孤独な王女

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第二部プロローグ

花の残り香

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 あとちょっとだった。そんなことが、あいつに関してはとても多かった。

 かつてあの人を失ってしまった時もそう。あいつはあの時から世界に本気で絶望し、自分に絶望し、未来を呪っていた。
 最近、ガキと一緒に追われるあの女を助けた時だって、間に合ったとは思わなかった。どうしてそう思える?「滅んでしまえばいい」なんて、全部を憎んでいたのに。

 シェルターだってそうだ。本当なら、今日のうちに説明して、危険になりつつあったこの界隈から脱出させようというつもりだった。なのに、よりにもよって、地震で。
 そしてあの女はいつも通り自分を見捨ててガキどもを先に逃がし、逃げ遅れたガキの背中を突き飛ばして、自分は瓦礫に埋もれたのだった。


 ……とある、寒い日の出来事だった。














☆☆☆










 瓦礫の山を前にして、立ち尽くすことしかできなかった。
 さっきまで必死に伸ばしていた手はだらりと力なく体の横に落ち、踏み出していた足は、膝から崩れ落ちる。
 ぼろぼろのコートの裾が大きく広がり、土埃がよりいっそう高く舞っていった。

「……ちくしょう……!!」

 ――間に合わなかった。

 たったそれだけの事実が目の前に転がっていて、しかし受け止めきれるものではなかった。
 血を吐くように呻きながら、ぎりぎりと手の下に転がっていた大きな石を握りしめる。血が出てしまいそうに痛いが、むしろその方がよかった。その痛みこそ、発狂するのをぎりぎりで食い止めていたからだ。
 今、理性の切れ端を手放せば何をどうするのか。自分でも予測できなかった。自殺でもするか、破壊衝動でも突き動かして死ぬまで全てを壊そうとするか。実際、もはやこの世界における執着のほとんどは目の前で潰えたのだから、そうするのは簡単なことであった。
 ……ほとんど、というだけで、ほんのちょっとはまだ残っているのだが。

「……兄ちゃん。あの」

 背後から聞き慣れた声をかけられ、一度瞑目した。壊れる理性をなんとか繋ぎ合わせ、ゆっくりと振り返る。足場の悪い地面をよろけつつこちらに歩み寄ってくる少年を見て、時間をかけて立ち上がった。
 最後の一歩で安心したのか、少年が大きく体勢を崩したのを、手を出して支えてやって、胸に受け止めた。

「……ありがとう」

 薄汚れて黒い肌に、大きな瞳が潤んでいるのがずいぶんと目立った。まだ十五にも満たないだろう痩せっぽっちの少年は、それでも涙をこぼさず、じっと瓦礫を見つめていた。
 ……おれの残った理性の切れ端。鹿の遺産たち。




 また一度、瓦礫の山を振り返った。ついさっきまでは逃げ場所シェルターとして機能していた場所。あの人の跡を継いで「守り手」となったあの女が守り続けた安住の地は、たった一度の地震で脆くも崩れ去った。あの女を道連れに。

 知っていた。この少年が、あの女が「守り手」となって実際に救って育てていた子どもの第一号で、他にあとからあとから節操なく助けていた子どもたちの、一番の兄貴分であることを。
 あの女のように守るべきものを抱える存在であることを。

 だから顔見知りだったし、それ以上にあの女の態度に苛立ちを共有していた。そして、その少年が今何を考えているのかも……考えざるを得ないのかも、理解していた。

 瓦礫の中から求めた人物が現れないか、いつものように謎に自信満々の笑みで蘇ってはこないだろうかと、淡く儚い希望を抱いてずっとそこを見つめ続ける少年の頭を、隠すように胸に押し付けた。

 逃げ遅れた自分を救うために大切な人が犠牲になった事実。それがどれだけこの少年を打ちのめしているのか、身をもって知っていた。
 必死に泣くのを我慢していたから、タオル代わりにでもなればいいと思った。

 これからこの少年と他のガキどもは、立ち止まるわけにはいかない。進まなくてはならない。このろくでもない世界では、みんなそう。それこそがこの世界における唯一の「正解」だから。
 でも、わずかでも悼む時間は必要だった。あの女のためにも。もうしてやれることが、これくらいしかないから。

「……三十分後に、ガキどもをここに集めろ。前から見つけてたシェルターがあるんだ、そっちに向かうぞ」

 嗚咽に震える胸としっとりした服の感覚を記憶に刻みつつ、その空っぽの手に、この世界では珍しいものとなった機械仕掛けの時計を押し付けた。少年は驚いたように涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を見上げてきたが、見なかった振りをして、そうして、濁って濁って、果てがあるようでない灰色の空を見上げた。
 一片の切れ間もないその無駄な完璧さに苛つく。なんなら、そのまま世界を押し潰してしまえばいいものを。
 見上げた格好でまた目を閉じた。訣別をしなくてはならない。遺されたおれたちは、生きなくてはならない。それが、この最低な世界での唯一正しい掟なのだ。

(……ひと雨、きそうだな)
 ……いや。むしろ、本当に降ってほしかった。泣く資格のないおれの代わりに。
 最期まで間に合わなかった、おれの代わりに。















 曇天から降り注ぐ無数の水滴が、瓦礫の山とその前に佇む二人の人影をうっすらと霞ませた。
 ……明日には空はからっと晴れて、何でもなく太陽が世界を照らすのだろう。

 あいつのいなくなった、この世界を。  













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