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手当

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 カルロスの気絶は短時間だったらしい。目を開けた瞬間、灰色の修道服が視界に飛び込んできた。

「おや、起きましたか。私はアルハイド騎士団所属修道士のムトと申します。現在手当していますので、もうしばらく失礼させて頂きますよ。お傷が多くいらっしゃいますのでね」

 カルロスは簡潔に挨拶した初老の男に目礼だけ返した。瞬間、ぺとりと頬に当てられた布巾に顔をしかめる。擦り傷に滲みたのだ。医法は修道士の修養項目の一つだ。さらに騎士団所属となれば経験豊かなのだろう。レオンの従者として見覚えのある男を助手にして、てきぱきと手際よく傷を洗われ薬を塗られ包帯を巻かれた。寝ている間に自室の寝台に運ばれ、衣服を脱がされていたらしく、下履き一丁の体のあちこちに包帯が巻かれた情けない姿を晒すことになった。
 終わってから水を差し出されたので飲んで、上着を着た。左肩を固定するように厳重に巻かれた包帯のせいで動きがもたつく。

「頑丈なお体ですな。骨に異常はございません。その肩も打撲痕で済んでおります。大きく腫れていますが、数日で引くでしょう」
「頑丈だったら気絶しないだろう」

 皮肉げに言い返すと、ムトは真顔で首を横に振った。

「いいえ、うちの団長を相手にしてこれだけで済んだのですから、あなたはましな方ですよ。酷いものは骨折や脱臼もありますし、丸一昼夜寝込んだものもおります」
「……そりゃまた。どれだけ怒らせたらそうなる?」

 慰めというにはものすごく微妙な応援に表情を引きつらせると、ムトは今度は綻ぶように目元を緩ませた。

「そうおっしゃることができるのも珍しい」
「それは褒めてるのか?貶してるのか?」
「どちらでもありませんが、感服はしております。団長があなたを婿に望んだお目に狂いはなかったのでしょう」
「……意味がわからないんだが」
「こちらの話ですが、そうですな。私が今から申すよりも、後からお聞きになった方がよろしいでしょう。さて、夜前にまた具合を伺いに参りますので、それまで安静になさってください。間違っても団長をまた怒らせないように」

 アルハイド騎士団の団員はまさかみんなこんな風なのだろうかと、カルロスはそこはかとない不安を覚えながら、退室していく修道士の背中を見送った。

「旦那さま。このあとお館さまがお会いしたいとのことです。旦那さまのご気分が優れなければまた時間を改めますが、どうなさいますか」
「あの忠告の直後にかよ」

 お館さまはレオン、旦那さまとはカルロスのことである。この従者はカルロスがこの家に滞在初日からわかりやすく警戒をしていたはずだが、気づけば打ち解け、なぜか婚前からカルロスを旦那さま呼びしている。それがどう浸透したのか、従者だけでなくカルロスが会う使用人はだいたいそう呼んでいる。
 手当ての仕事は終わっただろうに、この従者が残ったのはなぜかと思っていたら。
 従者のエルヴィンは苦笑を噛み殺している。

「お館さまはもうお怒りではいらっしゃいませんから、そんなに心配することはないかと」

 口ぶりからして、カルロスをここまで痛めつけた謝罪とかいう名目もないらしい。そうだよなあとなんとなく悟りが開けそうな気持ちでたそがれた。頑固で、強引で、手段を選ばず、臨機応変にも限度があると申し立てたくなるほど思い切りがよい。折りかけた足の骨をまた折りにくるかもしれないと、ちらっと思ったが、返答を待つエルヴィンには「今からで大丈夫だ」と告げた。

「婚約者の怒り様にいつまでも怖がっちゃいられないからな」

 冗談めかして言うと、エルヴィンは目を見開き、ムトと同じようにじんわりと笑みを湛えた。
 すぐに真顔に戻り、深く礼をする。突然改まっての流麗な所作にカルロスが驚いているうちに、エルヴィンもまた退室していった。











 レオンの動作はいつも颯爽としている。貴婦人方のように長いドレスの裾が床を滑るような滑らかさはないが、男装の足を実に軽やかに運ぶ。靴の音が小気味いいくらいだ。歩速はそれなりにあるのだが、見ているとゆっくりした足取りに見えるから不思議だ。
 カルロスは寝室から出て、居間のテーブルの前に腰かけてレオンの訪いを、その靴音がやって来るのを待っていた。
 ここまで動くのも一苦労だった。これ以上の喧嘩などやりたくてもできないだろう。一瞬でカルロスが負ける。

「なんだ?」

 やがて騒々しい気配が廊下につながる扉の奥から伝わってきて、カルロスはソファに預けていた身を起こした。荒々しいいくつもの足音に大きな高い声。
 嫌な予感がした。本人的には機敏な動作で寝室まで逃げ帰ろうとしたつもりだが、実際はひどくもたついてしまい、扉が叩かれたときには引け腰になっていた。

「……どうぞ」

 諦めて座り直したが、まだ揉めている声がする。レオンの声が諭し、もう一人が声を荒げているような。気絶する直前に聞いた声と同じだ。

 (……メルフィナって言っていたか。メルフィナ……レオンと同年代だと、メルフィナ・ルティエ……か……?)

 脂汗が背筋を流れた。ルティエ家は公爵位を冠する一家門で、王国内の貴族の序列的にはほぼ一位に君臨している。なんといっても、当代国王の妹が嫁いだ家である。メルフィナはその娘であり、つまり、王姪ということになる。……気のせいだと思いたい。もしくは聞き間違いとか。
 アルハイド家の性質からして王家と親しいのはわかるが、第三王子の書状を握りつぶすとか、公女を呼び捨てにしたりとか、ろくに敬っていないのは、レオンがそれを特に許されているからだ。それがなおさら怖い。レオンの交友関係は一体どうなっているのだ。

「すまない、遅くなった」

 どうあしらったのか、レオン一人がひょこりと居間に足を踏み入れた。髪から服装までこざっぱりしている。カルロスの前まですたすた歩み寄って、まじまじと見下ろしてきたので、カルロスは頬の湿布を撫でた。

「あんたのお気に入りの顔に傷がついたな」
「傷をつけた私が言うのもなんだが、男ぶりが上がったな」
「そりゃどうも。あんたの怪我は?」
「君ほどではないな。見ての通り」

 レオンの手がカルロスの両頬を挟んで上向かせた。カルロスは瞬いた。なんとなく、瞳にこもる覇気にも似た力が弱い気がする。

「なぜ手加減をした?あれほど怒っていたくせに」
「手加減なんてする余裕があるわけないだろ。人が全力でやってたってのに、とことん面子潰してきやがるな」
「的を絞っただろう。それこそ顔も胴体も避けていた。加えて、最後に君が転がったとき。私をあのまま巻き込んでいれば、あとは押さえつけて終わりだ」
「あいにく、肩から痺れてろくに拘束なんてできやしなかったろうよ」
「それも君が私を突き飛ばしたからだ」

 一歩も引かないレオンの手を振り払って、カルロスは諦めて白状した。肩を竦めようとしたのは、痛いのと包帯のせいで動きが阻害されて失敗した。

「あんたは女で、しかも子どもを望んでる。万が一孕んでいるかもわかりやしない。そんな体を打ち据えられるわけがあるか」
「女に負けたと言われるのに?」

 追ってきた指が湿布をなぞる。皮が厚く、柔らかさからは程遠い。筆を執り、剣を握る手だ。今度は振り払わずにカルロスの手で握り込むと、レオンの手はそのまま掌に収まった。

「あんたはおれを買い被ってるんだよ。負けは負けだ。言い訳なんて情けない真似できるか」
「相変わらずさっぱりしているな。常々思っていたが、君はやけに度量が広すぎる」
「どこがだ。悔しいさ。だけど、おれは全力だった。それであんたに負けたのは事実だ」
「……そうか。悔しいのか。だけど負けを認めるのか」

 レオンの薄い唇が微笑んだ。調子が戻ってきたらしい。励ましたわけじゃないのになんとなく気まずくなり、カルロスはそうだよと言い捨てた。

「今から骨を折るか?これで殿下の果し状の処分と相殺だろう」
「はじめはそうしようと思っていたが、やめにする」
「おれからも質問だが、なんで腕じゃなく足だった?」
「最低限、君の趣味には君の両手が必要だろう。君の手入れを傍で見るのはなかなか楽しいんだ」

 カルロスがたっぷり十秒ほど黙っている間に、レオンがぐっと顔を寄せ、掠めるような口づけを落として離れていった。余計にカルロスの放心時間が長引いて、やっと我に返ると、飛び上がるようにして叫んだ。

「おい、不意打ちだぞ!」
「こういうのはやった者勝ちだ。なにしろ君は私の夫なのでな」
「まだ婚約者だろうが!」
「そうか、『まだ』なんだな」

 レオンの呟きはカルロスの耳にしっかり届いた。……まだ。まるでフラレることを恐れるような。カルロスに手切れを言い渡されなかったことに安堵しているような。
 意外すぎて怒りも冷めるカルロスの対面に、やっとレオンは座った。従者すら部屋に入れていないので、茶も出てこない。
 だが余人に聞かせてはならないことをこれから話題にするのだから、やむを得まい。
 レオンは神妙な表情を作って、カルロスに頭を下げた。

「まずはじめに謝っておく。ひどい物言いをした。申し訳なかった」
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