《瞑想小説 狩人》

瞑想

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美姫の場合

非常点滅灯

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 保土ケ谷バイパスを駆ける一台のワンボックス。同車両に二人の成人男女が乗車しているのを確認する。運転席には男。齢40代にも30代にも見える不思議な出で立ち。黒色のTシャツを腕まくりしている。パンツの色は朱(あか)。過去に山岳域を主戦場にしていた彼にとってクライミングパンツは相棒のようなもの。

 助手席には誰も居ない。空白の座席は彼の荷物置きになっているらしい。彼に必要な全て(※とはいっても随分を少量のものしかないが)が整然と収まった「中」くらいのウェストポーチが置かれている。煙草が二種類。電子的なものと葉巻型のもの。電子的なものは充分な電力を備えられており/彼の唇に触れられる瞬間を待ち望んでいた。

 彼の後方座席。此れも空白である。其処には綺麗な橙と桃色の中間色をした女性物のバックが二つ。一つはザック型のものであり華奢な女性向けの小さなサイズ。日焼けはしておらず肌皮脂も付着していない。随分と大事に扱われてきたのがわかる。もう一つは運転席の男性が所するウェストポーチの半分程度のサイズの同形状鞄。同じく橙と桃色の中間色。其処に存外大きなサングラスが収納されている。オノ・ヨーコの眼鏡をイメージして頂きたい。

 町田市の中枢産業の一つでもあるのだろう。近年完成したグランベリーパークを右目に見る。対角座席には年齢不明の女性が座している。20代から50代まで。どの年代にも見える不思議な女性だ。脚は40程度の握力で握り潰せそうな佇まい。腕は細く細く。そして細く。手首は子供の親指と人差し指で一周できそうな程。

 同バイパスは速度制限がある。記憶が確かなら60KM/Hから80KM/H程度だったと思う。場所によって違っただろうか。曖昧な記憶へは狂気の謝辞を。ハンドルは概ね直進方向に片手で握られる。右手。尺骨側と橈骨側の境目がくっきりと見える。筋肉の隆起が彼の人生の一部を物語る。体脂肪率が7%程度になったと彼は云っていた。「仕事に支障はでないのですか?」左後方から美麗な声が聞こえてくる。

 彼は右足でアクセルを踏み、必要に応じて左手でエンジン・ブレーキを掛ける。マニュアルシフトでないことが幸いし。彼の左手は対角座席の女性が纏うスキニーパンツ越しに肌触りを確認することができる。卓越した皮膚感覚に称賛の拍手を。

 目指すのはベイブリッジの先。詳細を明かしても構わないが、もう一人の「D」という存在に迷惑を掛ける訳にはいかないので伏せておく。とあるホテルで開催される宴の来賓として/及び出演者としてお呼ばれしたという訳だ。彼女には秘密にしておいたが「アリバイが必要」とのことで正確な情報とバンブーチケットを複数枚/渡しておいた。公的機関の催しであれば誰も文句は云うまいて。

 保土ケ谷バイパスの幾つかのカーブを抜ける。横浜横須賀道路の分岐と湾岸線の分岐の見分けが未だに上手く判別できない。「せめて紫色と赤色のように対を成す色で表示してくれればいいのに。」と彼。彼女は大腿部付近を愛撫されつつ「そうね。」と吐息半分/意識半分/無意識半分/期待半分の声を漏らす。

 ナビゲーション・システムが赤色になる。渋滞発生中ということらしい。彼も彼女も決して『弱ったな』とは思わない。イライラするような素振りもない。何せ何時に到着したとてやるべき事は変わらないのだから。ああ。そう。ワンボックスの最後尾には戦前のGIBSON製ギターが一つ置いてある。大学生時代に譲り受けたものだ。先代の奏者はネックの太さに苦慮していたらしい。先代は彼の楽譜のない演奏に惚れ込んでしまい/すぐに高価な筈の同ギターを譲り渡した。このようなコンディションで残存しているものは世界的にも非常に珍しい。らしい。

 ギターには筆記体でメーカー名が彫られている。後方を頂点とした三角形…三角ネックと言われる形状。現在では好むものは少ないだろう。彼はその楽器が持つ物語性に惹かれていたし。サンバーストの色合いを好んでもいた。1937年生まれの木材は乾燥しており老化もしているが「じゃじゃ馬」のような性格は年々激しさを増していく。 「落ち着けよ。もうすぐ100歳になるんだぜ。」彼はそう嗜めるが同楽器は年老いて益々元気になっていくばかり。ナビゲーション・システムが更に濃い赤色を示す。渋滞が酷いらしい。

 後方から道路公団の車両が迫る。右車線の車列は右へ。左車線の我々は左へ車を寄せる。ドップラー効果で周波数が変化するのを楽しむ彼と彼女。波動も覇道も変化するのを感じているのだろう。事故でもあったのだろうか。渋滞は酷く/鈍足な亀足と同じ歩幅でしか進まない。

 「Dさんに電話しなくてもよいのですか?」彼女は彼に聞いてみた。「構わない。必要があれば彼から電話してくるだろ。」素っ気のない返事。低い声。低音のEm。

 渋滞の後方から更に一台緊急走行してくる車が在る。朱色の車体に稲妻のマーク。特別救助隊の出動事案か。ということは随分と大きな事故なのだろう。同車両の助手席には隊長がおり/胸には消防司令長の階級章を付けている。後部座席の精悍な隊員数名は全員消防士長。ベテラン部隊だな。ワンボックスの彼は自己の脳内でノルアドレナリンの発生を感じたものの直ぐにそれを右胸のポケットに仕舞い込んだ。

 視力が良いことはこういう場面でも役に立つ。車列の随分と先に非常点滅灯。幾つもの非常点滅灯。深夜の高速道路に輝く「訳ありの光」はまるで北斗七星のようだ。まるでペテルギウスのようだ。そんな思いを抱えつつ。彼は車を停車させた。彼女はといえば。靴を脱ぎ。安樂座を組み。後部座席で目を閉じ。呼吸する。

 そう。そうだ。それでいい。いいコだ。
 非常点滅灯の明かりが美しい。

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