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「君は男にもモテるんだな」

 王都アルハイド邸、当主の執務室に、そんな、至極感心したような言葉が響き渡った。
 思わず額を押さえたカルロスの斜め後ろで奇妙な音が漏れた。たった今、主の嫁へ紹介されたセレスは、吹き出そうとするのを堪える理性だけは働いたらしい。口を両手で塞いで、俯きがちにぷるぷる震えていた。レオンはそんなセレスを面白そうに眺めていたが、カルロスのもの言いたげな視線に気づくとにこりと微笑んだ。

「側仕えは必要ないと言うのでどうしたものかと思っていたが、君には当てがあったというわけか?」
「押し付けられたんだよ」
「押しかけてくるほどか。さすが……」
「おい、なに言いかけた今。なにがさすがだ。おれは男にモテたってなにも嬉しくなんかないぞ」

 カルロスが渋い顔をしてもレオンは柳に風の態度だ。二人の関係は、一晩共に過ごしたからと言って急に甘くなるわけではなかった。距離は多少近づいたが、それは共に寝たからというより、会話を増やしてお互いの理解を深めていったからで、愛だの恋だのの芽生えからは程遠い有り様だった。

 カルロスがこの屋敷に住まうようになって、ひと月が経過している。
 どうやらレオンはカルロス確保のために数日の期間を見積もっていて、その分の予定は空けに空けていたらしいのだが、それさえ済めば多忙な日々が襲いかかってきた。官職の勤めのため毎日のように登城しながらアルハイド子爵としての執務もこなし、精強と称されるアルハイド家騎士団の演習にも出かける。やっと帰宅かと思えば家政にも目を通す。途中からはアルハイド一族の親戚が津波のように押し寄せてきた。
 そんなわけで、あの一度以来共寝はしていない。というか今もなお親戚連中はアルハイド邸に押しかけて来ている。その親族というのも、爵位を持たない者が多いが、財力、権力は相当のものだ。

 アルハイド家は、王国最古の貴族家の一つ。下級貴族に当たる子爵位を賜っているが、贈られた当時に爵位制度はそこまで発達していなかったのだ。すなわち、爵位を持つことそのものが、当時の王国にとって限りなく至上の栄誉であったのだ。
 後に数度王朝が変わり、数多の家門が形作られ、現王家の情勢が整い血筋の分散によりさらに爵位が増えてゆく中で、アルハイド家は徐々に徐々に末席に追いやられてゆくようになったが、今もってなお国境の守りを譲ったことはなく、アルハイド子爵家として名と力を残し、他家に降ることも寄ることもなく独立を保っている。
 つまり、それだけの才覚をアルハイド家は有している。

(まあ、わかっちゃいたが、風当たりは相当なんだよな……。半分は会った途端、軟化したからまだいいんだが)

 ドゥオールがとうとうアルハイドの調略に動いたかと泡を食って、牽制なんなら破談を目論んで王都まではるばるやって来た彼らのうち、実に半数近くが、カルロスと初対面で(更にレオンとのやり取りを見て)見方を改めた。
 数人は、カルロスの顔を見たことそのもので文句を飲み込んだ。カルロスは自分の容姿がそれなりに整っている自覚はあるが、それが効果を発揮したらしい。
 他の数人は、カルロスがたった一人、身一つでアルハイド邸に転がり込んでいたことに呆れ果てていた。調略するにもたった一人、しかも実家から次男を支援する様子もないとなれば、杞憂と思ったのだろう。
 残りの大部分は、美丈夫のカルロスと並んでなお見劣りすることなく異彩を放つレオンが、婚約者相手でも女らしさを見せることなく、友人のように気軽にぽんぽん言葉を投げつけ、跳ね返されたそれを笑ってやり返す様を見て、床に膝をつきかねない勢いで脱力していた。

(結婚に夢見てたんだな、本人じゃなくて周りが)

 カルロスとしては、一方的な警戒に辟易するよりも、親戚一同のレオンへの苦悩を目にして同情する気持ちの方が強いので、彼らに特に強くなにか思うことはなかった。だが、カルロスの側仕えに、動きのなかったはずのドゥオール家からやって来た者が就く、となれば、悠長に様子見していた連中も目の色を変えてくるだろう。

「あんた、他人事に面白がってるが、面倒は絶対にやってくるぞ。そんなんでいいのか?」
「君自身が面倒を処理する気満々なくせに、なにを言っている?」

 レオンは相変わらず笑いながら、さらっと言った。カルロスは一瞬言葉に詰まって、深々とため息を吐いた。

「……まあ、そのつもりだよ。だがなるべく、だ。あんたに迷惑がかかるのは避けられない」
「君の快適な衣食住を約束したのは私だ。気にするな」
「……おい、あんたやっぱりなにか勘違いしてないか?衣食住にこいつはいらないぞ?」
「ならどうして押し切られた?この者が君にとって必要だと思ったんだろう。君も、君の父君も」
「…………」
「まあ、こういうからかいは抜きにしてもだ」
「おい」
「七割は真面目だぞ?それで、君は夫としてアルハイド領にも出向くことがあるだろう。君が断っても、いずれは私の信頼できる実力の護衛を側につけようと思っていたが、君がはじめから信頼していて、そして腕も立つ側仕えを選んだのだ。手間が省けたな」

 これまでの会話中、ずっと他人事に笑いを堪えるのに必死だったセレスが、レオンのこの発言には呆気に取られた。カルロスも同じくだ。
 セレスとは初対面のはずだが、レオンは表情で信頼を物語っている。あの時の輝くような笑顔と似ていた。

「叙勲前に退団したとはいえ、名だたるアステル砦の騎士団に入団して、五年以上も武を磨き続けてきたつわものだろう、君も、そこの彼も」
「……そこまで、調べていたのか」
「アステルの団長とアルハイド家騎士団は古い付き合いなんだ」

 カルロスはひやりと胸に冷たい水を流し込まれたような気分になった。つまりそれは、レオンが、カルロスの退団の理由を知り得るということだ。あの恐ろしいほど強く恐ろしいほど厳格で、恐ろしいほど頼りがいのある団長が、いくら懇意とはいえ所属の違う騎士団の内部情報をこぼすとは思えないが。
 じわじわと頬から首筋の筋肉が強張っていく。適当な軽口を返そうにも、喉の奥まで固まっていて、声すら出せない。

「ああっ」

 そんなカルロスの代わりではないだろうが、セレスが素っ頓狂な声を上げた。振り返ったカルロスに「失礼しました」と、慌てたようにばたばた手を振る。

「どうしたんだ、急に」
「いや、あー、そういえば、ティグレ・アルハイドさまがなにかの都合で演習にいらしたことあったなって思い出しまして!私たちはお会いできませんでしたね!残念なことに!」
「……そういえば、そんなこともあったな」

 ティグレとは同年代とはいえ、カルロスはティグレと出発地点が違った。国境守りの武門の家系ゆえに、才にも武勲を上げる機会にも恵まれたティグレの叙勲は早く、一方のカルロスは高位貴族家の子弟ではあったものの、縁故もない騎士団に入団したからには雑用や小間使いからの出発だ。武勲もなにも出陣すら認めず、騎士の何たるかを一から教え、武術を、礼節を、知識を叩き込んでいくのだ。カルロスとセレスはその点、家でそれなりの指南を受けていたので他から一歩抜きん出た状態ではあったが、騎馬を与えられないからには他の見習いと十把一絡げというものだ。
 しかしカルロスは幼い頃から真面目で堅実な性格をしていた。騎士に憧れながら武勲を上げることを夢見ながら、現実の長く丁寧な下積み期間を厭わしくは思わない性質だったし、セレスはそんなカルロスについてくる形で騎士団の門を叩いたのだ。早く騎士になれない不満があっても、カルロスがそうするなら我慢した。

 国内各地の要衝に砦を築く騎士団は、古くから受け継いできたそれぞれの気風を誇りとしているが、同時に、他団との交流も活発だった。ティグレがアステル砦にやって来て手合わせで盛り上がっていたのも、交流会の一環だったような覚えがある。例のごとくカルロスやセレスは下っ端としてあちこちを走り回り、先輩騎士たちのようにのんびり見物なんてできなかったが。

 とはいえ、それらはカルロスにとって、もはや遠い過去である。うろ覚えの記憶をぼんやり思い出していると、ふと思いつくことがあった。

「そうだ。アルハイド騎士団で、こいつを叙勲することはできるか?」
「カルロスさま?」
「というと?」
「こいつは退団してからはうちの領地でずっと鍛えるだけ鍛えてきたんだ。遊び呆けてたおれはともかく、こいつの剣の実力はそこらの騎士より上だ。おれの護衛が目下の仕事で、一隊を率いるような指揮権はおいおいでいいから、どうだ」

 レオンは少し首を傾げたあと、大した逡巡もなく頷いた。

「願ったり叶ったりだが、セレス殿はともかく、君は騎士の称号はいらないのか?」
「もう間に合ってる。婿に入っただけで充分名誉を買ってもらってるんだ。これ以上は必要ない」
「なに、丁度いい話が来ているんだ。もらえるものはもらえるときにもらっておいた方が、後々楽ができるぞ」

 レオンは無造作に執務机の上から光沢のある白布の包みを取り上げて、カルロスの前にひらひらと振った。唯一見える角に、紫金の刺繍が見える。カルロスはぎょっとしてその手を止めようとしたが、レオンは読めていたように躱して、にやりと笑った。

「おい、あんた、それ遊ぶようなもんじゃないだろ!」
「私が買いつける前に、相手が売りに出してきたぞ。しかも私が買うより、君が直接買ったほうがいい値がつく」
「話を聞け!ってかそれ置け!」
「はい」

 遊びは終わったのか、押し付けるようにカルロスの懐に差し出されたそれを、カルロスは奪い取るように抱き止めた。直後に我に返って、おっかなびっくりという手付きで包みを持ち直し、刺繍が形作る紋章を眺めた。

「…………」

 蔓の葉に三本の鉤爪と矢が交差する。紫に金を織り込んだ糸が精緻に描くその紋章は、飛翔する巨大な鷹を射落とした生きる伝説をもって、ただ一人の存在を冠する。

「果たし状だ。私宛の、君を名指しで」
「果たし状!?」
「熱烈に婿志願していたからな。私にフラレたことがいまだに受け入れられないらしい」
「フラレた!?フったのかあんた!?」

 レオンが鬱陶しげに言い捨てた相手がそこらの騎士や貴族だったら、ここまでカルロスは取り乱さなかった。むしろ一周回って冷静になるほどだ。しかし、表情が盛大に引きつるのはどうしようもなかった。

「……あんた、わかってて黙ってたな?」
「君の返答如何では無視するぞ。陛下からはお許しを得ている。果たし状の他に剣稽古のお誘いがあったが、こちらはいつものことだしな。同封されていれば一件だけ握りつぶすことはわけない」
「握りつぶす……」

 いっそ気が遠くなりかけて、包みを落としそうになった。しかしそんな不敬を犯す度胸はカルロスにはない。

 王国貴族のあまねく頂点たる王家にあって、その第三の王子。
 カルロスはいつの間にか、そんなお人の恋敵になってしまっていたらしい。
 しかも、レオンと一夜過ごした今となっては、簡単に辞退もできなくなった状態で。
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