ、シゲが猛る。
 何事かと、茶店の亭主が、おそるおそる様子を伺った。

 シゲの名は半田繁造。高尾山に近い初澤村の札付きで、以前、八王子横山宿で歳三と衝突して、大喧嘩になり、さんざんに痛めつけられた過去があった。
 現在でも使われている札付きという言葉は、この時代、文字通りの意味だった。
 江戸時代は、何事も連帯責任である。たとえば、息子が道を外れ悪事におよんだ場合、その責任は、育てた親にもおよぶ。
 そこで、子どもの素行が悪くなると、人別帳に札をつけられ、それでも素行が直らないときは、人別帳から外され、帳外、つまり勘当して、親子の関係を切ることができた。

「おい、シゲ。なんだ、その渡世人みたいな格好なりはよ。おめえ、ついに、家から叩きだされたのか?」
「おんでたのさ。オレぁいまは、祐天一家の若い衆よ。だから、てめえをブチ殺しても、親には迷惑がかからねえ。ここで出会ったのが運の尽きだ。
――トシ、覚悟しやがれ!」
 シゲが、すらりと長脇差を抜いた。
「けっ、ついに本物の三下に、成り下がりやがったか。救いようのねえ馬鹿だな」
 言い放つと、歳三も長脇差を抜く。
「八郎さん。すいません……すぐにカタをつけるんで、ちょっと下がっていてください」

 しかし、歳三が言い終わらないうちに、八郎は一歩前にでると、意外なことに、後ろに控える浪人者に声をかけた。
「光岡……心配したぞ。おぬし、こんな破落戸とつるんで、いったい何をしているんだ」
「わ、若先生……」
義父ちちもおぬしを、気にかけておった……わたしからも義父に頭を下げるから、戻ってまいれ」
「若先生……いまさら練武館になど戻れません。拙者は、道を踏み外してしまったのです」
「光岡、待て!」

「――御免!」
 浪人者、いや、光岡は、八郎の言葉を振りきるように、踵を返して一目散に走り去った。
 八郎は、一瞬、あとを追う素振りを見せたが、苦悩の表情を浮かべると、力なくうつむいた。
 歳三もシゲも、気を呑まれ呆然としている。

 八郎は、しばらくうつむいていたが、昂然と顔をあげると、シゲの前に進みでた。
「さて。シゲさんとやら……すまないが、ちょっと光岡について、知っていることを、話してもらえませんか?」
 言葉遣いは丁寧だったが、端できいていた歳三ですら、背筋が寒くなるような冷ややかな声だった。
「て、てめえに話すことなんか、なにもねえっ!」

 言い放ち、シゲが長脇差を振りかぶった瞬間、目にも止まらぬ速さで、八郎が間合を詰め、シゲの脇腹に当て身を入れた。
「ぐふっ」
 シゲがうずくまったときには、呆気にとられてその様子を眺めていた、もうひとりの若造の水月にも、八郎の当て身が入っていた。
 電光石火の速業とは、このことだろう。
 八郎は、うずくまるシゲの肘を掴むと、むしろ優しげな声で訊いた。
「さあ。おまえと光岡のかかわりを話してくれ」
「あ、痛たたっ、わかった。話す、話すから……」
 どんなツボを押さえているのか、特に力を入れているようには見えなかったが、シゲの顔が苦痛で歪んだ。

「光岡さんは、三月ほど前に、薄気味の悪い別の浪人が、祐天一家に連れてきた用心棒だ」
「普段は、何をしているのです」
「もめ事が起きないように、賭場で睨みを効かせているだけだ」
「ちょっと待て……祐天一家の賭場は甲府だろう。なんで、てめえが日野くんだりを、うろついてやがるんだ?」
 歳三が口をはさむ。
「へっ、知らねえのか。うちの一家は、去年から、八王子でも賭場を開いているのさ」
「なんだと……それは初耳だ。八王子には、地回りが何組もいて、他所者が入りこむ余地は、ねえはずなんだがな」

 当時の八王子には、長老の八王子彦兵衛を筆頭に、中野の兼治郎、大塚の勘五郎、角彦こと角屋彦兵衛などの博徒がいて、縄張りをめぐり牽制しあっていた。
 この物語の二年前までは、府中に拠点を構える新門辰五郎の弟分の大物、小金井小次郎も八王子の縄張りを、虎視眈々と狙っていたが、この時点では、遠島処分を食らって三宅島にいるので、物語には登場しない。

「だからよ。力ずくで割り込むために、腕利きの浪人を、何人も客分にしてるのさ」
「なるほど……あなた方の一家と、その賭場の場所は、どこですか?」
「市守神社の先にある口入屋『大和屋』が表向きの稼業で、賭場は、そのすぐ裏手にある大雄寺だ」

 知りたいことを訊きだしたら、この連中に用はなかった。
「さあ、とっとと八王子に帰れ。こんど日野に、そのツラだしたら、腕の一本や二本じゃあ、すまねえと思え」
 歳三がシゲの尻を蹴飛ばすと、シゲと連れは、後ろも見ずに、脱兎のごとく駆けだした。

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