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本編

第17話 地獄への道

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 パイラさんを休憩室で待つ時間は、永遠にも感じられた。彼女のもたらすものが、これから先の私の運命を決めるのだ。

「アステさん、確認、できましたけど?」

 休憩室の入り口から声がかかった。私はすぐさま椅子から立ち上がり、パイラさんに駆け寄る。

「承認の状況は?」
「……はいどーぞ。書類見たら分かりますよね?」

 差し出された書類を受け取り、目を通す。そして私の目に映ったのは。

「差し戻し……」

 研究所の所長の署名と共に書かれたその文字に、私は血の気が引いていく。

「パイラさん……所長の今日と明日の予定……ご存知ですか?」
「しょ、所長は……明後日まで出張でいないわよ!?ね、ねえ、それ、探してあげたからんだもういいわよね?早く返してもらえる?」
「すみません……一日だけこの書類……お借りします」
「ちょ、ちょっと待って!あ……もう!何なのよ!?」

 私は、パイラさんが止めるのも構わず、休憩室を飛び出した。

(進む道は決まったわ。あとは、やるべき事をやるだけ)

 達成するべき事はひとつ、クインの命を救う事。でも、誰にも誹られずに済む道は消えてしまった。罪を犯す事でしか、クインを救えない。それなのに、心が揺れ動く。

(……きっと私に、大切なひとが、たくさんできてしまったからね)

 躊躇う気持ちを無理矢理押さえつけて。こぼれ落ちそうだった涙は止まり、手の震えも消える。

 それはまるで、孤独の中過ごした学生時代の自分に戻ったようだった。

 ――

 翌日、私は約束通りクインの元へ向かった。昨日と変わらない様子に安堵して、彼に一つだけお願いをして、早々に孤児院を出た。

 次は研究所だ。私は、新薬に関する資料を片っ端から集める。そこには、私が前の研究所で作成した資料もあり、それを見た瞬間、完成させた日の記憶が蘇ってきた。私に会いに来た叔父から、母がもう長くないという事を打ち明けられたあの日の記憶。

(年老いた者の死でさえあんなに悲しいのよ……クインはまだ子供……)

 私は、資料全てを一通り確認する。差し戻しをされるような問題など、ひとつも見当たらない。なぜ所長が差し戻しをしたのか、その理由が全く見当たらない。
 研究員にも聞いてみたが、分からないと首を傾げられた。

 私は全ての資料を抱えて、研究所から魔王城へと向かう。昨日のうちに無理を言って約束を取り付け、お目通りが叶ったその相手は。

「魔王様、急に申し訳ありません」
「いや、王妃がいつも世話になっている。その礼だと思えば、これくらい構わん。して、急ぎの用とは?」

「新薬の承認をいただきたいのです」

 私は、魔王様の前に、抱えて来た資料と書類を置いた。

「所長が差し戻しとした新薬の申請です。治験に問題はない。治験結果も審査の結果も揃っている。それなのに所長が差し戻しをした。明らかに不自然です。でも所長は明後日まで遠方にいて、その意図を確認できない状況です。でも、今まさにこの薬を必要としている子供がいて、薬を投与しなければ、確実に命を落としてしまう。だから、魔王様の承認をいただきたく、無理を承知で来ました」

 一気に話したせいで、呼吸が荒くなっていた。息を切らす私を、魔王様は冷たい目で見る。

「承認はしない。所長の決定が全てだ」
「どうかお願いします」
「ならぬ」

 予想通りの答えに、私は落胆することさえなかった。分かっているのに、抗おうとしても無駄だと、冷静に頭の片隅で思っていたのだから。

 だがその時、魔王様が思いもよらない事を言った。

「お前の母が余に、墓まで持っていくと誓った秘密。それを娘のお前が墓から暴いてみせればいい」

 私は驚きのあまり固まってしまう。

「魔王様は、私にそれを使って、魔王様を脅迫しろと言うのですか?」
「そうだ。そうすれば、脅しに屈した余が承認するとサインし、子供の命は救われる」

 なぜ魔王様が、自分を脅せなどという提案をするのか、私は急いで必死に考える。私が魔王様を脅す事が、魔王様にとって利益になる理由。

 私は、スクルの言葉を思い出した。

『ミスオーガンザが墓まで持っていくと、魔王様に誓った秘密を、いつかあなたが困った時のために残しているかもしれない……魔王様はそう考えている』

(そうだ……魔王様は知りたがっていた。私が母から秘密を受け継いだかどうかを)

 魔王様にとっては今まさに、それが確かめられる好機なのだ。
 でも母は、私に何も話さないまま、この世を去った。私にはそう説明する事しかできない。

「それは……できません。母は、魔王様との誓いを守りました。たとえ墓を暴いても、安らかに眠る母は、私に何も語ったりはしない」
「ならば話はもう終わりだ。出ていくがよい」

 でも、このまま引き下がる事などできない。私は、魔王様をまっすぐ見た。私にはどうしても譲れないものがある。いつもの怯えた私なんて、いらない。

「たとえ聞かされなかったとしても、推測する事はできます」

 母が掴んだ秘密を知るのは、魔王様と、そしてフォールス。そしてそれは、ふたりともが公にされて困るような内容。母はそれを使ってフォールスを脅した。

 魔王城に広まった噂を知り、私に詰め寄ってくるのは、私が知らない『魔王城にいた頃のフォールス』を知っている女性ばかり。
 私より何倍もフォールスに詳しい彼女たちが語る彼は、私が知る彼と決定的に違う点がひとつあった。

『彼のお父様、とても彼に厳しかったわ。それでも彼は、父を尊敬していると言ってとても慕っていたのよ』

 でも、私の知るフォールスは、父親を憎んでいた。

『父は今頃、地獄で歯ぎしりしてるだろうね。……本当、いい気味だ』

 彼の父親は、魔王城で突然病に倒れ亡くなったのだと聞いた。でも、それを教えてくれたひとは、首を傾げながら言ったのだ。

『病気など滅多にしない健康な方だったのに。一体何の病気だったのだろう……』

 それらが、私の中にひとつの仮説を生んだ。

 私は、魔王様をまっすぐ見つめ、口を開いた。

「母が掴んだ秘密……それは、フォールスの父親が亡くなった事に関係があるのではないですか」

 私の言葉に、魔王様は口の端を上げる。

「命が惜しくはないのか、アステ。今ならまだ、引き返せるぞ」
「いいえ。私は、前にだけ進むと決めたのです」
「フォールスが、悲しむとしてもか」

 ずっと考えないようにしていたひとの顔が頭に浮かぶ。その瞬間、私の胸は呼吸ができないくらいに苦しくなる。
 私は必死に、大きく息を吐く。辛い気持ちを追い出すように。

「…………その時は、地獄で詫びます。きっと、永遠に届かないでしょうけれど」
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