《瞑想小説 狩人》

瞑想

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美姫の場合

美姫の場合③

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 上等な畳が笑っている。炎の消えた暖炉が言っている。『このマイナス5号室に誰かが訪れるとでも思っているのか。例えば白馬に乗った王子様が求めに応じ銀色の長剣を持って助けにくるとでも?』『お前は捕縛された奴隷身分の女に過ぎない。鞭を持つ御主人様の再訪を待つがいい。木版に磔(はりつけ)にされた自分の運命を呪いつつ』『お前は捕縛されてしまったんだ。これは生活を維持する為には必要なイベントなのさ。知っているだろう。このマンションに呼び出され/嬲られ/晒し者にされ/その微乳を/その細く,ねじ切れそうな腰を捻り踊れ/ショートカットの黒髪に液体を受け止め銀髪を経て白髪になるのが運命。今の生活が大事なのだろう。短命は嫌なのだろう。』

 美姫は夫の事を思い出す。とても寒い部屋の中で。現在時間は早朝,4時44分。古い木製の壁掛け時計がちくたくと時を刻んでおり内包された永久機関が永久に近い宇宙の外縁部と結託する。夫の起床時間はとても早く丁度,今頃。カーテンを閉めない癖のある彼の部屋に一足早い早朝の光が届いているのだろう。今の私と違って。

 ねぇ貴方。私が居ない事を不審に思わないでください。今夜はちょっと長引いているんです。何となく…何となく気づいていらっしゃるでしょう。数年前から私が快適電話の着信に随分怯えるようになったことを。時折何も語らずに家を留守にした理由も。

 ねぇ貴方。自然な朝を過ごしてくださいね。間違っても『美姫は、俺の妻はどこへ行った』なんて激高して警察に直行するような馬鹿な真似は止めてくださいね。貴方は何となく。何となく知っていればいいのです。私が他の誰かの所有物になってしまったことについて。

 何事も基礎が肝心だとおっしゃっていましたね。私もそう思います。常識に寄り添って大きくはみ出す事もなく,人並みの幸せを大事にして生きていきましょうね。子供は終(つい)ぞできなかったけれど「お前の身体が好きだよ。声も。仕草も。もちろん性格も。」そんな言葉をかけてくださいね。帰ったら。ああ。そうだわ。朝食の準備はしてあります。サランラップにくるんであるでしょう。こんな事もあるのかもと思って。

 でもね。御願い。
 コーンスープは御自身で温めてくださいね。
 電子レンジで温めて下さいね。
 『自動』のボタンを押すだけでいいの。
 
 でもね。御願い。
 ワイシャツの色は自分で決めくださいね。
 ベルトループは全部通してくださいね。
 よく忘れるんだから。ほら。もう。
 
 でもね。御願い。今日だけは
 鍵を掛けないで会社に向かってくださいね。
 もし私が今日帰れたら
 鍵をもっていないかもしれないもの。
 誰もそれを保証してくれないもの。

 そして…御願い。
 もし今日も帰ってこなかったら。ね。
 何となく納得して欲しいの。
 何となく察して欲しいの。
 そして。
 もし帰れたら。ね。
 何も聞かずに抱きしめて欲しいの。

 指先の冷たさと反比例するように隣の部屋は温度を上げていく。『…だめ…だめ…だめ…』声がはっきりと聞こえてくる。鉄骨壁の厚みは変わっていないのに。隣の部屋で私以外の女性がくぐもった声で鳴いている。マイナス6号室も同じように寒いのだろうか。美姫の思考は雲散霧消。心配しても仕方のない思考は死垢の気配。

 『じじじじじ・じ』『じじじじじ・じ』奇怪な機械の音は一つから二つに増量されたようで高速回転する高音のものが一つ。低速回転で低音のものが一つ。それらは時折,奇妙なハーモニーの合算合奏を実施する。タワーマンションの下層(かそう)に火葬(かそう)される陰の韻。架装劇は過走(かそう)し疾走する。

 『…あ!…あ!…!』確かに聞こえる絶頂感の女声。淫靡な機械音が複数の音階を奏で続ける。美姫は寒さの中で昨夜の記憶を取り戻しつつあった。肉と機械の強制的な接触による絶頂を強制されたことをありありと思い出した。

 畳の縁と縁の隙間。その頼りない場所に,大事にしていた指輪が薬指から抜け落ちて転がっているのを見る。昨夜の自分は自分じゃない。そう言い聞かせてみてもどこかちぐはぐで,身体がそれを納得しない。心がそれを納得しない。『あ……あ…っ』隣の部屋…マイナス6号室で果てる女性の声はメルヴィルの名著『白鯨』の後書きに刻まれる。それは誰かの悪意の悪戯(いたずら)。そして伯夷の徒(いたずら)。

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