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第23話 一歩前へ

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 フォールスが用意してくれていたのは、前回と同じ桟敷席だったけれど、前より見やすい位置にある席だった。

「ここ、とてもよく見えるわ……すごい」
「今日は、話をする予定もなかったからね。しっかり観て帰ろう」
「ええ……ありがとう、フォールス」

 これからどんな素敵なものが観れるのか……私の胸は高鳴って落ち着かない。
 自分の格好のこと、フォールスとふたりきりだということ……それらの心配事が、すっかり頭から消えている事に気づいた。

(私って、思った以上に単純なのね……)

 そんな自分に呆れながらも、私はフォールスに導かれ、椅子に座る。
 フォールスが隣に座っても、私はそれを気にする事なく、まだ幕も上がっていない舞台や、客席に夢中で目を向けていた。

 ふと、私の右手に、何かが触れる感触。何かしらと自分の右手に視線を落とした私は、それがフォールスの左手だという事に気がついた。

 彼の手が、私の手を軽く握ってくる。私はびっくりして、彼の顔を見る。

「フォールスあなたの手!なんて冷たいの、大丈夫?」
「は?」
「私、手はあたたかい方なの。冷たくて辛くない?ほら、反対の手も出して。あたためてあげる」

 私は、両手でフォールスの手を包み、特に冷えやすい指先を念入りに揉む。

 しばらく、無言の時間が流れた。

「……どう?少しはあったまってきたかしら。もしまた冷えて辛かったら、いつでも言ってね」
「……はあ」

 大きくため息をつくフォールスに、私は慌てた。

「ど、どうしたの?何か悩み事かしら?私でよければ、いくらでも聞くわよ?」

 そんな私を、フォールスはじとーっと、恨みがましい目で見てくる。

「君さ……最近僕のこと、子供扱いしてない?」
「え!?そ、そんな事はないわよ!!立派な領主様に向かって、さすがに子供だなんて思うわけないじゃない!そうじゃなくて……弟のように思ってるだけよ?」

 ちゃんと説明すれば誤解はとけるはず。そう思って言ったのに、フォールスはさらに複雑そうな顔をした。

「弟……」
「ええ。だって、あなたを見ていると、こう、なんて言うのかしら……そう、愛おしく感じて、これってどういう感情なのかしらって考えたら……ああ、弟だわって」

 そう。フォールスを見ていると、今までひとに対して感じた事のない気持ちになるのだ。ひとりっ子の私にとってそれは、密かに憧れていたきょうだいという存在への想いみたいなものだと思うのは、間違っていないはず。

 でも、フォールスは、それとは別の事が気になったらしい。

「……それ、本当?」
「それって、どれ?」
「愛おしく感じるって」
「ええ、本当よ。大切なお友達だもの。そう思うのは、普通じゃないの?」

 私がそう言うと、フォールスは深ーいため息をつく。

「弟?お友達?……ねえアステ、ひとつ聞きたいんだけど。君って、僕を異性として考えた事はないの?」
「……?私がなぜ、それを考える必要があるの?」

 そう、私はそういう対象になる存在ではない。そういう存在になる可能性など考えてはいけない。
 スクルさんが求婚をしたのも、同じ混血だったから。純血ならきっと、そんな事はなかったはず。

 でも、そんな私に、フォールスは呆れ顔をするだけ。

「ああもう、だめだだめだ!君に遠回しな表現が通用しないっていうのが、今よおーく分かった」

 そう言うと、フォールスは私の両肩をガシッと掴み、真剣な表情で私を見た。

「いいか……絶対に誤解されないように言うから、よく聞けよアステ」
「え、ええ、どうぞ?」

 フォールスの圧の強さに、私は若干怯みながらも、続きを促す。
 でも、それは、あまりにも予想外の言葉だった。

「僕は、君を愛してる」

 ……私は、フォールスに、一体何を言われたのだろうか。

「……い、意味が、わからないわ」
「愛してるの意味が?」

 その言葉の意味は分かる。そこまで馬鹿じゃない。違う、そうじゃない、と私は首を横に振る。

「あなたがそれを、私に向かって言う理由よ……それがわからないの!」

 勘違いするな。お前はそういう存在では決してない。混血の女など、死ぬまでひとりだ。頭の中で、うるさいくらいに警告が飛び交う。

 でも、フォールスが言った言葉は、それとは真逆のものだった。

「君を愛しいと思った。他の誰にも取られたくないと思った」
「そんな……わけ……」
「君に大好きと言われたとき、ものすごく胸が躍った。遠慮がちに笑う顔が、とても可愛いと思った」
「うそよ……」
「君と向かい合うだけで、抱きしめたくなった」
「ちがう……私なんか……」

 怯え、震える私の体を、フォールスはその胸に引き寄せた。

「私なんかって言うな。君だからいいんだ」

 見上げる彼の顔が、彼の呼吸の音が聞こえそうなほど、私の顔に近づく。額が触れ合う。涙で滲む視界。彼の唇が、私の唇にいまにも触れそうな程に近い。

「愛してる、アステ」

 フォールスの二度目の言葉が、頑なだった私の心を壊していく。
 私は気付く。混血だとか、色んな否定の言葉を並べて、自分の気持ちにきちんと向き合おうとしていなかった事に。

 私は、フォールスを見る。

 彼は、再会してから、本当に私に優しかった。疑う私に、嫌な顔ひとつせず、根気強く接してくれた。

(好きなんだわ、私も、彼のことが)

 スクルさんと一緒にいる時の彼だけではない。彼というひとりの存在として好きなのだ。

(でもこれを、異性に対する愛だと言えるの?)

 そう自分に問いかけても、はっきりとそうだと断言できる自信がなかった。

 頭の中で声が響く。

 それが愛だとしても、お前には、絶対に許されない。混血の女が、選ばれし純血の家系を汚すなど、あってはならない。

 その通りだと、私は思う。たとえ自分の心がどうだったとしても、そんな事、許されるわけがない。

 それでも、私を愛していると言ってくれた彼の心を傷つける事だけは、決して言えない。

「フォールス……私、あなたの事、大好きよ?でも、これが、あなたが言ってくれた愛と同じものなのか分からないの。そんな無責任な気持ちで、あなたに愛してると返せない」

 フォールスの顔が、少し悲しそうになる。私も悲しくなるけれど、ぐっと堪える。
 私が悲しんでどうする。

「もう少しだけ、考えさせて。お願い」

 フォールスは、何も答えてくれない。そうだ、こんな、愛を素直に受け入れない女なんて、失望して当然だろう。
 けれど、私がそう思った時、彼は私の肩に頭を乗せ、大きく息を吐いた。

「はああ……振られたのか、振られてないのか、分からないよ」

 ふてくされたような、落ち込んでいるような、どちらにも聞こえるような声で言うフォールス。

「でも……いいや。僕を大好きだって言ってくれたし。とりあえず、一歩前進だ。いつまでも待つよ」
「ありがとうフォールス。私、のろまな亀だけど、もう後ろを振り返ったり、立ち止まったりなんてしないわ……」

 私はそう言って、フォールスの綺麗な髪の毛を、優しく撫でる。少し汗をかいている。私に、真剣に向き合ってくれた証拠のようで、愛おしくなった。

「ほら……やっぱり子供扱いしてるじゃないか……」

 そうぶつぶつと呟きながらも、されるがままのフォールスに、私は笑った。

 そして、歌劇の幕が上がった。


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