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文学少女れもん
しおりを挟む翌日、れもんは学校帰りに恩田古書店に寄った。前日に寄ったときは平日だったこともあり、店番は叔父がしていた。店の上に恩田家の住まいがあるのだが、そちらにも華子はまだ帰っていなかった。
結局れもんは携帯電話を持っていないので、叔父に明日行くことを言づけて、帰ってきたのだった。
「いらっしゃい、れもんちゃん。昨日ごめんね」
「急に来たわたしが悪いから」
久しぶりに会う華子は、少し日に焼けていた。
「沖縄行ってきた?日に焼けたね」
れもんが何気なく聞いてみると、華子はちょっと表情を曇らせた。
「ううん、これは職場の人とのテニス焼け。あの人最近忙しいんだってー」
れもんは話題をかえよう、と思った。こういうとき自分に恋愛経験があれば、もっと話題を膨らませて華子の相談相手になれるかもしれない。れもんにとってまだ恋とは読むもので、するものでも、落ちるものでもなかった。
「駅前のケーキ屋で、クッキー買ってきたんだけど、食べない?」
華子は店番を父に任せ、れもんと二階に上がった。
「お父さんね、なんでうちの娘はれもんちゃんみたいに本を読まないのかね、ってよく言ってるよ。あんなに本が好きならうちの子になればいいのにーって」
れもんは自分の家の下に、たくさんの本があることを想像し、わくわくした。そのうち店の中で衣食住をしてしまいそうだ。
「そんな生活天国だなあ」
クッキーを食べながら、れもんはやや上を向き呟く。
「どうしてそんなに読書が好きなの?」
華子は本を読んでいるより、外に出かけ、体を動かすほうが好きだ。おいしいランチを食べ、可愛い雑貨屋やカフェに行くだけで満ち足りた気分になる。華子は物語を必要としない人生を送ってきた。物語を必要としない人は、自分が人生の主人公になっていることを当たり前に享受している。そしてそれが当たり前ではない人がいることに気が付かない。
れもんは少し考え、慎重に言葉を選んだ。
「本はさ、ほとんど見かけは変わらないでしょ?」
「うん」
「表紙があって、紙の上に文字があって、また裏表紙で閉じられてて。でも、中身は開くまでわからなくて、全て違うじゃない?」
「うん」
「そこが好き。開くまでどんな世界が本の中にあるかわからなくて、だから開きたくなるし、読みたくなる」
れもんが一番ときめく時間は、図書館から帰る時間、書店から帰る時間だ。自分がまだ知らない世界を、鞄の中に携えている。その瞬間がたまらない。
「今まで言葉に出して言ったことはなかったけど、そういう理由かな」
いざ、言葉に出すと恥ずかしくなってきた。れもんは恥ずかしさを紛らわすために、紅茶を飲んだ。
「そういえば、家に来たのって何かあった?相談とか」
「ああ、華ちゃんってどこの美容院行ってる?いいお店あったら行ってみようと思って」
華子は驚いた。
「髪形変える?家にファッション誌あるけど見る?れもんちゃん、どんな感じが好み?」
矢継ぎ早に華子に質問されて、れもんはちょっとたじろいだ。れもんの中にもこんな少女になりたいというモデルはあるが、それは多分ファッション誌の中にはない。
華子はすっかり浮かれていた。常日頃かられもんを垢抜けさせたいと思ってはいたが、興味がないれもんに無理強いはしたくなかった。
「理想は一応ある…」
「だれ?わたしも知ってる人?」
自分にとっての憧れは吉屋信子の小説に出てくる少女たちだとは流石に口に出せなかった。
華子と談笑し、叔母の好意で夕飯もごちそうになり、帰る頃には8時を少し過ぎていた。
「また、遊びに来て。今度はわたしがアパート行くから。例のお隣さん。サガ君だっけ?会ってみたいし」
「ありがと、華ちゃん」
そういえば、といいかけて、華子からある紙を手渡せれた。
「これ町内で回ってるチラシなんだけど、最近ここの近所で犬とか猫がよく怪我をしてるみたいなの。変質者のしわざかもってお知らせ来てたから気を付けてね。自転車貸そうか?」
チラシには不審者注意!の文字が大きく書かれており、その下に地図、発見された猫、犬の写真までついている。
「ひどい…」
「ひどいでしょ?この辺治安いいのに。本当に気を付けてね。お母さんによろしくね」
れもんは駅前の明るい通りを通って帰った。
帰宅後、また砂壁に耳を付けてみたが、サガは帰っていないようだった。
サガがれもん宅でブドウを食べた日からもう4日が過ぎているが、あれからサガの姿を見ていない。夕飯時に香子にまで
「れもん、最近サガ君どこか行ってるの?」と聞かれる始末だ。
知り合って間もなかったが、サガ、れもん、香子の三人で食卓を囲むことにすっかり慣れてしまった。
二人だと遠慮しがちな、鍋料理も三人だと気兼ねなくできると、香子は喜んでいた。
「体調悪いとかじゃないかしら。今度何か作ってお隣持ってってあげたら?」
「お母さんが行った方が、体調見れるしいいんじゃないの?」
いくら親しいとはいえ年頃の娘が、男の部屋に入ることに何か不安はないのだろうか。
「れもんの方が、仲良しでしょ。歳も近いんだから」
香子はいたずらぽく笑い、れもんを見る。
母は何か勘違いしてはいないだろうか。
「そんなに仲良くもないよ」
れもんはブドウを食べた日、サガが何かを隠していることに気が付いてしまった。本当に心を許しているのであれば、秘密を話してくれるはずだ。
れもんは少しサガに恨みがましい気持ちになっていることに気が付き、自嘲した。
自分こそ秘密を話す勇気がないくせに。
サガを責めるのはやめよう。誰にでも隠したいことはあり、それに他人が踏み込むのはマナー違反なんだから。
その日れもんは壁に耳を付けなかった。ベッドの中で、イヤホンでラジオを聴きながら夢うつつになっているとき、意識の遠くでドアがばたんと閉じられる音を聞いた気がした。
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