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9.感謝の1日 後

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 いつもの教室ではなくて、屋上に向かう。午前中、雨が降っていたから地面は濡れているけれど、人の姿はなくて丁度よかった。

「──え? 一人暮らし?」

 話題はコンビニの新商品についてについてだったけれど、「なんでそんなにシフト目一杯入れているのか?」と聞かれたので、貯金──というのも銭ゲバみたいな感じがして、目的を話した。

「千春、ずっとそう言っていたもんな。何? 盛岡っちは初耳?」
「え、初めて話すっけ? 高三の夏くらいから一人暮らしするのが理想かな」
「……して」

 下を向いて息を吐くような小さな声で呟く翔真に「ん。なんて?」と聞き返す。

「独り暮らしなんて危な過ぎるだろう。何かあったらどうするんだ。物騒なこともあるし、早すぎる」
「へ? え、何? ──ははっ、急に女子高生のお父さんみたいになって、どうしたんだよ」
「……っ、家事とか色々大変だし、やめておいた方がいいよ」
「あぁ、そこは大丈夫。俺、家庭的だから」

 家庭の事情もあったから、自分のことは自分でするようになった。
 家事は時間が空いている方、見つけた方がやるシステム。どっちか分担とかじゃなくて、自分のことは自分でやる。やってくれたら、どうもね。てな具合で今日まで上手くやっている。
 叔父さんは料理が大して上手くないので、俺の方が作る率は高い。
 叔父さんは「店に出せるレベルだぞ!」って喜んでくれるが、それって保護者目線。料理アプリありきだし。

 そんなわけで、金さえ溜まれば一人暮らししても大して困らないと思っている。

「あ、手土産持参でなら遊びに来ていいよ」
「……」

 笑いながら冗談めかしてそう言ったけど、翔真が真顔で全然笑っていないことに気づき、「手土産なくても、いいからな」と誤魔化しながら訂正する。
 だけど、翔真は表情を変えず、俺を見つめる。

 ──だから、なんだよ? その不機嫌な顔は。

 すると、木田がすかさず翔真にツッコむ。

「盛岡っちが心配するのは分かるけど、不機嫌になるのは違うだろ」
「…………あぁ、分かっているよ」
「分かってないだろ」

 木田は翔真が不機嫌な理由を何故か分かっていて、窘めている感じが釈然としない。どういうことなんだと不貞腐れていると、ズボンの中に入っているスマホのバイブが揺れる。
 もういいや、携帯でも眺めちゃおうと画面を覗き込むと、クラスメイトから一通のメールが入っている。

「え? なんだろ?」
「千春、どうした?」
「担任が俺のこと探しているって。ちょっと職員室へ行ってくる」

 何か提出し忘れているのか、と考えながら立ち上がるのとほぼ同時に、屋上ドアが開いた。
 ドアを開けてやってきたのは担任だった。わざわざ屋上まで用件を伝えに来てくれたのか。

「福地!」
「先生⁉ え、丁度メール見たところで、職員室へ向かおうかと」

 担任の表情はとても真剣で緊迫感がある。
 その表情から、なんだか嫌な予感がした。
 そういう表情を小学校の担任もしていたからだ。
 担任が真っすぐ俺に近づくと、帰り支度をするように声をかけた。

「福地、今から言う病院に向かって欲しい」
「……え?」
「福地の叔父さんが交通事故に遭ったそうだ。詳しい状況は分からない」
「──……事故?」

 交通事故?
 その言葉にドッと強い心拍音が聞こえた後、冷や汗が出た。
 遠くのところで担任が説明している声が聞こえる。
 すると、視界が薄暗くなって、手足が冷たくなっていく。

 はっはっ……
 肩を強く掴まれて、そちらを向くと翔真だった。

「千春、行こう。今、病院までのタクシー呼んだから」
「……あっ」

 そうだ。病院行って具合を確認しなくちゃ。
 しっかりしなくちゃいけないのに、全身震えて足が竦む。どうやって一歩出していいのか分からない。

 はくっと口を開けたけど、息苦しい。
 どうしてこんなに身体がいうことを効かないのか、下を見ると、大きく震えている。 

 翔真はそんな俺の頭を胸元に抱き寄せ、背中をポンポンと叩いてくれた。

「落ち着け。深呼吸しろ」
「……」
「息を吸って、吐くんだ」

 ぎゅっと瞼に閉じて、翔真が言うように息を吸って、吐く。
「もう一度、ゆっくり」と彼のアドバイス通りに深呼吸していると、手足の感覚が戻ってくる。
 震えているが動かせるようになった手で、翔真の胸元を掴むと、大きなドアの音。

「千春っ!! はぁはぁはぁ、荷物、全部持ってきたぞ! とにかく今すぐ行け!」

 木田の手には俺の鞄。
 今の間で俺の荷物を持ってきたのか。彼は荒い息を吐きながら、それを俺に持たせると、ぐいぐいと俺の腕を引っ張る。

「俺も自転車で追いかけるから! 多分病院内には入れないけど……だから……」
「千春、俺も付き添うよ」

 病院は、身内と関係者しか病棟には入れない。
 それでも、付き添うと言ってくれる二人を見て、心強さを感じ頷いた。

「……急いで、行くよ」
 動くようになり駆け足で屋上ドアを開ける。こんな状況だから担任は注意せず、「気をつけて」とだけ言った。
 一気に階段を下りて校舎を出る。翔真が呼んだタクシーは校門の横に到着していた。
 翔真も一緒に同行してくれ、運転手に行き先を伝えてくれる。

「はぁ……」
 タクシーの中で、叔父さんの安否を考えてしまう。
 すると、また手が震えてきて──その手を横にいる翔真が握ってくれた。
 でも、それでは震えが止まらなくて、彼の握る手の強さが強まった時、タクシーが病院に到着した。
 金は翔真が立て替えてくれ、力強く手を引かれながら、タクシーを降りる。


 屋上から出て階段を駆け下りたところまでは元気だったけれど、いざ病院を見ると恐怖に足がすくむ。
 ──もし……もしも、最悪の結果だとして、そうなったらどうしよう。

「はぁ──はっはっ」
「……千春」

 病院の入り口で立ち止まる。

「どう、しよ……、はっ、父さんと、母さん……はっ、みたいに……なったら、どうし、はっはっはっ……」
「……」

 どうしようもなく込み上げてくる不安にまた飲み込まれて、パニックになり始めると、翔真の名前を呼ぶ声がまた遠くで聞こえる。

 そしたら、また、俺は記憶が途切れ途切れになり、気付けばベンチに座らされていた。包み込むように身体に腕を回されて、背中を何度も撫でられている。

 呼吸が少し落ち着いてくると、翔真が俺の顔を覗き込んできた。
 心配する瞳と視線が合う。
 彼は自分が苦しいような表情をしていた。

「──千春、辛いのなら無理する必要はない。俺が様子を聞いてくる」
「翔真……俺」

 大きな手で肩を掴まれる。その力強さにグッと自分が支えられるような気がした。大丈夫だと言われているようで、混乱する気持ちがまた落ち着いてくる。
 
 唐突に一人じゃないと思えた。
 この手があれば、行けるような気がする。

「なぁ……病棟の入り口まで着いて来てくれる?」
「勿論だ。だが、そこまで行けるか?」

 頷いた時、ズボンのポケットで携帯が鳴る。
 電話に出ることに躊躇ってしまう。そんな俺を見かねた翔真が「俺が電話に出るよ」と俺のズボンから携帯を取り出して、代わりに電話に出てくれる。

「もしもし。えぇ、こちらは千春くんの携帯で間違いありません。──え? えぇ……いえ、俺は千春くんの友人で……はい」
「……」

 無意識に翔真の制服の裾を掴む。

「はぁ……、そうでしたか」

 緊迫した声で話し始めたが、最後の方には気が抜けたような返事をしている。脱力していくように肩を下ろした翔真が俺を見て、苦笑いする。
 暗い様子じゃないその様子に自分の緊張が和らぎ、落ち着いていく。

「翔真──もしかして」
「あぁ、千春くんに変わりますので」

 彼は携帯を俺に差し出した。
 それから馴染みの声がそこから聞こえて来て、携帯を掴んだ。


 ◇


 受付で案内された病室にノックして入ると、「はーい」と気の抜けるような声が聞こえる。眉間にシワが寄りそうなのを、指でゴリゴリ押さえて、病室のドアを開けた。
 真っ白い病室、白い仕切りカーテン、そこに馴染みの細身の中年男がにこやかに手を振っていた。その姿に、溜息を吐いた。

「──無事でよかったよ。叔父さん」
「あらやだ、無事じゃないからね!? ほら、見て右足骨折しちゃった!」

 そう言って、ギプス固定されている右足を指さした。

「トラックとの正面衝突だよ!? 九死に一生体験しちゃった。車ぺちゃんこに大破してるのに、僕は足一本なんて、頑丈過ぎる。自分にリスペクトしちゃう。これからも筋トレは続けるべきだね」
「……はぁ」

 相変わらずの元気さに、もう一度溜め息を吐いた。

「なんだい、大きな溜息だね」
「……これは嬉しい溜息だよ。どれだけ心配したと思ってんの」

 学校で交通事故に遭ったと聞いて、頭の中が真っ白になったし、なんなら過去のことを思い出してパニックになった。不満タラタラ、ねちねちと叔父さんに言うと「そうかぁ~」とマヌケな相槌が返ってくるから脱力ものだ。

 ガクッと頭が落ちると、ポンッと撫でてくれる、いつもの手。

「ここまでよく来れたね、千春。頑張った、怖かっただろう」
「……………うん」

 頷いて、ちょっと鼻水が出る。この短時間で脳みそが上下に揺さぶられ過ぎた。
 ずずっと鼻水を啜る。
 叔父にこの年で泣き顔を見られるのは恥ずかしいので、涙はなんとか堪えた。

「……でも、俺だけだったら、無理だった。友達が病院に着くまで支えてくれて、病院着いてからも代わりに状態聞いてきてくれるって言ってくれてさ」
「へぇ? 木田くんは意外に男前だねぇ♪」

 木田はよくうちにも来るので、当然叔父さんも知っている。でも、木田じゃなくて別な奴だと伝えると、叔父さんは「さっきの電話の子かな」と言った。

「いい友達じゃないか」
「うん。本当にいい奴なんだ」
「千春はその分、大事に出来るといいね」

 叔父がたまに見せる保護者面をした時、病室のドアが開いた。
 入ってきたのは中年だけど、小綺麗で、それから柔らかな雰囲気の女性だった。初めて見る顔だ。
 そういえば、叔父さんのベッドサイドには女性ものの鞄が置いていた。

 女性は俺を見ると、少し恥ずかしそうに微笑んで、頭を下げる。
 互いに挨拶し合って、少しだけ会話をした。
 仕事だったけれど、慌てて来たという彼女に、二人の仲を想像するのは容易い。お邪魔虫だと思った俺は、早々と病室を後にしてナースステーションで軽く説明を聞いて、病院を出た。



「千春!」
「おう」
 病院前のベンチに翔真と木田が座っていて、声をかけた。
 先程、翔真は電話で叔父さんの様子を聞いたはずなのに、まだ心配して待ってくれていた。改めて、俺が説明すると、二人はホッとして息を吐いた。

「はぁ、そっかぁあ~、なんにせよ、よかったよ。俺、自転車パンクしたから自転車屋寄ってくるわ……」

 自転車パンクするくらい必死にペダルを踏んでくれた木田を想像する。小学生からの幼馴染は友人想いで背後からがばぁっと抱きしめた。

「俺、ガチで木田大好き。ありがとう」
「ふっ、愛され木田くんの魅力にすっかりメロメロのようだな」

 明日は学食の一番高いメニューを奢りたまえと強請ってくるところが木田らしいが、それくらいはお安いごよう、なんならデザートも付けてやると言ったら、「明日も元気に来いよな」って自転車押しながら手を振って、彼はその場を後にした。

 その背中を見送ったあと、停車しているタクシーが横目に入り、翔真に立替えてもらったことを思い出して、急いで返す。

「いいよ」
「いいよっていいわけないだろう。はい」

 翔真の手の平に強引にお金を押し付けて、返却されないように掴んだ手の上から自分の手をぎゅっと握る。
 ──さっき、ずっとこの手に力強く支えられた。

「ありがとう」
「……当たり前だろ」
「……うん」
「いつだって頼りにしていいから」
「……」

 ぎゅっぎゅっと感謝の気持ちで、手を握って。それから顔を上げて、翔真を見つめる。

「大好き。翔真がいてくれてよかった」
「……」

 木田にも同じように言ったのに、キャラが違うせいで若干恥ずかしさが込み上げてくる。それをへへっと笑いながら誤魔化していると、大きなその手が俺の髪の毛をわしゃわしゃと乱雑に扱う。
 文句も今日という日は何にも出てこない、やられっぱなしで大人しくしていると、コツンと頭に額が乗っかり、抱きしめられた。

「え⁉ ちょっと、おい。こんな場所だぞ!」

 パニック起きた時もここで抱きしめられていたわけだけど。冷静な状態とでは違うだろう。彼の横腹をパンパンと軽く叩くが、ぎゅ~~~っと力強く抱きしめられる。

「……ぐ……っ、ぐえ、ぐるじぃ」

 潰れたような声を上げると、翔真の肩が震えて、それから身体を離された。
 見上げて翔真の顔を見ようとした時、今度は俺の髪の毛を両手でぐちゃぐちゃにする。

「なんだよ、さっきから──」
「──見守るだけなんて……、そんなのとっくに無理じゃん」
「何?」
「ふっ、ははは……」

 肩を震わせて笑っているが、面白さが伝わってこず頬を膨らますと、ぷっと指で頬を突かれる。
 文句は今日のうちは我慢だと思っていたら、小腹が減ったからマッグに行こうと彼に誘われた。
 それなら木田も一応声をかけるかと電話すると、自転車屋の近くの店なら行けると言われ、そこで期間限定バーガーを三人で頬張った。



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