上 下
10 / 44

和食

しおりを挟む
 生田はみどりのマンションへと帰った。
「ただいま」
 そう言って靴を脱いでいると、不安そうな表情を浮かべたみどりが、リビングから出迎えに来た。
 生田はみどりを気遣おうと、優しく肩に触れ、こめかみのあたりにキスをした。
 そのまま肩を抱いて、リビングへと二人で歩いていき、一緒にソファに腰を下ろした。

「俊介は……あの幼馴染の……俊介は、実家に顔を出す予定の時間だからって、そっちに向かった。少し話をしてきたんだ。遅くなってごめん」
「いいけど……連れてくればよかったのに。そんなに久世さんに会いたくなかったの?」
 生田はそこで微かに震えたが、みどりは気がつかなかった。
「……そうなんだ。透は何か言ってた?」
「え、うん。大喧嘩したから出ていったんだろうって」
「……そう。東京でね。縁を切るレベルの大喧嘩をしたんだ」
「うそぉ!? 雅紀がそんなにキレることあるの?」
 生田はみどりに笑顔を向けただけで答えない。
「マジ? 信じらんない。私にはキレないでね」
 生田は笑い声をあげた。
「みどりにそんなことはしないよ。大丈夫。男同士の喧嘩ってやつだ」
「ふうん。それより、もう久世さんのこと怒ってない? なんか、戻ってきたら連絡してくれって名刺もらったけど」
 生田はそこで一瞬笑顔が曇った。みどりは名刺を見ていて気づかない。
「あ、なんだっけ? 雅紀の機嫌が直ったらって言ってたかも」
 生田はみどりから視線を外して、窓の方を向いた。そして笑って言う。
「まだ怒ってるから連絡しないでおいて」
「えー、せっかく来てくれたのに? 会わないままでいいの?」
「いいんだよ。それであいこだ。次に来た時は会うよ」
「久世さんは東京にいるんでしょ? 荷物を取りに行ったときに仲直りしたら?」
「……そうだね」
 そう言って生田はみどりに視線を戻して、みどりの頭を撫でた。しばし撫でたあと、おでこにキスをすると立ち上がり、キッチンへと向かった。

「今日は洋食でもいい?」
 キッチンから生田が大声で聞いた。
「えー、毎日和食にするはずじゃん。身体にいいからって言ったの雅紀だし」
「たまにはいいだろ」
「うん、そうだね。たまには食べたいかも」
「じゃあ、仕込むからゆっくりしてて」
「わかった。ありがと!」


 生田は、みどりのことを気遣って家事をなるべくするように心がけていた。その中でも得意分野である料理は全て担当している。臨月で塩分を気にするみどりのことを考えて、毎日薄味の和食にしていたが、久世が来たその日に、久世の好物である和食を調理することはできなかった。
 和食だけでなく、久世のために作った料理はどれも作りたくなかった。久世が食べてくれると考えてしまいそうだったからだ。
 生田は、久世に作ったことのない、ネットで調べたレシピを今日の献立にした。

 予想はしていた。兄に連絡をすれば、いつかは来るだろうとわかっていた。
 早いと思ったのも嘘ではないが、透ならばこれくらい当然だろうとも思った。
 会いたかった。一目だけでも顔を見たかった。

 最後に見たのは、隣で眠る姿だった。
 初めて愛し合った日の翌朝、目覚めたときと同じ気持ちを抱いた。愛する男の横で目覚めることほど幸福なことはないと、最後のその日も同じように感じた。
 透と恋人になり、生活を共にするようになっても、嫌なところが見えてくるどころか好きなところが増えていく一方だった。
 こんなに幸せでいいのかと怖くなるほど幸福だった。

 あのまま世界が崩壊してくれればよかったのに。
 そうしたら自分のこんな嫌な部分を知らずに済んだ。

 自分のせいで、一人で子供を産もうとした女性がいたことを知らずに済んだ。
 その女性と暮らし始めて、毎日透と比べて、透を恋しく思う自分を知らずに済んだ。
 自分の子供を産んでくれるのに、その日が来るのが怖くて今にも逃げ出したいと思う自分を知らずに済んだ。

 あのまま透だけを愛して、毎日穏やかに過ごせたらどんなに良かっただろう。

 しかし子供は一人で出来るものではない。
 男として責任は取らなければならない。

 連絡してくれたみどりの両親には感謝をしている。
 産む前に間に合えたのだから。生まれた後に知ったらもっと自分を責めていただろう。

 しかし、婚姻届を出す踏ん切りがつかない。いつ産まれてもおかしくないというのに、未だ出せないでいる。

 みどりはそんな僕を責めるでもなく何も言わない。みどりも何か思うところがあるのだろうか?
 透とだったら何でもすぐに話し合えるのに。
 ああ、また透と比較してしまった。もうやめなければ。透のことは忘れなければならない。

 忘れよう、そう思っていても、毎日毎時間、常に透のことばかりを考えてしまう。
 今何をしているのか、仕事をしているのか、食事はどうしているのか、ちゃんと寝ているだろうか、僕を想っているのだろうか、と毎日同じことを考えてしまう。
 透のことを考えると会いたくなって、会えないならばと声を聞きたくなって、スマホを手に持つけど思い留まって、写真を見ようとして、見たら会いたくなるからと、それも我慢をして。

 二度と会えないと決意していても、連絡先も写真も、透からもらった服も時計も、捨てることができない。

 会えないなら、もう会わないから、それだけは奪わないで欲しい。一生心の中想うだけだから、その想いを馳せるためのものだけは手元に置かせて欲しい。

 生田は、妻と未来の子供にそう懺悔した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】

紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※番外編を公開しました(10/21) 生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。 ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。 ※4月18日、完結しました。ありがとうございました。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

隣人、イケメン俳優につき

タタミ
BL
イラストレーターの清永一太はある日、隣部屋の怒鳴り合いに気付く。清永が隣部屋を訪ねると、そこでは人気俳優の杉崎久遠が男に暴行されていて──?

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

処理中です...