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いっそ親になりたかった

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「……どういうつもりでしょう?彼女は当家で雇っている護衛です。それを妃殿下の護衛に召し上げる、と?」
「あら、違うわよ。そんなもったいないことできないわ」

 王妃はスートライト家の至宝二人の動揺を手玉に取るようにころころと笑った。

「スートライト家が勘当したはずの直系の長女が、実際に絶縁しているはずなのに別邸で暮らしているのだもの。この際、私も久しぶりにあの子とお話ししたいのよねぇ」

 アデルはさっと青ざめた。なぜバレている。王太子も初耳なのか、母をぎょっとした顔で見上げている。

「私、昔からあの子のこと欲しかったのよね。あなたたち二人に挟まれてそれでももがいている姿がとてもいじましくて……いつからか王都に来なくなって、会うことはぱったりなくなったのよね。でもそれでスートライト家に問い合わせするのもわざとらしすぎるでしょ?」
「……妹は物ではありません」
「わかっているわよそんなこと」

 剣呑な雰囲気を隠せないセシルの抗議すら、王妃は鼻で笑い飛ばした。
 彼女はずっと昔のことを今のことのように思い出せた。まだ王妃が公爵家の長女だった頃。歳の離れた弟が健康に成長し、王妃が身の振り方を定めようとしていた頃のこと。

『おはつにお目にかかります。ヒルディア・スートライトです』

 スートライト侯爵夫人に連れられてお茶会にやって来た小さな女の子。両脇に兄と妹がぴったりくっついていて、周囲から向けられる大人げない視線をものともせず、一生懸命にまっすぐ立とうとしていた健気な子。兄と妹がぎゅっと握り込む手は、そんな彼女を逃がさないための鎖にしか見えなかった。
 当時、王妃は周囲の善意という名の差別が気に入らなくて、三兄妹をそれぞれ平等に扱った。同じ話を振り、全員の意見を聞いて、全員を同等にもてなす。スートライト家の長男は確かに賢いようだった。次女は確かに可愛らしかった。長女は……二人の間。セシルに振った話にもアデルに振った話にも、両方についていけていた。アデルの方はともかく、セシルの方――政談についていけるのは明らかに異常だ。控え目に自分の意見を言うヒルダの両脇で兄妹の方がひどく誇らしげな顔をしていたのも印象に残っている。

 だから、王妃はわかっている。三兄妹がとても仲睦まじいこと。お互いがお互いを思いやっていること。ヒルダが二人に追いつこうともがいていたこと。

 しかしそれは狭い箱庭でしかなく。そこに長く留まればいずれヒルダが潰れることは目に見えていた。

 スートライト家長女が直接王城に提出した絶縁状は、馬鹿馬鹿しいくらいすんなりと受け入れられた。哀れな長女の話は王都ではあまり浸透していないが、かわりに長女の存在そのものが意識に薄い。「大輪」のアデライトと名前が違うなら、と受け付けた官僚は逡巡なく認可したのだろう。

 ――これは王妃にようやく巡ってきたチャンスだ。

「一日でいいわ。あなたたちの護衛という建前に便乗させてもらうから」

 こちらから要請するのは一日。その間にヒルダを口説き落とす。

「せっかくお家の義務意識から解放されたんだから、あなたたちも離れるべきよ。少なくともこのまま、一生スートライト家の影に潜めさせるような真似、私は許さないわよ」
「なっ……影に潜ませるなんて、兄さまも私もそんなこと考えていません!やっと姉さまと心置きなく一緒に過ごせるようになったんですよ!?」
「あなたがヒルダちゃんの婚約者を奪った話も聞いてるのよ、アデライトちゃん?」
「それは……っ」
「もちろん、あなたたちの涙ぐましい兄妹愛を疑っているわけではないわ。単純な話よ――あなたたち、ヒルダちゃんのために全部捨ててるでしょう。義務も役目も人生も。ヒルダちゃんはどんなに傷ついても立ち向かっていったのに、あなたたちはあっさり放棄した。どうしてそんなに簡単に投げ捨てられるのか理解に苦しむわね。そうねぇ、例えば……一番はじめに気づいたのが私だったらよかったけれど、勘当された身の娘を傍において非難を受けるのはあの子なのよ」
「……っ」

 そんなことはない、と叫ぶことはできなかった。アデルは知っていた。いつだって姉が追い詰められていたこと。アデルのために、セシルのためにその身を盾にして。粉にして。削り取られて踏みにじられて。
「可哀想なスートライト家の長女」。追い詰めておいてそんなことを嘯く人間は、何人消しても生まれてきて。

「……どう、すればよかったんですか。私は、どうすればほんとに姉さまを守れたんですか」
「あなたたち、ほんとに不器用よねぇ」

 言い返すこともなく唇を噛んで俯くセシル、泣きそうに瞳を潤ませるアデルを前に、はじめて王妃は苦く微笑んだ。隣の息子は、見たことがない至宝の姿にひたすら驚愕しているのみ。それは驚くだろう。王妃よりよっぽど頭のいい息子でさえもセシルに言いくるめられるのに、今や王妃の言葉になにも言い返せず非難を受けるだけ。こうして弱点を目の前に晒していることすら危ういのに、本当に、不器用というか幼い兄妹だ。
 彼らは、愛情の示し方をたったの一つしか知らないのだ。

「可愛い子には旅をさせよ、という格言を知らないの?とにかく、あの子を一日私に寄越しなさい。ちゃんと約束の刻限になったらそちらに帰すわ」

 口説くのも目的の一つだが、本当に王妃はヒルダと話をしたかったのだ。

 歳はいささか離れすぎているけれど、友人になりたいと思った女の子だから。









☆☆☆










 ヒルダは巨大な門扉の前で、わずかに喉を震わせた。こくり、と唾を飲み込み、手元の書状をぎゅっと抱きしめる。門扉を守る兵の胸には、バルメルク公爵家の家紋が華々しく飾ってあった。
 彼らは、平民にしては仕立てがいい、というレベルの服を身に纏っているヒルダ相手にも丁寧に応対した。恐らく主人から話が伝わっているのだろう。名前を伝え、書状を見せると、二つ返事で門を開けてくれた。
 そこには、ルフマンが待っていた。

「お待ちしておりました、ヒルディア・スートライトさま」
「……あたしに家名はありません」
「これは失礼をいたしました」

 食えない少年は、エスコートするようにヒルダに手を差しのべた。

「……あたしが来なかったらどうしたんです?ずっとここで待っていらしたようですけど」
「敬語はおよしください。わがあるじはあなたがいらっしゃると確信していらっしゃったので、そのご質問に答えることはできません」
「…………」
「お一人でいらっしゃってよろしかったのですか?お茶会があるとお伺いしていましたが」
「……よくご存じのようですね」

 狙って誘いをかけてきたんだろうとヒルダは穿った目付きでルフマンを見下ろしたが、笑って受け流された。

「いかがです?このまま晩餐もお召し上がりになっては」

 ヒルダは口をつぐんだ。どう答えるのが「正解」なのかわからなかった。バルメルク公爵はヒルダのことを知っている。でも、それでも働きかけてきたのはなぜなのか、理由が一つもわからないのだ。

(兄上たちを欲しがるために……?でもそれなら兄上たちを直接脅せばいいだけでしょうに。もしそうだったら、あたし、全力で抗うわよ)

 歩きだすルフマンに釣られる形で足を踏み出したヒルダの瞳は決意に燃えていた。兄妹の足手まといになるなんて真っ平ごめんだと、その目が言っていた。
 ルフマンはそれをちらりと振り返って、意味深に笑うだけ。この女性とわずかの面識もないはずの主が気に入るわけが、なんとなくわかり始めていた。








 あの時道端で、ルフマンはヒルダに手紙を押し付けるとすぐに立ち去っていた。ヒルダたちは困惑しながら家路を辿る途中、アレンがフォード家に寄って身なりを整えてからスートライト家に顔を出すと道を別れた。
 ヒルダもアズリーを厩舎に戻して汗を拭いてやり、同じように世話をしていたシドとも別れ、自分の汗を流し、その後にやっと手紙を開いのだった。
 その次にとった行動を、ヒルダは自分でも信じられなかった。勘当された身でありながら未だにスートライト家に厄介になっている事実。知られたからには兄にでもすぐに相談するべきだった。しかし、その時そんなことなど考えが及ばず、ヒルダは黙ってスートライト家から飛び出し、バルメルク公爵家に突撃していた。
 兄たちが城から帰ってきていないことも、この後のお茶会のことも、アレンたちに相談すると約束したことも――全部、頭から抜け落ちていた。

「ようこそいらっしゃった、ヒルディア・スートライト嬢」

 そして、温室に通されたヒルダは、予想外に手放しの歓待を受けて硬直した。

「おっと、挨拶が先だったかな。はじめまして。私はドルフ・バルメルク。バルメルク公爵家の当主だ。といってももう老いぼれだがね」

 確かに白髪にしわなどはそれ相応の加齢の証だが、声に張りがあった。茶色の瞳は生き生きと輝いていた。軽快ながら優雅に貴婦人に対する礼をとり、棒立ちのヒルダの手を取って、その甲に口づけまでした。

「どうぞ、こちらへ座られよ。軽食も用意しているんだ。こう見えて私は甘味が好きでね。……もちろんあなたの兄君ほどではないが」

 ドルフは最後だけ苦笑してヒルダをその席まで誘導した。案内役だったルフマンは給仕に様変わりし、いつの間にやら二人分のティーセットを並べている。

「せっかくスートライト家に客人が来るというのに、呼び出して申し訳なかった。この時間しか取れなくてね」
「……あの」
「うん?」
「……これは、一体どういう状況ですか?」

 ヒルダは丸々思考を放棄した。ドルフの歓待の姿勢が建前と思えないほど堂に入っているのに加え、兄のことを持ち出したにしてはあっさりと話を流す。まるで……兄など関心の外であるかのように。

「見ての通りさ」
 
 ドルフは裏表などないというように、にっこりと笑ってみせた。

「私は、あなたに会えるのを楽しみにしていたんだ。ずっと昔からね」

 ぽかんとするヒルダに、あ、信じてないな、とまた笑う。

「ではヒントを出そう。……ハルト・ライゼン。この名はご存じかな?」

 ヒルダは眉をひそめた。どこかに聞き覚えのある響きだった。どこだろうと考え……徐々に、よみがえってくる。「ライゼンせんせい」と呼んだ昔の記憶。
 紅茶色のふわふわの髪に、おっとりとした性格を示すように柔らかく垂れた目。いつだって人の気持ちを和ませるような笑みを浮かべ、誉められる度にヒルダは大喜びしたものだ。しっとりと落ち着く声が耳に心地よくて。ヒルダにもわかるように、ゆっくりと話してくれて、時折ついていけるかこちらに視線をやって。飛び入り参加の生徒に嫌な顔一つせず、でも容赦もせず扱ってくれた人。
 あるときから会えなくなった、憧れていた人。

「――ライゼン先生をご存じなんですか」
「彼の父は、私の親友とも言うべき男なんだ。大分昔のことなのによく覚えていてくれたね。テノン……ハルト君の父なんだがね、子育てより研究を優先するようなろくでもない父親なので、彼に借りがある私が、ハルト君をこの屋敷に住まわせていたんだ」

 ヒルダの胸がどくりと鳴った。かつての罪悪感と興奮に腰を浮かすが、その動作の意味も何もかも、全てわかっているように、ドルフは穏やかな目でたしなめた。

「ハルト君は今、隣国に出ている。留学してからそのまま研究職について、我が国との共同研究の橋渡しに尽力してくれている」
「……隣国に……」
「留学するときは相当にうちひしがれていたけど、あなたのせいではないと、これだけは言っておくよ。むしろ彼はあなたのことをひどく心配していた。今回の騒動を見る限り、立派に育ってくれたようで、よかったよ」

 心底ほっとしていたヒルダだが、聞き捨てならないことを聞いた気がする。「お茶をどうぞ」とルフマンが出してくれたお茶をぼんやりと口に含み、美味しいと綻ばせたが、それどころじゃないと我に返った。
 ぎゅるぎゅると緩みきった頭のネジが締まっていき、同時に瞳がみるみると見開かれていった。

「……まさか、アレクセイ家にスートライト家の密約が知られたのは……」
「なんと、これだけで全て察したのか」

 ドルフは驚きつつも声が弾んでいた。嬉しい誤算だ、と呟き、こちらもお茶を飲んでお菓子をつまんだ。

「ちなみにその思考の道筋も聞いておこうかな?」

 ヒルダは改めて驚愕の表情でドルフ――王兄派だという公爵家の当主を見つめていた。あれだけの騒動を起こしておいて影も形も現さなかったのだから、ただ者ではないのは確か。兄は気づいていたのか――少なくとも、当たりはつけていたはず。ヒルダはセシルの才能を疑わない。でもあえて放置したのに、なぜ今になって接触してきた。後始末も済んだ後、介入するには遅すぎる……。

「考えすぎだよ、レディ?」
「むっ!?」

 ドルフの指がパチンと鳴らされ、同時にルフマンがヒルダの口にお菓子をぶつけてきた。そう、ぶつけた。差し出すでもなく当てるでもなく、勢いよく、さっさと食べろとばかりに。予備動作のない一瞬の早業だった。
 思わずルフマンに視線をやると、少年はにっこりと「お味はいかがですか?」と問いかけてきた。さすがにヒルダも抵抗できず、口を開いて受け入れたが……少年の指が口内までぐいぐい押し込んできて、反射的に閉じようとした唇に指が触れた。どかしてくれと目で訴えると、なぜかルフマンはうっとりした顔でヒルダを眺めていた。なんなんだこの子。
 ヒルダが軽く引いていると、やがて満足したのかやっと指が離される。すかさず口を手でガードしたヒルダ相手に、ルフマンは少年とは思えない艶かしい目配せを送り、ぺろりと指先についた食べ滓を舐めていた。

「ヒルディア嬢、この従僕はちょっとした特殊な性癖を持っていてね。他の使用人たちはまともだからね。申し訳ない、ここまでやると思ってなかった」
「ドルフさま、その言い方は酷すぎます」
「訂正できないのに一人前に抗議をするんじゃない」

 なるほど。ルフマン少年は変態らしい。ちょっとした特殊な性癖ってなんだろうと思ったが、問いかけた瞬間にアウトな気がした。沈黙こそ金。黙って飲み込もう……お菓子も美味しい。さすが公爵家。

「あんまり好き勝手するとこの部屋から追い出すよ。ヒルディア嬢に私まで嫌われたらどうする」
「ええー……」

 それにしても、ルフマンの大きすぎる態度は、単なる従僕のものには見えないのだが。二人を半目で見比べると、ドルフが苦笑ぎみに教えてくれた。

「この子はいわゆる行儀見習いの子どもでね。私の大恩あるお方所縁の者なんだ。普段は慎ましいのだが、取り繕わなくていい場面ではとことん胆が太くてね……」
「切り替えが上手いと仰ってください」
「こうして、反省もあまりしない」

 あまりというか全くでは、という視線を受けたドルフははじめて気まずそうに身じろぎし、こほんとわざとらしく咳をした。

「……それで、あなたが、私がアレクセイ家の問題に関与したと考えた理由なんだがね?」
「……俗な言い方ですが、あなたは王兄殿下の派閥の方だと伺っています。王太子殿下の派閥を切り崩すために、スートライト家を利用したのではないかと……」
「まあ切り崩すというか、アレクセイ家の没落の引き金を引く以外のことはしていないがね。大体その通りだよ」
「……なぜです?派閥を優位にするためならば、この機会にもっと王太子殿下の陣営を弱体化させることもできたはずです」
「旗頭たるお方がそれを望んでいないからさ」

 旗頭――つまり王兄のことだろう。ヒルダは理解できないと眉間にしわを作ったが、即座にルフマンにつつかれた。払い落とすとまたあの目配せ。ヒルダは視界に彼を入れないことに決めた。

「派閥なんてあってないようなものさ。我ら貴族家を分かりやすく統制するためにあの方が甘んじているだけで、王位が今上陛下にお渡りになったことも、王太子殿下が次代を受け継ぐことも、あの方はなんら不満に思ってはいらっしゃらない」
「……王太子殿下の陣営は違うようですが……」
「そうだね。そのなかでも特に悪目立ちしていたのがアレクセイ家だった。さらに、元々落ち目で、芽を出せないならとこちらにすり寄ってきていた恥知らずな男が今の当主でね、厄介だなと思っていたんだ」

 アレクセイ家との繋がりはそこか、とヒルダは納得した。バルメルク家はアレクセイ家に密約のことを教えた――アレクセイ家がその後、どう動くか試したのと、どうせならこの際潰れることを願って。

「実際、王家の方々は仲がよろしいんだよ。密約にだって王兄殿下も一枚噛んでいらっしゃるんだから」

 そしてバルメルク家が知っていた理由もわかった。
 とんだ食わせものだ。中立派のスートライト家を利用し、派閥争いに水を呼び込んだのだ。しかもスートライト家にも損がないように落としどころを残したところが憎い。だから兄も関与に気づいていながらバルメルク家になんら手を加えようとしていないのだろう。

(これが本当の公爵家)

 アレクセイ家の方が希少種なのもその口振りから察することができたが、反対に、こんな恐ろしい人たちがごろごろしている中で、たった一人で太刀打ちできている兄がすごい。本当に、いつまでたっても尊敬の念が止まない自慢の兄だ。

「さて。そこで問題だ。なぜ私はアレクセイ家を落とす相手に、スートライト家を選んだと思う?」
「……え?」

 内心でこれでもかと兄を賛美していたヒルダは、目を大きく瞬かせた。問いの意味が本当にわからなかった。

「あなたの兄君ではなくても、目的を果たすことは容易だったんだよ。それは今のあなたもよくわかっているだろう?」
「……え、と、兄上かアデルと繋がりを……」
「それだったらもう少し分かりやすく動いたし、あえてあんなに手を回すこともなかったさ」
「ドルフさまは至宝の方々が苦手でいらっしゃいますものねぇ。徹底的に避けちゃってまあ」
「苦手というより、気に入らないだけだよ。……ヒルディア嬢、一番はじめに私が言ったことを思い出してごらん?」

 ――ようこそいらっしゃった、ヒルディア・スートライト嬢。

「『あなたに会うのを楽しみにしていた』とも仰っていましたよね。これで気づかないのも相当ですね」
「わざわざ口調まで真似なくていい。そういう環境だったのだろうから仕方のないことだよ。……全く。スートライト家の教育方針は最低だね。他家のことだから口出しできなかったが、やはり早々に強引にでも引き抜けばよかった。大樹になる芽を潰してどうするんだか」
「……あの……?」

 なんだかヒルダは、つい最近、今と似たような感覚になったことを思い出した。あれは錯覚ではなかった。だって撫でられたもの。ものすごく誉めちぎられたもの。
 でもこの人がそうする意味がわからない。だってあたしはなにも……。

「アレクセイ家がスートライト家の至宝に無謀に突撃したところから、悪いけどずっと観察させてもらっていてね。アレクセイ家を追い詰めた功労者に、間違いなくあなたの名前は挙がる」

 ドルフはとうとうと語った。ヒルダの情報収集能力、さらにそれを活用する能力、夜会では己の立ち位置を最大限に発揮し、ルーアン公爵家嫡男を仲裁役に引っ張り出すと同時に相手を煽り立ててますます耳目を集めさせ、終わったあとは商会の元で利害関係の再調整を滞りなく終わらせた。
 相手を黙らせる権力を持っているわけでもないのに。
 与えられた枠に収まって、その枠の中で最大限の利益を得られるように立ち回る。

 折衝というより、人を扱う能力が群を抜いて高い。

「へええ、超人みたいですねぇ」
「だろう?でも彼女は、はじめからこんなに優秀だった訳ではないんだ。長年侯爵領で積み上げてきたものが今回遺憾なく発揮されたんだ。しかも環境が環境だったから、最初から目をつけておかないと彼女の能力は見逃されてしまう」
「うわぁ。じゃあ今回もこれまでも名前を全く聞かなかったのは、やっぱり埋もれてるだけなんだ。すごいですねぇ」
「……それじゃあ、今回の騒動って……」

 賛辞に照れるより先に襲いかかった衝撃の処理で忙しく、ヒルダが呆然と呟く目の前で、ドルフはそうだよ、と頷いた。

「ハルト君に話だけは聞いていたんだけどね、存在も才能も、どうしても掴めなかったから。――大当たりどころか予想以上の掘り出し物だ」

 つまりだ。
 ドルフはヒルダを引っ張り出すためだけに、今回のことを仕組んだのだ。
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