孤独な王女

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小話②

新生苦労人

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灰の花籠①と②の間に入れようとして没ったグリフィス・アイゼの話。
ーーー


 うんざりといえばうんざりだった。

「東のエスペランサ、南のアルビオンと呼ばれたように、西はオリフラム公爵家がまとめ役のような存在でしたね。ですがかの家は凋落し、領地の大部分を王家が直轄地としたことで均衡が失われました。大公家は関与しないので、西部で次に台頭すると目されたのがあなたですね」

 アルダとの戦争の鄒勢を決する一騎討ちの前夜、やっと王太子と個人的に話せる時間を取ることができた。といってもはじめは聞き役だ。
 この約二年間の西部の動向をざっくりと確認してきたが、あえて答えず、無言で続きを促した。

「ですがあなたは動かず、アルダが土足で立ち入ってきてしまった。陛下はこの機会に西方の領主たちからごっそりと権限を取り上げて、再編なさるおつもりです。しかも、陛下はあの性格ですから、自らが直接に統治なさるはず。貴族家に分配されることは、まずありません」

 女王は即位してからこちら、特定の貴族家を遇することは皆無だった。ユーリだけが例外と言えたが、それは当主のエルサが元王族だからだ。同じく大公家が、他の貴族とは差をつけてリエンの腹心として収まっている。だがエルサ以外は政治から離れて長い。王族としての名誉のみならず、実際の権勢を取り戻させるには時間がかかる。
 女王が王家の求心力の回復を念頭に置いて政治をしているのは、城でその有り様を見てきた者からすれば一目瞭然というものだった。当然権力を削がれることを恐れる貴族家はあれど、リエンの次の擁立候補が皆無なのだからどうしようもない。ましてリエンはいつからどうやって集めたものか、弱味やらなにやらを駆使してどんどんと反発を叩き潰していっていた。
 貴族はむしろ、女王にどう取り入るかを考えはじめており、それは既に失地という落ち目を作ってしまった西方貴族の間で顕著なものになっていた。

 西部を建て直すまで、リエンの直接の管理下に置かれるのはまだしも当然だ。そこまでは譲る。だが、建て直したあとは手放してしかるべきだ。
 ではどこへ?元の権利を有する者たちへ。それが最も妥当であるはずと。

 そのためにリエンへすり寄り、権利を掠め取る可能性のあるヴィオレットを敵視した。

「ですけど、あの陛下が、一度取り上げたものをそう簡単に返すわけがないんですよ」

 リエンは目先の利権だけではなく、数年後の筋書きシナリオまで描いている。その時が来ても誰にも文句を言えない状況を作り上げるよう、常に計算を怠らないはずだ。
 推測のわりにそう自信満々に言い、更に確信付けるために暴露までしてきた。

「あくまでも内密のお話ですが、私の婚約者が急遽決まってしまいました。エイリーン姫です。もちろんお決めになったのは陛下であり、書面はクレマン大公がお持ちになっております。ほどよくクレマン家は西部に離宮を持ちますが、それ以外、領地と呼べるものは持たされてはいません。むしろ同じ王族なのですから、陛下が嫁の持参金を用意するのも当然というものではないでしょうか」

 ここまで言われれば馬鹿でもわかる。
 西部の統治権を下げ渡すとして、その行き先はクレマン大公家以外には存在しないというわけだ。
 血筋に疑いはあれど、ヴィオレットは女王が選定した後継者だ。次期国王の結婚相手が、実家共々王家の血筋という一点にしか利がないとあっては、女王が弟のみならずその嫁の後ろ楯にもなるのは当然だった。その証として西部の統治権を贈るとなれば、堂々と異論を挟めるものではない。また、大公では統治に経験不足だとか難癖をつけて譲歩を引き出そうにも、その頃にはクレマン家は他の大公家共々「勉強」を終えている。

 名実ともに王家の懐刀に仕上がっていれば、その未来に待つのは、王家の権威の伸長と、貴族の権勢の衰退である。

 だが、つまるところ、それは目の前で長口上を披露した王太子にも恩恵が及ぶということだ。害ではなく。
 なぜそこまでわかっておいて、あの女王に歴然たる反意を抱いているのか。

「そんなの、気に入らないからに決まってるでしょう」

 答えはしごく簡潔である。

「あの人に過剰に力を持たせたくないんですよ。お恵みにしても受け入れがたい」

 自分は恐らく疑り深く見てしまったのだろうが、王太子は冴え冴えと笑って受け止めていた。

「深意を求めるならばそれでよろしい。ですが、これは変わらない気持ちですよ。それで、グリフィスさま、あなたはどうなさるおつもりです?」

 アイゼ侯爵領は、神聖王国とアルダの二国と国境を接する微妙な立地であることに加え、だだっ広い領地のわりに主要な交易路は一本しかない。三国の緩衝地帯のような扱いで、衰退こそしないものの発展が無駄に難しいのだ。
 そのくせオリフラムが沈んでからというもの、どこもかしこもアイゼに色目を使い勝手に西方代表に祭り上げたりぐいぐい腹を探ってきたりするのだ。その目の多さといったら、うんざりするなという方がおかしい。
 なまじ不便な立地であるから、なおさら不自由を強いられる。女王が立ったとなれど、アイゼをどう扱うか慎重に見極めなくては身動きすら取れない。
 そんなどっちつかずで曖昧な場所にいるグリフィスを、よりにもよって王太子が見出してしまった。

「統治権を云々言えるのは、後では不可能。実際に着手していない今しかないんですが――私はあなたを推します、グリフィスさま」

 あっけらかんとした口調ながら、そこまで信用はしていないと作り物めいた微笑が語っていた。ただし、信用などなくても取引とは成立できるものだ。

「私はこの戦で功績を稼ぎます。私の戦績についてはあなたも先日ご覧になった通り。陛下は元々私には弱いところがありますから、説得力さえあれば多少こだわっても結局は諦めます。ですが、私だけでは不十分。説得力を増すには、あなたご自身の力も必要不可欠です」

 たとえば、ここで王太子に背を向ければ、待つのは侯爵の権限の縮小。王太子と手を組めば、王家の後ろ楯と広大な西方の統治権を得られる。

「私の利は先ほど言った通り、陛下のお力を切り取ることです」

 切り取るどころか、いずれ全てを奪い去る目をしておいて、ヴィオレットはそれを隠そうともしないのだった。

 グリフィスは乗ることにした。乗らない損より乗った時の得が大きいなら、あとは博打の心境である。

 よもやその翌日が、地獄のように長い一日になるとは予想していなかった。











「……毒を食らわば皿までだ」

 もしくは一蓮托生か。
 グリフィスはうんざりとため息を吐きながら、視界の端でうろちょろしている若者の襟首をむんずと掴んだ。

「修羅の若君、お前はこちらだ」
「ア、アイゼ侯爵!?」
「騒ぐな。人目を惹くぞ」

 女王の天幕の側から引き剥がし、エルサの天幕の方へと引きずっていく。内部には側仕えを追い払って、エルサとレズウェルドだけが座していた。驚いたように固まるセレネスを押して座れと睨み付ける。

「遅れ申した」

 レズウェルドもエルサも、「待ってない」などと無粋なことは言わなかった。むしろさも当然のような顔で迎え入れた。
 セレネスは文句を言いたげだったが、そうそうたる顔ぶれが並んでいるのでやむなく口をつぐんだ。
 若手の中では何歩も抜きん出たセレネスであっても、分を察することができなければとっくの昔に蹴落とされていた。今のセレネスは一番下座で、年長者の言うことに耳を傾けるべき若輩者だった。

(若輩も若輩、未熟よな)

 エルサたちもセレネスの不満げな雰囲気に気づいていたので、グリフィスから言ってやった。

「アルブス殿は陛下、殿下をご心配していたようでしてな」
「心配しない方がおかしいでしょう。なにも、乱入しようなどとは考えておりませんでした。ただ、もしもの時のためにお側にいようと……」

 それがなんでここに連れてこられたのか。そういう顔をしたセレネスに、レズウェルドが柔和な表情を苦く笑ませた。

「仕方がないね。あくまでもこの場限りの話と心得ていただきたいが、陛下のお傷は深かったようでね、今夜が峠であるというんだよ。これを知るのは私とこの辺境伯のみ。現状、陛下の天幕には人払いを厳命しており、陛下の詳細な容態は私たちにもわからない。お見舞いも当然、王太子殿下以外はなしだ」

 そうなっているだろうと思っていた、と頷いたグリフィスと違い、セレネスがざあっと青ざめて腰を浮かせた。
 途端に「お座りなさい」とぴしゃりと言ったのがエルサだ。くすんだ顔色で、けれど背筋だけは意地のようにしゃんと伸ばして、セレネスではないどこか一点を見つめて微動だにしない。
 その膝の上に握り合わせた手が小刻みに震えている。必死に自分を律しているのだ。エルサ・ユーリは女王の教育係であり、幼少から陛下殿下ともに親しかったという。この中ではよっぽど、あの二人に愛情を感じているだろう。
 だが、それ以前に政治家という生き物なのだ、自分たちは。

「なんのために殿下以外の例外をなしとしているのか――余人を遠ざけているのか、わからないようならば殿下の側を辞しなさい」

 セレネスは言葉に詰まったようだが、渋々座り直した。
 女王の「生死不明」と「死亡」では兵士の士気が大きく変わる。それどころか劣勢に次ぐ劣勢のアルダの出方すらも変わる。万に一つの危険性のために、リエンの進退を悟られないように厳しく接見を制限したのだ。
 セレネスだって、エルサと同じように、己一人のための身ではない。次善を求めて常に合理的に思考をしなければいけない立場だったから、理解せざるを得ないはずだ。
 だが、一呼吸おいた後のセレネスは、落としていた視線を上げて、三人の大先輩を敵意も露に睨み返した。

「だからといって、お二人を腫れ物のように扱いになると?見舞いなら、あなた方ならお血筋だけでも自らを例外とできるでしょう。なぜそうしようとしないのですか。私は、以前は……どうしようもなかったですから、今だけは、お二人のお側にいたいと思っています。もう手遅れにさせないために。二度と間違えないために。これをも間違っているとおっしゃるつもりですか」

 グリフィスは思わず「青いな」と呟いていた。
 セレネスが正しく反省しているということは、わかった。未来へ正しく歩もうとしていることも。
 だが、それだけでは到底駄目だ。

 レズウェルドの苦笑が深まり、エルサは萎れたように深く深くため息をついている。グリフィスの呟きが大人たちの総意でもある。
 青くて、若い。若すぎて見ていられない。
 正しいけれど、正しいだけでは駄目なのだと、セレネスはまだ思い至らないほどに未熟だった。そういう年齢であるので仕方がない。誰だって同じものだ。
 思えば二十歳を少し過ぎたくらい。当時の国王やベリオルたちと同年代だ。彼らには未熟者と叱りつける大人が身近におらず、必死に「正しさ」を求めた結果はご覧の通り、最悪一歩手前まで転落していった結果、最低限の権益以外を貪り尽くされ、あんなにまっすぐ歪んだ女王が出来上がった。

(……これもやむなしか)

 毒を食らわば皿まで。未熟者の面倒を見るのは年長者の役目だ。せめて過去にできなかった分の償いくらいの気持ちは持ち合わせている。

「お前の志は、殿下が先王陛下のようになる可能性があっても、貫くべきことか」

 セレネスがぎょっと振り向く一方で、エルサがますます暗澹を物語る表情になったので、正解だと察した。
 置き去りにした「間違った」過去になにかがあって、そこで全く別種の「正しさ」が生まれているらしい。
「覚醒」のことをグリフィスはさわり程度にしか知らないが、それほど重いものらしかった。エルサでさえ近づけないほどの、近づけば激しく狂いかねないほどの。
 いっそ呪いと呼べばいいものをと思ったが、さすがに口にはしなかった。

 だが、三度目だが、毒を食らわば皿まで。
 今回、王太子勢においてクレイグ侯爵と近衛副隊長に目立った功績を望めず、この若者も未熟であるならば、西方を任されるグリフィスが台頭せねばなるまい。
 たとえ、その道が泥沼であろうと。

「お前が死ねばよかったのだ!!」
「ぼくもそう思う」

 一度足を突っ込んだからには、歩ききるしかない。

 とりあえずは、危なっかしい主君の身の安全を確保するところからか。
 実動の人手は足りているようなので、経験豊富な政治家らしく、わかりやすい牽制とさりげない誘導、その他で若者に手本を示して見せようか。

 手始めにと、西部一の広大な領地を治めるアイゼ侯爵グリフィスは、去っていく主君の背中に向かい、忠実な臣下らしく頭を下げ続けた。
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