442 / 563
美姫の場合
美姫の場合③
しおりを挟む:::::::::::::::::::
上等な畳が笑っている。炎の消えた暖炉が言っている。『このマイナス5号室に誰かが訪れるとでも思っているのか。例えば白馬に乗った王子様が求めに応じ銀色の長剣を持って助けにくるとでも?』『お前は捕縛された奴隷身分の女に過ぎない。鞭を持つ御主人様の再訪を待つがいい。木版に磔(はりつけ)にされた自分の運命を呪いつつ』『お前は捕縛されてしまったんだ。これは生活を維持する為には必要なイベントなのさ。知っているだろう。このマンションに呼び出され/嬲られ/晒し者にされ/その微乳を/その細く,ねじ切れそうな腰を捻り踊れ/ショートカットの黒髪に液体を受け止め銀髪を経て白髪になるのが運命。今の生活が大事なのだろう。短命は嫌なのだろう。』
美姫は夫の事を思い出す。とても寒い部屋の中で。現在時間は早朝,4時44分。古い木製の壁掛け時計がちくたくと時を刻んでおり内包された永久機関が永久に近い宇宙の外縁部と結託する。夫の起床時間はとても早く丁度,今頃。カーテンを閉めない癖のある彼の部屋に一足早い早朝の光が届いているのだろう。今の私と違って。
ねぇ貴方。私が居ない事を不審に思わないでください。今夜はちょっと長引いているんです。何となく…何となく気づいていらっしゃるでしょう。数年前から私が快適電話の着信に随分怯えるようになったことを。時折何も語らずに家を留守にした理由も。
ねぇ貴方。自然な朝を過ごしてくださいね。間違っても『美姫は、俺の妻はどこへ行った』なんて激高して警察に直行するような馬鹿な真似は止めてくださいね。貴方は何となく。何となく知っていればいいのです。私が他の誰かの所有物になってしまったことについて。
何事も基礎が肝心だとおっしゃっていましたね。私もそう思います。常識に寄り添って大きくはみ出す事もなく,人並みの幸せを大事にして生きていきましょうね。子供は終(つい)ぞできなかったけれど「お前の身体が好きだよ。声も。仕草も。もちろん性格も。」そんな言葉をかけてくださいね。帰ったら。ああ。そうだわ。朝食の準備はしてあります。サランラップにくるんであるでしょう。こんな事もあるのかもと思って。
でもね。御願い。
コーンスープは御自身で温めてくださいね。
電子レンジで温めて下さいね。
『自動』のボタンを押すだけでいいの。
でもね。御願い。
ワイシャツの色は自分で決めくださいね。
ベルトループは全部通してくださいね。
よく忘れるんだから。ほら。もう。
でもね。御願い。今日だけは
鍵を掛けないで会社に向かってくださいね。
もし私が今日帰れたら
鍵をもっていないかもしれないもの。
誰もそれを保証してくれないもの。
そして…御願い。
もし今日も帰ってこなかったら。ね。
何となく納得して欲しいの。
何となく察して欲しいの。
そして。
もし帰れたら。ね。
何も聞かずに抱きしめて欲しいの。
指先の冷たさと反比例するように隣の部屋は温度を上げていく。『…だめ…だめ…だめ…』声がはっきりと聞こえてくる。鉄骨壁の厚みは変わっていないのに。隣の部屋で私以外の女性がくぐもった声で鳴いている。マイナス6号室も同じように寒いのだろうか。美姫の思考は雲散霧消。心配しても仕方のない思考は死垢の気配。
『じじじじじ・じ』『じじじじじ・じ』奇怪な機械の音は一つから二つに増量されたようで高速回転する高音のものが一つ。低速回転で低音のものが一つ。それらは時折,奇妙なハーモニーの合算合奏を実施する。タワーマンションの下層(かそう)に火葬(かそう)される陰の韻。架装劇は過走(かそう)し疾走する。
『…あ!…あ!…!』確かに聞こえる絶頂感の女声。淫靡な機械音が複数の音階を奏で続ける。美姫は寒さの中で昨夜の記憶を取り戻しつつあった。肉と機械の強制的な接触による絶頂を強制されたことをありありと思い出した。
畳の縁と縁の隙間。その頼りない場所に,大事にしていた指輪が薬指から抜け落ちて転がっているのを見る。昨夜の自分は自分じゃない。そう言い聞かせてみてもどこかちぐはぐで,身体がそれを納得しない。心がそれを納得しない。『あ……あ…っ』隣の部屋…マイナス6号室で果てる女性の声はメルヴィルの名著『白鯨』の後書きに刻まれる。それは誰かの悪意の悪戯(いたずら)。そして伯夷の徒(いたずら)。
:::::::::::::
0
お気に入りに追加
35
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる