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観劇②
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煩わしい沈黙を破るのも面倒だったから、気まずい雰囲気は続行したまま特等席の部屋を退出した。……と、思ったら、目の前に案内の人が再び現れていた。帰るだけだからいらないはずなのに、その人は「少々お時間を頂けませんか」と言ってきた。
「行くぞ」
戸惑って足を止めた脇を王さまがすり抜ける。ヴィーと慌てて後を追った。
階段を下りることなく、むしろ更に上階へ。一階や二階よりも通路は閑散として、寒々しかった。装飾が全くないのだ。「見せる」場所ではないのだろう。一応道は記憶していくが、王さまが全くの無警戒だから、どうにも緊張感に欠ける。とりあえず、万一に備えてヴィーと手を繋ぎ直した。ガルダとティオリアは怪しさ満点の案内に、すでに警戒度を引き上げている。腰の剣に手をかけていないだけで、いつでも抜ける態勢で、私たちの両脇前後にぴたりと張り付いている。
「こちらへどうぞ」
案内の人は、ぴりぴりとした空気にひどく戸惑っているようだった。何も知らないなら、ただの商人一家とその護衛に目をつけられる理由がわからないものな。内実は国王王子王女に、最強の騎士と近衛副隊長なんだけどね。
示した金属製の扉を、本人が開けている。途端に中から元気な声が上がった。
「やあやあやあ!待ってたぜご一行!」
「久しぶりだな」
不覚にも、ソファから立ち上がり、両手を広げて歓待する姿勢の人物を観察することができなかった。応えた王さまの顔にぎょっとしてしまったからだ。思わず二度見した。
氷のように冷たい薄青の瞳が春の清水のように見えるし、いつもは笑うといっても、物静かに微笑むだけの王さまが、歯を見せて快活に笑っている……!
誰だこれ、と驚愕しているうちに、二人は距離を詰める。握手と抱擁に伸ばされた腕を王さまは器用に選んで、がっしりと握手だけ交わす。空振った人物は不満げにしながらもばしばしと背中を叩いた。
「ほとんど十五年ぶりだってのに薄情なやつだなぁ」
「お前だって音沙汰がなかっただろうが」
「おお、おお。知らねぇうちに子どもももう一人こさえてるもんなぁ!おい、兄貴の方は成長したら母親に似たか!よかったな、こいつに似なくて。覚えてるか?お前がまだはいはいしてる頃に会ったことあるんだけどよ」
顔をじっと覗き込まれて少し後ずさった。ひきつった口角のまま、「は、はあ」と曖昧に返す。ヴィーも勢いに負けて私にしがみついていた。
「それで、いつになったら席に座らせてくれるんだ?」
王さまは明るい口調でからかうように尋ねる。ほんとに白昼夢じゃないこれ?それともそっくりさん。誰この人。
「ああ、悪かったな。感激しちまった。座れ座れ。案内ありがとう、下がっていいぞ」
「どうぞごゆるりと」
案内の一人は交流を微笑ましげに見つめたあと一礼して帰っていった。
「――で?茶番は終わりにして、なんだ、あの劇は」
そこまで広いとは言えない部屋の中央に大きめのテーブル、それを囲むように、入口側を除いた三方向にソファと椅子。テーブルには四人分のティーセットとお茶菓子まで用意されている。
王さまはその席の一番上座にすたすたと歩みより、腰を下ろした。その振る舞いは支配者のもの。さっきまでの反動か、いつもの顔が三割増しで冷たく見えた。
「旧交を温めようとしたのはあながち冗談じゃないんだがな」
さっきまで熱烈に歓迎してきた、王さまと同じくらいの歳の男性は、同じように笑顔を消してひょいと肩をすくめた。
「どうぞご子息がたもお座んなさい。護衛殿たちも、見張りはせんでよろしい。うちの傭兵が仕事してるんでね。あんたらほどじゃないが、わりと精鋭ですよ。……ん?どうしました?さっき、ちっさな頃に会ったってやつは出任せじゃありませんよ。――リーナ前王妃の忘れ形見、リエン王女殿下」
ここで警戒を深める人もいるのだろうが、私は肩の力を抜いた。相手が試すような目をしているのもある。
「そうですか。ではお言葉に甘えて」
「リィ?」
「おやおや、ずいぶんと肝が据わっていらっしゃる」
「私の子どもたちで遊ぶな。さっさと座れ、ヴィオレット」
私の、の部分でまた若干の鳥肌が立ったが、我慢だ。軽く微笑んで腰かけると、ガルダとティオリアがソファの背後についた。
男はそのまま紅茶を用意し、座ってから、口を付けた。お菓子にも。
「毒は入ってないっと。これで茶を飲みながら話せるな」
「……いい匂いですね」
「おっ、王子殿下は鼻が利くなぁ。先日フリーセアで開発された花の茶ですよ。味も甘いんで、ぜひ」
ヴィーも彼なりの判断方法で警戒を解いた模様。ガルダとティオリアは、警戒が仕事だから仕方ない。
「……それで、失礼ですがどちら様で?」
王女とばれたからには、初対面だからこそ男装でもそれなりにしなくてはならない。小さく首を傾げると、おお、これは失念していたと大げさな反応が返ってきた。
「私はセルゲイ・ヴォルコフ。日用品から化粧品、貴金属、軍需品に文房具、木綿から絹まで広く取り扱うヴォルコフ商会の会頭です。あ、金貸しも行ってますよ。資金繰りに困ったらどうぞ」
「……はあ。ご丁寧にどうも」
謳うような口調に呆れてしまった。緊張というものを好まない人らしいのはわかった。王さまはとことん呆れてるから、これが平常運転なのだろう。
せっかく勧められたし、いろんな意味で疲労した身に、見るからに甘いお茶菓子を補給せねばならなかった。一口サイズのクリームと蜂蜜のかかったケーキは期待通りだった。
「美味しいです」
「それはよかった。これもうちが手がけてるところでして、新作なんですよ。あなたは甘いものが好物なんですな。母君はそうでもなかったが」
「そうなんですか?初耳です」
「他のアルビオン一族はいいお客さまだったんですが、『頭と歯が溶ける』と、滅多なことじゃ口にしませんでしたよ」
「溶ける……」
「言葉を選ばないところがあの方の魅力でしたよ。しかしそうですか。お気に召したのなら、城にも献上しましょうか。あなたの笑顔は実にいい。まるで水仙が咲いたようだ」
「――リーナどころかリエンまで口説くな。節操なしが」
空気になりかけていた王さまが久しぶりに口を開いた。眉間にしわがよっているのをみると、少し苛ついているらしい。ひやりと温度が下がった気がしたが、セルゲイは全然図太かった。
「口説くなど下世話な言葉を使わないでいただきたい。美は誉めるものでしょう?」
「少しは歳に見合った思考をしろ。そなたの同輩はすでに枯れ果てているというのに」
「あなたが言うのは元老のやかましい爺たちでしょう。あれらもまだ欲には脂ぎった目をしてますよ。ねえ?役立たずの国王陛下」
「……」
「元老たちにも散々言われたそうじゃないですか。あなたが傷心の間国を切り盛りしたのは『青獅子』とその配下。政変のきっかけはあなたの毒殺未遂でも、結局矢面に立ったのは彼であり、あなたは病床から一歩も動けず、処刑に判を押しただけ。あなた自身が何を為したのかと訊かれても答えられない。『青獅子』がひたすらに激怒したそうですけどねぇ。世継ぎも不安だなんだで、新たなお妃候補は決まりました?ご子息たちに負けず釣書が届いているそうじゃないですか。お可哀想な国王陛下」
「……あの、口を挟みますが」
色々驚くべき内容だった。王さまにも縁談があったのか、とか、世間の視点はそんなものだったのか、とか。元老という存在も初めて聞いた。
でも、それらはひとまず置いて。
「それが王さまの仕事じゃないんですか?」
セルゲイはにたにたと浮かべていた笑みを驚きに染め、そのすぐ後に、風が洗ったように爽やかに微笑んだ。王さまをちらりと見て、からかうように鼻で笑う。
「あなたのそれは昔からの悪い癖だな。開き直りが中途半端過ぎる。――ええ、そうですよ王女殿下。そういう形もあります。この国じゃ、国王って言うのは重い玉座に腰かけて、優秀な配下を顎で使って、裁決だけをすれば充分だ。信頼なり利害なりで主従の誓いを立て、実行を任せる代わりに責任を負うのは国王ただ一人。元老の爺たちは責任を負わないから好き放題言っているだけですよ。先王と比べられたりしました?それこそ無意味なのに。あれはどこまでも無責任な『臣下』の言葉で、『統治者』の言葉ではない。これがシュバルツや神聖王国みたいな国王一強だったら、あんな口は叩けるもんじゃないんですがねぇ」
「……わかっている」
「王女殿下に助けられましたねぇ」
「…………」
ちらっと王さまから見られた後、ぽんぽんと座ったまま頭を撫でられた。お礼のつもりらしい。セルゲイは面白そうにくつくつと笑っていた。
「ま、この様子じゃリーナさまの代わりは心配ないですかね。安定してくれりゃ、商売しやすくなるもんで」
「……わざわざそれを確かめるためだけに、ハロルド経由で今日の席を用意したのか。なんだあれは」
「面白かったでしょう?あれ、ヴォルコフ商会が名前を変えてこっそり出資してる劇団でね」
「予想はついていた。ずいぶんと細部まで拘っていたからな」
「政変の通りにはいかないから少々脚色したりはしたんだが……どうも、肝心なところが抜けていたらしいですな」
「――なんのことですか?」
意味ありげな視線を向けられて、薄く笑って小首を傾げると、セルゲイは肩をすくめた。
「さすがにこれは、会わないとわからなかったですなぁ。リーナさまそっくりだ」
「今さら変更するなよ」
「わかってますよ。薄幸のお姫さまだから観客は盛り上がるんで」
「あの、すごかったです、とても。よく再現されてて。フィナーレの演出も綺麗でした」
復活したヴィーがそんなことを言ったので、「吹き出しかけたくせに」とぼそっと呟くと、王さまともども目をそらした。へたれめ。
しかも、劇について、さらなる事実を思い出してますますむくれた。
「……ベリオルが知ったら大爆笑しそう」
よくよく思い返せば、ブルーベルは別名妖精花だ。題名を見た時点で何か気づくべきだった。
「……まあ、世間でどんな風に政変が扱われてるのか知れたからいいですけど」
結構私が探っている中でも、城内外の評価はばらつきがあった。まず、私が表立って玉座の間で反攻したことからして信じられていない。追い落とした手柄は全て「子煩悩な王さま」以下大人たちがかっさらったお陰で、影で奔走したヴィーも私も、その本性が知られることなく、健気だなんだと持て囃されている。
この劇はまだ初演だし、これから他の印象を持った人間も、ここで統一されると見てもいいだろう。
「お役に立てたならよかった。これからも是非ともご懇意に」
「それは、しばらくは我が国にいるということか」
王さまの機嫌も直ったらしい。初めてお茶に口をつけていた。声も棘がなくなった。
「さあそれはどうでしょうね?何せヴォルコフ商会会頭は神出鬼没、風の羽根を持っておりましてね。一日で国を転々とする姿は本物か否か。真の顔を知る者はどこにもおりません」
「……よく回る口だ。息子娘に、孫はどうした」
「死にましたよ、みんな」
セルゲイがあんまりさらっと言ったから、聞き流しかけた。王さまだけが視線を険しくする。
いつの間にか、そこから人のいい笑顔が掻き消え、思わず背筋が伸びるような凄みを発している。低い声で続けて言った。
「ジヴェルナは不安定で危ういってんで避けてたらとんだ災難だ。お前だけのせいじゃないが、お前のせいでもある。肝に銘じろ、国王陛下」
「……わかっている」
「王子殿下もですよ。政変で株を落とさなかった才覚は認めますが、甘えてちゃ、お父上のようになっちまいます。いち庶民が差し出がましいですが、継承権を放棄したくないなら是非とも頑張ってくださいね」
なんなら引きずり落とすぞ、という脅し文句が聞こえたのは私だけではあるまい。ヴィーはのほほんとした表情をきりっと引き締めて「はい」と頷き、背後のティオリアは剣の柄に手をかけていた。それは危ないからやめて。
「行くぞ」
戸惑って足を止めた脇を王さまがすり抜ける。ヴィーと慌てて後を追った。
階段を下りることなく、むしろ更に上階へ。一階や二階よりも通路は閑散として、寒々しかった。装飾が全くないのだ。「見せる」場所ではないのだろう。一応道は記憶していくが、王さまが全くの無警戒だから、どうにも緊張感に欠ける。とりあえず、万一に備えてヴィーと手を繋ぎ直した。ガルダとティオリアは怪しさ満点の案内に、すでに警戒度を引き上げている。腰の剣に手をかけていないだけで、いつでも抜ける態勢で、私たちの両脇前後にぴたりと張り付いている。
「こちらへどうぞ」
案内の人は、ぴりぴりとした空気にひどく戸惑っているようだった。何も知らないなら、ただの商人一家とその護衛に目をつけられる理由がわからないものな。内実は国王王子王女に、最強の騎士と近衛副隊長なんだけどね。
示した金属製の扉を、本人が開けている。途端に中から元気な声が上がった。
「やあやあやあ!待ってたぜご一行!」
「久しぶりだな」
不覚にも、ソファから立ち上がり、両手を広げて歓待する姿勢の人物を観察することができなかった。応えた王さまの顔にぎょっとしてしまったからだ。思わず二度見した。
氷のように冷たい薄青の瞳が春の清水のように見えるし、いつもは笑うといっても、物静かに微笑むだけの王さまが、歯を見せて快活に笑っている……!
誰だこれ、と驚愕しているうちに、二人は距離を詰める。握手と抱擁に伸ばされた腕を王さまは器用に選んで、がっしりと握手だけ交わす。空振った人物は不満げにしながらもばしばしと背中を叩いた。
「ほとんど十五年ぶりだってのに薄情なやつだなぁ」
「お前だって音沙汰がなかっただろうが」
「おお、おお。知らねぇうちに子どもももう一人こさえてるもんなぁ!おい、兄貴の方は成長したら母親に似たか!よかったな、こいつに似なくて。覚えてるか?お前がまだはいはいしてる頃に会ったことあるんだけどよ」
顔をじっと覗き込まれて少し後ずさった。ひきつった口角のまま、「は、はあ」と曖昧に返す。ヴィーも勢いに負けて私にしがみついていた。
「それで、いつになったら席に座らせてくれるんだ?」
王さまは明るい口調でからかうように尋ねる。ほんとに白昼夢じゃないこれ?それともそっくりさん。誰この人。
「ああ、悪かったな。感激しちまった。座れ座れ。案内ありがとう、下がっていいぞ」
「どうぞごゆるりと」
案内の一人は交流を微笑ましげに見つめたあと一礼して帰っていった。
「――で?茶番は終わりにして、なんだ、あの劇は」
そこまで広いとは言えない部屋の中央に大きめのテーブル、それを囲むように、入口側を除いた三方向にソファと椅子。テーブルには四人分のティーセットとお茶菓子まで用意されている。
王さまはその席の一番上座にすたすたと歩みより、腰を下ろした。その振る舞いは支配者のもの。さっきまでの反動か、いつもの顔が三割増しで冷たく見えた。
「旧交を温めようとしたのはあながち冗談じゃないんだがな」
さっきまで熱烈に歓迎してきた、王さまと同じくらいの歳の男性は、同じように笑顔を消してひょいと肩をすくめた。
「どうぞご子息がたもお座んなさい。護衛殿たちも、見張りはせんでよろしい。うちの傭兵が仕事してるんでね。あんたらほどじゃないが、わりと精鋭ですよ。……ん?どうしました?さっき、ちっさな頃に会ったってやつは出任せじゃありませんよ。――リーナ前王妃の忘れ形見、リエン王女殿下」
ここで警戒を深める人もいるのだろうが、私は肩の力を抜いた。相手が試すような目をしているのもある。
「そうですか。ではお言葉に甘えて」
「リィ?」
「おやおや、ずいぶんと肝が据わっていらっしゃる」
「私の子どもたちで遊ぶな。さっさと座れ、ヴィオレット」
私の、の部分でまた若干の鳥肌が立ったが、我慢だ。軽く微笑んで腰かけると、ガルダとティオリアがソファの背後についた。
男はそのまま紅茶を用意し、座ってから、口を付けた。お菓子にも。
「毒は入ってないっと。これで茶を飲みながら話せるな」
「……いい匂いですね」
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ヴィーも彼なりの判断方法で警戒を解いた模様。ガルダとティオリアは、警戒が仕事だから仕方ない。
「……それで、失礼ですがどちら様で?」
王女とばれたからには、初対面だからこそ男装でもそれなりにしなくてはならない。小さく首を傾げると、おお、これは失念していたと大げさな反応が返ってきた。
「私はセルゲイ・ヴォルコフ。日用品から化粧品、貴金属、軍需品に文房具、木綿から絹まで広く取り扱うヴォルコフ商会の会頭です。あ、金貸しも行ってますよ。資金繰りに困ったらどうぞ」
「……はあ。ご丁寧にどうも」
謳うような口調に呆れてしまった。緊張というものを好まない人らしいのはわかった。王さまはとことん呆れてるから、これが平常運転なのだろう。
せっかく勧められたし、いろんな意味で疲労した身に、見るからに甘いお茶菓子を補給せねばならなかった。一口サイズのクリームと蜂蜜のかかったケーキは期待通りだった。
「美味しいです」
「それはよかった。これもうちが手がけてるところでして、新作なんですよ。あなたは甘いものが好物なんですな。母君はそうでもなかったが」
「そうなんですか?初耳です」
「他のアルビオン一族はいいお客さまだったんですが、『頭と歯が溶ける』と、滅多なことじゃ口にしませんでしたよ」
「溶ける……」
「言葉を選ばないところがあの方の魅力でしたよ。しかしそうですか。お気に召したのなら、城にも献上しましょうか。あなたの笑顔は実にいい。まるで水仙が咲いたようだ」
「――リーナどころかリエンまで口説くな。節操なしが」
空気になりかけていた王さまが久しぶりに口を開いた。眉間にしわがよっているのをみると、少し苛ついているらしい。ひやりと温度が下がった気がしたが、セルゲイは全然図太かった。
「口説くなど下世話な言葉を使わないでいただきたい。美は誉めるものでしょう?」
「少しは歳に見合った思考をしろ。そなたの同輩はすでに枯れ果てているというのに」
「あなたが言うのは元老のやかましい爺たちでしょう。あれらもまだ欲には脂ぎった目をしてますよ。ねえ?役立たずの国王陛下」
「……」
「元老たちにも散々言われたそうじゃないですか。あなたが傷心の間国を切り盛りしたのは『青獅子』とその配下。政変のきっかけはあなたの毒殺未遂でも、結局矢面に立ったのは彼であり、あなたは病床から一歩も動けず、処刑に判を押しただけ。あなた自身が何を為したのかと訊かれても答えられない。『青獅子』がひたすらに激怒したそうですけどねぇ。世継ぎも不安だなんだで、新たなお妃候補は決まりました?ご子息たちに負けず釣書が届いているそうじゃないですか。お可哀想な国王陛下」
「……あの、口を挟みますが」
色々驚くべき内容だった。王さまにも縁談があったのか、とか、世間の視点はそんなものだったのか、とか。元老という存在も初めて聞いた。
でも、それらはひとまず置いて。
「それが王さまの仕事じゃないんですか?」
セルゲイはにたにたと浮かべていた笑みを驚きに染め、そのすぐ後に、風が洗ったように爽やかに微笑んだ。王さまをちらりと見て、からかうように鼻で笑う。
「あなたのそれは昔からの悪い癖だな。開き直りが中途半端過ぎる。――ええ、そうですよ王女殿下。そういう形もあります。この国じゃ、国王って言うのは重い玉座に腰かけて、優秀な配下を顎で使って、裁決だけをすれば充分だ。信頼なり利害なりで主従の誓いを立て、実行を任せる代わりに責任を負うのは国王ただ一人。元老の爺たちは責任を負わないから好き放題言っているだけですよ。先王と比べられたりしました?それこそ無意味なのに。あれはどこまでも無責任な『臣下』の言葉で、『統治者』の言葉ではない。これがシュバルツや神聖王国みたいな国王一強だったら、あんな口は叩けるもんじゃないんですがねぇ」
「……わかっている」
「王女殿下に助けられましたねぇ」
「…………」
ちらっと王さまから見られた後、ぽんぽんと座ったまま頭を撫でられた。お礼のつもりらしい。セルゲイは面白そうにくつくつと笑っていた。
「ま、この様子じゃリーナさまの代わりは心配ないですかね。安定してくれりゃ、商売しやすくなるもんで」
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「面白かったでしょう?あれ、ヴォルコフ商会が名前を変えてこっそり出資してる劇団でね」
「予想はついていた。ずいぶんと細部まで拘っていたからな」
「政変の通りにはいかないから少々脚色したりはしたんだが……どうも、肝心なところが抜けていたらしいですな」
「――なんのことですか?」
意味ありげな視線を向けられて、薄く笑って小首を傾げると、セルゲイは肩をすくめた。
「さすがにこれは、会わないとわからなかったですなぁ。リーナさまそっくりだ」
「今さら変更するなよ」
「わかってますよ。薄幸のお姫さまだから観客は盛り上がるんで」
「あの、すごかったです、とても。よく再現されてて。フィナーレの演出も綺麗でした」
復活したヴィーがそんなことを言ったので、「吹き出しかけたくせに」とぼそっと呟くと、王さまともども目をそらした。へたれめ。
しかも、劇について、さらなる事実を思い出してますますむくれた。
「……ベリオルが知ったら大爆笑しそう」
よくよく思い返せば、ブルーベルは別名妖精花だ。題名を見た時点で何か気づくべきだった。
「……まあ、世間でどんな風に政変が扱われてるのか知れたからいいですけど」
結構私が探っている中でも、城内外の評価はばらつきがあった。まず、私が表立って玉座の間で反攻したことからして信じられていない。追い落とした手柄は全て「子煩悩な王さま」以下大人たちがかっさらったお陰で、影で奔走したヴィーも私も、その本性が知られることなく、健気だなんだと持て囃されている。
この劇はまだ初演だし、これから他の印象を持った人間も、ここで統一されると見てもいいだろう。
「お役に立てたならよかった。これからも是非ともご懇意に」
「それは、しばらくは我が国にいるということか」
王さまの機嫌も直ったらしい。初めてお茶に口をつけていた。声も棘がなくなった。
「さあそれはどうでしょうね?何せヴォルコフ商会会頭は神出鬼没、風の羽根を持っておりましてね。一日で国を転々とする姿は本物か否か。真の顔を知る者はどこにもおりません」
「……よく回る口だ。息子娘に、孫はどうした」
「死にましたよ、みんな」
セルゲイがあんまりさらっと言ったから、聞き流しかけた。王さまだけが視線を険しくする。
いつの間にか、そこから人のいい笑顔が掻き消え、思わず背筋が伸びるような凄みを発している。低い声で続けて言った。
「ジヴェルナは不安定で危ういってんで避けてたらとんだ災難だ。お前だけのせいじゃないが、お前のせいでもある。肝に銘じろ、国王陛下」
「……わかっている」
「王子殿下もですよ。政変で株を落とさなかった才覚は認めますが、甘えてちゃ、お父上のようになっちまいます。いち庶民が差し出がましいですが、継承権を放棄したくないなら是非とも頑張ってくださいね」
なんなら引きずり落とすぞ、という脅し文句が聞こえたのは私だけではあるまい。ヴィーはのほほんとした表情をきりっと引き締めて「はい」と頷き、背後のティオリアは剣の柄に手をかけていた。それは危ないからやめて。
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