ロマンドール

たらこ飴

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44. 夕闇急行

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 退院後、念のため監督から1週間の休養を言い渡された私は自室で暇を持て余していた。両親は仕事で家におらず、いるのは私と猫たちだけだ。下手に出歩くわけにもいかず試しにi phoneにダウンロードしていた音楽を大音量で流してみたが、やはり傷口の後頭部に響く。いつもは1人で過ごすことなど苦にならないのに、今日に限ってやけに心細くて誰かと話したい。ルーシーやジョーダンは仕事で私の相手をしている暇はないだろう。ウミなんて尚更忙しいに違いない。数年に一度来るか来ないかの誰かに構って欲しい日に限って誰も誘える人がいない。何をしようか。考えあぐねているところに、階下でインターフォンが鳴る音が聴こえた。

 来客はこの間カフェにいた黒人女性だった。警察から私の住所を聞いて来たという。名前はアリーシャといい、私よりも2つ年上の書店員だった。彼女は私に助けてもらったお礼を何度も伝えた。

「とりあえず入らない?」

 死ぬほど退屈していた私は遠慮するアリーシャをほぼ無理矢理部屋に連れ込んだ。アリーシャは部屋に入って床に腰を下ろすなり尋ねた。

「あの警官2人、あなたのところにも来た?」

 台所から持ってきたホットのカップコーヒーとマドレーヌを部屋の真ん中の背の低いテーブルに出した私は、昨日の病院での一件を思い出して胸糞の悪い気持ちになった。

「来たわ、昨日の夜。あの若いチャラそうな警官、最高にムカついた。あれで警官名乗れんだから世も末だわ」

「警官たちは、犯人は誰でも良いから殴りたかったんだろうって言ってたけどそんなの嘘よ。あいつは私だから殴ろうとしたんだわ。私がーー」 

「それは分からないわ」

 アリーシャの言葉を遮る。ただでさえ知らない男に殴られかけて怖い思いをし、傷ついている彼女にその先の言葉を言わせることはとても酷な気がしたからだ。だがアリーシャは興奮気味に続けた。

「私は警官たちに伝えたの、これは無差別なんかじゃないって。あの酔っ払いは私を選んで、私をまっすぐに見て歩いてきて殴ろうとした。だけど取り合ってもらえなかった。何度訴えたってあの人たちにとっては所詮人ごとなのよ」

 アリーシャの話に耳を傾けながら、これ以上何も出来ない自分に不甲斐ない気持ちになる。アリーシャの心の痛みはきっと私の後頭部の痛みとは比べ物にならない。私の傷は治っても彼女の傷が癒えることはないのだから。

「子どもの頃から黒人だからって理由でずっと差別をされてきたわ。両親はよく私たちに言った。『白人と同じ努力をして同じくらいのものを得られると思うな。私たちと彼らとは違う』って。幼い頃は、何でこんなことを言うんだろうって思ったけど、成長してからその言葉の意味が分かった。私ね、子どもの頃は舞台女優になりたかったの。だけど小学校の発表会で主役をもらえたのは白人の子だった。そのときやったのは『白雪姫』だったから仕方ないけどね」

 アリーシャは肩を竦めた。別に黒人やヒスパニックやアジア系が白雪姫を演じたっていいじゃないかと言ったが、アリーシャは首を振った。

「理想はそうだけど現実は違うわ。子どもの頃私の家は貧乏で、同じ黒人の友達の家もそうだった。私は白人の多い地域の学校に通っていて、皆じゃないけど白人のクラスメイトは裕福な子が多かったわ。同じくらい勉強や運動を頑張っても、卒業式に生徒代表としてスピーチするのは白人の子の方だった。先生も他の生徒も表面上優しくしてはくれていても、ある瞬間に下に見られてるってのが分かって失望したりね」

「大人たちが差別感情を持って接するから子どもに伝染するのよ。最低ね」

 子どもの頃に観た『青い目茶色い目』というドキュメンタリーを思い出した。まだ人種差別が蔓延する時代、アメリカの女性の先生が差別とはどういうことかを教えるためにクラスを青い目の子、茶色い目の子とグループ分けし、一方を優遇し一方を冷遇した。一定期間が開けると優遇、冷遇するグループを交換する方式だった。最初優遇された茶色い目のグループの子どもは学習意欲が上がり成績が伸びたが、冷遇されている青い目のグループの子どもは成績が落ち消極的になった。また、茶色い目の子どもが青い目の子どもを虐める場面も見られたり、泣く子もいたりとクラスの雰囲気は最悪になった。

 だが最後これが授業の一環であることを先生が生徒たちにネタバラしし、生徒たちはほっと胸を撫で下ろす。差別がいかに人の心を傷つけるかを学び、笑顔で壮大なカリキュラムは幕を閉じる。

 革新的ともいえる道徳教育としてなされたこの試みは、当時大きな社会問題となった。肯定的な意見もあれば激しい批判もあった。

 私が生徒の立場なら、大人になって振り返りこの授業を受けて良かったと思うかもしれない。結局実際に差別をする側、される側にならないと問題の本質は分からない。差別する側に立って生まれる憎しみや嘲り、差別を受ける側が抱く怒りや悲しみなどといった感情を身をもって体験することで初めて理解する。人種差別がいかに人の心に深い傷を負わせ、これまで育んできた友情をもいとも簡単に破壊し、コミュニティに修復困難な分断をもたらすかということを。
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