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30. 思い出
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タイタニック号に関する展示を行っているシーシティー博物館を訪れたのは、これで2度目だった。確か1度目は中学生の時。まだ博物館ができたばかりの頃に祖父に連れられてやってきた。祖父は行きの車で、私に『タイタニック』で印象に残ったシーンはどこだったかと尋ねた。そもそもタイタニックの映画すら観ていなかった私は適当に「チャックが死ぬシーン」と答えた。祖父のパウロはなるほどな、と苦笑いを浮かべた。
今ルーシーは透明なガラスケースの中にある、大きなタイタニック号の模型を見つめている。私はそんなルーシーの横顔に何気なく目をやる。彼女は今何を思っているのだろう。またブルーベルのことを考えているのだろうか。もしルーシーの心の中に入って彼女が考えていることを知ることができたら、共感しすぎて苦しくなるだろうか。それとも今よりもっと優しくなれるだろうか。
「もしも船が沈んで恋人が死んで、私だけが生き残ったとしたら立ち直れないわ」
神妙な顔をしたルーシーがぽつりとつぶやく。
「死ぬってどんな感覚なんだろう。無?」
答えが見つかることなどなかろう私の問いかけにルーシーは首を傾げる。
「どうかしらね。もし天国があるとしたら、無ではないのかも」
高校2年の3月に祖父が71歳で急死した時、私は二度と立ち直れないだろうと思った。祖父は昔から私を誰よりも可愛がってくれたし、私も祖父のことが大好きだった。祖父の葬式にはたくさんの人が詰めかけて、皆口々に祖父との思い出話を語った。彼に救われたこと、彼の繰り出す滑稽でシュールなジョークや彼の踏んだドジによって笑わせられたこと。多くの人が彼の不在を嘆き悼んだ。そしてこう言った。
『君もきっとおじいさんみたいな何者かになるだろう』
「私、何やってんだろな」
船の模型の看板部分を見つめながら誰にともなくつぶやく。ルーシーがこちらに視線を向けるのが分かる。
「何から何まで中途半端なんだわ、とっ散らかってるっていうか……。自分のやったことに満足できたことがない。いつも途中で投げ出したり、自分にはできないって諦めてばっか。女優辞めたいなんて言って、他にやりたいこともないくせに」
「ニコルに何かを言われたから、辞めたいなんて言ってるの?」
「それもあるけど……。元々向いてないかもって思ってたんだよね、このドラマもさっさと降板しようかな~とか考えてる」
ルーシーはさっきより険しい表情になって首を振った。
「リオ、そんなことを言ってはダメ。自信が無さすぎるのよ。私はあなたのことをのっぺらぼうだとかポンコツだとか思ったことは一度もない。あなたは他の人とは違う特別なものを持ってる。私には分かる」
私は驚いてルーシーを見た。彼女が、祖父が以前私にかけたのとほとんど同じ言葉を口にしたからだ。
中学3年のあの日、祖父はチェルシー宅から泣きながら帰ってきた私の話に静かに耳を傾けたあとこう言った。
「リオ、お前はちっともおかしくなんてない。私は思うんだよ、お前の中には宝石が沢山詰まっていると」
私は涙を拭って尋ねた。
「私を逆さまにして振ってみたら、出てくるかな? 宝石」
祖父は大声で笑った。
「出てくるかもしれんな」
「高く売れる?」
「きっとあまりに美しすぎて、値段がつけられんだろう」
「そっか……」
泣き止んだ私を見つめる祖父の皺の寄った瞼の中にあるその褐色の瞳には、この世の苦労や悲しみを乗り越えてきた者だけが持つ温かな輝きがあった。
「リオ、お前は特別な子だよ。私には分かる。誰かに何かを言われたからといって悲観することはない。人と違うからこそ、人はお前のことをもっと知りたいと思う。他の人ができないことができる。胸を張って生きなさい」
気づいたらルーシーが気遣わしげに私の顔を覗き込んでいた。頬に触れた彼女の指が何かを掬い取る。それが涙だと気づくまで数秒かかった。
「あなたにとってお祖父さんは、すごく偉大な人なのね」
祖父の話を聞いたルーシーは優しく微笑んだ。
「チェルシーの家から帰ってきたとき、私は誰も自分のことを理解してくれないって思って絶望してたの。だけどお祖父ちゃんは私のことをちゃんと見てくれてるんだって思った。今でも信じられないの、お祖父ちゃんがいないことが」
「お祖父さんはあなたを見守っていると思う。あなたが頑張っているのも、苦しんでいるのも全部見てるわ。お祖父さんの存在があなたに与えた影響は、あなたが思ってるよりも大きいと思う」
「もし……もしお祖父ちゃんが生きていたら、私になんて言うだろうな」
「何て言うと思う?」
祖父はいつも、私が落ち込んでいるとき可笑しなジョークを言って笑わせてくれた。きっと私に何かをしろと説教をしたり、頑張って自分のように生きろなんて言わないだろう。
「多分お祖父ちゃんは何も言わないで私を笑わせてくれると思う」
「それならあなたも同じよ」
「そうかな?」
「うん。あなたは私が落ち込んでるといつも笑わせてくれるもの。あなたは気づいてないかもしれないけれど、あなたはお祖父さんとよく似てると思う」
昔から家族によく私は祖父に似ていると言われていた。顔や性格、ちょっとした仕草まで祖父譲りらしい。栄誉なことであるが、自分ではどこが似ているのかよく分からなかった。
だけどこうしてルーシーから言われると素直に嬉しい。祖父のようにはなれなくても、小さなことを少しずつ変えていけるような人になれたらいいななんて柄にも無いことを思った。
♦︎
博物館を見学したあとクレアとミアと合流し、施設内に併設されているレストランで夕食を摂った。2人は映画の解釈について興奮気味に語っていた。母親の言いなりだったローズが自我に目覚めたシーンはどこかとか、映画の一番最後に出てくる写真の意味などを。
お腹を満たしたあとは4人でショッピングを楽しんだ。
夕方ホテルの部屋に戻って休憩したあと、私とルーシーはクレアとミアの部屋に突撃した。2人は『タイタニック』を観ていた。これも祖母のセシルの考えたアイデアなのだが、このサウザンプトンのホテルでは全ての部屋のTVで『タイタニック』を無料視聴できる。
案の定ミアはディカプリオ演じるジャックと、ケイト・ウィンスレット演じるローズのロマンスのシーンを観て「ロマンチック!」と目を輝かせた。
映画を観たあと、皆で寝室の隣にある大部屋のソファに座りながらテーブルを囲んだ。買ってきたジュースや缶ビールやワインをカルパスやポテトチップスなんかのつまみと一緒に飲みながら、映画の感想を語り合ったり他愛のない話をしていたとき、不意にミアが「いいこと思いついた!」と悪戯っぽく笑った。
「クッションを持った人が順番に打ち明け話をしていくってのはどう? 自分が話し終わったら次の人にお題を振るの」
「いいね、やりましょう」
クレアも乗り気だ。私とルーシーも顔を見合わせたあとほぼ同時に頷いた。夜のテンションというやつには誰も逆らえない。苦手な恋愛の話が振られないことを願うばかりだ。
「じゃあ、言い出しっぺのミアからね」
ルーシーに促されたミアは、自分の脇に置いてあるケルト紋様のクッションを手に取った。
「OK。じゃあルーシー、私にお題をちょうだい」
「そうね……。あなたの初恋はいつ?」
ミアはやや照れ臭そうに微笑んで答えた。
「本当に人を好きになったのは18歳のときね。私と同じ仕事をしてる人で、映画で共演して……」
「その人と付き合ったりは?」
ルーシーの質問にミアは意味深に、少し切なそうに微笑み肩をすくめた。
「とりあえず、私の方が相手をすごく好きだったって感じかな」
ミアは肝心なところをぼかして話し終えたあと、続く質問を回避するかのように素早くクレアにバトンを託した。
「あなたのファーストキスはいつ?」
ミアの投げかけた問いにクレアは困ったように首を傾げた。クレアはこの質問に答えないのではないか。上手くはぐらかす可能性だってある。なぜなら鋼鉄のようなガードの固さを持つ彼女は、プライベートなことをマスコミだけでなく仲の良い友人にすらほとんど話さないと有名だからだ。
だが私の予想を裏切るように、クレアはグラスのワインに口をつけたあと躊躇いがちに口を開いた。
「元々私はフランスに住んでいたんだけど……」
彼女とミアが元々フランスで女優として活躍していて、尚且つ同じ高校の先輩後輩にあたる関係であったことは知っていた。普段このようなガールズトークでは一貫して聞き役に回るクレアが、こうやって話し始めたことが意外だった。私たちは静かに言葉の続きを待った。
「高校1年の時、一度ロンドンに公演に来たことがあったの。その時に出会った子がいたんだけど……」
今ルーシーは透明なガラスケースの中にある、大きなタイタニック号の模型を見つめている。私はそんなルーシーの横顔に何気なく目をやる。彼女は今何を思っているのだろう。またブルーベルのことを考えているのだろうか。もしルーシーの心の中に入って彼女が考えていることを知ることができたら、共感しすぎて苦しくなるだろうか。それとも今よりもっと優しくなれるだろうか。
「もしも船が沈んで恋人が死んで、私だけが生き残ったとしたら立ち直れないわ」
神妙な顔をしたルーシーがぽつりとつぶやく。
「死ぬってどんな感覚なんだろう。無?」
答えが見つかることなどなかろう私の問いかけにルーシーは首を傾げる。
「どうかしらね。もし天国があるとしたら、無ではないのかも」
高校2年の3月に祖父が71歳で急死した時、私は二度と立ち直れないだろうと思った。祖父は昔から私を誰よりも可愛がってくれたし、私も祖父のことが大好きだった。祖父の葬式にはたくさんの人が詰めかけて、皆口々に祖父との思い出話を語った。彼に救われたこと、彼の繰り出す滑稽でシュールなジョークや彼の踏んだドジによって笑わせられたこと。多くの人が彼の不在を嘆き悼んだ。そしてこう言った。
『君もきっとおじいさんみたいな何者かになるだろう』
「私、何やってんだろな」
船の模型の看板部分を見つめながら誰にともなくつぶやく。ルーシーがこちらに視線を向けるのが分かる。
「何から何まで中途半端なんだわ、とっ散らかってるっていうか……。自分のやったことに満足できたことがない。いつも途中で投げ出したり、自分にはできないって諦めてばっか。女優辞めたいなんて言って、他にやりたいこともないくせに」
「ニコルに何かを言われたから、辞めたいなんて言ってるの?」
「それもあるけど……。元々向いてないかもって思ってたんだよね、このドラマもさっさと降板しようかな~とか考えてる」
ルーシーはさっきより険しい表情になって首を振った。
「リオ、そんなことを言ってはダメ。自信が無さすぎるのよ。私はあなたのことをのっぺらぼうだとかポンコツだとか思ったことは一度もない。あなたは他の人とは違う特別なものを持ってる。私には分かる」
私は驚いてルーシーを見た。彼女が、祖父が以前私にかけたのとほとんど同じ言葉を口にしたからだ。
中学3年のあの日、祖父はチェルシー宅から泣きながら帰ってきた私の話に静かに耳を傾けたあとこう言った。
「リオ、お前はちっともおかしくなんてない。私は思うんだよ、お前の中には宝石が沢山詰まっていると」
私は涙を拭って尋ねた。
「私を逆さまにして振ってみたら、出てくるかな? 宝石」
祖父は大声で笑った。
「出てくるかもしれんな」
「高く売れる?」
「きっとあまりに美しすぎて、値段がつけられんだろう」
「そっか……」
泣き止んだ私を見つめる祖父の皺の寄った瞼の中にあるその褐色の瞳には、この世の苦労や悲しみを乗り越えてきた者だけが持つ温かな輝きがあった。
「リオ、お前は特別な子だよ。私には分かる。誰かに何かを言われたからといって悲観することはない。人と違うからこそ、人はお前のことをもっと知りたいと思う。他の人ができないことができる。胸を張って生きなさい」
気づいたらルーシーが気遣わしげに私の顔を覗き込んでいた。頬に触れた彼女の指が何かを掬い取る。それが涙だと気づくまで数秒かかった。
「あなたにとってお祖父さんは、すごく偉大な人なのね」
祖父の話を聞いたルーシーは優しく微笑んだ。
「チェルシーの家から帰ってきたとき、私は誰も自分のことを理解してくれないって思って絶望してたの。だけどお祖父ちゃんは私のことをちゃんと見てくれてるんだって思った。今でも信じられないの、お祖父ちゃんがいないことが」
「お祖父さんはあなたを見守っていると思う。あなたが頑張っているのも、苦しんでいるのも全部見てるわ。お祖父さんの存在があなたに与えた影響は、あなたが思ってるよりも大きいと思う」
「もし……もしお祖父ちゃんが生きていたら、私になんて言うだろうな」
「何て言うと思う?」
祖父はいつも、私が落ち込んでいるとき可笑しなジョークを言って笑わせてくれた。きっと私に何かをしろと説教をしたり、頑張って自分のように生きろなんて言わないだろう。
「多分お祖父ちゃんは何も言わないで私を笑わせてくれると思う」
「それならあなたも同じよ」
「そうかな?」
「うん。あなたは私が落ち込んでるといつも笑わせてくれるもの。あなたは気づいてないかもしれないけれど、あなたはお祖父さんとよく似てると思う」
昔から家族によく私は祖父に似ていると言われていた。顔や性格、ちょっとした仕草まで祖父譲りらしい。栄誉なことであるが、自分ではどこが似ているのかよく分からなかった。
だけどこうしてルーシーから言われると素直に嬉しい。祖父のようにはなれなくても、小さなことを少しずつ変えていけるような人になれたらいいななんて柄にも無いことを思った。
♦︎
博物館を見学したあとクレアとミアと合流し、施設内に併設されているレストランで夕食を摂った。2人は映画の解釈について興奮気味に語っていた。母親の言いなりだったローズが自我に目覚めたシーンはどこかとか、映画の一番最後に出てくる写真の意味などを。
お腹を満たしたあとは4人でショッピングを楽しんだ。
夕方ホテルの部屋に戻って休憩したあと、私とルーシーはクレアとミアの部屋に突撃した。2人は『タイタニック』を観ていた。これも祖母のセシルの考えたアイデアなのだが、このサウザンプトンのホテルでは全ての部屋のTVで『タイタニック』を無料視聴できる。
案の定ミアはディカプリオ演じるジャックと、ケイト・ウィンスレット演じるローズのロマンスのシーンを観て「ロマンチック!」と目を輝かせた。
映画を観たあと、皆で寝室の隣にある大部屋のソファに座りながらテーブルを囲んだ。買ってきたジュースや缶ビールやワインをカルパスやポテトチップスなんかのつまみと一緒に飲みながら、映画の感想を語り合ったり他愛のない話をしていたとき、不意にミアが「いいこと思いついた!」と悪戯っぽく笑った。
「クッションを持った人が順番に打ち明け話をしていくってのはどう? 自分が話し終わったら次の人にお題を振るの」
「いいね、やりましょう」
クレアも乗り気だ。私とルーシーも顔を見合わせたあとほぼ同時に頷いた。夜のテンションというやつには誰も逆らえない。苦手な恋愛の話が振られないことを願うばかりだ。
「じゃあ、言い出しっぺのミアからね」
ルーシーに促されたミアは、自分の脇に置いてあるケルト紋様のクッションを手に取った。
「OK。じゃあルーシー、私にお題をちょうだい」
「そうね……。あなたの初恋はいつ?」
ミアはやや照れ臭そうに微笑んで答えた。
「本当に人を好きになったのは18歳のときね。私と同じ仕事をしてる人で、映画で共演して……」
「その人と付き合ったりは?」
ルーシーの質問にミアは意味深に、少し切なそうに微笑み肩をすくめた。
「とりあえず、私の方が相手をすごく好きだったって感じかな」
ミアは肝心なところをぼかして話し終えたあと、続く質問を回避するかのように素早くクレアにバトンを託した。
「あなたのファーストキスはいつ?」
ミアの投げかけた問いにクレアは困ったように首を傾げた。クレアはこの質問に答えないのではないか。上手くはぐらかす可能性だってある。なぜなら鋼鉄のようなガードの固さを持つ彼女は、プライベートなことをマスコミだけでなく仲の良い友人にすらほとんど話さないと有名だからだ。
だが私の予想を裏切るように、クレアはグラスのワインに口をつけたあと躊躇いがちに口を開いた。
「元々私はフランスに住んでいたんだけど……」
彼女とミアが元々フランスで女優として活躍していて、尚且つ同じ高校の先輩後輩にあたる関係であったことは知っていた。普段このようなガールズトークでは一貫して聞き役に回るクレアが、こうやって話し始めたことが意外だった。私たちは静かに言葉の続きを待った。
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