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海の玉並べ
新開/あなたの呼び声-5
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近衛槙の提案に乗るとは言ったものの、結局やることは先ほどと変わらない。傷を蓄積させて本丸を起こす。そのやり方を変えるだけのことだった。
———全く、あの男は。
物を見る目だけは並み以上だ。今相対している怪異の危険性をすぐに看破した。加えて、天の肉体への影響も。
人でなく剣である私に実質的な目は存在しない。こうして彼女の身体を借り受けることでやっと人の五感を手にすることができる。当然痛覚もある。しかし実感がない。普段は持たない機能であるために、自分のものであるという認識ができない。
しかし、この状態の私が受けた干渉は、そのまま天への痛みとして共有されてしまう。
私がこの身体に入っている間、天は眠りに近い状態になる。だから天から直接言葉を伝えられることはない。ただ彼女の意識が、思いだけが共有される。
そこで、近衛槙の言った言葉が反芻される。
“これは、天の身体なんだぞ”
今まで天は、私がこの身体を使うことに対して否定的になることは無かった。
だが、もし。
もしも天が、私の受けた傷をずっと肩代わりしていたとしたら。
私に心配をかけまいと、ずっと耐え忍んでいたとしたら。
握り続けていた左拳を開き、白い掌を見た。戦いの中で何度か岩肌に手を当てたことで切り傷がついてしまっている。剣を握ったままの右手も重かった。
ずっと裸足のままだった。気にも留めていなかった傷跡がじりじりと痛み始める。
———これが痛みか。これが、生きるということか。天。
それなら、謝らなければならない。尽くすべき主を今まで沢山傷つけてしまった自分を。
ただ一人の男に言われなければそんなことにも気づけなかった自分の浅慮さを恥じなければならない。
だから、今少しの間だけ。
「我慢してほしい、主よ」
眼前には吹き上がる漆色の肉柱が十数本。それらを全て薙ぎ払うなど、容易いことだ。
「だから後で、あなたの本音を聴かせてほしい」
崖の上に立つ剣女は左足を半歩擦り下げた。同時に身体全体を回し、右手に携えた刀の剣先を左手の後方へと向けた。そして柄を両手で握りしめる。
吹き荒れる嵐は更に音圧を強め、より高い波がこの島全体にぶつかる。何度も濁った水飛沫に打たれた剣女だったが、決してその姿勢は崩さなかった。
海上から伸びてうねり続ける神の歪な腕は実に十本を越えているが、海面下にはそれ以上の触手の群れが備えられている。弾倉のようだった。姿を見せている触手全てを切り落としたところですぐに同じ数の、否、それ以上の肉の槍がリロードされるのだろう。
剣女にはそんな事実を知る由もない。しかしそれでも。たった一振りのみでこの天秤は覆る。彼女にはそんな未来を既に勝ち取ったものとして瞼の裏で見ていたのだった。
「弾け、間引け、その幽谷。覚束ぬ灰の実像に、建立する意義は無し」
肉体を振り絞る。次の一閃のために、全神経を剣の穂先まで尖らせる。
「この身は今、獣に非ず。境界に揺蕩う虚像———されど」
剣女から見た世界の色が反転する。ただただ白いだけの空間が拡がっていく。だがこれは、決して彼女の外法、『麒麟の痕』と同等のものではない。その世界は剣女にのみ知覚されている。いわばこれは、相手を巻き込む空間の封印でも外との遮断でもなく。
剣女がただただ集中している際に顕れる感覚の異常でしかない。
「流れ着く先は、嵐(らん)脈奔り(みゃくはしり)独楽(こま)廻し(まわし)!」
そう叫ぶと同時に目前の空間を端から端まで切り裂いた。視界の中心を通る横一直線の白い線。すると、別たれた上下の空間の繋がりが解け始める。次元自体が切れた、と言えば良いのだろう。段々と空が傾いていく。そして空間ごと引き離された触手は、糸のようにこと切れていくのだった。
視点変更。上空より。
白い真空の刃が弧を描くように拡がっていく。
空気を拒絶するほどの威力。弾かれた空気は刃の周囲で独楽のように回っている。それも、目に見える形で。
そのまま一切の抵抗なく黒い柱は両断された。
視点変更。深海より。
神が深い底から伸ばし、海上に出現させていたはずの腕が全て切り裂かれた。何が起こったのか、すぐに理解できるはずもない。目の前で自分の身体だった肉片が落下していくのが見える。その事実を本能で受け止めたとき、対象の危険度を再設定し直した。
この『死』だけは、絶対に取り除かねばならない。
その姿を確かに捉えるために、神の頭は浮上し始めた。
視点復帰。
海が、隆起する。巨体が、姿を見せる。その真実を、自ら明らかにする。
「……なんだ、黒いせいで結局見えないな」
暗雲立ち込める空。薄暗い空間にようやく浮かび上がってきたその存在の顔は、結局よくわからないままだった。あまりに黒すぎて造形が視認できない。
しかし、その厳粛な眼光だけは見てとれた。黄色く発光した眼球はギロリと動いてこちらを捉えた。沈んでいた他の腕が次々に現れていく。狙いが済まされ、一気に襲い掛かってくる。
煙と共に島の一端が削れる。この一撃を受けてまともにいられるはずがなかった。いや、もはや塵さえ残らないはずだった。
神には、何の手応えもない。
確実に敵を捉え、逃げる間もないほどの速度でその攻撃を放ったはずだった。しかしその腕には、岩を砕いた感触しか残っていない。
巨大な存在である神にとってはその感触こそが正しいものかもしれない。虫を知らぬ間に潰すように、相手が矮小であればいたことにさえ気づけないだろう。
そう、矮小であれば。
「運が悪かったな、神よ」
気配を察知したのか目が上へ向けられた。そこには着々と目の前に迫ってきている白い少女の姿があった。
……正直、私が私の意識を保つのも限界に近い。あの大技を使った反動は計り知れない。通常ならばあの瞬間、私はすぐに眠りにつく。そして天の意識がこの身体に戻ってくる。それが本来正しい機能のはずなのだが。
———天にこれ以上の負担を背負わせたくない。
ここで眠って天に代わってしまえば、彼女は一体どうヤツと戦わなければならない? きっと潰されて終わりだろう。
だから私が、ここで決着をつけなければならないのだ。
そして、落下していく。
狙うは頭上。未知の脳天に刃を突き立てる。それで全てが終わる。
落ちていく度に強くなっていく風への抵抗がなおさら途切れかけていた意識を繋ぎとめる。しかし同時に四肢の自由が利きにくくなる。手に握ったこの剣だって、気を緩めばすぐにでも吹き飛んでしまいそうだった。それでもなんとか、一撃を確実に与えられる体勢を作っていく。この落下の勢いもそのまま一撃に上乗せできるように、その形を構築していく。
「ぐああああああああ!」
叫ぶ。
決死の超落下。この威力は例え神であっても耐えられるはずは———!
「———な」
瞬間。下に向かい続けていたはずの身体が、止まった。その事実に気づくまで一秒もかからなかったが、あまりにも遅すぎた。
「しまっ……!?」
そのまま、横に殴り飛ばされていく。頭上に到達する寸前、触手がこの身を撃ったのだ。
落下時以上の速度で弾かれ、岩の壁に叩きつけられた。
「———!!」
声が出せない。身体の全てが瞬時に砕け散る。
治るには治る。しかし。
「——————」
すぐに立ち直せるはずが、ない。
失策だった。ヤツが頭を出して最初の攻撃の際に、もっと低い位置へと跳んでいれば。そうすればヤツに認識されるその前にトドメをさせたはずだった。
なんという様だろう。
主を傷つけない。そう決めてすぐに決めにかかったつもりがこの重傷だ。彼女に仕える者として何たる失態。
立ち上がれない。声も出せない。痛みが、苦しみが、悔しさがこの身を覆う。
ここで、終わりか。
「こっちだ、タコ野郎!」
声が聞こえた。大声だ。少し遠くの方を見ると、近衛槙が巨神に向かってずっと大声で呼びかけていた。
「今度は俺を狙ってこい!」
バカ、な。やめろ、貴様如きが相手できる存在ではない。すぐに潰されて、終わりだぞ。
しかし少年は無謀な作戦に踊り出て、そして神は無情にも興味を示してしまった。
視線を少年に向け、その腕を伸ばし始める。
「よし、こっちだこっち!」
そのまま、私の視界から外れ、近衛槙は走って行ってしまった。
———全く、あの男は。
物を見る目だけは並み以上だ。今相対している怪異の危険性をすぐに看破した。加えて、天の肉体への影響も。
人でなく剣である私に実質的な目は存在しない。こうして彼女の身体を借り受けることでやっと人の五感を手にすることができる。当然痛覚もある。しかし実感がない。普段は持たない機能であるために、自分のものであるという認識ができない。
しかし、この状態の私が受けた干渉は、そのまま天への痛みとして共有されてしまう。
私がこの身体に入っている間、天は眠りに近い状態になる。だから天から直接言葉を伝えられることはない。ただ彼女の意識が、思いだけが共有される。
そこで、近衛槙の言った言葉が反芻される。
“これは、天の身体なんだぞ”
今まで天は、私がこの身体を使うことに対して否定的になることは無かった。
だが、もし。
もしも天が、私の受けた傷をずっと肩代わりしていたとしたら。
私に心配をかけまいと、ずっと耐え忍んでいたとしたら。
握り続けていた左拳を開き、白い掌を見た。戦いの中で何度か岩肌に手を当てたことで切り傷がついてしまっている。剣を握ったままの右手も重かった。
ずっと裸足のままだった。気にも留めていなかった傷跡がじりじりと痛み始める。
———これが痛みか。これが、生きるということか。天。
それなら、謝らなければならない。尽くすべき主を今まで沢山傷つけてしまった自分を。
ただ一人の男に言われなければそんなことにも気づけなかった自分の浅慮さを恥じなければならない。
だから、今少しの間だけ。
「我慢してほしい、主よ」
眼前には吹き上がる漆色の肉柱が十数本。それらを全て薙ぎ払うなど、容易いことだ。
「だから後で、あなたの本音を聴かせてほしい」
崖の上に立つ剣女は左足を半歩擦り下げた。同時に身体全体を回し、右手に携えた刀の剣先を左手の後方へと向けた。そして柄を両手で握りしめる。
吹き荒れる嵐は更に音圧を強め、より高い波がこの島全体にぶつかる。何度も濁った水飛沫に打たれた剣女だったが、決してその姿勢は崩さなかった。
海上から伸びてうねり続ける神の歪な腕は実に十本を越えているが、海面下にはそれ以上の触手の群れが備えられている。弾倉のようだった。姿を見せている触手全てを切り落としたところですぐに同じ数の、否、それ以上の肉の槍がリロードされるのだろう。
剣女にはそんな事実を知る由もない。しかしそれでも。たった一振りのみでこの天秤は覆る。彼女にはそんな未来を既に勝ち取ったものとして瞼の裏で見ていたのだった。
「弾け、間引け、その幽谷。覚束ぬ灰の実像に、建立する意義は無し」
肉体を振り絞る。次の一閃のために、全神経を剣の穂先まで尖らせる。
「この身は今、獣に非ず。境界に揺蕩う虚像———されど」
剣女から見た世界の色が反転する。ただただ白いだけの空間が拡がっていく。だがこれは、決して彼女の外法、『麒麟の痕』と同等のものではない。その世界は剣女にのみ知覚されている。いわばこれは、相手を巻き込む空間の封印でも外との遮断でもなく。
剣女がただただ集中している際に顕れる感覚の異常でしかない。
「流れ着く先は、嵐(らん)脈奔り(みゃくはしり)独楽(こま)廻し(まわし)!」
そう叫ぶと同時に目前の空間を端から端まで切り裂いた。視界の中心を通る横一直線の白い線。すると、別たれた上下の空間の繋がりが解け始める。次元自体が切れた、と言えば良いのだろう。段々と空が傾いていく。そして空間ごと引き離された触手は、糸のようにこと切れていくのだった。
視点変更。上空より。
白い真空の刃が弧を描くように拡がっていく。
空気を拒絶するほどの威力。弾かれた空気は刃の周囲で独楽のように回っている。それも、目に見える形で。
そのまま一切の抵抗なく黒い柱は両断された。
視点変更。深海より。
神が深い底から伸ばし、海上に出現させていたはずの腕が全て切り裂かれた。何が起こったのか、すぐに理解できるはずもない。目の前で自分の身体だった肉片が落下していくのが見える。その事実を本能で受け止めたとき、対象の危険度を再設定し直した。
この『死』だけは、絶対に取り除かねばならない。
その姿を確かに捉えるために、神の頭は浮上し始めた。
視点復帰。
海が、隆起する。巨体が、姿を見せる。その真実を、自ら明らかにする。
「……なんだ、黒いせいで結局見えないな」
暗雲立ち込める空。薄暗い空間にようやく浮かび上がってきたその存在の顔は、結局よくわからないままだった。あまりに黒すぎて造形が視認できない。
しかし、その厳粛な眼光だけは見てとれた。黄色く発光した眼球はギロリと動いてこちらを捉えた。沈んでいた他の腕が次々に現れていく。狙いが済まされ、一気に襲い掛かってくる。
煙と共に島の一端が削れる。この一撃を受けてまともにいられるはずがなかった。いや、もはや塵さえ残らないはずだった。
神には、何の手応えもない。
確実に敵を捉え、逃げる間もないほどの速度でその攻撃を放ったはずだった。しかしその腕には、岩を砕いた感触しか残っていない。
巨大な存在である神にとってはその感触こそが正しいものかもしれない。虫を知らぬ間に潰すように、相手が矮小であればいたことにさえ気づけないだろう。
そう、矮小であれば。
「運が悪かったな、神よ」
気配を察知したのか目が上へ向けられた。そこには着々と目の前に迫ってきている白い少女の姿があった。
……正直、私が私の意識を保つのも限界に近い。あの大技を使った反動は計り知れない。通常ならばあの瞬間、私はすぐに眠りにつく。そして天の意識がこの身体に戻ってくる。それが本来正しい機能のはずなのだが。
———天にこれ以上の負担を背負わせたくない。
ここで眠って天に代わってしまえば、彼女は一体どうヤツと戦わなければならない? きっと潰されて終わりだろう。
だから私が、ここで決着をつけなければならないのだ。
そして、落下していく。
狙うは頭上。未知の脳天に刃を突き立てる。それで全てが終わる。
落ちていく度に強くなっていく風への抵抗がなおさら途切れかけていた意識を繋ぎとめる。しかし同時に四肢の自由が利きにくくなる。手に握ったこの剣だって、気を緩めばすぐにでも吹き飛んでしまいそうだった。それでもなんとか、一撃を確実に与えられる体勢を作っていく。この落下の勢いもそのまま一撃に上乗せできるように、その形を構築していく。
「ぐああああああああ!」
叫ぶ。
決死の超落下。この威力は例え神であっても耐えられるはずは———!
「———な」
瞬間。下に向かい続けていたはずの身体が、止まった。その事実に気づくまで一秒もかからなかったが、あまりにも遅すぎた。
「しまっ……!?」
そのまま、横に殴り飛ばされていく。頭上に到達する寸前、触手がこの身を撃ったのだ。
落下時以上の速度で弾かれ、岩の壁に叩きつけられた。
「———!!」
声が出せない。身体の全てが瞬時に砕け散る。
治るには治る。しかし。
「——————」
すぐに立ち直せるはずが、ない。
失策だった。ヤツが頭を出して最初の攻撃の際に、もっと低い位置へと跳んでいれば。そうすればヤツに認識されるその前にトドメをさせたはずだった。
なんという様だろう。
主を傷つけない。そう決めてすぐに決めにかかったつもりがこの重傷だ。彼女に仕える者として何たる失態。
立ち上がれない。声も出せない。痛みが、苦しみが、悔しさがこの身を覆う。
ここで、終わりか。
「こっちだ、タコ野郎!」
声が聞こえた。大声だ。少し遠くの方を見ると、近衛槙が巨神に向かってずっと大声で呼びかけていた。
「今度は俺を狙ってこい!」
バカ、な。やめろ、貴様如きが相手できる存在ではない。すぐに潰されて、終わりだぞ。
しかし少年は無謀な作戦に踊り出て、そして神は無情にも興味を示してしまった。
視線を少年に向け、その腕を伸ばし始める。
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