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本編

第20話 対峙

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 あれから私は、何度かクインを訪ねたが、体調の悪化もみられず、感染症の症状も消え、すっかり元気を取り戻していた。

 書類の偽造については……当然だが、お咎めなしとはいかなかった。パイラさんは研究所を辞める事になり、そして所長も、管理者としての責任を取るためその職を辞すると聞いた。

 パイラさんは、正式に辞めると発表されるまで謹慎処分となっていて、結局私は、彼女と顔を合わせる事がないまま。お別れの言葉を伝える事さえ、できないでいた。

(パイラさんのところに押しかけても、きっと彼女を困らせるだけよね……)

 私は、悶々とした気分を抱えたまま、仕事で使用した資料を戻しに書庫へ来ていた。
 棚に資料をしまいおえた時だった。私は、書庫に誰かが入ってくる気配に気づく。

 ……いつか、こうしてふたりきりになる予感が、私にはあった。私は、近くまで来たそのひとの名を口にした。

「……グユイさん」
「あら、アステさんじゃない。……なあに?怖い顔しちゃって。別に、何もしたりしないわよ?」
「……そうですか。すみません、私、もう戻ります」

 そう言って彼女の横を通り抜けようとした私は、進路を阻むグユイさんの目の前で足を止めるしかなかった。

「ねえ、アステさん。ちょっと、アタシの無駄話に付き合ってくださらない?」
「…………少し、だけなら」

 私はそう答えながら、後ろに下り、グユイさんと距離を取る。

「ふふ、ありがとう!こうやってふたりきりで話せるなんて嬉しい!」

 両手を合わせて、満面の笑みを浮かべるグユイさん。でも、その目は笑っているように見えない。

「ねえアステさん。まさか、パイラが辞めてしまうなんて、とてもびっくりしたわ。あなた、一体どんな手を使ったの?」

 急にグユイさんの声色が低くなる。

「私の計画通りなら、今頃辞めていたのはあなたのはずだったのよ?ああ……こんなに馬鹿馬鹿しくてつまらない結末になるなんて、アタシ、ちっとも思ってなかった」

 くつくつと笑い出すグユイさん。私はそれでも、動揺する事はない。パイラさんといる時の彼女は嗜めているようで、さりげなくパイラさんを誘導するように語りかけていたのに気付いていたから。悪意を持つように、悪意を引き出すように……。だから、彼女の方が私を良く思っていないのだ、と薄々勘付いていた。私について調べていた理由も、それで納得がいく。

「本当に目障りな女。アタシ、あなたみたいな女が一番嫌いなの。あなたが辞めるように色々と頑張ったっていうのに、どこまでもしぶとくて……ああ、まるであなたがヒロインみたいじゃない!」

 グユイさんの瞳からは、いつも見せる穏やかさなど微塵も感じられない。一点の曇りもなく、純粋に私を嫌悪する眼差しが私に向いている。

「そう……まさにヒロイン。金持ちの家に生まれて、女のくせにお勉強ができて、働かなくても生きていけるっていうのに健気に働いてみせて、そして……誰もが目を奪われるほど美しくて地位もある男と付き合ってる。世間知らずで苦労知らず、汚いものなんて見た事も触った事もありませんみたいに澄ましたその顔。目障りで憎たらしくて、今すぐ殺してやりたいくらい。……やだ、本当に殺したりしないわよ?感情に流されて犯罪者になるほど馬鹿じゃないもの」

 殺してやりたい。その言葉に全身が震えそうになる。私は、お腹の奥にグッと力を入れて、必死で恐怖を耐える。

「ねえアステさん、知ってる?世の中にはね、小さい頃から、好きでもない男とセックスしてお金を稼がなきゃいけない女がいるのよ?アタシはそうやって、必死でお金を稼いで生き延びてきた。まあ、中にはまともな客もいて、勉強をしろとか、勉強をして学校に通えばまともに生きられると言ってきたわ。だからアタシはたくさん勉強して、たくさんの汚い男に抱かれて手に入れた金で上級学校に入った。でもそこにはあんたみたいな恵まれた奴らがウジャウジャ……腹が立って毎日気が狂いそうだった。それでも必死で我慢して通い続けて卒業して、誰もが羨む魔王城で働ける事になった。でも魔王城には、どうせ結婚したら仕事なんてすぐ辞めるつもりの女がたくさんいたわ。そんなの、働かないと生きていけないアタシにはどうしたって許せるわけがない。どうせ……どうせすぐに辞めてしまうなら、アタシが辞めさせたっていい……だからアタシ、どんどん追い出してやったわ!……でも」

 長く話したグユイさんは、一度、大きく息を吸った。そして、汚いものでも見るように私を見て、言った。

「アステ、あんたが入ってきた。どの女よりも賢くて、裕福で、女として着飾る努力もしないくせに、最上級の男を手に入れた女。アタシは……あんたの全てが憎かった。絶対に追い出してやると思った。なのにあんたは何をしても、少し困った顔をする程度で、一向に辞めようとしない。だから、もっと強引な手段に出るしかなかった。それなのに……それでもあんたは……」

 グユイさんは、キッとこちらを睨みつける。

「ねえ、何とか言ったらどうなの?アタシにこんな酷い事を言われても、何でもありませんって顔して……本当はアタシが憎くてたまらないんでしょ!?ねえ、いい子のフリなんかやめて、アタシを口汚く罵りなさいよ!ねえ!ほら!」

 グユイさんの手が私の両肩を掴み、揺さぶる。今にも泣きそうな顔をしながら。
 私は、ずっとつぐんでいた口を、開いた。それを見た瞬間、グユイさんは私の肩を揺さぶるのを止めて、私を食い入るように見つめる。私が何と言うのか、期待するかのように。

「グユイさん……ひとつ、教えて下さい。沢山のひとを追い出して、あなたは幸せだった?」

 グユイさんの行為が、どんな気持ちを生み出していたのか、聞きたかった。その答えで、私は、どうするかを決めようと思ったのだ。
 彼女は、訳が分からないという表情で私を見て、それから、口の端を片方だけ上げて、弱々しく笑った。

「なによそれ……そんなの幸せよ……幸せになったに決まってる……当たり前じゃない……幸せよ……辛そうにしてる顔を見て……ざまあみろって……アタシより幸せそうな奴は……みんな……不幸になればいい……そしたらアタシが一番幸せになれるんだから……」

 私は、彼女の手を握り、私の肩からおろす。もし、彼女に罪悪感があったなら……そうしたら、いつか分かり合えたかもしれない。でも、彼女はそうではなかった。

 私の選択肢は、ひとつに絞られた。

「……ならば私は、決してあなたを幸せになんかしない。あなたに何をされても、何を言われても、眉ひとつ動かさない。仕事の邪魔をされたら、魔王城の決まりに従い報告する。自分の幸せのために誰かを踏みにじるというのなら……私は、容赦しない」

 私の言葉に、グユイさんは目を見開いて、何も言わない。私は、握っていた彼女の手を離す。

「では、まだ仕事が残っているので、私はもう戻ります」

 私はそれだけ言うと、グユイさんの言葉を待たずに彼女の横を通り抜けた。そして、一度も振り返らないまま、書庫を後にした。
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