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2.婚約成立
しおりを挟む私は震える体を押し殺し、勇者パーティーの隣に立ち並ぶ。本来ならば、私もこの面々の中に参加していていたのだが、そんな考えすら思い浮かばないほど混乱していた。
「…………聖女ラリサ。勇者テオドルスがお主を妻として娶りたいと申しているが…………引き受けていただけないか」
「……っ」
私は喉を震わせ、動揺を表に出さぬように奥歯を強く噛み締めた。隣に並ぶテオドルスの視線が突き刺さっているのを感じるが、彼へ顔を向けることなど出来なかった。
こうして彼のそばにいれば、いやでも思い出してしまう。
──テオドルスに捨てられ、惨めに生きた最期を。
指先は血の気が引いたことにより冷え、知らず知らずの間に震える。私は王の前に立たされていることよりも、こうしてテオドルスのそばにいることが辛くて仕方がなかった。
玉座からこちらを見下ろすラルクヘイヤ王は射るような視線を向けてくる。王の隣に立つ宰相も「早く答えろ」と言わんばかりの顔つきで私に答えを促していた。
この状況ではどう考えても断ることなど出来ない。
王が私へと尋ねたのは形式的な者であり、最初から断る権利など有していないのだ。
聖職者というものは政治家と同じで王が管轄する職種であり、断る権利など最初から用意されていないのだ。
私は未だに激しく脈を打つ心臓の音を感じながら瞼を閉じ、思考の波に沈んだ。
(断ることなんて出来ない。でも……よりにもよってテオドルスだなんて)
わざわざ彼を避け続け、勇者パーティーへの参加を断ったのに、なぜテオドルスは私を妻にと望むのだろうか。彼にとって今の私は赤の他人だ。
妻として望まれるほどの美貌や才覚があるかと言われれば、そういうわけでもない。聖女の名など、あと数年も経てば別の人間のものとなる予定だ。
彼ほどの美貌が有れば、女はよりどりみどりであるはずなのに。
(……本当に意味がわからない……一体何を考えているの)
押し黙ったまま身動きひとつ取らない私に痺れを切らしたのか、王はもう一度私へと尋ねてくる。
「……聖女よ。惑うのは理解できる。だが、お主なとってはまたとない機会のはずだ。我にも娘がおれば、嫁がせてやりたいところだというのに」
「…………ええ、そうでございますね」
「──して、答えは」
目の前が真っ暗になるほどの絶望が心を支配する。
以前のように私は捨てられ、惨めな最期を送るのか。
(…………そんなの絶対に嫌っ! あんな思いをもう一度繰り返すなら、いっそこの場で死んだ方がマシよ)
どうやればこの場から切り抜けられるのか思案するも、いい案は一つとして出てこなかった。
思わず隣に佇むテオドルスへと視線を向ける。彼はまるで私のことを観察するかのようにじっと見つめていた。
反射的に体がカッと熱くなり、王へと視線を背ける。
すでに道は閉ざされていた。
私は震える声で言葉を紡ぐ。
「……お受けさせて頂きます」
私は了承の言葉を口にしながら、最終手段とも言える答えを心の中で反芻する。
(絶対に心を許してはいけない。絆されたらまたあの地獄が待ってるのだから……)
私は怯える心を押し隠し、貼り付けた微笑みを浮かべた。
こうして王立会いのもと、勇者テオドルスと聖女ラリサの婚約が成立したのだ。
勲功授与式は無事に幕を閉じ、祝賀パーティーへと移った。豪奢なシャンデリアや彩り豊かな立食式の食事によって飾られた会場には大勢の貴族たちが思い思いに会話を楽しんでいるようだった。勲功授与式に参列する資格がなかったものたちもこの場の参加は許されており、先ほどに比べて多くの人がいた。
けれど私はその中に混ざる気など一切起きなかった。食事を摂れるような気分ではなく、胃の腑が重く沈んでいくようだった。
勲功授与式のあと、私はテオドルスと一切会話をする暇もなく、広間を離れることになった。テオドルスは本日の主役であり、時間に追われているようだったし、私が逃げるようにしてその場を離れたからだ。
王の面前で婚姻すると宣言してしまい、もう後には戻れないことは理解している。けれども心が追いつかなかった。
(どうしてわざわざ私なんて選ぶの……あのときは捨てたくせに。全てがうまくいかないのね)
室内の賑わいについていくことが出来なかった私はその足でバルコニーへと出た。テオドルスと婚約することになり一気に話題の中心に躍り出てしまったが、そもそも私は賑やかな場は苦手なのだ。にこやかに受け流し続け、隙を見て逃げてきたのだ。
夜の涼しい風が頬を撫で、淀んだ心のうちを少しだけ掻き消してくれているように感じた。
けれど、そんな安寧の時間を邪魔するかのように聞き馴染みのある声が耳に届く。
「…………聖女さん、ここにいたんだ」
その声を聞いた途端、様々な思いが入り混じった感情が心を支配する。
(憎くて憎くて仕方がなかったけど、今の彼はあのときの彼と違う人なのよね)
王の前では礼儀正しい青年のようだったが、いつもの軽薄さを滲ませている男。彼の放つ言葉は常に薄っぺらく、私にとっては信用出来ないもので。反射的に身構えてしまうのはそれが分かっているからだろう。
甘く、まるで毒のように心を蝕んでいくテオドルスの声は魔性のようで、前の私はころりと騙されてしまった。私は身体を翻し、声の主へと振り返る。
「────こんばんは。いい夜ですね、勇者様」
私は仮面を被り、柔和な微笑みを見せて笑いかけた。
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