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第25話 全てを賭けたもの

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 劇場を出た私たちは、今、馬車に揺られている。フォールスが、家まで送ってくれると言ってくれ、その言葉に甘える事にしたのだ。

 そして、私の横に座るフォールスは……とても、落ち込んでいた。

「くそっ……絶対、僕が初めての相手だと思ったのに……」

 膝に肘を置いて、頭を抱えながら、ぶつぶつと呟いているフォールス。私はその姿に、苦笑いをするしかできない。

 そう。フォールスは、私の初めてのキスの相手が自分じゃなかったという事に、とても落ち込んでいるのだ。

 あのキスの後、初めてのキスの感想は?と聞かれた私は、キスならもうした事があると答えたのだ。

 その時のフォールスの顔と言ったら、どう言葉で表現したらいいかも分からないくらい、すごい顔をしていた。

 そして、相手は誰なんだと肩を掴んで揺さぶられ、親友のリティカの名前を出した時の顔も、これまたすごかった。

(やだ……思い出すだけで笑ってしまう……)

 私は、必死で思い出し笑いをこらえながら、彼に聞いた。

「初めてか、そうじゃないかなんて、そこまで重要なの?」

 そこまで落ち込む気持ちが理解できない私に、フォールスは食ってかかる。

「重要だよ!好きな子の初めては全部欲しいと思うのが当たり前だろう!?それがなんだ……可愛い親友にねだられたから許したって……わけがわからないよ……」

 そう言われても、あの時の私は、まさかフォールスから好意を寄せられるなんて思ってもみなかったのだ。

「もう……キスの事は諦めて、ほら、他に何か、あげられるものがあるかもしれないでしょう?ね?な、何があるかしらね?」

 そうは言ってみたものの、具体的にこれといったものが思い浮かばない。

 そんな悩む私とは反対に、フォールスは何か思いついたようだったけれど、急に顔を真っ赤にして、顔を覆ってしまった。

「ど、どうしたのフォールス!?気分でも悪くなったの!?」
「ち……違う……大丈夫だから……ちょっとそっとしておいて……」
「そ、そう?」

 明らかに大丈夫じゃない様子だが、そう言われた以上、見守るしかできない。

 彼は、足をジタバタさせたり、頭を抱えて唸ったり……どんどんと奇行に走っている。

(ほ、本当に大丈夫かしら……)

 そのまましばらく見守っていたが、ようやく落ち着きを取り戻したフォールスは、なぜか私の手をがしっと握る。

 そしてその直後、あまりにもありえないことを言いだした。

「処女は、絶対に取っておいてくれ」
「…………は?」

 それから私は、馬車が家に着くまで、彼と一言も口をきくことはなかった。

***

「……」

 馬車から降りた私は、無言でフォールスを見る。今日の感謝や、別れの挨拶をすべきなのはわかっているが、今だけは絶対に口をききたくなかった。

 でも、まるで迷子になった子供のように悲しそうなフォールスを見ると、さすがに可哀想になってきた。

「……ねえ、ここで少し、待っていてくれる?」

 私はフォールスにそう言うと、彼の返事も待たず家の中へ向かう。
 自分の部屋まで向かい、棚の中を探して目的の物を見つけると、それを掴んで、フォールスが待つ場所へ戻る。

 久しぶりに走ったせいで、息が苦しい。何度も深呼吸をして、落ち着くのを待ってから、持ってきたものをフォールスに差し出した。

「はいフォールス。これ、あなたにあげるわ」
「……、これは?」

 フォールスはそれを、戸惑いながら受け取る。

「私の論文が、初めて載った学術誌よ」

 しばらく、沈黙が続く。

 私は、それに耐えきれず、口を開いた。

「……さすがの私でも、今なら、あなたの思ってる事がわかるわ。こいつ何言ってんだって、そう思ってるでしょ」

 初めてを欲しがる男性に学術誌を渡す女なんて、この世にひとりしかいないだろう。
 でも、それが私なのだ。それが嫌なら、とっとと諦めて手を引いてもらうしかない。

 だが、その直後、フォールスは肩を震わせ笑い始めた。

「ふっ……ふふっ……あははっ!アステ!君ってひとは……ははっ!ほ、本当に……すごいな……!」
「な、なによ!褒めてるの!?馬鹿にしてるの!?」
「馬鹿になんて……ふふっ!してない……!褒めてる!本当に褒めてるから!」

 そう言うと、フォールスは急に私に抱きついてくる。
 そして、私の耳元でそっと囁いた。

「笑ってごめん……一生大切にするよ。誰にも渡さない」
「……もう」

 私は、なんだかんだフォールスを許してしまう。そんな自分の甘さに呆れながら、彼の背に手を回し、何度か優しく叩く。

「本当に、大事にしてちょうだいね。それには、私が全てを賭けた成果が、詰まってるんだから」

 少し大袈裟かしら、と思ったけれど、大切なものには変わりない。
 女だからだのなんだの、そうやってまともに取り合ってくれないひとの多い世界で、恩師の支えでようやく認められたものなのだ。

 しばらく抱かれるままになっていた私だったけれど、ふと、誰かの視線に気づく。

 そう、ここは家の門の前で、そこには門番が立っている。私はその事を、すっかり忘れていた。

 私は、気まずそうにこちらを見る門番と目が合い、慌ててフォールスから離れた。

「じゃ、じゃあもう帰るわね!!!おやすみなさい!!!」

 そう言って私は、逃げるように家に帰ったのだった。
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