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第一章 白狼は恋を知る

いたずら上手な第三王子

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「失礼します」
 ミアの部屋から少し離れた場所にある王の執務室。
 美しい庭園がいつでも眺められるよう、それをとり囲むような造りをした執務室は、王家の者であれば誰でも自由に立ち入ることができる。
 カルバンの父であり狼国・シーバの国王であるアイバンの視界に、急ぎ早にこの部屋にやってきた息子の姿が入る。
「カルバンか。どうした?」
 国王アイバン・ラタタは、とても楽観的な考えの持ち主だ。そして狼には珍しく人間にとても関心があり、各国の王との交流も盛んだ。
 アイバンが王になってからは人間国との貿易も増え、人間国同士の交流も活発になってきている。
「ミアのことで少し」
「そうか、では茶をいれよう。私も休憩しようと思っていたところだ」
 黒く長い髪をまとめていた紐をほどくと、斜め横に座る王妃・シナに目配せする。
 アイバンはウェーブした黒髪に、黒い耳と尻尾。体格も良く、王と呼ばれるにふさわしい風格を持っている。
 瞳はカルバンと同じく青く、二人は家族の中でもとてもよく似ていた。
「母も一緒に良いかしら」
 王とともにこの部屋にいた王妃・シナも、カルバンの突然の訪問を笑顔で出迎える。
 王妃であるシナは、国王アイバンのおおらかすぎる部分をサポートするしっかりとした女性だ。
 国民からも、そのカリスマ性を称えられ、今ではアイバンより先にシナに助言を求める者もいるくらいだ。
「お茶を三人分用意してちょうだい」
 シナは白く艶のある長い髪を耳にかけると、お茶の準備をするよう従者に頼んだ。
 髪も耳も尻尾も真っ白で瞳ははちみつ色。そしてその小柄な体型は、ミアとその弟のリースに受け継がれたようだ。

 少しすると、庭のテーブルにティーセットが用意された。
 軽食や菓子が美しく並べられ、今日が休日であれば何時間でもお喋りを楽しめそうだ。
「ミアがどうかしたのか?」
 席に着いたアイバンは、淹れたばかりの紅茶を受け取りながら、カルバンに尋ねる。
「最近、人間の男の元に通っていると聞きまして」
「ああ。イリヤから聞いたが、何か問題があったのか?」
 アイバンは、それがどうしたのかと言いたげに続きを待っている。
「どうやら、その男から剣を習っているようでして、」
「まぁ! ミアは剣が大好きだから、教えていただけて喜んでいるでしょう」
 そう言って笑うシナは、息子が世話になっている人間が剣に長けていると知り、嬉しそうな表情だ。
「確かに最近のミアの素振りは、前より速いし、なにより型が綺麗だ」
「まぁ、ミアは覚えが早いのね!」
 楽観的な父と、フフッと微笑む母に呆れつつ、カルバンは話を続ける。
「ミアは王子なんですよ。もしその男にたぶらかされでもしたら……」
「はは、カルバンは心配性だな。その男はそんなに信用ならない人間なのか?」
「私も詳しくは分かりませんが、サバル国のガイアスという男だそうです」
 カルバンは先程ミアに聞いたばかりの名前を伝える。
「サバルの王は気さくでいい奴だ。彼の国の者なら、間違いなく良い人間に違いない」
「彼が出席するパーティだと、貴方いつも調子に乗って飲みすぎるんだから」
「はっはっは、彼は酒を勧めるのがうまいんだよ」
 豪快に笑う父の姿に、カルバンは眉間の皺を深くする。
「ミアが懐いているというのなら大丈夫だろう。カルバン、心配しすぎだ」
「ふふっ、もしかして、ミアは彼のこと好きなのかしら」
 狼は自分で身を守る事ができる身体能力が元から備わっており、どこへでも転移できる石も持っている。
 今回の息子の行動に関して、アイバンもシナも特に心配している様子はない。
 カルバンもそれに関しては同じ意見だが、先ほど見たミアの真っ赤な顔を思い出す。
 襲われたらどうするのかと尋ねた時の予想外の反応は、カルバンを狼狽えさせるには十分だった。
(よもや、あの男にもう手を出されているんじゃないだろうな……もしそうならタダじゃ済まさん!)
「母上、冗談でもそんなこと言わないでください。ミアは純粋に、剣を学びたいだけです」
「あらあら、カルバンを怒らせてしまったかしら」
 シナは口元に手を置いて、カルバンに視線を向ける。
「まぁ、私はミアの好きにして良いと思っている」
 アイバンは、怒りを露わにしているカルバンと対照的に、笑顔のままだ。
「心に従って相手を探すようにと、子供達には常に教えてますものね」
 シナもアイバンに賛成だと頷いている。カルバンは父母の言葉を受けて、眉間の皺をさらに濃くした。

『結婚相手を自由に』という父母の方針は、カルバンも平民の妻を迎える際に大変ありがたかったため、ぐうの音も出ない。
(その寛大な心は素晴らしい……しかし、今はそういう話ではない!)
「ミアが人間を連れてきたらどうしましょう」
「ははっ、どうするも何も、シナの好きな菓子を振舞ってやらんと」
 盛り上がる母と笑う父。
 これ以上言っても仕方がないと判断したカルバンは、この話はおしまいだと紅茶を飲み、美しい庭を見つめた。

 ◇◇◇

 その夜、ミアは弟の部屋にいた。
「ミア、そこで何してるの?」
「精神統一」
 ベッドに正座をしてじっとしているミア。いつもと違う様子の兄に弟であるリースは若干戸惑っている。
 ミアの弟・リースは、十七歳の黒い狼だ。
 背丈はミアとほぼ同じ。顔も似ている二人は一緒にいるとまるで双子のようだ。
 違う部分といえば、ミアより若干たれ目がちな目元。瞳は蜂蜜色だが、ミアよりもっと深く濃い色味だ。
 今年十七歳となるリースは、まだ成人はしていないもののしっかり者で、落ち着きのないミアの面倒見役である。
「なんで僕のベッドの上で?」
 珍しく静かな兄の姿と、『精神統一』という聞き慣れない言葉にリースはパタンとノートを閉じ、正座するミアの隣に腰を下ろした。
「いろいろあったんだ。今日はここで寝る」
 ミアが静かにしていたおかげで、思いの外早く学校の宿題が終わったリースは、ベッドに上がりミアの隣に座る。
 リースは現在、王宮近くの学校に通っている学生だ。
 授業で習った植物学に夢中で、今日も宿題が終わってから植物の専門書を読む予定だった。
「怖い本でも読んだの?」
「うーん、『自分が怖くなった』って感じ?」
「ブッ……ミアが怖い?」
 思わず吹き出すリースに、少しムッとしてミアが続ける。
「大人にはいろいろあるんだよ」
「ふふ、大人って大変なんだね」
 たった二歳上のミアの言い方に、リースはクスクス笑いながら、兄を横になるよう促す。
 そして隣に寝ころんだリースは、ミアの身体を布団の上からポンポンと軽く叩きながら、眠りを促した。
「それ、子供にするやつ……」
「今日は特別。ミア、これするとすぐ寝るから」
「そんなことない!」
 照れ臭そうに抗議しているミアだが、すぐに睡魔が襲ってきたのか、数分後には大きな欠伸をした。
「んぅ……」
 ミアはもぞもぞと少し身体をよじり、体勢を整えると気持ちよさげに夢の中へ旅立っていった。
 スー、スー……と規則正しい寝息はまるで子供のようだ。
「ミア、何か一人でからまわりしそうで、心配だな……」
 珍しく考え込んでいた兄を心配するリースだったが、自分にも襲ってきた睡魔に負けてしまい、ミアの身体に腕を乗せたまま眠りについた。



 ◇◇◇◇◇

 ガイアスの屋敷の近くにある森。
 祖父から譲り受けた美しい森は、ガイアスが遠征に行っていた二年間は静かだったが、今は剣の音と楽しい話し声が響く明るい場所になっていた。
 ガイアスに剣を教わったミアは、今度は先生となって狼に関することを教える。
「狼は、本当に安心できる相手の前でしか仰向けで寝ないんだよ」
「だからミアは丸まってうたた寝してたのか」
「そう。うつ伏せも多いけどね」
 その姿を想像してみるガイアスだったが、あまり寝心地はよくなさそうだ。
「苦しくないのか?」
「全然!」
 一応、『狼について学びたい生徒・ガイアスに、教師であるミアが教える』という約束だったのだが、座ってお菓子をつまみながら行われるそれは、授業というよりはピクニックに近い。
「他に聞きたいことある?」
「今日は大丈夫だ」
「もし質問があったら、すぐ聞いてね」
「ああ。優しい先生でありがたい」
 ガイアスは、目を細めてミアの短めの前髪を梳くように撫でる。
「それ、先生にする態度じゃないよ」
 ふふっと笑って、紅茶のカップに口を付けるミア。
 ガイアスがミアに剣を教えるようになって数回。
 興味のある分野だからか、教えたことをすぐに吸収するミアの剣の腕は、みるみる上達していった。
 それとともに、ガイアスも狼について詳しくなっていく。その文化や習慣を学ぶたび、ガイアスはミアに少し近づけたような気持ちになった。
 横で可愛く笑う狼に視線を向ける。
(こうやって話せる日がくるとはな)
 改めて再び出会えた奇跡に心から感謝する。
「ん? ガイアス?」
 何も喋らずにいるのを不思議に思ったミアは、ガイアスの顔を覗き込む。
 紅茶を飲んだばかりで少し湿った上唇は、真ん中が少し尖って上を向いている。
 ガイアスはその薄いピンクの貝殻のような唇から目が離せない。
 ……ゴクッ、
 ガイアスの喉が無自覚に上下した。
「何か付いてるの?」
 その声にハッとしてガイアスが身体をこわばらせる。
 ミアの後ろの方についていた自分の左手は、気付かぬうちに小さな肩を抱いていた。
「その、……ッ寒くはないか?」
「全然寒くないよ。ガイアスありがとう」
 肩を抱く手を少しだけ上下させつつガイアスが尋ねると、ミアは嬉しそうに礼を言った。
 その笑顔を見ていると、ガイアスは自分の中にある不埒な心が酷く汚いものに思えてくる。
 目の前の白い狼への想いは、初めて見たあの日からどんどん膨らみ続ける。
 ミアに再会するまでの半年間は、ただ『もう一度会ってみたい』という思いだけだった。
 しかし再び出会い、その目が自分を見つめ、名前を呼ぶだけで胸が高鳴る。
 そして、これは恋だと気付いてしまった。
 初めて感じる不思議な気持ち。ガイアスはミアに会う度、自分を抑えるだけで精一杯だ。
「ガイアスこそ寒くない? 俺、身体が温かいってよく言われるよ!」
 無邪気なミアは、今もこうして警戒せずにガイアスの腕に両手をくっつけて笑っている。
 素直に剣を習う姿は好ましく、コロコロ変わる表情に癒される。嬉しいことがあると満面の笑みで自分の元に走ってくる姿が愛しくて仕方がない。
(こうして一緒にいてくれるだけでも奇跡だというのに)
 もっとミアを知りたいと、自分のものにしてしまいたいと、ガイアスの欲は留まることを知らない。
 肩を抱いたり、頭を撫でるのを許可するくらいには、ミアはガイアスに心を許している。
(しかしそれ以上を求めて、もしこの森に来なくなってしまったら……?)
 狼であるミアに会う手段を、ガイアスは持っていない。ミアがガイアスに関心がなくなれば、この関係は終わってしまうのだ。
「子供は体温が高いらしいな」
「俺はもう十九で、立派な大人なんだけど!」
 手をパッと放し、腕組みをして拗ねるミア。
 心は激しく彼を求めているものの、そのことに無理やり蓋をしたガイアスは、今は師匠としてミアの傍にいようと決心した。


 練習が終わってガイアスと別れたミアは、シーバ国の王宮に戻り風呂で汗を流した。そして弟と昼食を食べるために、リースの部屋へと向かった。
「リース、入るね~!」
 ドンドンと二回ノックをしてすぐ、ミアが勢いよくリースの部屋に入る。
 今のミアは、ゆったりとしたシルエットでくるぶしの裾が絞ってあるズボンに、同生地の上着を羽織ったラフな王宮スタイルだ。
 とろりとした白い生地を使用した服は、シーバの王宮で着られている伝統的な恰好である。
 普段はそこにシンプルな金のアクセサリーを付けているのだが、風呂上がりにそのままリースの部屋へ来たため、石の付いた腕輪以外、何も身に着けていない。
「それ、ノックする意味あるの?」
 無遠慮に入ってくる兄に笑うリース。
 ミアと同じくとろりとした素材でできた白いブラウスを着ているものの、リースは黒いズボンを履いており、かっちりとした印象だ。
「今日の練習はどうだったの?」
「凄かった! まだ基礎なんだけど、剣舞の型もいくつか教えてもらったんだ!」
「へぇ~、良い師匠ができて良かったね」
 リースは微笑みつつ、ベッドの上に胡坐をかいて座る兄の横に腰を下ろした。
「教えてもらうばっかじゃないんだから。俺だって先生になっていろいろ教え、あっ……今更だけど、石のことって人間に教えていいんだよね?」
「うん、問題ないよ。知ったところで人間が盗むことも使うこともできないしね」
 狼が自分の持つ石と離れることは一生無い。石は持ち主からある程度の距離ができると、転移して狼の元へ戻ってくるのだ。
 そして、十六歳で初めて石を受け取る際、石との契約の証として身体の一部に模様が現れる。ミアは左腰に、そしてリースは両胸の間に、花のような模様が入っていた。
「いろんな力があるのは確かだけど、僕達が知ってる程度の使い道なら話しても大丈夫だよ」
「そっか、良かった」
 石の話題になり、リースは先日学校で知ったことを思い出した。
「そういえば、ミアが知らない石の使い方を習ったんだけど、教えてあげようか?」
「何それ! 知りたいっ!」
 小さい頃から王宮、そして学校で一緒に授業を受けてきた二人の知識はほぼ同じ。
 ミアが卒業してからは共に通うことはできないが、リースが学校でどんな新しいことを学んだのか……ミアは興味深々だった。
「いいよ。じゃあ腕輪出して」
 ミアは言われた通りに腕をリースの前に出す。
「ミアは、ガイアスさんのこと好き?」
「……え、何だよ急に!」
 突然の質問にミアの声がうわずる。
「石が光る回数で分かるんだ。恋愛感情で好きなら三回、友達として好きなら二回、嫌いなら一回」
「え! ちょ、待って!」
「石が三回光ってる。へぇ、ミアはガイアスさんが大好きなんだね」
「ちょっと待て、違うって! なんで光るの⁈」
 慌てて自分の腕輪に嵌っている石を掴むミア。
 ベッドから足が片方落ち、抱えていたクッションは床に落ちた。
「はははっ! これ、今学校で流行ってる遊びだよ。石同士が一定の距離間にいると、相手の石に信号を送ることができるんだ」
 笑いをこらえきれずネタばらしをしてきたリースに、思わず飛び掛かる。
「わっ、ミア!」
「リース! びっくりしただろ!」
「ミアの反応、面白すぎ、ふふっ……」
「笑うなっ!」
 ミアはリースを下にしてクッションをぶつける。リースは笑いながらそれを投げ返した。
 ベッドの上でじゃれ合う二匹の狼は、お昼をどうするか呼びに来たイリヤによって止められ、嫌味な小言を言われたのであった。
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