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海の玉並べ
新開/あなたの呼び声-2
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天と二人。並んで洞窟の中を歩いていた。すると行き止まりに着いてしまって、俺は近くの岩に腰を降ろした。ここにも天井はなく、代わりに煌々とした月が見えていた。天はその真下で歩みを止め、月の影を浴びるように顔を上げた。
どんな自然背景に合わせても様になる。海にしろ、この岩窟にしろ。その麗しさをちゃんと記録したいと思い手帳を取り出そうと思ったが、見つからなかった。
「天って綺麗だよね」
「……え?」
ふいに出た言葉に天は首を傾げた。
「……あ、忘れて」
異性を心から綺麗だと感じたのも初めてだったし、つい口に出てしまうのも初めてだった。はっとして顔が赤くなる。
「わたしの、ことが?」
「……うん。そうです」
天は恥ずかしがるわけでもなく、またもや首を傾げる。
「……どうしてそう思ったの?」
「あー、っと。それは」
説明しないといけないヤツだよな、これって。でも綺麗だと思った理由を本人に直接言うのは相当な自信がないと無理だよなあ、これって。
「教えてほしい。いつもみたいに」
「……天はスッとしてるってのがあるし、あと、特別な、感じ? 周りと比べてもすごく、美しい花―って感じで。それで……」
「?」
どうやっても説明下手になってしまう。もっと端的に言え、俺。
「……つまり、綺麗は綺麗なんだよ。心からそう思った」
「ココロから、キレイ。わたしが」
知らない単語を覚えるみたいに何度も「キレイ」「わたしが」を繰り返している。
「わからない……」
「……それならそれでいいよ」
自分にかけられた誉め言葉の意味を天は理解できなかった。
隣に天が座る。
「近衛さん。さっきの話、だけど」
うつむきながら話し出す。
「あまり、この子のことを悪く言わないであげてほしい」
膝の上には鞘に収まった剣が。天はそれを強く握りしめていた。
「わたしの、たった一人の家族だから」
家族という言葉を噛みしめながら伝える天。刀に対する気持ちがとても強いということが理解できた。
いつか一緒に事務所に向かっていた時の、天の言葉の意味をようやく理解する。
「わかってる。さっきはきついこと言ったけど……アイツが天のことを大事にしてるのも、ちゃんとわかったから」
「……ありがとう」
ぽつりとそう呟いた。
そういえば、帽子を脱いだ天と話すのは初めてだった。
いつもは帽子の影に隠れてちゃんと彼女の顔を見る事が出来ていなかったが、いざこうして見てみるとなかなか端正な顔立ちをしている。頭から顎の先までするりとしていて、雪国の姫を思わせる。ツヤのある黒い長髪。伸びた前髪は上手く分けられているものの、右目の半分が隠れてしまっている。しかし両目ともガラス玉のような艶やかさでつい見とれてしまった。
そして白に近い肌の色をしていた。それが今の白装束の姿に合っていて、本来の姿はこっちなんじゃないかとも思えた。
「……視線、感じる」
「あ……ごめん」
じろじろと見てしまっていたらしい。目線を逸らす。
「近衛さんは、わたしのことどう思うの」
少し驚いて再び天の方を見た。天は顔色一つ変えていなかったが、俺は少し顔が熱くなってきたような気がした。
「どうって言われてもな……」
天は岩の上で体育座りをし始めた。顔の下半分を腕の中に潜らせる。
「近衛さんがわたしのために怒ってくれたの、聞いてたから」
「あ……聞こえ、てたんだ」
こくりと頷く。
「近衛さんも、わたしのことが大切、なの?」
「そりゃあ、そうだよ」
「だからわたしのこと、そんなに知りたかったの?」
「……どうだろう」
それとこれとは別問題な気がした。
「俺の知りたいって気持ちは、どっちかというと自分の性っていうか。あの手帳見ただろ? あれに書いてたのは全部俺が知りたいって思って調べたことなんだ。だから天が大切って気持ちと、天を知りたいって気持ちは別だよ。多分」
「変な人」
「よく言われる……」
銀からも昔同じことを言われた。
「じゃあ、わたしが本当は死んでるって知ったときどう思った?」
そう聞いた天の方を見ると、彼女はうずくまっていた。
「……正直、信じてないよ。天はこうして俺と喋れてるし」
「この間幽霊とお話したでしょ」
「……それはそうだ。ややこしくなってきた……」
「結局のところ、どうなの。信じるかどうかの話の前にどう思ったの」
「どうって言われても、わからない」
苦々しい顔で答えてしまう。
「不気味だと思ったんじゃないの? そんなの人じゃないって、思ったんじゃないの?」
「……」
それは、あるかもしれなかった。
天は言葉を続ける。
「わたしは、自分のことなんて知られたくなかった」
「……」
「人から見たら自分はおかしいんだってこと、知りたくなかったし知られたくもなかった」
罪悪感に襲われる。
人の知りたいという気持ちを忌避する人間は当然いる。自分しかいなかったはずの領域に別の誰かが踏み込んでくるのは、それだけで恐ろしいものだ。だからこそ自分のような記者はちゃんとお互いの立場を理解し、折り合いをつけて関わっていかないといけないのに。
気づかぬうちに天を傷つけてしまっていた。
「わたしにもまだ、誰にも言っていないことがたくさんある」
天は顔を上げて岩を降りる。そしてまた月光の差し込む場所へ歩いていく。
「きっと、これから誰かに教えることはないと思う。瀬古さんにも、近衛さんにも」
「……それは天にとって、大切な秘密なのか?」
天は止まる。
「大切じゃない。むしろ今すぐ消してしまいたいくらい忌まわしい記憶。だからこそ、それを教えたらますます世界から離されていく気がして、怖い」
「だから、一人でずっと背負い込むのか?」
「一人じゃない。わたしたちはずっと、二人だけで生きてきたから」
そう言って剣を持ち上げた。
「……アイツにも似たようなこと言ったけどさ。酷じゃないか、それって」
「……どうして?」
「自分の生き方を狭めてるだけじゃないか。二人だけで生きていくって。第一、今は瀬古さんと一緒に暮らしてるだろ」
「わたしたちは、わたしたちだけの力で生きてきた。瀬古さんも今は助けてくれてるけど、どうせいつかは別れる。そこから先は、やっぱり自分の力だけで生きていくしかない。昔みたいに」
別れ。その時期は遠い先のことでなく、目前に迫っていることのように思われた。
「……天の言う昔がなんなのかは知らないし、どうせ教えてもくれないだろうけどさ。ずっと何かを抱えて生きるのは苦しいだけだろ。本当にそれが天の望みだって言うのか?」
「だからわたしは、あなたが嫌い」
蔑むような顔で振り向かれ、そう伝えられた。波の音がやけに大きく聞こえ、裸足に刺さる岩肌の痛みも一層強くなった。そのあとの言葉を聞くのが、怖くなった。
「……この世界は、すごく生きやすい。きっとあの頃みたいに辛い思いをすることもない。食べ物が美味しいってことも知れたし、道も歩きやすくなってるし。むしろ幸せだと思う。でも。それでもわたしは自分の生き方を変えられない」
はっきりと彼女の言葉が耳に届いてくる。針みたいに。
「あなたと会って、ますますたくさんのことを知れた。この世界に生きている人の考え。彼らがどれだけ平和に暮らしてきたのか……でも、それを聞けば聞くほどわたしは締め付けられた。近衛さんは、自覚してる?」
「……何を———」
天は視線を落とした。
「人に気持ちを割けられる余裕なんて私にはない。でも近衛さんは違う。たくさんの人に助けられてきたから、他の誰かを知りたいとか、助けたいとかいう気持ちになれる。その気持ちをわたしにも向けられる……だから、余計に。わたしに無いものを、あなたはずっとひけらかしているように見えるの」
天に無いものを、俺はひけらかしてきた。
そんなことは—————。
「あなたと話せば話すほど。興味をもたれるほど、わたしは苦しくなっていく」
「……そんなつもり、俺には」
「近衛さん」
時間が止まる感じがする。耳の中できーん、という音が鳴っている。
「知ろうとしないで。わたしのことを。その傲慢さが、いや」
その表情には、色んな感情が入り混じっていた。苛立ち、悲しみ、憐れみ……。
心臓に透明な針を刺されたみたいだ。つんとした痛みが、じわりと胸の中で広がっていく。
何も言えなかった。顔を下に向けることくらいしかできることがなかった。天はそんな俺を見て、来た道を戻って行った。すぐ横を通り過ぎるときでさえも天は目をくれなかったし、俺も何の言葉も返せなかった。
———これほどまでに、自分の性を恨んだ日はない。
知らないうちに天を傷つけていた。自分が当たり前に持っていて、何の疑問も与えていた気味の悪い感情。今この瞬間は、何よりもこれを恨むべきなのに。
それでも。天のあの顔を見て俺は。
———もっと、見なきゃ。もっと、天のことを知らなきゃ。
そんな、酷いことを思ってしまった。
そうして天の後ろを追いかけていった。
どんな自然背景に合わせても様になる。海にしろ、この岩窟にしろ。その麗しさをちゃんと記録したいと思い手帳を取り出そうと思ったが、見つからなかった。
「天って綺麗だよね」
「……え?」
ふいに出た言葉に天は首を傾げた。
「……あ、忘れて」
異性を心から綺麗だと感じたのも初めてだったし、つい口に出てしまうのも初めてだった。はっとして顔が赤くなる。
「わたしの、ことが?」
「……うん。そうです」
天は恥ずかしがるわけでもなく、またもや首を傾げる。
「……どうしてそう思ったの?」
「あー、っと。それは」
説明しないといけないヤツだよな、これって。でも綺麗だと思った理由を本人に直接言うのは相当な自信がないと無理だよなあ、これって。
「教えてほしい。いつもみたいに」
「……天はスッとしてるってのがあるし、あと、特別な、感じ? 周りと比べてもすごく、美しい花―って感じで。それで……」
「?」
どうやっても説明下手になってしまう。もっと端的に言え、俺。
「……つまり、綺麗は綺麗なんだよ。心からそう思った」
「ココロから、キレイ。わたしが」
知らない単語を覚えるみたいに何度も「キレイ」「わたしが」を繰り返している。
「わからない……」
「……それならそれでいいよ」
自分にかけられた誉め言葉の意味を天は理解できなかった。
隣に天が座る。
「近衛さん。さっきの話、だけど」
うつむきながら話し出す。
「あまり、この子のことを悪く言わないであげてほしい」
膝の上には鞘に収まった剣が。天はそれを強く握りしめていた。
「わたしの、たった一人の家族だから」
家族という言葉を噛みしめながら伝える天。刀に対する気持ちがとても強いということが理解できた。
いつか一緒に事務所に向かっていた時の、天の言葉の意味をようやく理解する。
「わかってる。さっきはきついこと言ったけど……アイツが天のことを大事にしてるのも、ちゃんとわかったから」
「……ありがとう」
ぽつりとそう呟いた。
そういえば、帽子を脱いだ天と話すのは初めてだった。
いつもは帽子の影に隠れてちゃんと彼女の顔を見る事が出来ていなかったが、いざこうして見てみるとなかなか端正な顔立ちをしている。頭から顎の先までするりとしていて、雪国の姫を思わせる。ツヤのある黒い長髪。伸びた前髪は上手く分けられているものの、右目の半分が隠れてしまっている。しかし両目ともガラス玉のような艶やかさでつい見とれてしまった。
そして白に近い肌の色をしていた。それが今の白装束の姿に合っていて、本来の姿はこっちなんじゃないかとも思えた。
「……視線、感じる」
「あ……ごめん」
じろじろと見てしまっていたらしい。目線を逸らす。
「近衛さんは、わたしのことどう思うの」
少し驚いて再び天の方を見た。天は顔色一つ変えていなかったが、俺は少し顔が熱くなってきたような気がした。
「どうって言われてもな……」
天は岩の上で体育座りをし始めた。顔の下半分を腕の中に潜らせる。
「近衛さんがわたしのために怒ってくれたの、聞いてたから」
「あ……聞こえ、てたんだ」
こくりと頷く。
「近衛さんも、わたしのことが大切、なの?」
「そりゃあ、そうだよ」
「だからわたしのこと、そんなに知りたかったの?」
「……どうだろう」
それとこれとは別問題な気がした。
「俺の知りたいって気持ちは、どっちかというと自分の性っていうか。あの手帳見ただろ? あれに書いてたのは全部俺が知りたいって思って調べたことなんだ。だから天が大切って気持ちと、天を知りたいって気持ちは別だよ。多分」
「変な人」
「よく言われる……」
銀からも昔同じことを言われた。
「じゃあ、わたしが本当は死んでるって知ったときどう思った?」
そう聞いた天の方を見ると、彼女はうずくまっていた。
「……正直、信じてないよ。天はこうして俺と喋れてるし」
「この間幽霊とお話したでしょ」
「……それはそうだ。ややこしくなってきた……」
「結局のところ、どうなの。信じるかどうかの話の前にどう思ったの」
「どうって言われても、わからない」
苦々しい顔で答えてしまう。
「不気味だと思ったんじゃないの? そんなの人じゃないって、思ったんじゃないの?」
「……」
それは、あるかもしれなかった。
天は言葉を続ける。
「わたしは、自分のことなんて知られたくなかった」
「……」
「人から見たら自分はおかしいんだってこと、知りたくなかったし知られたくもなかった」
罪悪感に襲われる。
人の知りたいという気持ちを忌避する人間は当然いる。自分しかいなかったはずの領域に別の誰かが踏み込んでくるのは、それだけで恐ろしいものだ。だからこそ自分のような記者はちゃんとお互いの立場を理解し、折り合いをつけて関わっていかないといけないのに。
気づかぬうちに天を傷つけてしまっていた。
「わたしにもまだ、誰にも言っていないことがたくさんある」
天は顔を上げて岩を降りる。そしてまた月光の差し込む場所へ歩いていく。
「きっと、これから誰かに教えることはないと思う。瀬古さんにも、近衛さんにも」
「……それは天にとって、大切な秘密なのか?」
天は止まる。
「大切じゃない。むしろ今すぐ消してしまいたいくらい忌まわしい記憶。だからこそ、それを教えたらますます世界から離されていく気がして、怖い」
「だから、一人でずっと背負い込むのか?」
「一人じゃない。わたしたちはずっと、二人だけで生きてきたから」
そう言って剣を持ち上げた。
「……アイツにも似たようなこと言ったけどさ。酷じゃないか、それって」
「……どうして?」
「自分の生き方を狭めてるだけじゃないか。二人だけで生きていくって。第一、今は瀬古さんと一緒に暮らしてるだろ」
「わたしたちは、わたしたちだけの力で生きてきた。瀬古さんも今は助けてくれてるけど、どうせいつかは別れる。そこから先は、やっぱり自分の力だけで生きていくしかない。昔みたいに」
別れ。その時期は遠い先のことでなく、目前に迫っていることのように思われた。
「……天の言う昔がなんなのかは知らないし、どうせ教えてもくれないだろうけどさ。ずっと何かを抱えて生きるのは苦しいだけだろ。本当にそれが天の望みだって言うのか?」
「だからわたしは、あなたが嫌い」
蔑むような顔で振り向かれ、そう伝えられた。波の音がやけに大きく聞こえ、裸足に刺さる岩肌の痛みも一層強くなった。そのあとの言葉を聞くのが、怖くなった。
「……この世界は、すごく生きやすい。きっとあの頃みたいに辛い思いをすることもない。食べ物が美味しいってことも知れたし、道も歩きやすくなってるし。むしろ幸せだと思う。でも。それでもわたしは自分の生き方を変えられない」
はっきりと彼女の言葉が耳に届いてくる。針みたいに。
「あなたと会って、ますますたくさんのことを知れた。この世界に生きている人の考え。彼らがどれだけ平和に暮らしてきたのか……でも、それを聞けば聞くほどわたしは締め付けられた。近衛さんは、自覚してる?」
「……何を———」
天は視線を落とした。
「人に気持ちを割けられる余裕なんて私にはない。でも近衛さんは違う。たくさんの人に助けられてきたから、他の誰かを知りたいとか、助けたいとかいう気持ちになれる。その気持ちをわたしにも向けられる……だから、余計に。わたしに無いものを、あなたはずっとひけらかしているように見えるの」
天に無いものを、俺はひけらかしてきた。
そんなことは—————。
「あなたと話せば話すほど。興味をもたれるほど、わたしは苦しくなっていく」
「……そんなつもり、俺には」
「近衛さん」
時間が止まる感じがする。耳の中できーん、という音が鳴っている。
「知ろうとしないで。わたしのことを。その傲慢さが、いや」
その表情には、色んな感情が入り混じっていた。苛立ち、悲しみ、憐れみ……。
心臓に透明な針を刺されたみたいだ。つんとした痛みが、じわりと胸の中で広がっていく。
何も言えなかった。顔を下に向けることくらいしかできることがなかった。天はそんな俺を見て、来た道を戻って行った。すぐ横を通り過ぎるときでさえも天は目をくれなかったし、俺も何の言葉も返せなかった。
———これほどまでに、自分の性を恨んだ日はない。
知らないうちに天を傷つけていた。自分が当たり前に持っていて、何の疑問も与えていた気味の悪い感情。今この瞬間は、何よりもこれを恨むべきなのに。
それでも。天のあの顔を見て俺は。
———もっと、見なきゃ。もっと、天のことを知らなきゃ。
そんな、酷いことを思ってしまった。
そうして天の後ろを追いかけていった。
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