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番外編

異邦人(中編)

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 ログに廊下まで連れ出された俺は、両肩をガシッと掴まれた。

「まさかあんな美女とは……お兄ちゃん、頑張れ。わたし、全力で応援する」

 予想通りのログの言葉に、俺は思わず苦笑してしまう。俺は、肩に置かれた彼女の手を掴んで下ろすと、心配している表情を見せて言った。

「……やっぱり、頭を打ちましたか?」
「もう!打ってないってば!あと、その言葉遣いやめて!」

 俺の話し方に文句をつけられる。ログとしては、周りに誰もいないから、今まで通りに接してほしいのだろう。
 だが、そういうわけにはいかない。俺は魔王城に雇われている身だ。それに、万が一、俺たちの元々の関係を知らない者が見れば、誤解を招いてしまう。
 俺はともかく、ログの立場が悪くなるのだけは困るのだ。

「王妃様、俺は仕事中なんですよ……少しは自分の立場を理解して下さい」
「それは分かってるけど……でも……」
「でも、ではありません。俺をクビにさせたいのですか?」
「そ、それは困る!分かりました……これからは気をつけます」
「よろしい。あと彼女……チヅルさんの事ですが、俺は彼女とどうにかなりたいとは思っていませんから。くれぐれも勘違いしないように」
「そう……」

 残念そうな顔をするログ。だが彼女は、真面目な表情で、俺をまっすぐ見つめてきた。

「でも、あなたの目は、そう言ってないように見える」
「え?」

 ログの思わぬ言葉に、俺は動揺を隠せない。心の奥底にしまい込んで、誰にも気づかれないようにしていた感情を掘り当てられたようで、苦々しい気分になる。よりによってログに、というのもある。
 そんな俺の様子に、ログはクスッと笑った。

「お兄様……あなた、ひとの心は見透かすのに、自分の事は意外と気づいてないのね」
「…………」
「誰かに世話を焼くのもいいけれど、そろそろ自分の事を考えたら?」

 上から目線のログの言葉に、少し苛つきを感じる。だが冷静になって考えれば、彼女はもう既婚者……しかも、王妃という責任ある立場。俺とは比べ物にならないくらい、大きなものを背負っている。いつまでも、俺の後を追いかける可愛い妹のままではないのだ。

「はあ……いつまでも子供だと思っていましたが、いい加減考えを改めないといけないんでしょうね」
「そりゃあね。独身で、好きに遊び歩いているお兄様とは違うのよ?」
「はは……そうですね」

 偉そうだが、その通りだ。俺は何も反論できない。

「でもね、お兄様は、わたしにとって最高に素敵で大切な男性なのよ。だから、どんな道を選んだとしても、幸せでいてほしいと願ってる」

 ログはそう言うと、俺の両手を握って、満面の笑顔を向ける。

「お兄ちゃんなら大丈夫。だって、わたしのいちばんのお兄ちゃんだもん!うまくいくよう応援する!」
「ログ……」

 俺は、思わず彼女の名を呼んでしまう。立場が変わっても、俺と彼女の関係まではどうしたって変えられないのだ。

「じゃあ、仕事の邪魔でしょうし、そろそろ行くわ。ご機嫌よう、わたしの大切なお兄様」
「ええ……ご機嫌よう、王妃様」

 そして、去っていくログの背中を見送って、俺は自席へと戻ったのだった。

 ***

 自分のデスクに座った俺に、遠慮がちな様子のチヅルが近づいてくると、彼女は深々と頭を下げてきた。

「王妃様の身内の方に、大変失礼な態度を取ってきた事……お詫びします」

 まさかの謝罪。予想外の展開に、俺は目を丸くする。

「失礼な態度だって自覚、あったんだな」
「本当に、申し訳ありませんでした」

 可哀想なくらい申し訳なさそうにしているチヅル。俺は慌てて、頭を上げるよう頼むと、彼女はおそるおそる頭を上げ、不安そうな表情でこちらを見た。
 俺はどうしたものかと思いながら、姿勢を正して、立っている彼女を見上げて言った。

「俺は別に怒ってはない……だから気にしないでくれ」

 だが彼女は、そんな訳ないという顔でこちらを見ている。これは、なかなか骨が折れそうな予感がする。

「それに、兄みたいってだけで、王妃様とは身内でもなんでもないんだ。だから、そんなに畏まらないでほしい」

 ここの部署はみな、俺の事もログの事も、俺たちの関係性も知っている。だから、たとえ俺に失礼を働いたとしても、ログに言いつけたりする奴でない事も、ログがそれをまともに取り合うわけがない事も分かっている。
 だが、チヅルは異動してきて日が浅い。知らなくて当然だ。

「いいえ、それでも、王妃様の大切な方に変わりないのは確かです……なんてお詫びしたらいいか」

 今までの冷たい態度は何だったのか、というくらいに殊勝な態度のチヅル。そんな様子に、俺は段々と居心地の悪さを感じてしまう。
 そもそも、仕事の面では何も問題なかったのだ。男嫌いの彼女に、俺が自覚なく、デリカシーに欠ける対応をしていた可能性だってある。

「いや……むしろ俺が、君に馴れ馴れしく接して、気分を害してたとしたら、こちらの方が謝らないといけない」
「そんな……そんな事ありません!」
「なら、よかった。……君、男が苦手だって聞いたから」

 俺がそう言った途端、彼女の表情が曇る。

「……ご存知、だったんですか」
「ああ、フラスさんに聞いた」
「……どこまで……ですか?」

 男嫌いという話しか聞いていない俺は、彼女の質問の意味が分からない。

「どこまで、というと?」
「理由とか……そういうのです」
「いいや。男が苦手だって事しか聞いていない」
「そう、ですか」

 そのままチヅルは、何か逡巡している様子のまま黙り込んでしまう。
 気にはなるが、無理に聞き出すのも良くないだろう。

「……話しづらい事なら、無理に話さなくてもいい。理由はなんであれ、俺はこれからも、適切な距離を保って君に接すればいいだけだ。それでいいかい?」

 チヅルは、何か言いたげだったが、結局何も言わないまま頷く。

「よし。じゃあ、お互い仕事に戻るとしますか」

 俺がそう言うと、チヅルは軽く頭を下げてから、足早に自分の席へと戻っていった。

(いやはや、王妃様の影響力とは恐ろしいもんだな……)

 ログのおかげでまさかの展開になって、正直驚いている。それと同時に、可愛い妹が、畏怖される存在になったという現実に、俺は少し寂しくなる。

(……ま、そんな感傷に浸っている場合じゃないな)

 目の前には、後回しにしていた書類仕事の山がそびえ立っている。
 俺は大きく背伸びをしてから、仕事に取り掛かったのだった。

 ***

 あれから、チヅルとはたまに雑談ができる程度になっていた。といっても、彼女から話しかけてくる事は一度もなく、表情も、無表情が少し和らいだかくらいである。
 だが、フラスさんからは大きな進歩に見えるようで、頑張ってるじゃないとお褒めの言葉をいただいた。

 そんなある日のことだった。

 長い打ち合わせを終えた俺は、相変わらず減ることのない、山のように残っている仕事を片付けようと執務室へ戻ってきた。
 扉を開けた俺の目に飛び込んできたのは、部屋の窓から下をこっそり覗き込むフラスさんと、それを不安そうに見ているチヅルの姿。他のメンバーは退勤してもういないようだ。

「何してるんですか?フラスさん」
「あら……スクルくん」

 俺の方を振り返ったフラスさんは、困ったわねという表情である。
 俺は、フラスさんの横から窓の下を覗き込む。そこはちょうど建物の出口がある辺りなのだが、そこには誰かを待っている様子の男がいた。

(……あれは)

 あの男には見覚えがあった。チヅルが異動してくる少し前、偶然見かけたあの光景。彼女の頬を叩いて、去っていった男。
 俺はチヅルを振り返る。だが、この場にはフラスさんもいる。あの話を出すべきではない。俺は気づいていないフリをする事に決めた。

「何か困った事でも?」
「あの……」

 口ごもるチヅル。フラスさんは、そんな彼女と、俺とを見て、口を開いた。

「チヅルさん。この状況だと、スクル君の助けを借りた方がいいと思うの。スクル君の口の固さと誠実さはわたくしが保証するわ……どうかしら」

 フラスさんの言葉に、悩む様子のチヅル。だが、よっぽど困って、猫の手でも借りたい状況なのだろう。彼女はこくんと頷いた。

「とりあえず、座りましょうか。話はそれから」

 俺たちは、近くの椅子を引いてきて、円を描くように向かい合って座る。

「結論から言うわ。外にいる男性は、チヅルさんが出てくるのを待っていて、チヅルさんはあまり顔を合わせたくないと思っているの」

 フラスさんの説明に、俺はそりゃそうだろうなと内心思う。あんな事をする男とは、楽しく顔を合わせられるはずがない。

「わたくしは色々と事情を知っているけれど……チヅルさんが話せる範囲で構わないから、スクル君に説明できるかしら?」
「……はい、わかりました」

 チヅルはそう言うと、俺をチラッと見て、すぐに視線を下げた。

「あの男性は、前の部署で同僚だった方で……」

 そこから始まったチヅルの話は、俺が考えていたような男女のもつれ話などという単純なものではなかった。
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