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あの笑顔の裏で

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 久世の父が部屋を出るなり部屋の外で話し声が聞こえた。混乱しているのか大きめな声量だった。
 山科の名前が聞こえてきたためか、瑞稀は舌打ちをして立ち上がり、前室へと向かった。

「旦那様、お引き取りするようにお伝えしたのですが、私が久世家の使用人だとご存知のようで……」
 久世が久々に聞いた小林の声だ。小林は元々久世の専属運転手をしていた。
「この旅館で他の客を訪ねるなど信じられん。追い返せ!」
「……ですが、お嬢様もご一緒の様子で、戻られるまでここを動かないとおっしゃっておりまして……」
 そこで瑞稀が反応をした。
「晶が? 晶も一緒なの? ……行きましょう。私も行きます」
「……お前がここにいる理由をどう説明する」
「事実を伝えればいいわ。透さんと泊まっていて、今お父様の前で婚姻届を書いたばかりだと」
「……そうだな。山科もそれですぐに引き下がるだろう。なぜここにいるのか、なぜ俺のところに挨拶に来たのか、おそらくは透とのことだろうからな」
「早いところ終わらせましょう」
「ああ。小林、お前はここにいろ。透が帰ろうとしたら引き止めろ」
 それを最後に何も聞こえなくなった。父と瑞稀は部屋を後にしたようだ。

 久世がおそるおそる前室を覗くと、小林が落ち着いた態度で立っている。
「……小林、雅紀を見たか?」
 小林は気づいたような表情をしたあとに答えた。
「存じ上げません。生田様もいらっしゃるのですか?」
「そうだ」
「……私にできることはございますか?」
「父の命令はどうする?」
「……私は透様の専属運転手に過ぎません」
 小林は失礼のない程度にニヤリと笑った。

 久世の無茶な命令をたしなめ、自分を気遣う生田に、小林は少なくない好意を抱いていた。久世よりも生田の味方をする場面を幾度となく見ていた久世はそれに気がついた。小林が父よりも久世を案じていることは知っていたが、それだけでは足りないと考えた久世は生田の名前を出してみたのだが、それが功を奏したようだ。

 久世は小林とともに華風の間へ再び向かった。
 しかしそこに生田はおらず、いたのは西園寺親子だった。
「おはようございます」
 久世は反射的に西園寺議員に頭を下げた。小林も同様である。
 英輔が息子をじろりと睨む。
「久世くんがなぜここにいる」
「……櫻田の娘に無理やり連れてこられたんだ」
 息子からの返答に英輔は顔をしかめた。
「久世くんは結局櫻田と結婚するのか? どういうことなんだ?」
 久世は返答に困って答えられない。
 英輔は西園寺に怒鳴った。
「こんな暴き立てるような真似をする必要はあったのか?」
 西園寺も不機嫌な様子で父を睨み返した。
「……透と晶を結婚させる必要もないだろ?」
 英輔は息子からの問いに答えず、煙草をポケットから取り出して火をつけた。
「……逆に聞くが、山科家との縁談がなぜ嫌なんだ」
 英輔は息子ではなく久世を見据えてそう言った。
 久世が口を開きかけたとき、西園寺が応えた。
「親父と同じ理由だ。同じ苦しみを持つ者に寛容を示すくらい悪くないだろ」
 英輔は西園寺に視線を移す。
「ほう。……そういうことか」
 英輔は息子と久世の仲だと勘違いしたようだ。

 その時部屋に山科親子が戻ってきた。
「あれでは無理だ!」
 激昂している様子の山科氏が入るなり怒鳴り声をあげた。
 瑞希は落ち込んだ様子で肩を落としている。
「どうしたたかし
 英輔が恋人である山科隆に声をかけた。
「……櫻田の娘は妊娠しているそうだ」
 その瞬間、山科親子以外の面々が凍りついた。

 山科氏は久世の存在に気がついたようで、なぜいるのかも問わずに睨みつけながらにじり寄る。
「久世くん、娘のところに何日も泊まり込んで親しくしていたと思えば櫻田の娘にも手を出していたのか?」
 久世は自分を案じてくれている生田や西園寺に話さずにいたばかりか、婚約破棄に向けて行動にまで移してくれたことを目の当たりにしてもなお言えず、それを裏切るような形で婚姻届にサインをしてしまった。久世に過誤はないにせよ、そのことが表沙汰になったことで反応を返せない。

「……櫻田と久世を説得するなどもう無理だ。こちらの婚姻届は偽物だが、久世は本物を持っていたぞ! 久世くんのサインが入っているものを。それに妊娠させているなら土台無理な話だ。私たちを脅そうが何をしようが、晶との縁談は解消する! 写真と音声は返却してもらう!」
 山科氏は冷静に務めるように話していたが、言いながら憤怒を抑えきれない。

 西園寺は驚いた表情を見せた後、久世を見た。久世は西園寺の視線にも気がつかず、目を逸らして窓の外を見ている。
「透……山科氏の話は本当か?」

 それには晶が応えた。
「ミキはエコー写真を持っていた。6週目だそうだ」
「……雅紀は?」西園寺が聞いた。
「いたよ。でもミキが来たら個室に下がった。会話が聞こえていたかはわからないけど……」
「透!」西園寺が声を荒げた。
 久世はまだ目を逸らしている。西園寺は久世の両肩を掴んでゆすぶり、目を合わせようとする。
「本当なのか? あのクスリを盛られた時にか?」
「……それ以外にない」
「なぜ言わなかった?」
「記憶になかったからだ……悪かった」
 西園寺は舌打ちをした。
「殺してやる」憎悪をたぎらせた目で出入り口を睨みつける。
「悠輔、もう無理だよ」晶が参ったような声で言う。

「もう終わりだ。私達は部屋へ戻る。カメラとデータその他コピーも全て渡しなさい。今すぐにだ」
 西園寺はそう言った父を睨みつけるが、データを取りに個室へと向かった。
 英輔は久世に向き直って言う。
「明日から来なくてもいい。君の代わりを探しておく」
 久世はそれには顔を向けて応えた。
「……これまでありがとうございました」
 そう言って深々と頭を下げた。
 英輔は久世の真摯な対応を見て、少し冷静さを取り戻したようだ。
「……君のことは信頼していた。これからも共に働いて欲しかった」
「申し訳ありません」久世は頭を下げたまま答える。

 英輔と山科氏は、西園寺から証拠の品々を全て受け取ると部屋を後にした。
 西園寺は冷蔵庫からビールを取り出して飲み始めた。
 晶は煙草を吸っている。

「生田様は旦那様のお部屋にいらっしゃるのですか?」
 口火を切ったのは小林だった。
「……なぜ雅紀が父の部屋にいる?」
 久世はハッと思い出したように言った。
「お前の親父と櫻田を呼び出すためだ。もう雅紀の仕事は無意味だな」
「どういうことだ?」
 久世は西園寺に詰め寄った。
 西園寺はため息をついてビールを飲み干すと、説明を始めた。

 西園寺と晶は父たちの逢瀬の日にこの蓼科へ来て、証拠を取ったうえでそれを使って脅し、久世と晶の婚約解消を確約させたあと、山科親子で久世父のところへ赴いて、瑞希との婚約話を白紙に戻すように詰め寄る計画だった。
 ここ蓼科に久世父を呼び出すために、生田は一ヶ月もの時間をかけて準備をした。

 西園寺の出資でタクローと二人で中目黒にバーを開店した。名前も見た目も変えて、久世の男である生田雅紀だとはバレないように配慮をした上で。
 西園寺とタクローの人脈により、そこは知る者ぞ知る名店だという噂を流した。高級で客層もそれなりに上流だと。
 久世父が好みそうな趣向を凝らしたこともあり、来店する日まではそう長くはなかった。
 生田は人好きのする性格と爽やかな笑顔を駆使して愛想よく対応し、久世父に気に入られるように最大限の努力をした。
 ノンケの男性でも魅力的に映るように生田は研究して磨き、西園寺も驚くほどの演技力を見せた。
 呼び出すことも難しいタクローがいると聞いて、開店当初はタクローを目当てに来る客が多かったが、徐々に生田の接客が評判となり、生田目当ての客が毎夜訪れるようになる。生田と会話をしたい、話を聞いて欲しい、笑顔を向けて欲しいという客が大勢来るようになった。その人気も久世父には効いたようで、芸能人や実業家などが生田を取り合う中、自分にだけ特段好意を向けてくれることに少なくない優越感を味わった。

 生田がバイで、かなりのテクニックを持っていることも噂に流した。実際に久世父の耳に入るようにと金を払ってサクラも用意した。好色の久世父はノンケだったが、生田に対して少なくない魅力を感じていたこともあり、性的指向を飛び越えても構わないと思うほどに生田との逢瀬に興味を抱いた。そう生田が誘導したのだ。
 少しずつ、煽るようにじわじわと久世父に近づいた。
 そして、この日蓼科へ誘いをかけるように仕組んだのだ。この旅館の特殊性を説明し、秘めた逢瀬には最適だと素知らぬ顔で話題にした。久世父は一も二もなく飛びついた。生田も自分に対して情欲を滾らせていると思い込んでいたからだ。

 久世は黙って聞いていたが、内心穏やかではいられなかった。
 まさか最愛の生田が父をそのように誘惑していたとは。それが西園寺との仕事だったのかと。
 震える身体を抑えられなかった。
 しかし、山科氏と対面させるためだけに蓼科へ連れてくるというのは、そこまでする理由にはならないと思った。

 西園寺は続けた。

「お前の親父と櫻田はできてる。もう二年になる」

 久世は驚きすぎて言葉を失った。
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