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16.恋心は迷いに迷って…

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 一学期の締めくくりであるその日の空は、大きなソフトクリームのような入道雲が出来ていた。けれど、朝方まで強めの雨が降っていて運動場はぬかるんでいた。歩くたびにぐちょっと不快な音が鳴る。

「おーい、最悪だったな。プリントは無事かぁ⁉」

 二階校舎から木田が運動場にいる俺に向かって手を振った。
 登校時に担任から配られたプリントを机の上に置きっぱなしにしていたら、扇風機の強風に吹かれて教室窓から飛んでいったのだ。
 拾いあげたプリントには泥が付いていた。本当に最悪。
 後で職員室に寄ってプリントを新たに印刷してもらわないと。
 めんどくさいと思いながら運動場から離れた。コンクリートの地面で足をずっ、ずっ、と擦りつけ、靴に着いた泥を落とす。
 でも全然取れなくて、このまま靴を履き替えたら、靴箱も悲惨なことになるのは免れない。
 たわしで靴の泥を取るかと、中庭にある水道に向かうと──……


「わたしあのね」

 女子の声が聞こえて、桜の木の向こう側を見た。
 青葉の下、零れ日がキラキラ差し込んでいる場所に、女子と──翔真。
 朝から告白現場。昨日から連続だ。
 スニーカーの汚れを諦めて立ち去ろうとした時、横目で翔真が頭を下げているのが視界に入る。

「ごめん」
 その言葉に女子は「本気じゃなくてもいいの」とすかさず食い下がった。
 これ以上立ち聞きするのは悪趣味だなと校舎に戻ろうとした時、翔真の真っすぐな声が聞こえた。

「好きな人がいるんだ。その人以外は考えらえない」
「……」

 翔真が俺の方を──向いて、目が合っている気がした。
 ヤバいと背を向けてその場を離れる。
 逃げ込むように校舎に入って、自分の下駄箱に着くと、ゆらゆらと視界が滲む。

「……っ」

 ゴシゴシと腕で目元を擦って、靴を上履きに履き替える。汚れた靴を入れたら、やっぱり靴箱も汚れた。
 ブブブ……
 ズボンの中で携帯のバイブが鳴る。通知画面を見ると翔真からの電話だった。
 それを親指で切って、ゴンッと靴箱に頭をぶつける。
 長い溜め息を吐いていると、「おーい」と木田の声と近づいてくる足音。
 沈んでいる俺とは真逆のノーテンキな声に浮上する。

「ここにいたのか。もうすぐホームルームが始まるぞ! 担任、遅刻に厳しいから急ごうぜ!」
「あぁ──……なぁ、木田」

 木田の後ろについて行きながら声をかけると、「ん?」と返事がくる。

「男同士の恋愛って嫌悪ある?」
「突然何? ないよ」
「……だよな。じゃあ、ネットで知り合った人と遊んだことある?」
「ん~? この前SNSで仲良くなった人とライブ一緒に行った」
「ふぅん、いいな。俺もしようかな」

 木田が「へぇ」と適当に相づちを打つのを聞きながら、階段をのぼる。教室に着いた時に「え?」と彼は首を傾げた。

「おい? それ、誰の話、なんの……」

 それと同時にホームルーム開始のチャイムが鳴った。
 自分の席に着くと、翔真がこちらを見ている気がする。けど、それには気付かないふりして外のうっとおしいほどよく晴れた空を見つめた。

 明日終業式、明後日からは夏休み。

(出会い系かぁ)



 ◇


 終業式の夜は、バイトは休み。久しぶりに叔父に手料理でも振舞おうかと思っていると、彼女とディナーなんだそう。
 叔父は中年にしては清潔感がある人だ。鍛えていて細マッチョの優男。それなりにモテるとは思っていたけど、今の彼女が出来るまで浮いた話は聞いたことがなかった。

「じゃあ、千春。留守番頼むよ」
「うん、彼女さんによろしくね」

 玄関で叔父を見送りながら、玄関ドアを閉めた。
 実のところ、一人暮らしは叔父の同意を得られていなくて、何も出来ないでいた。でも、やっぱり叔父の彼女も気を使うだろうから、色々準備しなくちゃと思っている。

 夏休みは物件探しかなと思いながら、キッチンに向かった。エプロンを付けて夕食を作る。手料理を作る予定だったけれど、一人だとたちまちヤル気が失せた。

 レンチンでいいかと香味野菜のチャーハンを冷凍庫から取り出す。
 他に何か摘まむモノが欲しいなと、もやしを茹で、ナンプラーとマジックソルトで軽く味付けして和えた。

 簡単な夕食をテーブルに並べながら、片手で携帯を持つ。
 ん~、と考えて、出会い、男同士、ゲイ、初心者と打ち込みながら、ネットサーフィンする。

「……色々あるんだなぁ」

 テーブルに肘ついて、それらを眺める。

 ザッと見た感じ、初心者でも怖がらず、ふぅんと眺めることが出来た。
 エッチ込みみたいなサイトもあるけれど、初心者というキーワードに反応してか、驚くようなサイトはヒットしなかった。

 食事・デートだけとか、通話だけとか、初心者でも入りやすそうなサイトが複数ある。

 失恋には新しい恋。なんて、ガラにもない。
 けど、うじうじと悩んでいると自分が嫌になりそうだ。

 恋心自覚してから間もなくで、“生涯寄り添いたい人がいる”だなんて、えげつないダメージだよ。追い打ちかけるみたいに、翔真の口から『好きな人がいる。その人以外は考えられない』だって聞いて完全ノックアウト。


 だから、俺がさ。
 こういうサイトに逃げたくなるのも分からんでもないだろう。……なんて、どこかでまだ怖がっている自分に言い聞かせて、その中で一番初心者向けっぽいサイトを選ぶ。
 登録は至ってシンプルで簡単だった。


 和えたもやしをつまみながら携帯を入力していく。

 プロフィールの欄に容姿の特徴を書く。あと初心者で不慣れですって。
 それからタチかネコかと書く欄を見つけて入力する手が止まった。
 正直どちらか分からない。
 尻を掘られたい願望とかはないし……。かと言って尻を掘りたいかといわれると……?
 性的なことを書くと、後悔7割くらいあった部分がニョッキッと顔を出す。

「尻……、尻か……そういうの考えたくない。うう~……‼ 木田に相談すべきだった。でもなぁ、頼りにするのもなぁ、アイツにはアイツの推し活があるし、頼り過ぎだよなぁ⁉」

 顔を顰めて目を閉じたら、瞼の裏に木田が浮かび上がり『あほ言え、そういう時こそ俺だろ』って言ってくる。
 そして、現実の木田も大して相違なく、もっと早く言えよ、と相談に乗ってくれるはずだ。
 翔真のことは伏せながら、適当に悩みを聞いてもらって流してもらおう。
 木田にはデッカイメロンを年末に送ろうと思いながら、メール画面に文字を打ち込む。

 ──ピロン。
 突然画面に現れた通知を見て驚いた。
「わ、わっ、わっ」っと携帯を持つ手が震えて、お手玉みたいに飛び跳ねた。
 上手くキャッチ出来て、ホッとしながら通知を改めて見る。

「──え、早……」

 出会いサイトの男からのメッセージが来ていた。
 恐るおそるそれを見ると、簡単な挨拶、それから話が合えば直接会いませんかと書かれている。丁寧な文面だが、……男のプロフィール画像にドン引きした。
 首から下、腸骨までの裸画像だ。下生えが見えそうなきわきわライン……。

(なんだよこの人。全然、健全っぽくねぇじゃん)


 本人なのかどうかは分からないけれど、かなり筋肉質の男だ。翔真とは違い、見せるように作られた身体。
 いい身体だけど、それを見て完全に気持ちが萎える。

 画面越しでも、ぶつ、ぶつ……と鳥肌が立っているのに、直接出会うなんて出来そうにない。
 ついこの前まで恋愛より友情脳だったのだ。きっとどんなイケメンと出会っても、木田とか友達とかとたわいない話しをする方が100倍楽しい。

 やめよう。登録して二分、早すぎる断念を決めた時、ピンポーンとチャイムが鳴った。

 時刻は19時半。
 叔父さんが宅配でも頼んでいたのかなと思いながら、インターフォンに向かうと、そこに映っていたのは翔真だった。

「え、翔真? なんで?」
「千春? 突然ごめん。ちょっと話したいことがあって……」

 そういえば、学校で翔真からの電話を無言で切ったのだ。その後何もフォローしなかった。終業式は半日なので、そのまま顔を見ずに帰ったっけ。
 何か大事な用事があったのかもしれないと、携帯を握りしめたまま玄関に向かった。
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