孤独な王女

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見上げた空は・下章

剥落⑥

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 それは、ファーランがまだ未来を光あるものと思っていた頃。

「……シルヴァたちが?」

 なんでもないような平和な一日は、その一言で吹き飛んでいった。
 呆然と呟いて、息急ききって報せてきてくれた神官を見上げる。ファーランの教育係の彼は、とても痛ましく頷いた。

「恐れ多いことに……隣家では争う音が聞こえたとのことで、無法者の仕業かと思われます」
「でも、シルヴァの友だちの狼がいたはずだ」
「それが、早い段階で火を放ったと。お二人の住まいも全て燃えてしまったのです」
「は……?」

 信じられないと、すぐさま異能を使って視えた景色。いまだ煙のくすぶる焼け跡。泥と雪にまみれたいくつもの死体。探索している神官たち。――見当たらないシルヴァとリューダの顔、子どもの姿。
 探そうとして、気づいた。シルヴァの星がどこにもない。星がないから行方を追えない。どこかにいるはずなのに、視野を広げても、この世で見つかる星はエリスのものだけ。
 気のせいではないとわかったときが、その死を受け入れた瞬間だった。

(……昨夜、星が落ちた気が、したのは)

 聖人の生まれ変わりが生まれたら星が現れるならば、死ねば落ちるのだ。当然のことなのに、どうして気づけなかったのだろう。

「まだなにが起こったのか把握に至っておりません。『巫』さまお二人にも危険が及ぶかもしれませんので、当面、警護を増やし、お歩きになるのも留めていただきます」
「…………わかった」

 もう顔も覚えていない生みの親より愛していた人が、二人、この世からいなくなった。しかも、二人がなによりも大切にした宝物のような娘さえ。

『ファーラン、一緒に来るか?』

 遠くから、三人の幸せを見守れるなら、それだけでよかったのに。

(――誰が奪った?)

 たとえ、一歩も本神殿から――この部屋から出られなくても、ファーランならば仇を追える。絶対に、逃がしはしない。
 エリスの教育係がエリスを連れて部屋に訪れた。一緒にいた方が警護しやすいからだろう。幼い頃のファーランと違って、神官たちに甘やかされまくっているエリスは半分寝たままファーランにおはようと言って、勝手にファーランの布団で二度寝を貪りはじめた。袖を掴んで離さないので、エリスの傍らに腰を下ろして、早速千里眼に集中する。まず目を張り巡らせたのは本神殿の内部だった。行方を辿るなら、既に動き出している神官たちの動向から当たりをつけた方が早い。
 王家からほぼ追放された形とはいえ、姫だったリューダのために城も動いているかもしれない。手当たり次第にあちこちを視て、五日ほど経ったときには賊の全てが捕らえられ、シルヴァたちを襲った理由も強盗目的だったと判明していた。もちろん、ファーランがいたからこそ誰一人として逃がさなかったのだ。本当に、ほとんど一歩も動かずに、ことを為した。

(……シルヴァが生きていたら誉めてくれたかな)

 捜索隊とファーランの中継役を担わせた教育係のひきつった顔とぎこちない賞賛の声を思い出す。ああ、そういえば、自分たちは「普通」じゃないのだと何度目かの自覚をし、同じく普通ではない人間だったシルヴァと二度と会えない事実にうちひしがれた。普通の人間なのに、普通ではない人間を受け入れて嘘偽りなく愛してくれたリューダとも、もう会えない。
 それでも。

『よくやったな、ファーラン!腕を上げたじゃねえか!』
『素晴らしいのは素晴らしいですけど、またご無理をなさったんじゃないですか、ファーランさま。しっかりお休みにならないと大きくなれませんよ?』

 力を使いこなせず、泣きべそを掻いていた幼い頃のファーランしか知らない二人に、会いたくて会いたくて仕方がなかった。
 ここ数日目を酷使して朝から頭痛が酷かった。警戒体制が解かれたとはいえ、エリスの中では習慣化してしまったファーランの部屋での二度寝に、ファーランも今日ばかりは付き合うべく隣に横になった。まぶたの奥がじんわりと熱いのもそのままに、夢の世界へ旅立とうとし――。

「――ても死亡は確実です」
「そうですか……。ご苦労でしたね」

 跪く初老の男と神官長が、ファーランの目の前で、神官長の部屋で、話し合っている。
 勝手に異能が働いたと、遠い意識のどこかで理解した。たまにあることだ。こういうときは全く制御できないので、眺める以外に術はない。疲れているのに、とげんなりしていると、ふと、二人の間にあるものに視線が吸い寄せられた。
 擦りきれてほつれているが、布の切れ端のようなもの。黒っぽい汚れがいくつも染み着いているようだが、その特徴的な錐紋様の刺繍には見覚えがあった。シルヴァの故郷のものではなかったか。いや、それよりも。

(フェルミアーネのために、リューダさまが縫っていた……)

 なぜそんなものがこんなところに。

「私の務めは、充分でしたでしょうか」
「ええ、よくやってくれました。今代の『神の代理人』があなたであったこと、女神もお喜びでしょう。ですがまだ最後の仕事が残っています」
「承知しております。後継も先ほど正式に指名して参りました。心残りはございません」
「『巫』さまの抵抗があり、早め早めに支度していたことが役立ちましたね」
「神官長が姫の懐妊頃から助言をくださったからです。初めて教えていただいたときは驚きましたが……先見の明に感謝いたします。直前だったのでは、私も満足に務めを果たせなかったでしょう」

 その後、続けられた会話は、あまりにも非現実的で、あまりにもおぞましく、あまりにも……。

「……っ!」

 夢を視終えた途端に跳ね起きた。ねばつく汗の感覚、どくどくと体ごと揺らすような激しい鼓動、冷たい指先。
 息ができなかった。胸を押さえて苦しさをやり過ごそうとする間にも、考えたくないのに思考がぐるぐると回る。経典の教えの根底にあるもの、先人たる「巫」たちの記録の穴、シルヴァとリューダの婚姻への過剰反応、フェルミアーネの空気のような処遇、強盗に間に合わなかった狼たち……。これまで全く気づかなかった、気づきたくなかったこと。

(どうして)

 殺された。家族のように身近な人々に。
 死ぬべきだった。ミヨナのために。

 ――だったら、どうして私たちはこの世に生まれてきた!?

 涙が溢れて止まらなかった。憎悪と哀しみが体の中から燃やし尽くすようだった。いっそこのままここで無為に死んでやろうかと思うほど。それこそが全てへの復讐になるはずだ。「予定していない死」でもって、女神とその僕たちに屈辱を与え、嘲笑ってやる。

「……ないてるの?ファーラン」

 小さくて温かいものが膝に載った。とっさに涙を拭ったファーランは、エリスが起きて不安そうに見上げてくるのに気づいた。

「どこかいたい?だいじょうぶ?」

 膝によじよじと乗り上げてきて、真正面からファーランの両頬を撫でる。特に口元をむにむにと押しては離し、感触が楽しかったのか無邪気に笑いつつも、誰かの真似のように言った。

「よしよし、つらかったねえ。がんばったねえ。だいじょうぶだよ」

 得意気に慰めようとしてくるエリスのいじましい姿に、いっそう涙がこぼれて。あれっという顔のエリスをぎゅうぎゅうに抱きしめる。
 温かくて柔らかくて小さくて、かけがえのない命。
 ファーランが見つけて拾い上げた、無垢な白い星。

 ファーランはこのとき、はじめて絶望した。

 










☆☆☆











 ジュールの目が小刻みに揺れていた。その顔はなにも知らないと物語っている。
 聖人の生まれ変わりを、「神の代理人」であるこの自分が殺すという。「巫」の言葉ではあっても、到底信じられない話だ。

「ど、どう、いう……」
「『巫』は二十五歳以上は生きられない。『神の代理人』はそのしきたりに沿って例外なく『巫』を手ずからミヨナの元へ送り、その後を追って自死することが一番の任務。神官長がお前の先代に語ったことだ」

 もはや信仰心ではない、ただの狂妄だ。
 異端を嫌い、異端を廃すことに人生を捧げ、意味ある死と思い込んで死ぬ。
 女神たった一人を祀るこの国では、「巫」すらも異端の一つ。狂気のカタに使い捨てられるただの駒。

 全ては――ミヨナの死後に編纂された経典に則り、にと。

「私が、お前たち人間の罪を、なにも知らないと思っていたか?」

 醜悪に、人間らしく吐き捨てたファーランの背中に、清水のような声が降りかかったのはその時だった。

「……それ、ほんとう?」

 フェルミアーネの声だった。
 ジュールを突き飛ばすようにして振り返ったファーランは、そのまま固まった。
 確かに、声の通りにその娘が部屋の戸口に立っていた。たった一人なのは、エリスたちとはぐれて迷い込んだためか。おもむろに足を踏み出し、近寄ってくる。
 一歩一歩、距離を詰められるにつれ、ファーランの中で違和感が膨れ上がっていった。

「……フェルミアーネ、か……?」

 思わず問いかけるほどに、印象が違っていた。どことは明確には言えない。ただ、雰囲気が、気配が、仕草の余韻が……決定的に違う。瞬きすればするほど移ろう印象。地を這う虫が羽化して空を目指すように。徐々に、滲むように。そして鮮やかに。
 千里眼を使ったのは無意識だったが、ますます息を呑むことになった。
 見透かす目が捉えたのは、全身を包む純白の光。極彩の輝きを放つ両目。薔薇色の唇。長い長い髪の少女が、フェルミアーネの姿に重なりあっている。

「これまで、何人も、殺してきたの?」

 口調だけははっきりとフェルミアーネと違っていた。どこか子どものようなたどたどしい言葉は、ファーランではなくジュールに向いている。
 千里眼を持たないただの人間であるジュールでさえ違和感を覚えたらしい。フェルミアーネの顔に覚えがあるはずなのに、尻餅をついたまま訝しく見上げている。

「まさか……とうさまたちだけじゃなくて、はじめから?スハルトもテミリスも、ユーフェミアも、パストルも、アングレイも、シゼルも、イルギスも、エルレイも?」

 鈴を鳴らすような、美しくも不思議な声音で挙げられるのは、創国の聖人たちの名。それも――友を呼ぶような遠慮のなさで。

「わたしが死んだから、なぞらえたの?」
「……だ、誰だ。聖人さまをそのように呼ぶとは……」

 ジュールの絞り出すような問いに、フェルミアーネではないフェルミアーネは首をかしげた。

「誰だ、って」

 フェルミアーネに顔だけは似た娘は、問いそのものが心外そうに呟いた。
 だが、次の瞬間にはふわりと瞬き、薔薇色の唇をゆるりと持ち上げていた。
 見る者の魂を奪う、幽艶な微笑。











「――、『神の代理人』を名乗っているの?」















 ぞっと戦慄したのはジュールだけではない。横顔を見ていたファーランでさえ心臓を鷲掴みにされたような気がしたのに、元凶が無造作に振り返ってきたのだから思わず肩が跳ね上がった。

「相変わらず長男気質なのね。一人で全部済ませようとするなんて。しかも自分まで道連れに、なんて」
「……フェルミアーネ、でいいのか」
「なあに、『にいさま』?」
「……兄になった覚えはないぞ」
「とうさまは叔父、かあさまは兄と思えって言ってたわ?いつか会えるからそう呼んでやれって」

 ファーランは激しく揺れ動いた感情にうっかり流されかけたが、必死に踏ん張った。結果として睨むかたちになったが、娘は苦笑するばかり。

「わたしのことはいいの。その人に言いたいことがあるから出てきただけで、本当は予定していなかったのよ。……あなたにもできたけど。死ぬ必要はないわ。この人はそれさえなくても罪禍に負われて沈むだけ」
「……どういうことだ」
「あなたにも復讐する権利はあるけど、一番に優先されるべきはわたしのはずだわ。ねえ、ジュール・リングス・モアラヴィ神官?」

 ジュールがひどく怯えた目で娘を見上げた。神を前に断罪を待つ咎人のように。だが、娘の表情は柔らかい。その極彩に移ろう瞳がふと、色を白く留めて細まった。

「わたしの養父母の、アレクとカタリナは事故死だと言われていたのだけど……わたしを殺したとばあちゃんに見せかけたように、殺したりはしていない?」

 ひっ、とジュールの喉がひきつった音を立てた。顔色を変えたのはファーランもだ。

「フェルミアーネ、それは」
「あの二人が遠出をしたのって初めてだったらしいの。しかもばあちゃんは監視されていたようだし。追放した高位神官の息子夫婦の突然の旅行を、あなたたちはどう考えたのかしら。川に流されて、なんて行方不明でもおかしくないのに、きっちり遺体として帰ってきたことも今思えば綺麗すぎるわよね。まるで見せしめのよう。……ねえ、お返事は?」
「……っ、そ、その、通りです」
「どの部分がその通り?監視のこと?父さんと母さんの遺体のこと?それとも全部?」

 一切の容赦ない娘に対し、ジュールはガタガタと震えて必死に息を吸っていた。睨むことも虚勢を張ることもできない。今さら「墓から生まれた娘」と蔑むことなどできるわけもない。
 その場しのぎの否定も、釈明も認められない。――赦されない。

 なぜなら、ジュールにとっては絶対的な存在が、目の前にいるのだから。信じ、愛し、崇拝し、なによりも尊び、それに翳りをもたらす者には罰を。それほどまでに尽くした存在へ、逆らうことなどできるものか。

 己の精神を切り刻み、血を吐くように、ジュールは告白した。

「全てです……!」

 吐き出した勢いで俯いたジュールの肩に、ふんわりと白い指先が触れた。「顔をお上げなさい」という声の、異様な優しさ。一縷の光にすがるように従ってしまい、後悔した。
 雪のように真白い双眸に、ジュールは映り込んですらいない。

「ぽっと出てきた不吉の噂付きまとうわたしを養子にしてくれて、愛してくれた二人のみならず、わたしにユーフェミアという新しい名を与えてくれたばあちゃんを殺したのも、あなたね?」

 ジュールの傷口に深く深くめり込む、杭のような問い。
 当然、ジュールは「はい」と答えるしかなかった。精神を大きく穿ったのは、自らのこれまでの生き方。
 これまで正しいと思ってやってきたことが、全て罪として跳ね返ってきたのだ。
 娘はにこりと笑った。よくできました、と言いたげに。そこに憤怒も侮蔑もないことが、なによりも恐ろしい。

「加えて、師の責任は弟子も取るべきだと思うわ。あなたたちの独りよがりな掟であっても間違いなく大罪ね。これ以上穢れるか、その前に『終わらせる』かはあなたの選択よ。もちろん、誰もその死に様を褒めることはないけれど。このわたしでも」

 一度己の行為を自覚してしまえば、これ以上を耐えきれるわけがないとわかっていての言葉だった。実際、もうジュールの精神は崩壊している。震える体を抱えて蹲り、頭は床に擦り付けられそうなほど下げられて、涙さえ滴り落ちている。
 娘の声が聞こえているかも怪しいが、恐らくきっちり聞いているだろう。彼女にとっての至高の存在が、彼女へ向けて放つ意志と声を、無下にできるわけがない。
 娘から与えられるもの全てが彼女たちにとって尊いものだと――それほどまでに狂信しているのだと、娘は知ってしまった。だからこそ決定的な死は与えない。死ねとすら言わない。
 それが救いだと思われては、復讐にはならないのだから。

 ジュールから離れた娘は、もはや一瞥すらくれてやらなかった。存在全てを無言で拒絶し、ファーランに声をかけて部屋を出る。

 身を引き裂かんばかりの慟哭がその部屋から響いてきたが、二人とも、振り返りはしなかった。















 充分にジュールの部屋から離れ、人気のない裏庭の辺りに出たところで、ファーランは堪えきれなかったように問いかけた。

「フェルミアーネ。何を考えている」

 ファーランは先ほどの会話で少なくとも、このフェルミアーネはユーフェと名乗っていた娘と切り離されていないと察していた。喋り方も仕草も声の調子も表情も全て別人と言ってしかるべきなのに、家族のことを家族だと呼ぶ。他人事でなく「復讐」と言い、ジュールを地獄へ叩き落とした。
 それなら最優先も変わっていないはずだ。リエンという主の望む結果を得ること。
 ジュールは今夜には自害しているだろう。だが、それでは明日の会議以降に疑念を持たせることになる。神聖王国の高位神官をジヴェルナが暗殺したのではないかと。一度傾きかけた王とて考え直すだろう。だが、娘は相変わらず不思議な笑みを浮かべて悠然としていた。
 それどころか。

「スハルトだと被るから、にいさまという敬意を込めて、ファーラン。神官長になりましょう」
「……は?」
「追い落とす証拠なら、あなたの能力でいくらでも収集可能だわ?暗殺を命じたのが神官長なら、あなたがその座につけば同じことは二度と起きなくなる。失伝させられる。……エリスが裏切られて殺される未来がなくなる」

 ファーランは唸るように黙った。

「あなたがこれまで長く沈黙していたのは、あなたの死後にエリスがどうなるのか、不安だったからでしょう」
「今でもそれは変わらない。あの女が死んでもどうせ次が来る。来ないとしても、『巫』は必ず死ぬさだめだ。私の命数もあとわずか。……どうやっても無理だ」
「今まではそうだったのかもしれないけど、これからは違うわ」
「なんだと?」
「さだめられたならば覆せる。不確定なものを確かにすることはできなくても、ね」

 ファーランは歌うような不思議な台詞に眉を寄せた。

「そもそも、さだめたのはお前ではないのか」
「違うわ。いつだってわたしはその時にできることをしてきただけ。失くしたくなかったの。奪われたくなかったの。大切だったの。……今のこの有り様では、ただの言い訳になってしまうけれど」

 ざわり、と凍てつく風が吹いた。娘は夜空と薄い雲に紛れる月を見上げて、儚く微笑んだ。誰を想っているのか、ファーランにはわからない。この娘を全て知ることは不可能だ。相変わらず気配だけは人間離れしているのに、娘の言うことはひどく人間臭かった。個人的な愛情に憎悪に打算に後悔に。全能でなく万能でもない証。
 ……結局はそれが本質なのだろう。懐に収めた娘の形見の重さを今さら思い出した。メリエの追った影が最も正確だったのかもしれない。

「ジュール・リングスは元の失点が失点だもの。エリスがリエンさまへの暴行を反省したならば、責任を一手に引き受けるのはあの人よ。自害は今日か明日。結果は変わらないわ。けれど、そうね。神官長になるかどうかは考える時間が必要かしら。けれど個人的に相談したいことがあれば、いつでも応えるわ」
「……お前が明日の会議に乗り込めば、まとめて片が付くと思うがな」
「横着しないの。わたしが出てくるのは今回が最初で最後よ。次に目覚めたあとの『あたし』は知らない。口裏は合わせてちょうだいね。あ、あと、イオンさんには絶対に内緒ね。お願いよ」
「注文が多いぞ。だいたい、惚れた男を信用していないのか」
「信用しているからこそよ。嫌われるとかいう問題じゃなくて、あの人の一番はわたしじゃないの。そのためにって、わたしを利用する可能性を捨てきれないで、またひどい葛藤をさせて、傷つけてしまうなんてことは嫌なの。それにね、最初で最後なのよ。二度とないの。無駄に困らせることにもなってしまう。それだったら、幻で片付けてもいいでしょ」
「とんだ物騒な幻だな……復讐のためだけに目覚めたのか」
「復讐はむしろついで。『あたし』でもできたことだわ。わたしにしかできないことをするため、というのが本当よ。あなたの軛は他の二人と違って、寿命だけじゃなかったもの」

 寿命だけではない軛とは、エリスのために本神殿に囚われ続けたことを言っているのだろう。知らぬ間にまるごと解き放たれていたらしいが。
 そして、復讐と同じく、寿命だけならば本来のフェルミアーネでも解決可能だったということ。他の二人、とは面識があるエリスとアナスタシアだろう。もしかしたら二人とも、もう自由なのかもしれない。
  だがそれを考えると、ファーランと同じくらいに歪で複雑な檻に飼われている存在が、脳裏をちらついた。みるみると自分の顔色が変わっていくのがわかる。

「アルダにもいる」
「え?」
「ここよりましだと思って黙認してきたが……」

 本神殿に迎え入れられたならば、こう呼ばれただろう、まだ十歳にも満たぬ少女。
 ラーズ・ディライラ・エルレイ。
 読心の「巫」にして、アルダの第二王子のお気に入り。

 そして――今回の戦争の口実がリエンならば、ラーズこそが、戦端を開いた鍵そのものだった。
 
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