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第三章 KOD第二次予選編
第59話 《幽体離脱》
しおりを挟む――時間は、少し前に遡る。
『各選手、自身の進むルートを決定し、続々とスタートし始めています!』
「い、急がないと!」
勢い良く右ルートへと消えていった影狼に思い馳せる間もなく、ジミ子は左側のルートを走り出していた。
影狼がサーチ対象を自身に変更したことで、《影狼チャンネル》の配信カメラが少し遅れて付いてくる。
〈頑張れジミ子!〉
〈ジミ子のスピードで左ルート攻略できそうか?〉
〈制限時間15分だろ? 多分、ジミ子の足の速さで走れば10分ちょっとでゴールできると思う〉
〈まぁ、その間モンスターに襲われたらやべぇかもしれないけど〉
「そ、そうだ、モンスターの視界に入らないように気を付けないと……」
左ルートには、《中層》クラスのモンスターが出現すると聞く。
もしも戦闘なんかになったら、まず間違いなく敵わない。
モンスターとは戦わず、気付かれないように、ゴールまで進むしかない。
「あ、ジミ子ちゃんだぁ」
その時だった。
背後から聞こえた声に、ジミ子は思わずビクッとする。
振り返ると、所属事務所《ヘイブン・ランナー》の先輩で人気配信者――七森ピチカがいた。
ちなみに現在、彼女は“ホウキ”に跨がって飛んでいる。
ピチカのスタイルは《魔女》。
あのホウキは、彼女の移動手段の一つである。
「ぴ、ピチカさん……」
「私も左ルートにしたんだぁ。私とタッグを組んだ人がね、私のファンで、『絶対にピッチを準決勝に進出させるから!』って、すっごく意気込んでくれてね、飛行能力がある私なら左ルートに進んでもモンスターと戦闘になる可能性が低いからって、長距離の右ルートを選んでくれたんだぁ。嬉しいよねぇ」
「あ、は、はい」
わざわざ横付けし、長々と会話をしてくるピチカ。
全力疾走で息の荒いジミ子にとっては、大変な迷惑だ。
「ジミ子ちゃんも、影狼さんとタッグになれてよかったね。でも、大変だよね。影狼さんは絶対にゴールするでしょ? ここでジミ子ちゃんがゴールできなかったら、影狼さんの足を引っ張って脱落させちゃう構図になっちゃうよね」
「………」
「大会のスポンサーや、影狼さんのファンや、多くの人をガッカリさせちゃう。それって凄い重圧だよね。ジミ子ちゃん頑張ってね! 応援してるから! 絶対に、決勝ラウンドに進出しようね!」
「……わ、わかってます」
優雅に飛行するピチカに、そこで、ジミ子は額の汗を拭いながら叫ぶ。
「あたしは、影狼さんの、力になるために、全力を尽くします! 絶対に、影狼さんと、い、一緒に、二次予選を突破します!」
「………」
いつもの自信が無くおどおどとした、ネガティブな彼女ではない。
強い願いを宿した目で、ジミ子は宣言した。
それを聞き、ピチカは一瞬声を詰まらせる。
「……うん、頑張れジミ子ちゃん! 私も負けない! 先に行くね!」
そう言い残し、ピチカは乗せたホウキはスイーっと先へ飛んでいく。
「あ、あ、あの、すいません、《影狼チャンネル》の皆さん」
そこで、ピチカが近付いてきた際に、少し後方へと移動させていたドローンを呼び寄せ、ジミ子はコメント欄に質問する。
「い、今、どれくらいの距離まで来たか分かる方は居ますか?」
〈えーっと、今、大体……全体の三割くらいかな〉
〈もうちょっと距離はありそう〉
〈でも良いペースだ! このまま行けば、制限時間内にゴール出来そうだぞ!〉
〈やったれジミ子!〉
「あ、は、はい、ありがとうございます!」
今まで――配信なんて楽しいと思ったことはなかった。
探索者になったのは仕事だからだし、自分のチャンネルは登録者数も少なく、地味な配信はコメントなんて全く貰えない。
誰に見られているのかもわからない、ただ壁に向かって喋り続けているようなものだった。
でも。
あくまでも《影狼チャンネル》を一時的に任されているだけで、この視聴者達は影狼のファンだとわかっているけど。
それでも、多くの人達の期待を背負い、応援されている今は、楽しい。
こんな自分でも、頑張れる……頑張りたいと思える。
「もうすぐ、中間地点、もうすぐ……中間地点!」
ジミ子は走る。
ちょうど、崖の上に石の橋が架かっているような地点に到達する。
その時だった。
石橋を渡っている最中――足下から、いきなり爆音が響いた。
「え」
崩れ落ちる石橋。
崩落に巻き込まれ、ジミ子の体が崖の下へと落下していく。
その最中――ジミ子の視界に一瞬、崖の上にいる七森ピチカの姿が映った。
彼女は落下していくジミ子を見下ろし、薄ら笑いを浮かべていた。
口元を、パクパクと動かす。
――生意気なんだよ、バーカ。
そう言っているように見えた――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「あ……」
――一瞬、ここまでの記憶の全てが脳裏を過ぎり、ジミ子は現状を理解した。
「グゥゥ……」
落下した崖の下で、ジミ子は目前に立つ真っ白な虎を見詰める。
そうだ――このスノウ・タイガーは、この崖の下に偶々いたのだろう。
崩れ落ちてきた瓦礫に気付き避けようとしたら、これまた偶然、共に落ちてきた自分が幸か不幸かスノウ・タイガーの上に落下したのだ。
ジミ子程度の小柄な体が激突したくらいでは、スノウ・タイガーとしては痛くも痒くもないだろう。
だが、存在に気付かれてしまった。
〈やばいやばい! もう無理だ! この距離じゃ逃げられねぇよ!〉
〈ジミ子、スノウ・タイガーに背を向けるな! 視線を合わせたままゆっくり下がれ!〉
〈大丈夫だ! 向こうも、お前を敵とは認識してな……〉
「グァアァアアアアア!」
「ひっ」
コメント欄の言うとおり、震える足をなんとか動かしながら、ゆっくり下がろうとしたジミ子。
しかし、スノウ・タイガーはジミ子に咆哮を浴びせる。
先の瓦礫の崩落――あれが、自分を攻撃するためにジミ子が起こしたものだと認識しているのかもしれない。
〈やばい、まずい、どうすんだコレ……〉
〈ジミ子、リタイアしろ! リタイア宣言して、運営に助け求めろ!〉
〈はぁ!? 影狼も失格になるだろ!〉
〈馬鹿か! 影狼にとっても、ここでジミ子に死なれる方が最悪だろ!〉
《JIMIKO! 影狼も誰も責めはしない! リタイアだ!》
「……影狼さん」
ヒートアップするコメント欄の一方――ジミ子は、恐怖で頭がいっぱいになっていた。
ふと思い出すのは影狼の姿。
今ここに、影狼がいてくれたなら、どれだけ心強いか……。
『ジミ子さん、君の能力――《幽体離脱》には、まだ他の使い方があるかもしれない』
そこで――ジミ子は思い出す。
第一階層で、影狼と共にゴールしてからのしばらくの間――彼と交わした会話を。
『他の力、ですか?』
『肉体から魂だけを抜き出し、霊体となって行動するスキル……それが《幽体離脱》。君は、今まであまり積極的にモンスターと戦ってこなかった。だから、モンスターを前に《幽体離脱》をしたことなんて無かったんじゃないか?』
『は、はい、それは……極力、戦闘は避けていたので……』
『俺の個人的な印象だが……《幽体離脱》する……それは言い換えるなら、幽霊になるという事。幽霊になれば、別の生き物の体に入ったりできるんじゃないか』
『え?』
『つまり――“取り憑ける”んじゃないか?』
……そう。
そんな会話を、影狼としたのだった。
「………」
今ここで逃げても、すぐに追い付かれてしまう。
真正面からの戦闘なんて、敵うはずがない。
リタイアするにしろ、この危機を脱しなければどちらにしろ失格だ。
なら――。
「……あたしは」
――どうせ負けるなら、か細い希望に縋り付いたって同じ事。
ジミ子は、自身のスキル――《幽体離脱》を発動する。
身体がストンと倒れ、魂だけが空中に浮遊する。
〈あれ、ジミ子!? 気絶した!?〉
〈やばいやばい! スノウ・タイガーが近付いてくる!〉
『……行きます』
霊体となったジミ子は、そのまま真っ直ぐ、自分の肉体に食らいつこうとしているスノウ・タイガーへと飛び掛かった――。
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