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17杯目.我慢の限界は誰にだってある

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本城さんが僕の前から去った昨日。
あれから、色々考えるが分からない。
何故あんなことに、どうすれば良かったのか。
考えても、考えても答えは出ない。
自分の方しか見たいなかった過ちだろうか。
本城さんの考えが、本心が見えないのだから。

そんな事を考えながらも、いつも通り会社に着く。
今日は運が悪く刈谷部長が出勤している。
僕の顔を見るなり、呼び出した。

「なんだその顔は、覇気のない顔をして」

「すいません」

「資料を間違えていたんだって?」

「はい」

あの先輩がこちらを見てにやけている。
報告を上げて僕の様子を見たかったのだろう。
楽しそうににやける顔が腹立つ。

「そんな腑抜けた顔をしてるからだろうが!大人なんだから、言われた事ぐらいちゃんとしろや!!」

また出た、大人なんだから。

「アルバイト気分で仕事してんなよ!」

そんなつもりはない。
アルバイトも立派な仕事じゃないか。
僕は僕のやれる範囲で仕事をしている。
間違えたからって、そこまで怒鳴らくても。

「お前なんか、他でも同じなんだろうな!」

他ってなんだろうか。
辞めるとでも思っているのか。
辞めさせたいと考えているのか。

「お前からはやる気や、覇気を感じん!」

やる気を出したところで上手くいくこともない。
そんなもので解決するなら、そんな簡単な話はない。

「いつまでも子供気分でいるんじゃねえよ!!」

「子供ってなんですか…」

「あぁ??」

「大人ってなんですか…」

「なんだ、ごもごも言いやがって、なんて!?こっちに聞こえる様にハッキリ喋れや!」

「なんでも……ない…です」

「ならうだうだ言わんで仕事に戻れや!」

「はい…」

僕は自分のデスクに戻る。
なんでこんなに上手くいかない。
大人ってなんだろうか。

何に対して怒られたのか。
何も考えがまとまらない。
何もしたくない。
何も考えたくない。

足音が聞こえる、こちらに向かう。
聞きたくもない声が耳に入ってくる。
今はそっとしておいてくれ。

『おいおい、また怒られたじゃん?』

「………」

『お前が間違えるから悪いんだよ』

「………」

『なんでお前みたいな奴がいるかねぇ!?』

「………」

『無視してんじゃねえよ!クズが!』

「ちょ、言い過ぎですよ!」

『あぁ!?黙ってろよ!廣瀬ぇ!!』

廣瀬が庇おうとしてくれている。
それでも放っておいて欲しい。
今は一人にして欲しい。
誰も僕に構うな、誰も僕に話しかけるな。
人なりにしてくれ。

『こいつのせいで、会社の空気が悪くなんだよ!』

「そんな言い方…」

僕は考えるより先に体が動いていた。
昨日の事でむしゃくしゃしていたのかもしれない。
理解できない自分にイラついてたのかもしれない。
出社早々、怒鳴り散らす刈谷部長にムカついたかも。

一人にして欲しいのに、構う周辺に腹が立つ。

そう考えていると体が動く。
僕の右手が、先輩の頬を目掛け飛んでいく。
初めて人を殴った。

先輩は後退りし、そのまま後ろに倒れる。
営業所が騒然としている。

誰も口を開かない、先程までのざわつきが消える。
殴った僕と、殴られた先輩。
その事実だけがその場に残る。

「はぁー、はぁー、はぁー………」

「お、おい真田……」

呼吸が荒い、殴った拳が痛い。
目を挙げると、頬を抑える先輩がこちらを見ている。

『てめぇ!何しやがだぁ!!』

殴り返そうと飛びかかってくる。
僕も頬を殴られたが、もう一度殴り返す。

さらに殴りかかろうとしたら、廣瀬に止められる。

先輩も周りいた人達に取り押さえられる。

『てめぇ!二回も殴りやがって!殺すぞ!』

「………」

『黙ってんなや!気色悪い!』

「……」

『離せ!あいつぶっ飛ばさな気が済まん!!』

暴れる先輩を周りの人が抑えている。
僕は不思議と頭が冴えてくる。
廣瀬だけに抑えられ、大人しくしている。

「お、おい、真田?」

「…」

言葉が出てこない。何も。
言いたいことは沢山ある。
放っておいてくれ、構うな、そこまで言われる筋合いはない、煩い、黙れ……
そんな言葉は溢れるが、口からは出てこない。

奥から異常事態に気づいていた刈谷部長が近寄る。

「朝っぱらから何してんだお前らぁ!!喧嘩するなら外でやれ!ここでやるな!」

そうじゃないだろうと思う。
僕のミスとはいえ、あそこまで馬鹿にされたのだ。
正当防衛とまではいかないが、向こうにも分がある。
ただ、この会社での立ち位置がそうさせない。
そんな事を考え、クビになる覚悟を固める。

もう今更どうなってもいい。
僕には失うものは何も無いんだから。
ここに残る、言われ続ける方が辛い。

「刈谷部長、とりあえず二人をそれぞれ別室へ」

和田垣先輩の声が聞こえる。
場をなんとかしようと、動いてくれたようだ。
僕は廣瀬に連れられ、別の部屋に移る。
あの先輩も、荒ぶりながら他の人に連れられる。

部屋の中に廣瀬と二人きりにされる。
口の中を切ったのか、痛みを感じる。
人を殴ると、自分も痛いのかと初めて知る。

何も喋ることはない。
廣瀬も何も喋りかけてこない。
沈黙の空気が流れ続ける。

「お、おい…真田」

「なに?」

「大丈夫か…その、顔とか」

「大丈夫」

「そっか…大丈夫か…」

また思い空気になる。
すると、ドアの叩かれる音がする。
扉を開けたのは和田垣先輩だけだ。

「真田くん、大丈夫?」

「はい、大丈夫です」

「単刀直入に聞くね、なんで殴ったりしたの?」

なんで?なんでって聞いたのか。
知らないふりをしても無駄だ、聞こえていたはずだ。
あれだけ言われ続けていたのだから。
大きい声で、事務所の中全員に聞こえるように。

「分かるでしょ」

「真田……」

「分からないよ、あなたの気持ちを聞いてない」

俺の気持ちなんて関係ないだろ。
あの状況を見れば分かるだろ、誰だって。

「関係ない」

「関係なくない!…私の目を見て」

僕は言われた通りに目を見る。
だからなんだと言うのだ。

「もう一度聞く、の?」

「むかいついたから」

「それだけ?」

「それだけ」

無駄な質問だ、どうせクビになるのだから。
何を言ったって事実は変わらない。
結果は決まったもの同然なのだから。

「違うよ、今までだってこんな事をすることはなかったはず、なんで今日に限って?」

「関係ないって,言ってるじゃないですか!」

「だから本心を話しなさい!なんで殴ったの…」

その剣幕に体が後ろに下がる。
和田垣先輩の真剣な眼差しに、目を背ける。
目を見れなくなっていた。

「答えて!」

おもむろに口が開く。
出すはずの無かった言葉が溢れる。
一度溢れた言葉は止められなかった。

「限界だった、“大人なんだから”、“子供じゃないんだから”、“アルバイト気分で”って。それって一体何なんですか!」

「それだけ?」

「大人ですよ!20歳を過ぎたから!それなのにこっちの気も知らないで好き勝手言って!あの先輩も、あんなに言われる筋合いはないですよ!」

「だから殴ったの?」

「そうですよ!ムカついたんですよ!刈谷部長にも、あの先輩にも!………言い返せない自分にも」

「そう…」

「情けないっすよね、大人にもなってこんな…」

不思議と涙がこぼれていた。
昨日は流すことのなかった涙が。
抱えた感情と一緒に出てきたのだ。

「わかった、後はなんとかする、待ってて」

それだけを言い残して部屋を出て行った。
再び、廣瀬と二人っきりになる。

「ごめん、変なことして…」

「いや、こちらこそ…そこまで思い詰めてたって」

「俺の問題だから」

「そっか、自分の問題か…」

「うん」

「それでも、少しは相談して欲しかったな」

「えっ?」

「ただの同期ってだけじゃなく、真田となら楽しく仕事ができるって思ってたからさ」

「それは…」

「それに、最近の真田は楽しそうにしてたし」

「分かるんだ」

「分かるよ、短い付き合いだけどな…」

「確かに、楽しいことはあったよ」

再びドアの叩く音が聞こえる。
入ってきたのは、和田垣先輩と刈谷部長だった。
二人も思い詰めた顔をしていた。
席に着くと、刈谷部長から話し始める。

「先に殴ったのは真田で間違いないな?」

結局変わらなかった。
責任の所在を明らかにしようとしている。

「はい、僕です」

これでクビは間違いないだろう。
原因があるとはいえ、手を出したのだから。
許されるはずがない。
だが…

「事の経緯は和田垣から聞いた、俺にも原因がと」

「お答えできかねます」

最後に追い詰めようとしているのか。
安心しろ、何も言うつもりはない。

自身の身を案じてだろうが、言うつもりはない。
後腐れなくこの会社を去りたいのだから。

「すまない」

予想外の言葉が返ってくる。

「お前にきつく当たっていたのは、昔の自分を見ているようで見ていられなかった」

「今更…」

「成績も上がらず、やる気も上がるはずがない、悪いのは周りのせいだと思っていた頃に」

「それとこれとは関係がないでしょう」

「お前に成長して欲しくて厳しくしたつもりだ」

「それが俺にとっては…」

「すまない」

「いいですよ、もう、誰にも言うつもりも、訴えるつもりもありませんから」

「それは…」

「どうせクビでしょうから、後腐れなく去りますよ」

「それはさせないよ」

「えっ?」

「言っただろ?事の経緯を聞いたって」

「でも、手を出したのは…」

「分かってる、だから謹慎を言い渡す」

「謹慎?クビではなく…」

「そうだ、上に判断を仰ぐが謹慎に留める」

「先輩は納得しないのでは」

「納得させるさ、任せておけ」


そう言い、私を残して全員が部屋を出ていく。

思いもよらない状況に頭が追いつかない。
こうなった以上、沙汰を待つしかない。
落ち着いた心に静かな部屋。
冷静に考えるには十分だった。
時折、隣から聞こえてくる叫び声があったが。

それからしばらくして、処分を言い渡される。
“今週は謹慎で自宅待機”との事だ。
あの先輩も同じ処分だそうだ。
納得いかないのか、最後まで叫んでいた。
僕を殺しそうな勢いで睨みつけながら。

その日はすぐに荷物をまとめ、会社を出る。
どこに寄るでもなく真っ直ぐ家に帰る。
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