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24杯目.人生の迷い道

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アラームの時間より、ずっと早くに目が覚めた。
昨日の服装のまま目が覚める。

夢だったのではと思うが、夢ではない。
スマホを見ると、着信履歴が昨日で終わってる。
昨日彼女と話していた証拠だ。
本当に終わってしまったのだ。

ただ、不思議と気持ちは軽くなっていた。
納得したからなのか、本心を話したからなのか。

それでも、また今日がやってくる。
仕事に行かないといけないので、急いでシャワーを浴びて、着替える事にする。
鏡を見ると、目が充血して腫れた酷い顔だった。

「ははっ、酷いなこれは」

でも仕方がない。
昨日の今日で休むわけにはいかない。
言い訳をどうしようか、と考えながら家を出る。

いつも通りの満員電車、とはいかず。
家を出る時間が早かったのか、空いていた。
珍しく、席に座り電車に揺られる。

正直、まだ引きずってはいるが仕事に持ち込むと、何もいい事はないと痛感したばかりだ。
何とか気持ちを切り替えて、電車から降りる。

会社へと向かい歩いていく。
この顔の言い訳は、何も思いつかぬままに。

意を決して事務所に入る。

「おはようございまー…」

事務所には刈谷部長だけだった。
どうやら、来るのがかなり早かったらしい。
こんな事は初めてだ。
僕の顔を見て驚いた顔を向けている。

「おいおいおい、大丈夫か!?」

顔を見るなり、駆け寄って心配してくれる。
それが少し気まずい。

「まさか昨日のこと、すまん、そこまで…」

「あ、や、違いますこれは!」

「だったらどうした、この顔は!?」

昨日の喫茶店の事が、まだ頭に残っていたのか。
つい本当のことを喋ってしまった、少し嘘を混ぜ込んで話はするが。
二人しかいない、という事もあった。

「初恋の人に振られたってか!?」

「は、はい…恥ずかしいので言わないでください」

「くっくくくくっ……」

「あっ!笑いましたね!」

「いや、すまん、お前にもそんなことがあったとは知らなくてな、興味がなさそうに見えたから」

「僕だって初めてだったんですよ…」

「大丈夫、俺だって経験あるさ、それに何回女性に振られたか!時間が解決してくれるさ」

妙に説得力がある。
肩を叩かれながら、笑われていたが嫌な気はしない。
むしろ、また少しだけ気分が軽くなる。

「それにここだけの話だがな…」

二人しかいないのに、耳元で話している。

「俺な、和田垣に振られてんだよ」

「えっ!?」

「二人だけの内緒だ…あ、三人か」

そんな事を話していると、続々と人が増える。
僕は席につき、仕事の準備をしていく。

顔を見て驚く人はいたが、声はかけられない。
今は、その方がありがたい。

隣に座った廣瀬も、何か聞きたそうにしていた。
事務所の中では聞けないと感じたのだろう。
その代わり、昼ごはん一緒に行こうと誘われた。


そして昼休憩になり、廣瀬と二人で食事をしていた。
同じく、一部分を隠しながら顔の経緯を説明をする。

「そっか、そんな事が、お前忙しいな」

「なんだよそれ」

「謹慎になって、大ミスやらかして、初恋に振られてって、この一週間濃密だな」

「確かにな、それを言うなら廣瀬だって、仕事辞めるぐらい思い詰めていたじゃないか」

「それもそうだな……」

「ふふっ」

「ははっ」

「あ、そういえばあの先輩のこと聞いたか?」

「いや、そういえば今日は顔を見ていないな」

「刈谷部長と、和田垣先輩が話しを回してくれてな」

「う、うん……」

「別の場所に異動になったよ」

「あ、そうなのか」

「元からあんな性格だからさ、周りからも良く思われてなかったみたいで、誰も庇う事なくな」

「なら、平和だな今の事務所は」

「だな」

「またお礼をしないと」

「三人で飲みにでもいくか?」

「うん、また今度よろしく」

お昼の休憩を終え、事務所に戻る。

戻るとすぐに、和田垣先輩から別室に呼ばれる。

「早速ですが、廣瀬くんから話は聞いたかしら?」

「はい、あの先輩のことでしょうか?」

「そう、ならいいわ…」

「あの、失礼かと存じますが、なぜここまで…」

前から気にはなっていた。
我関せずで、無視する事もできたはずだ。
僕の本心を聞こうとしたり、助けようと知らぬところで動いていてくれたり。


「何人も見てきたからよ、真田くんみたいに辞めそうになって苦しんでいる人を」

「刈谷部長のせいですか?」

「ううん、あれは真田くんだけね」

「あ、そうなんですか」

少しだけ寂しい気持ちになる。
僕だけだったんだ、あの感じはと。

「前にいた部長がね、もっと酷かったの、それこそ刈谷部長に暴言や暴力など…」

「そうだったんですか…意外ですね」

「でしょう?だから、私が出世した時には、後から来た後輩だけは、守れる範囲で守ってあげたいって」

これが本心を聞くという事だろうか。
初めて、和田垣先輩とちゃんと話しをした気がする。
これまで皆と、関わろうともしなかったのだから。

「ありがとうございます」

「いいのよ、私の勝手なお節介だから」

「そのお節介に僕は救われました」

「……これからも、頑張ってね」

「はい、これからもよろしくお願いします」

僕は、そうして部屋を出る。
今日だけで色々な人と話しをした。
ただの雑談かもしれないが、僕にとっては人と人との繋がりを感じれた話しだった。

それは、僕にとって大事な繋がりだ。
そう思える事ができたのは、僕がほんの少しだけ大人になったからなのかと、そう思っていた。

今日は定時に帰る事にする。
少しだけ、大事な用があるのだ。


そう、ここにくるために。
彼女と出逢ったあの喫茶店に。

足取りは軽く、扉を開けてベルを鳴らす。
いつものように挨拶をしてくれる。

「いらっしゃい、いつもの席だね」

「はい、失礼します」

僕はカウンターの席に腰掛ける。
奥のテーブル席には誰もいなかった。
それでも構わない、今日は店主に用事があった。

「ご注文は、いつものかい?」

「はい、でも今日はブレンドコーヒーだけで」

「かしこまりました」

店主は、ブレンドコーヒーを用意する。
後で知ったのだがサイフォン式という、淹れ方らしい、機器もフラスコだったようだ。
口に出さなくて正解だった。

「はい、お待たせ」

肌寒くなっている季節にはぴったりの、ホットコーヒーが目の前に運ばれてくる。
僕は一口飲み、美味しいと感じていた。

「あの、少しよろしいでしょうか」

「はい、なんでしょう」

「覚えているか分かりませんが、以前に僕に伝えてくれた内容についてなのですが」

「覚えていますよ、“あなたは大人です”とお話しした事であればですが」

「その事です、その事について詳しく伺いたく…」

昨日の晩、別れを告げてから気になっていた。
彼女からの話を聞いて、僕は大人なんだと。
相手の事を考える、それが大人だと聞いたばかりだ。

それでも、店主の言葉には違う意味に聞こえていた。
それだけが、ずっと引っかかっていたのだ。


「では尋ねますが、大人とは何だと思いますか?」

「相手の事を考えて行動する事だと教わりました」

「確かにそれもあります、でも私にとっての大人とは少し考え方が違います」

「それは一体…」

「大人とは責任を持つ事です」

「責任…ですか」

「何をするにしても、責任を負うのは自身です。子供のうちは親が責任を負いますよね?」

「はい」

「では,大人になってからは自身の行う行動に対して責任を持つ事です。自由に何してもいいですが、それには全て責任がつきまといます」

「確かに、そうですね…」

「その責任を感じ、責任の意味を知る事です」

「責任の…意味、ですか」

「人を殺しては駄目、人の物を盗んでは駄目、交通ルールを守りましょう、法律を守りましょう」

「………」

「それらは全て、意味があって存在しています。それらを守る行動こそが責任なのです」

「それを破る事は責任を負う事ですね」

「そうです、そして…未成年の子に手を出さずとも、二人でいるところを見られたらどうなるか…とか」

「えっ…なんで…」

確かに常連で、二人で話しているのは知っている。
仲良さげに、楽しそうに話していたのも。
出逢いはここから始まったのだから。

「なので、私はあの時に言いました、“節度ある行動と、責任がつきまといます”と」

「はい、確かに言われていましたね、もう気づいた時には遅かったですが…この手から離れていたから」

「何があったのかは詮索しませんが、時には立ち止まり考える事も必要です。それもまた、大人になるために必要な事ですから」

責任、その事を何も考えていなかった。
無意識に逃げていただけなのだと思う。
彼女の人生を背負う責任、それは僕にとって、支えきれないほどの重さだったのだ。
その事に無意識に気づき、抱える前に逃げた。

もう少し、強くなれたらな。
ほんの少しだけ、大人になれていたらと。
後悔しても遅いが、それでも後悔せずにいられない。

「ありがとうございます、大事な事に気づきました」

「いえ、年寄りの戯言と受け取り下さい」

「本当にありがとうございました」

「いえいえ、またいつでもいらしてください」

僕は席を立ち、会計をお願いする。

すると、店主がカウンターの裏から、一冊の本を僕に渡してくる。
どこかで見たような本だった。

「あ、これは…」

「はい、あの子から渡してくれと頼まれました」

この本は、一回だけ見かけた。
見られて欲しくないようにすぐに隠した本だった。
それを僕に、一体なぜ。

「それで、何か言っていましたか」

「なにも聞きていません、ただこの本を渡してくれませんかと、それだけをお願いされました」

「わかりました、ありがとうございます」

僕は本を受け取り、鞄にしまう。
会計を済まし、扉に手をかける。

「そういえば最後に、今更なんですが、このお店の名前って何ですか?ネットにも、外の看板にも書いてなかったので」

すごく嬉しそうな表情をこちらに向ける。

「このお店はですね、【迷い人生】と言います、どうです?変わった名前でしょう?」

「はい、とても、何故どこにも書かないので?」

「昔から人に悩み相談をされる事が多くてですね、悩みがあるという事は、人生の迷い道に迷い込んでしまった時ぐらいだと思うんです」

「確かにそうですね」

「そんな人たちが、気軽に話をできる場所を作りたくて、ここを作りました」

「ふふっ、私も見事に人生に迷っていました」

「でしよう?そして、不思議な事に、この店の名前を気になる人は皆、人生の迷い道の最中なんです」

「同じ人がいるんですね」

「そうですよ?そんな人の話を聞いて、相談に乗っているのが私の趣味みたいなものでね。それで、店の名前はどこにも書いていないのですよ」

「とても素敵な理由でしたね」

「ありがとうございます、また迷うような事があればいつでもいらして下さい」

「迷わなくてもくると思います…ではまた」

そう言って、ベルが鳴り店を出ていく。


残された、この本を読むために急いで戻る。
子供が好きなものを買ってもらった時のように。
早く開けたくて、走って戻るように。
家までの道を一直線に、走り抜けていく。
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