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夢だと

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 夜明け頃、カーテンの隙間から差し込む朝陽がちょうど生田の目元を照らした。
 生田はその眩しさで目が覚めた。すると背中に心地よい温かさと懐かしい匂いを同時に感じた。息をひそめると、一定の感覚で刻む呼吸音が背後から聞こえてくる。
 こうやって目覚めた日は何度となくあった。それを思い出した。
 生田の知らない間に、久世が後ろから抱きついてそのまま眠ってしまったことを。

 生田は久世を起こさないように慎重に寝返りを打った。久世の方へ向くように、久世の手をそっと支えて身体の向きを変えた。
 久世の寝顔を見る。生田は嬉しかった。

 配慮して別々のベッドに寝たというのに、久世の方から来てくれた。
 怒っていないのか、許してくれたのか、癖で来てくれたのか。どんな理由でも嬉しい。

 生田は静かに久世の首元に近づいて、久世の匂いをかぐ。好きな相手の匂いは胸いっぱい吸い込んでも足りないほどかぐわしい。
 そして、おそるおそる久世の髪に触れた。ゆっくりと撫でる。

 生田はいつもの癖でそのままキスをしようとした。しかし寸前で思い留まる。

 透はいつも他者からの欲望を、意思を確認されないまま強引に押し付けられている。櫻田の一件は追い打ちだ。一度目は事故のようなものだったみたいだが、櫻田のやったことは作為的なものだ。犯罪だろう。透が何も言わないから触れないようにしているが、許されることではない。

 透は自分からは何もしない受け身なタイプだから、みんな透に甘えてしまう。
 僕もそうだ。透の意思を確認することは少ない。喜んでくれるし賛成もしてくれるから、聞くこともせずに押し付ける。透は僕のことを好きだから、僕が望むならと受け入れてくれるだけだ。透も望んでいたことなのかはわからない。
 透の優しさに甘えていた。
 透は僕の怒りも、嫉妬も、不満も、全部受け止めてくれた。反論することなく、怒りもせずに受け入れてくれた。
 もうやめたい。透に甘えて押し付けるようなことはもうやめにしたい。透の望むことをしたい。
 僕がキスをすることを、透が望んでいるのかわからない。ベッドへ来てくれたけど、それも僕を喜ばせるためかもしれない。今まで手に取るように感じていたことも、電話で喧嘩したあとからわからなくなった。

 生田は考えるほどに不安になり、ベッドからも下りてしまおうかと考えた。
 久世が添えていた手を自分の身体から離して、久世とは反対の方向へ寝返りを打った。そこでベッドから下りようか、部屋から出ようか、いっそ西園寺邸からも、東京からも逃げようかと考え始めた。

 そのとき、再び背中にぬくもりを感じた。今度はそっと触れるのではなく、力がこめられていた。抱きしめられたのだ。

「雅紀……」
 久世にしては珍しく甘えた声で呼びかけられた。生田ですら数えるほどしか聞いたことのない声だ。
「夢でもいい……」
 そしてさらにギュッと手に力が入った。生田は身動きができない。力が入っているからではなく、久世の言い方から寝言だと考えて顔を赤くしたからだ。

「……透」
 生田は堪らなくなって、久世を起こそうとした。久世の意図を聞きたい。意思を、本音を知りたいと思ったのだ。呼びかけながら、自分の身体に巻き付いている久世の手を優しく揺すった。
 久世は半覚醒したようで力を緩めた。生田はようやく寝返りを打てるようになり、久世の方を向いた。

「透、おはよう」生田は微笑を浮かべて久世を見た。
 久世は半分眠っているような様子で、目がうっすらと開いたがまた閉じる。
「……夢だ。でも嬉しい。……雅紀がいる」
「いるよ。もうどこにも行かないよ」久世の髪を優しく撫でる。
「雅紀……もう消えないでくれ」
「うん。側にいるよ。愛してるよ透」

 久世はその言葉ではっきりと目を開いた。驚いたような表情を浮かべながら、目の前にいる生田をまじまじと見た。
「雅紀?」
 今度はいつもの冷静な低い声だ。
「……おはよう、透」
 生田は再び笑顔で言う。
「あれ?……なんで? どこだ、ここ……」
 久世は起き上がって部屋を見渡す。
「西園寺さんの家だ」
 生田も起き上がる。
「えっ? 俺がなんで……なぜ雅紀がここに……」
「覚えてない? 僕は昨夜からいる」
「……夢ではなかったのか」
「夢だと思ってたんだ? 寝てたの? カクテル作ってるときも?」
「……ああ、あれも現実だったのか。そうだ。雅紀がいて、嬉しくて、喜ぶ顔が見たくて……」
「僕が喜ぶと思ったんだ?」
「……雅紀が喜ぶことならなんでもしたい」
 生田は久世の表情を見て、これを本気じゃないというなら何も信じられないと言えるほどの真剣さに心を打たれた。
 本当に好きでいてくれているんだと改めて実感できて、嬉しさで死にそうだった。

「透、キスしていい?」
 生田は、言葉にする気恥ずかしさから照れながらそう聞いた。
 久世は初めてのその問いに不思議がりながらも、顔を赤くして応えた。言葉ではなく、行動で。

 久世が生田の首に手を回し、自分から生田にキスをした。
 生田は敢えて何もしなかった。久世のするがままに任せた。
 初めてしたみたいだった。でも嬉しかった。
 生田は久世の想いをちゃんと感じることができた。


「透、ごめん。僕が悪かった。全部僕が悪い。電話でのことも、何も言わずに勝手に消えたことも、来てくれたのに追い返したことも、出て行けと言ったことも、全部謝りたい。本当にごめん」
 久世は反応に困ったのか、生田を見たまま静止した。
「……怒ってる?」
 生田は反応を伺うように聞いた。
 久世は少し間を空けてから答えた。
「……怒ってた。が、今は怒っていない。ただ嬉しい。夢で雅紀に会えて嬉しかった。青森にいるはずなのに俊介のアパートに来て、側にいてくれた。夢だと思った」
「うん。夢じゃない。僕はいるよ」
「なぜ東京にいる?」
「……西園寺さんが来たんだ……青森に」
 久世は予想外の返答に目を見開いた。
 生田は思わず笑い声をもらす。
「……だろ? 僕も驚いた。それで、一緒にみどりと須藤のところへ行って、僕とみどりの婚姻届を破って……いや、まだ破ってないけど、持っては来た。それで、もう青森へは戻らない」
「……どういうことだ?」
「それは……」
 その時、ノックの音がした。

 久世と生田がドアの方へ振り向くと、ドアは既に開いていて、開けられたドアに寄りかかっている西園寺が、ノックで合図を送っていた。
「お二人さん、ルームサービスはしない。下りて来い」
 時計を見ると六時だった。
 その視線に気がついた西園寺が言う。
「愛を確かめ合うのも結構だが、マンションに戻ってからにしろ。目障りだ」
 そう言ってドアを開けたまま部屋を出ていった。

 西園寺が消えた後、二人は再び向かい合って目を合わせた。
「……仕事へ行かなくては」
「ああ、そうだね」
「雅紀は……」
「マンションで待ってるよ」
 そう言って生田は微笑んだ。

 久世は堪らなくなり、生田に抱きついて再びキスをした。
 一度すると大胆だなと生田は驚きながらも、それは嬉しい驚きだった。
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