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男子会と女子会

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 日が完全に落ちきった頃、ファリーナは悩みに悩んだ挙げ句、勇気を出して、たった一人、その扉を叩いた。夕方頃に目覚めたその部屋の住人は、チャールズ曰く安静にしていれば治るとのことだった。既にヒルダとセシルによる聴取が終わっているのも知っている。
 扉の奥から返事が聞こえたので、そっと扉を開けて覗いた。
 予想外に暗い部屋に目を見張るファリーナは、やがて寝台を見つけ、その上に寝ていた人影を見つけた。

「げっ」

 相手もファリーナだと気づいたのだろう、蛙を潰したような声が響いた。しかし、ファリーナが落ち込む暇はなかった。その人物ががばりと起き上がると同時に、側の出窓へと一目散に走っていったからだ。

「ウィル!?」
「人違いだ!」
「待って、怪我に障るわ!」
「待たん!」

 カーテンを雑に払いのけ、もぞもぞと動いているのは鍵を開けているのだろう。やがてガチャリと音がして、突然入り込んだ風でカーテンが膨らんだ。ファリーナは慌てて駆け寄ったが、途中で、見えない防壁に阻まれたように立ち尽くした。ファリーナが動けば動くだけ、この人が無茶をすると察したのだ。

「……ウィル、じゃなくて、ウィンスターさま。これ以上近寄らないから、どうか、止まってください」
「……人違いだ」

 ファリーナは、胸の前で組み合わせた手をぐっと握りこんだ。

「お願い。ウィンスターさましか、相談できる人がいないの。私を嫌ってるのは充分わかってます。でも、どうか……」
「…………」

 舌打ちが聞こえた気がした。自分でも都合がいいことを言っているのはわかっているので、ファリーナはさらに、深く頭を下げた。これ以上に差し出せるものはなかったから。
 やがて、「嫌ってない」と声が降ってきて、ファリーナはがばりと頭を上げた。出窓に腰を下ろした状態で、幼馴染みはこちらを向いていた。開かれたカーテンの向こうから仄かに月の明かりが差し、その表情を読むことはできない。でも、声はとても静かだった。

「……おれが合わせる顔がないってだけだ。そこ、座れよ」

 出ていけと言われず安堵したファリーナは、指された先の椅子に座った。ウィンスターとは寝台を挟んで向かい合うような形になった。
 二人の間に空いた距離が、この数年間を表すようだった。

「それで、相談って?おれなんかより絶氷に聞いた方がいいだろうに」
「そんな図々しいこと、できません」
「おれにはいいのかよ?」
「いいというか、その、だって……ウィンスターさまを軽んじてるわけじゃないの。それは本当よ。むしろ、私にとってはウィンスターさまの方が、頼りやすいもの」
「それ誉めてる?」

 どうしてこんなに淡々と返事してくるのだろう、とファリーナはちょっとだけ泣きそうになった。こちらはこんなに接し方に悩んでるのに、まるで一人相撲だ。
 これではいけない、と大きく息を吸った。無駄に時間を費やすわけにはいかない。ウィンスターは怪我人なのだ。時々呂律がおかしいのは、顔の片方がまだ腫れていて、喋りにくいからだろう。アデルを守って受けた傷だった。アデルのために死にかけて、そのあともずっと、守り通してくれた。面倒見のよさは、昔と少しも変わっていない。
 それならどうして、と喉から出かかった言葉を、必死に飲み込んだ。

「……私、友だちがいます。キースとウィンスターさまのような関係になっているは、わからないけれど」
「は?」
「でも、もう一人の友だちが、その子を傷つけることに、加担してたみたいなの」

 ドルフにもっとも近く、もっとも情報を持っているだろうヒルダからは、直接には何も言われてない。ファリーナも問えなかった。自分がこんなに臆病だったとは、わかっているようでわかっていなかった。今度は情けなさに涙が出そうだった。

「……それが?」
「私……どうしたらいいと思いますか?」
「……はあ?」

 ウィンスターのあきれ声も当然だった。

「どうしたらって、なにがだよ」
「わからないの。どうすればいいの?どうしたら――」

(嫌われずにすむの)

 口を押さえて言葉を飲み込む。臆病なだけじゃない。とても卑怯でずる賢い、こんな自分が、嫌だ。自分のことなのに、ウィンスターの言葉を理由にして動こうなんて、なんて浅はかなんだろう。ウィンスターの視線がひしひしと感じられて、冷や汗がどっと流れ落ちた。
 明かりがなくてよかったなんて、最悪最低だ。

「ご、ごめんなさい。やっぱり帰ります。今の言葉、全部忘れて」
「お前、嫌われてると勘違いしてたくせに、おれを頼ろうとしたんだろ。……甘えん坊は変わんないな、リーナ」

 昔と変わらない温かい声に、浮かせていた腰が、すとん、と椅子に落ちた。

「そんなに悩んでる時点で結論は見えてるだろ。ただ踏ん切りがつけられないだけでさ。それをつけるのはおれじゃない。当人とちゃんと話し合ってこい」
「む、むり」
「無理じゃなくてもするんだ。立ち止まってたら後悔するだけだ。――みたいに」
「……え?」
「お前が自分から選んだ友だちだ。簡単に切られやしないよ。大丈夫だから、遅くなりすぎないうちに、行ってこい」

 ウィンスターが急かし続けると、ファリーナも少しずつ勇気がついてきたのだろう。最後にはちょっぴり小走りで扉に飛びついた。そこでなにか思い出したように、くるりと振り返った。

「……ウィルって、また呼んでもいい?」
「駄目だ。ここにももう来るな。お前の居場所はあっちだ」

 突然明確に引かれた一線に、ファリーナはたじろいだ。しかし、泣きそうになることはもうなかった。返事だってしてやらないのだ。

「じゃあ、ウィンスターさま。アデルを――私の大切な友だちを、助けてくれてありがとう。おやすみなさい」












 まだまだしたたかだった、と一人になったウィンスターは思った。昔は泣き虫だったくせに、今日は一度だって泣き出さなかった。最後だってウィンスターにしたり顔で微笑んでいったくらいだ。強くなったのか、前からそうだったのか、よくわからない。しかし、それ以上の感傷に浸る余裕はなかった。
 やせ我慢を止めてその場に踞った。あちこちにできた傷がとてつもなく痛い。喋るだけで左頬が痛いし、息をするだけでみぞおちに図太い針が刺されているようだ。肩も、脱臼こそ治してもらったが、いまだに痛覚は狂ったように主張している。つまり全身痛い。昼間も今も無茶しすぎた。

「大丈夫?」

 背中からかけられた声に飛び上がりそうになった。振り返る間もなく背後の窓が大きく開かれ、影が入り込む。出窓の下に座り込むウィンスターの前に降り立ったその人物には、さすがに呆れてしまった。

「仮にも侯爵家の嫡男が、窓から出入りしちゃいけないでしょ……」
「君も窓から逃亡しようとしただろう。お互い様だ」
「……全部聞いてたってことすか」
「ちゃんと聞いていたのは半分くらいだ。この部屋の真上が私の借りた部屋でね。階下の騒ぎが気になった。年頃の男女が二人きりというのもどうかと思ったし。立てるかい」
「ご心配なく。後で自分で動きますんで」
「聞きしに勝る強情っぷりだ。では私も失礼して」
「……いや、あんたはあっちの椅子に座りましょーよ。なんで地べた?つーか何の用すか」
「ヒルダとアデルが一緒の部屋で、そこにファリーナ・グレイ嬢が加わるなら、ここで男子会を開いてもいいだろう」
「男子会って何!?」

 ちなみに、夕方に聴取を受けるついでのようにヒルダの正体を明かされたウィンスターである。セシルと並んでみると、簡単に兄妹なのだと信じられた。
 芋づる式に、アデルを助けた礼を兄姉から受けたことも思い出した。とはいっても、ウィンスター一人では守りきれず、結局はヒルダに助けられたのだ。色々情けなくって死にたくなる。とりあえずはあれだ、時間捻り出して体鍛えようかな……。

「君は、ファリーナ・グレイ嬢と親しいんだね」
「え?ああ、それは……」

 言いかけて、ウィンスターはにやっと笑った。

「おれがあいつを愛称で呼んだの、気に食わなかったりしたんです?」
「……実を言うと、少し。自分でも驚きだが」
「へぇっ!?」

 盗み聞きの意趣返しのつもりだったのに、まさか図星だったとかそんなまさか。

 ……まさか(三回目)。

 ウィンスターは思わず目の前の美形を凝視した。口をへの字に結んで、ウィンスターの視線からもふいっと顔をそらした。ヒルダやアデルなら、真っ向から「拗ねてるわ」と指摘するような態度である。
 ウィンスターは、あー、まじか、と右手で頬を掻いた。

「すんません、冗談です。愛称で呼んだのは昔のことだし、さっきのはあれっきりなんで見逃してください」
「君の方が頼りになると言われたのも傷ついた」
「そ、それは幼馴染みだったからで!むしろ大輪のことだからあんたには相談しにくかったんですって!」
「ファリーナ・グレイ嬢が甘えん坊だなんて、知らなかったな」
「わーめっちゃ失言してた!それもノーカンで頼んます!」

 あわあわするウィンスターにセシルがくすくすと笑いはじめ、ウィンスターはげんなりとため息をついた。

「いやほんと……勘弁してください。おれはあいつの元婚約者と仲がよかったのがきっかけだっただけで、色恋とかそんなんないんで。あいつだって、今でもキースのことが……あ」
「……キース・ゼルラント殿も、彼女のことを?」
「あー、まあ、そうですね。溺愛してましたよ。病弱だったけど、動けるときは必ずあいつをグレイ家から連れ出してましたし。あいつが勉強好きなのは、キースと小難しい学術書を頭を寄せ合って読んでた影響だし」

 色褪せぬ幸せな日々を思い出すだけで息苦しくなるのは、ウィンスターの心がまだ修復しきれてないからだろう。壊れてしまったあと、ファリーナと初めて面と向かって言葉を交わしたついさっきは、意外に平気だったのに。

「……それより、あんたはあいつとあんたの妹にお願いされたら、許すんですか?シスコンってすごい噂立ってましたけど」
「実行犯はもちろん許さないさ」
「……少なくとも、あの場にお友だちはいなさそうでしたけど」
「そのようだね。ナタリー・レーウェンディア嬢は、本当に、何も知らなかったのだと思うよ。といっても、陛下は彼女を他の者と一緒に処されるだろう。彼女の立場では知らないことそのものも罪だ。もとより見逃すつもりなら、先に切り離して保護するくらいはしたはずだしね」
「……うっわあ。じゃあ、どうしようもないんじゃ」
「――といっても、私も少し、腹に据えかねているから」

 唐突に朗らかな口調で笑いかけてきたセシルを見て、ウィンスターの脳内を嫌な予感が駆け巡った。

「少しくらい陛下の思し召しを打破してみたいなと思っているんだ」
「……えっと?」
「私は自他共に認めるシスコンだからね。八つ当たりくらいいいだろう」
「八つ当たりって!相手は陛下ですよね!?」
「なに、打破といってもほんの少しの軌道修正さ。謀反なんて考えてはいない。此度の件は、私も巻き込まれた側だからね。まだ私でも不明な部分はあるが、私たちが関与しているところは多い。つまり、陛下には私たちを操らずとも、その行動を予想できていたということだ。そこまでお膳立てされていたら、少しは外れてみたくなるものだろう?」
「しちゃダメって言われた子どもがやっちゃうみたいなノリ止めてくれませんかね!?」
「私たちは、一切、何も、命ぜられていないからね」

 セシルはずばりと言い切った。
 ウィンスターは冗談抜きで気が遠くなった。話を逸らす方向を決定的に間違った。聞きたくなかったこんなの。どうせ絶氷のことなので、聞かなくても聞かせてきただろうが。

「……おれにも協力しろってんですか」
「話が早くて助かる。妹のことにはもちろん感謝しているが、正式な礼状と言うと、フェルトリタ伯爵家へのものが中心になって、君への便宜が図れないからね。ソラリア商会での賃仕事アルバイトを、君の父君が認めるとは思えない」
「げ、そうだった……って、ん?アルバイト?給料が発生するんすか?ド素人が金もらうほど働けますかね?」
「誰でも最初は素人だ。当然無給にはしないし、報酬には色もつけよう。独り立ちするのに金銭は多ければ多いほどいい。勘当される予定ならなおさらだ」

 そういえば女史を通して全部筒抜けになってるんだった、と気まずそうに首を竦めてから、もう一つ思いついた。

「……ちなみに聞きますけど女史もそんな感じで?」
「君にとっては大先輩に当たるだろうね。あの子は堅実に自分個人の資産を蓄えてきた。最も優れた牝馬一頭を侯爵家から一括払いで買い取るくらいにね」

 なんだそれ。
 その馬の評判が本当なら、本来なら値をつけられないはずの超貴重品なはずだ。どれだけ金積んだんだ。
 あんぐりと口を開けるウィンスターに、セシルは我がことのように誇らしく胸を張った。

「さて。君の協力は得られるかな?」



 





☆☆☆








 ヒルダとアデルが二人で使っている部屋を訪ねたファリーナは、二人が就寝する様子もなく書き物机に向かっていることに驚いた。

「あ、リーナ……」

 振り向いて笑顔こそ見せたものの、どこかぎこちない雰囲気に、せっかくウィンスターにつけてもらった勇気がしぼみかけた。ヒルダはそんなファリーナを笑顔で手招きした。「アデル、ちょうどいいでしょ」と妹に声をかけつつ。なぜファリーナがここにやって来たのか、ヒルダは確信しているような素振りだった。

「でも、姉さま、まだ……」
「延ばしたってなにも変わらないわ。骨は拾うから安心して」
「玉砕前提なの!?」

 この姉妹は基本仲がいいが、時々姉が意地悪になる。もちろん意地悪とも言えない可愛らしい冗談なのだが。アデルもファリーナも、少しだけ緊張が緩んだ。ヒルダはもう一脚椅子を寄せて、ファリーナにも座るように促した。
 全員椅子に座ったはいいが、しばらく、どう切り出せばいいか悩むようなもどかしい沈黙が降りた。お見合いか、とヒルダは思ったが、声にはしなかった。二人揃って口をもごもごさせているのが可愛い。
 しかし時間は有限である。

「……もういっそ、くじでも引きましょうか?」
「わ、私から、で、いいですか。うちは子爵家だし、私自身も、実際の危機なんてなかったし……」
「リーナ?」

 ファリーナは青ざめつつも気丈に切り出した。どうであれアデルの意見を尊重するという意思表示をした後、深呼吸をして伸びていた背筋をもっと伸ばす。人の目を見て話す、という行為が今だけは難しかったが、頑張った。

「……私、……ナタリーさま、が、今日のことに、ご自分から望んで関わっていらしたわけじゃないと、思うんです。というか、ナタリーさまの侍女さまが怪しくて。元々侍女というには挙動が不審でした。ナタリーさまの指示だったとしても、あんなに主人の単独行動を許すなんてありえないとエメルも言ってました。特に王兄殿下の元へ向かわれたときなんて、随従もなしではナタリーさまの体裁が悪くなるのに……食堂で、私たちと一緒にいたんです。だから、ナタリーさまのご意志と侍女さまのお言葉が一致するようには思えないんです」

 体裁が悪いといっても、貴婦人としてたしなみが足りないと言われるくらいのものだ。失点というには些細なもの、しかし仕えるというなら気にすべき部分で。だからアデルもファリーナに指摘されるまで気づかなかったのだろう、くっと目を見開いた。それから爛々と青の瞳が輝きはじめる。
 美少女の凝視はむしろ怖い。気圧されて口をつぐんだファリーナの代わりに、アデルが形のよい唇を開いた。ほんのりと口角が持ち上がり、不意に瞳が細められ、無駄に色香が垂れ流された。

「リーナ、すごいわ」
「えっ?」
「私だってその場にいたのに、全然気づかなかったわ。そうよ、だったら、リーナを連れ出していったの、ナタリーさまのご指示とは思えないって、そういうことよね?」
「は、はい」
「でも、だからといってシェルファさまのご指示なわけがないわ。それならシェルファさまの侍女が動くはずだもの。――ということは、呼び出し自体が嘘ってことよね、姉さま」
「そうなるわね」

 わかっていた部分も全て声に出して整理していくアデルに、ヒルダは微笑ましく頷いた。アデルとファリーナを引き離したという観点で侍女の呼び出し文句が嘘だとは予想がつくものを、他方から見て確信に変えているのだ。

「そこであたしから、一つ。ドルフさまから教えていただいたことだけど、今日、ナタリーさまはシェルファさまと一緒に食堂にいたところを、学園長……この場合は王兄殿下ね。あの方に召されて、その後は一時的に寮で軟禁されているはずよ」

 アデルとファリーナは揃って奇声とともに飛び上がった。この時ばかりは軟禁という言葉に慄いたからではない。シェルファも関与していないという確かな証言を得たことに対する喜びだ。ちなみにライン・キルデアらは、ナタリーとは違って城の牢に繋がれているとの情報は商会のアレンからもたらされた。キルデア侯爵が早速城へ抗議に出向いていると噂になっているらしい。

「じゃあ、じゃあ、姉さま!」
「ヒルダさん、でしたら、ナタリーさまは――」
「二人とも、気づいてる?そっくり同じ顔してるわよ」

 アデルとファリーナは、指摘されて顔を見合わせた。同じ顔、なのだろうか?頬が赤らんで、目は潤んでいて、口許は抑えようもなくにやけきっている。ほんと?と同時に向く顔に、ヒルダは破顔して大きく頷いた。
 ぱあっとますます表情を明るくしたのがアデル、真剣な表情に戻ったのがファリーナだ。

「リーナ」
「待ってください、アデル。私から先に言わせてください。――私は、ファリーナ・グレイは、ナタリーさまの無実を信じています」
「私もよ!」
「アデル、慌てないの。ファリーナさまのおっしゃりたいこと、わかってるでしょう」
「う、わ、私アデライト・スートライトは、私たちを傷つけることがナタリーさまのご意志ではなかったと信じています」

 ファリーナが格上のアデルに従わされた、と言えないようにするための儀式めいたやり取りだ。お互いに、これを言うためだけに夕方から長く長く葛藤してきたから、言い終えた時には、二人とも感無量の表情になっていた。

 アデルもファリーナも、ナタリーを救いたいが、お互いが巻き込まれた被害者でもあるために、安易に言い出しては被害者の存在を軽んじてしまうのだと怖じ気づいてしまって板挟みになっていたのだった。
 アデルはナタリーを助けるその一方で、初めてできた友だちを失うのではないかと怯えた。
 ファリーナは、アデルの人間不信なところを知っているから、ナタリーを助けると言った瞬間に自分が切り捨てられることに恐怖した。

 取り越し苦労ではあったが、二人にとってはなによりも苦痛に思うような時間だった。その反動でか、やがて二人は固く抱き合った。











「さてと。じゃあ次の話に進みましょうね」

 喜びを分かち合っているところで大変申し訳ないが、ヒルダとしてはここまでが前座である。机の上には、ファリーナには切り出せないから、先に兄を説得してみようとアデルが情報を整理していたメモが載っている。ヒルダはそれを手伝っていたのだ。

 むしろ難関はここからだ。

「次……?」
「まず、シェルファ・ブランシェさまもナタリーさまの被害者であることが一つ」

 まだぱやぱやしているアデルと違い、ファリーナははっと表情を引き締めた。

「そしてナタリーさまが伯爵息女なのに対してシェルファ・ブランシェさまは侯爵息女。ブランシェ侯爵も格下に家を侮辱されたと捉えることができるわ。ウィンスターさんもアデルを助けるために介入して大怪我を負った、それもナタリーさまが遠因になるから、フェルトリタ伯爵家としても、同格だからこれも訴えは可能。きっと、高位貴族が多くて、陛下のお預かりの上で裁かれることになるでしょうけど、そういった介入は許されるはずよ」
「……ですが、それは私たちも、条件は同じですよね?」
「そうですね。そして、アデル。せっかく固まったあなたの意見だけど、通すには障害があるわよね?」
「……兄さま、というか、侯爵家次期当主の賛成がもらえない場合、よね」
「そう。あなたの保護者代理だから、絶対にこれは必要よ。委任状がもらえたら一番なんだけど……」

 それを兄からもぎ取るためにファリーナが来るまでうんうんと頭を悩ませていたわけだ。セシルがいつものように妹に甘いなら、おねだりをすればあっさりくれただろうが、今回はそううまくいくまい。なぜなら。

「……兄さま、怒ってるもん」
「え?」
「何に怒ってるのかわからないから、なおさら怖いわよね……」

 他の誰も気づかないセシルの機微に気づくのはさすがだが、国王らにキレているとは考えつかない妹たちである。
 ごほんと咳払いして、ヒルダは話を元に戻した。

「ま、まあ、それじゃあもう一度やるべきことを整理しましょう。フェルトリタ伯爵家は、最終的には侯爵二家に遠慮すると思うわ。スートライト侯爵家には貸しができたようなものでもあるし、無理なことを要求して下手に睨まれることは避けたいはずよ。聴取の時の様子だと、ウィンスターさん自身もナタリーさまに拘りは一切なかったし。となると、残るは――」

 アデルとファリーナも、次に自分たちがどうすればいいのかわかって、険しい顔で頷き合った。
















ーーー


セシルもヒルダも、ナタリーの立場は知っていてもオルトスの婚約者云々までは知らない状態。


優秀な牝馬(アズリー)は優れた子を生みやすいので優れた種馬よりも価値が高い。侯爵はヒルダに情けをかけたつもりになってヒルダに売ったが、後々他の者の手にわたったところをセシルが買い戻し(二章)、ヒルダがバルメルク家の庇護を受けた今も、まだ別邸にヒルダの名義でこっそり置いている。
もちろん馬術も優れてはいたが、なによりアズリーの脚があったからこそヒルダは勘当直後に王都に恐るべき早さで到達できた。

ウィンスターは世間知らずだけど馬の価値についてはちゃんと知ってた(学園で馬術の講義を選択していた)のも、アレンがしっかり調査済み。
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