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クルガ編
にじう
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外のざわめきがやっと頭の中にまで入ってきた。働く人々の掛け合う声、廊下や土を踏む足音、風が木の葉を揺らす音……。一番すぐ近くにウミの呼吸音がするのは相変わらずだが。
「……お前さあ」
ただの一言で籠の扉を蹴っ飛ばしておきながら、ウミの呼吸は全然乱れていない。警戒も緊張も、一切していないということ。
だったら、いやに都合よく(誰にとってかは言わないが!)黙り込んでいたのは何だったのか。ぐりぐりと首にうずめるように額を押し付けると、戸惑った声が耳をくすぐった。
「あの、この態勢は辛くないですか」
「お前さあ!」
ウミの肩と手がびくっとしたので、しまったと思った。起き上がって、ずり落ちていた手でウミの頬を撫でた。
「悪い。今のはお前に怒ったんじゃない。お前とは言ったがそういうもんではなく、ただ色々あったというか、えーと、そうだ、疲れてやけっぱちになってたんだ」
「……やけっぱちですか」
「追及するな。人間疲れ過ぎたら理屈なんて言ってられなくなる」
「それもそうですね。ではいくらでもどうぞ」
「……」
三度目の「お前さあ」は意地でも飲み込んだ。その代わりに、またウミの肩に頭を預けた。……おれの手で遊ぶの再開しやがったこいつ。
「でもやっぱり、腰とか辛くなりませんか」
「お前が小さいからな。歳の割に。お前、ミルカに歳上だって言ってないだろ。一回り近い歳の差なのによ、お前、ほとんど歳下みたいに思われてるぞ」
「……ミルカさまはおいくつで?」
「おれの五つ下」
「八歳差……」
途方に暮れた顔が目に浮かぶような声だった。やっと笑う気力が出てきて、ついでに腰より先に首が悲鳴を上げ始めたので、のしっと頭でウミの肩を押した。片手は腰に回し、遊ばれる手で両手をしっかり掴み、布団にゆっくり倒していく。額をウミの隣に付けて力を抜いた。
「クルガさま、重いです」
「そうか」
子作りは嫌だとか言ってたくせに、男に組み敷かれてる現状に気づいてないのは何なのか。小一時間くらい問い詰めたくなったが我慢した。それで籠から逃げ出されたら困る。
「……やっと歳下だと思えるようになってきました」
ウミがなにか呟いた。うまく聞き取れず、聞き返そうとしたら、握っていた手が引き抜かれた。
「……なんで撫でる」
「歳上ですから。とは言っても、私は引きこもりですし、その前に居候ですし、大したことはできません。ですけど、クルガさまがお疲れなら、膝を貸したりするくらいはできます」
「……それは」
「いわば姉の立場にあると心得ています」
大したことができないと言ったわりに、偉そうな一言であった。
「……じゃあ、撫でてるのはなんだ」
「撫でるのも年長っぽいと思いました」
「ああそうかい」
「疲れは取れそうですか」
「取れてる取れてる」
「もしかして、夜も撫でたらお眠りになりますか?」
「一人の深夜徘徊は止めとけ」
「ですが、私に付き合ってくれていたんでしょう。日中もお忙しい様子なのに」
「息抜きだからいいんだよ」
ごろんとウミの横に転がって、天井を見た。やけっぱち上等だ。態勢を変えても、撫でる場所を変えて頭に触れてくる手を掴んで目元に当てた。この間の膝枕のときもやったのでウミは素直に手を貸してくれた。それどころか「枕はいりますか」とのことなので、素直に差し出された膝に乗り上げた。
(おれが同じ布団にいること、気づいてもないんだろうな)
瞼に当てた手からじわりと熱が伝ってくるのが心地よく、文句を言う気も失せた。
「……ここは、いい氏族ですね」
「引きこもりがなに言ってる」
「クルガさまと、ミルカさまと……占い師さましか知りませんけど、でも、そう思います。自分たちだけならまだしも、ぽっと出の私にもよくしてくださる」
「ぽっと出もなにも、お前はおれの嫁だ」
アルザを呼ぶまでの間が気になったが、そこには突っ込まなかった。名目だけですけどね、とウミが訂正してくる。
「ミルカさまも占い師さまも、あなたが好きだから、あなたが私に配慮してくださるように、私を扱ってくれます。きっと他の人たちもそうなんでしょう。……私は出ていきますが、あなたがそれについていく必要はないんです」
「……お前一人追い出したら、今度こそミルカに刺されそうだ」
ウミのもう片方の手が、おれの頬をぺちんと叩いた。全然痛くないが、少しだけ驚いた。
「あなたが出ていくと、みんなが怒ります。私が恨まれます。勘弁してください」
それでもウミは出ていく。諦念をこっそりたくし込みながら、安住を捨てても、それでも。
たった一人の旅路の先になにを求めているのか、想像ならついている。
「あなたの労苦を私はほとんど知りません。肩代わりなんて到底無理です。ですけど、あなたが疲れてるなら、こうして安らぐ手伝いならできます」
「姉ってそういう……」
「族長でなくなれば、止むのでしょう?」
背負った重荷はおれの誇りだ。だが、それだけではないのだろうと、ウミは両手でおれの頬を挟んで、顔を覗き込んでくる。おれも下から顔を見上げながら、足りないなと思った。
「あなたの言った通り、ミルカさまが立たれるまで、旅立つのは待ちます。ですから、クルガさまもそれで満足してください」
――それじゃあ全然足りない。
「姉さん女房も、悪くないと思うんだがな」
手のひらを拾って唇に当てる。これくらいは許されるはずだと見上げると、ウミはきゅっと口を引き絞っていた。あとなんか赤い気がする。影になってはっきりはわからないが。
「お前、変な顔になってるぞ」
「クルガさまのせいですけど……っ」
絞り出したような声に、思わず笑った。ここまで動揺させられたら勝ちでいいだろう。鈍いわけじゃなく、躱していただけらしい。
「……っ、クルガさま、離してください。もうどいてください。休憩終わりです」
「休む手伝いをしてくれるんだろ?もぞもぞされると寝にくい」
「じゃあ布団を貸してあげますから」
「枕がない」
真顔で言うとまたぺちんとやられた。相変わらず痛くない。堪えようもなく笑えて仕方がなかった。
「猶予はもらえたようだし、それまでに真剣に口説いてみるか」
「つ、連れていきませんよ!」
「そいつはどうかな」
「絶対です!」
「そうかい、頑張ってくれ」
おれとは別に、今のところ伏兵としてミルカが備えているが、ウミが気づくのはいつ頃になるのやら。
「……お前さあ」
ただの一言で籠の扉を蹴っ飛ばしておきながら、ウミの呼吸は全然乱れていない。警戒も緊張も、一切していないということ。
だったら、いやに都合よく(誰にとってかは言わないが!)黙り込んでいたのは何だったのか。ぐりぐりと首にうずめるように額を押し付けると、戸惑った声が耳をくすぐった。
「あの、この態勢は辛くないですか」
「お前さあ!」
ウミの肩と手がびくっとしたので、しまったと思った。起き上がって、ずり落ちていた手でウミの頬を撫でた。
「悪い。今のはお前に怒ったんじゃない。お前とは言ったがそういうもんではなく、ただ色々あったというか、えーと、そうだ、疲れてやけっぱちになってたんだ」
「……やけっぱちですか」
「追及するな。人間疲れ過ぎたら理屈なんて言ってられなくなる」
「それもそうですね。ではいくらでもどうぞ」
「……」
三度目の「お前さあ」は意地でも飲み込んだ。その代わりに、またウミの肩に頭を預けた。……おれの手で遊ぶの再開しやがったこいつ。
「でもやっぱり、腰とか辛くなりませんか」
「お前が小さいからな。歳の割に。お前、ミルカに歳上だって言ってないだろ。一回り近い歳の差なのによ、お前、ほとんど歳下みたいに思われてるぞ」
「……ミルカさまはおいくつで?」
「おれの五つ下」
「八歳差……」
途方に暮れた顔が目に浮かぶような声だった。やっと笑う気力が出てきて、ついでに腰より先に首が悲鳴を上げ始めたので、のしっと頭でウミの肩を押した。片手は腰に回し、遊ばれる手で両手をしっかり掴み、布団にゆっくり倒していく。額をウミの隣に付けて力を抜いた。
「クルガさま、重いです」
「そうか」
子作りは嫌だとか言ってたくせに、男に組み敷かれてる現状に気づいてないのは何なのか。小一時間くらい問い詰めたくなったが我慢した。それで籠から逃げ出されたら困る。
「……やっと歳下だと思えるようになってきました」
ウミがなにか呟いた。うまく聞き取れず、聞き返そうとしたら、握っていた手が引き抜かれた。
「……なんで撫でる」
「歳上ですから。とは言っても、私は引きこもりですし、その前に居候ですし、大したことはできません。ですけど、クルガさまがお疲れなら、膝を貸したりするくらいはできます」
「……それは」
「いわば姉の立場にあると心得ています」
大したことができないと言ったわりに、偉そうな一言であった。
「……じゃあ、撫でてるのはなんだ」
「撫でるのも年長っぽいと思いました」
「ああそうかい」
「疲れは取れそうですか」
「取れてる取れてる」
「もしかして、夜も撫でたらお眠りになりますか?」
「一人の深夜徘徊は止めとけ」
「ですが、私に付き合ってくれていたんでしょう。日中もお忙しい様子なのに」
「息抜きだからいいんだよ」
ごろんとウミの横に転がって、天井を見た。やけっぱち上等だ。態勢を変えても、撫でる場所を変えて頭に触れてくる手を掴んで目元に当てた。この間の膝枕のときもやったのでウミは素直に手を貸してくれた。それどころか「枕はいりますか」とのことなので、素直に差し出された膝に乗り上げた。
(おれが同じ布団にいること、気づいてもないんだろうな)
瞼に当てた手からじわりと熱が伝ってくるのが心地よく、文句を言う気も失せた。
「……ここは、いい氏族ですね」
「引きこもりがなに言ってる」
「クルガさまと、ミルカさまと……占い師さましか知りませんけど、でも、そう思います。自分たちだけならまだしも、ぽっと出の私にもよくしてくださる」
「ぽっと出もなにも、お前はおれの嫁だ」
アルザを呼ぶまでの間が気になったが、そこには突っ込まなかった。名目だけですけどね、とウミが訂正してくる。
「ミルカさまも占い師さまも、あなたが好きだから、あなたが私に配慮してくださるように、私を扱ってくれます。きっと他の人たちもそうなんでしょう。……私は出ていきますが、あなたがそれについていく必要はないんです」
「……お前一人追い出したら、今度こそミルカに刺されそうだ」
ウミのもう片方の手が、おれの頬をぺちんと叩いた。全然痛くないが、少しだけ驚いた。
「あなたが出ていくと、みんなが怒ります。私が恨まれます。勘弁してください」
それでもウミは出ていく。諦念をこっそりたくし込みながら、安住を捨てても、それでも。
たった一人の旅路の先になにを求めているのか、想像ならついている。
「あなたの労苦を私はほとんど知りません。肩代わりなんて到底無理です。ですけど、あなたが疲れてるなら、こうして安らぐ手伝いならできます」
「姉ってそういう……」
「族長でなくなれば、止むのでしょう?」
背負った重荷はおれの誇りだ。だが、それだけではないのだろうと、ウミは両手でおれの頬を挟んで、顔を覗き込んでくる。おれも下から顔を見上げながら、足りないなと思った。
「あなたの言った通り、ミルカさまが立たれるまで、旅立つのは待ちます。ですから、クルガさまもそれで満足してください」
――それじゃあ全然足りない。
「姉さん女房も、悪くないと思うんだがな」
手のひらを拾って唇に当てる。これくらいは許されるはずだと見上げると、ウミはきゅっと口を引き絞っていた。あとなんか赤い気がする。影になってはっきりはわからないが。
「お前、変な顔になってるぞ」
「クルガさまのせいですけど……っ」
絞り出したような声に、思わず笑った。ここまで動揺させられたら勝ちでいいだろう。鈍いわけじゃなく、躱していただけらしい。
「……っ、クルガさま、離してください。もうどいてください。休憩終わりです」
「休む手伝いをしてくれるんだろ?もぞもぞされると寝にくい」
「じゃあ布団を貸してあげますから」
「枕がない」
真顔で言うとまたぺちんとやられた。相変わらず痛くない。堪えようもなく笑えて仕方がなかった。
「猶予はもらえたようだし、それまでに真剣に口説いてみるか」
「つ、連れていきませんよ!」
「そいつはどうかな」
「絶対です!」
「そうかい、頑張ってくれ」
おれとは別に、今のところ伏兵としてミルカが備えているが、ウミが気づくのはいつ頃になるのやら。
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