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エリシエル×ユリウス外伝
当て馬令嬢は幼馴染に愛される。9
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暗闇の中、真冬の夜にぽっと明かりが灯されるように映像が浮かび上がる。
映ったのは廃れた寒村。
およそ豊かとは言えない荒れ果てた村の中、小さな小屋の前に佇む一人の少年が映っていた。
汚れているけれど、洗えば恐らく極上の輝きを放つであろう薄い金色の髪は、長い間切っていないのか長く伸び、目や顔のほとんどを覆っている。ろくに食べていないのか身体は痩せ細っており、立って動いているのが不思議に思えるほどだった。
あばら屋にしか見えない今にも壊れそうな小屋の前で、汚れた布を岩に広げ干す少年には、見覚えがある。
いや、見覚えどころではない、あれは、あの少年は。
う、そ……でしょう?
あれは……あれは、もしかして……。
ユリウス……!?
「また人買いか」
白金の髪をした少年が、何の感情も乗せずにぽつりと呟く。
彼の目線の先には、物々しい黒装束に身を包んだ数人の男達が映っていた。狭い村の中を無遠慮に歩き回り、家々の扉を乱暴に開いて入っていったかと思えば、直ぐに出てきてまた次の家に押し入っている。
人買い、と言っていたあたり、恐らく貧しい人々から娘を買い取りに来ているのだろう。
この西王国イゼルマールでは、国の規制と士隊の監視により人身売買での闇取引は縮小傾向にあるが、他国ではまだ十分横行していた。南国ドルテアなどがその最たるものだが、今見えている村はどちらかと言えば北国ホルベルクに属する地域のようだ。
寒い地では作物も育ちにくく、人は貧困に陥りやすい。恐らくそういう場所に目を付け、人間を買い漁りに来ているのだろう。
「反吐が出る」
長い髪に覆われていても、造形の美しさを匂わせる少年が吐き捨てるように言った。
彼は丈の合っていない汚れた上衣の裾で手を拭うと、何事もなかったように小屋の中へ入っていく。
間違い無い、あれはユリウスだわ。
恐らく……私と出会う前の。
だけど、レンティエル伯爵家の息子である彼がどうして、こんな場所で―――……?
そう……そう、だわ。
確か、確かあの時お父様が言っていたのは……。
目の前で乾いた風に吹かれながら歩いて行くユリウスの細い背を見つめながら、私は昔お父様から聞いた話を思い出した。
確か、ユリウスと私が始めて出会った時の事である。
私達が出会ったのは、ユリウスが十四歳、私が九歳という年齢になってからだった。本来、付き合いのある貴族間では、もっと早くに互いの子息子女を引き合わせるのが通例だ。それは後に政略結婚とする為の前準備であったり、交友があることを見せ他貴族に結びつきを知らしめる為であったりと理由は多くある。
それを鑑みれば、私達はかなり遅くに出会った事になるだろう。
その理由を、私はかつてお父様に尋ねてみたことがあった。当時一目で彼の事を気に入った私は、お父様に「どうして、ユリウスにもっと早く会わせてくれなかったのか」と文句を付けたのだ。
するとお父様は言った。「彼は、お前の想像もつかない、遠い場所にいたのだよ」と。
どこか複雑な表情をして。
あれは、こういう意味だったの。
ユリウスはここで、あの歳になるまで……過ごしていたの。
暗闇の中、私は知らず汗の滲んでいた掌を握り締めた。
汚れているけれど、長い前髪から時折見える透き通った氷色の瞳は、やはり私の知っているユリウスそのものだ。
だけどあんなに痩けた頬をした彼の事など、私は知らなかった。
……子供だといっても、細過ぎるわ。
骨が浮き出てるし、着ている服の丈だって合ってない。
所々破れてるしお世辞にも綺麗とは言えないし、肌だって凄く荒れてる。
ユリウスは、とても綺麗な子なのに。
女の私よりずっと、綺麗で、天使みたいな子だったのに。
同情ではない、悔しさに似た感情が湧き上がってきて、無意識に唇を噛んだ。
ユリウスをなぜこんな場所に置いていたのかと、彼の父であるレンティエル伯に憎悪のような感情すら覚え、闇に立つ自分の足下に視線を落とす。
あれは、ユリウスだ。あれはかつての彼の姿。
だけど私は知らなかった。何も、一つも、ユリウスの事を知らなかった。
それが、なぜか苦しかった。
「っ……何をする!?」
唐突にユリウスの叫ぶ声が聞こえて、ばっと顔を上げれば、彼が黒装束の男達に引きずられているのが見えた。
扉にしがみつこうとする彼の細い手を、男の一人が足で蹴飛ばし離す。
何―――?
一体、どうなってるの!?
思わず駆け出そうとするけれど、足が動かない。まるで何かで固められているみたいに、一歩も動かすことが出来なかった。
夢か現かわからない暗闇の中、私は歯がみしながらユリウスが男達に連れ去られる様を凝視していた。
「お前ら!!何なんだっ……!?離せ!!離せぇーーーっ!!」
黒装束の男達に両腕を拘束され、ずるずると引かれていくユリウスが叫ぶ。
彼の穴の空いた靴が、乾いた大地の砂を掻き、小さな砂埃を上げている。
村のほぼど真ん中で行われているのにも関わらず、ユリウスを助けようとする人は誰一人としていなかった。
皆が皆、諦めた顔で家へと去って行くだけだ。
「ユリウスっ!やめて、その子を連れていかないで……!やめてぇーーーー!」
小屋の中から、年老いた老婆が追いすがるように飛び出して来たが、それも男に突き飛ばされ、土の地面に倒れてしまった。
男は黒い上着の懐から一枚の金貨を取り出すと、地面に倒れている老婆の前に放り投げる。
石にぶつかったのか、金貨はキィンと甲高い音を立てて土に落ちた。
皺だらけの老婆の顔には幾筋もの涙が流れ、瞳が大きく開き連れて行かれるユリウスを見つめていた。
表情は苦悶に染まり唇の端には血が滲んでいる。恐らく、殴られたのだろう。
「――――――っ!」
廃れた村には似合わない豪奢な馬車に押し込まれていくユリウスが、最後に何かを叫んだ。
それが老婆への別れの言葉だったのか、男達への恨みの言葉だったのか、私は聞き取る事ができなかった。
咽び泣く老婆の声が、去って行く馬車の後に残されていた。
◆◆◆
それから、ユリウスは私も知る貴族の邸宅――――レンティエル邸へと連れてこられていた。
けれど場所は客間のように整えられた場所では無く、暗く淀んだ空気に包まれた地下牢らしき場所だ。
そこに放り投げられるみたいに入れられたユリウスは、どさりと音を立てて石床に倒れ込んだ。
あのレンティエル邸に、こんな場所があっただなんて……。
石壁の所々に歪な形の染みがあり、暗いので判別しづらいが拘束具のようなものも見える。かなりの年季が入っている様子から、恐らく屋敷が建設された当初から造られたのだろう。
昔からお父様と交友があるから、さほど気にしていなかったけれど、まさかこんな家だったなんて。
お父様は知っているのかしら。知らないわけは無いわよね……なら、どうして放置しているのかしら。
少なくともレンティエル邸では、年端もいかない少年を攫い、牢に幽閉していた事になる。
西王国では貴族の全てを束ねる立場にあるお父様が、見逃していい筈が無い。
「嫌だっ!!誰がお前達の言う事なんて聞くか……!俺を元いた村に帰せっ!この○×△□……!!」
訝しんでいると、何事かを言われたユリウスが今の彼からは想像のつかない品の無い言葉で牢の前に立つ男を怒鳴りつけていた。
気に障ったのだろう男が舌打ちをしてから、ユリウスを長くしなる鞭で打ち付ける。
暗い地下牢に、ユリウスの声なき悲鳴が響いた。
もう、嫌……!見ていられないわ……!
何なの?どうして私にこんなものを見せるの……!?何の意味があるって言うのっ!
髪を掻き毟り、叫び出しそうになる。
出来ることならここから飛び出して、あの地下牢にいるユリウスを助けたかった。
この先自分が彼に嫌われると分かっていても、あんな仕打ちを受けているのを放っておくのは嫌だった。
あの美しい白金の髪が、地べたに付くなんて許せない。
だというのに、無常にも同じ光景は繰り返されていく。
反抗的な態度をとり続けるユリウスに、牢を訪れた男達は交代で朝も昼も夜も彼を折檻し続けた。その映像が、まるで早送りをするように流れていき、私の胸が潰れそうなほど痛み軋む。知らぬ間に、瞳からとめどない涙が溢れていた。
本当に、これがあのユリウスの、過去だというの―――?
余りにも過酷で、凄惨な光景に目を塞ぎたくなる。
けれど、それを許さないとでもいうように、私の頭に彼女の声が響いた。
「目を逸らしてはいけません。そうです、これが彼の真実。エリシエル嬢、貴女が知ることの無かった、隠された過去です」
「え、エレニー!?」
暗闇の中、突如として響いた声に周囲に目をこらしてみるけれど、彼女の姿は何処にも無く、しかし幼い頃から聞き慣れたメイドの冷静な声だけが頭にはっきりと聞こえていた。
「貴女がこれを見せているの……!?」
「はい。ですがまだ続きがあります。その目で、しっかりと見届けて下さい」
私の問いかけに、エレニーは普段と変わらない様子で答えた。
そして再び口を閉ざしたのか、辺りに沈黙が降りる。
「エレニー!……っ!?」
彼女の声が聞こえなくなった途端、牢で石床に倒れているユリウスの声が大きく聞こえた。
彼は痣だらけの身体を自らの腕で抱き締めながら、呪詛に近い言葉を紡いでいく。
「必ず……!必ず復讐してやる……!この家に、一族に、レンティエルに……っ!」
白金の髪は血と汚れで濁り、倒れた床の上に広がっていて、恨みを口にする彼の瞳は、永久に溶けないと言われる凍土のように、恐ろしいほど冷たく光っていた。
彼の中にこんなにも壮絶で悲しい思いがあったのだと、私の胸に震えが走る。
そして映像は続き、ユリウスは何日目かを最後に、抵抗するのをやめた。
男の一人に何かを言われたのがきっかけのようだったけれど、私に聞こえたのはそれを聞いた彼が歯を食いしばった時の音だけだった。
それから、ユリウスは彼らに従順になり、貴族の男子としての振る舞いや教養を厳しくしつけられていった。
本来なら何年もかけて行うようなものを、瞬く間に彼は身に着けていく。
まるで絵画をスライドしていくように彼が成長していく姿を私は固唾を呑んで見守っていた。
それから、月日が流れたのだろう、最初に見た痩せこけた少年の面影は今は無く、背筋を伸ばし、髪を綺麗に梳いた懐かしい姿の彼が屋敷のどこかの部屋にいるのが見えた。そこに、レンティエル伯が現れ、ユリウスに何かを告げる。
ユリウスは一度だけほんの少し目を見開いたけれど、直ぐに表情を消し静かに頷いた。
そして彼と瓜二つの顔をしたレンティエル伯が去った後、ぽつりと呟く。
「今に見ていろ」
全てを整え、貴族の子息が着る衣装を身に着けた姿は――――私が出会った、天使のようなユリウス……彼そのものだった。
映ったのは廃れた寒村。
およそ豊かとは言えない荒れ果てた村の中、小さな小屋の前に佇む一人の少年が映っていた。
汚れているけれど、洗えば恐らく極上の輝きを放つであろう薄い金色の髪は、長い間切っていないのか長く伸び、目や顔のほとんどを覆っている。ろくに食べていないのか身体は痩せ細っており、立って動いているのが不思議に思えるほどだった。
あばら屋にしか見えない今にも壊れそうな小屋の前で、汚れた布を岩に広げ干す少年には、見覚えがある。
いや、見覚えどころではない、あれは、あの少年は。
う、そ……でしょう?
あれは……あれは、もしかして……。
ユリウス……!?
「また人買いか」
白金の髪をした少年が、何の感情も乗せずにぽつりと呟く。
彼の目線の先には、物々しい黒装束に身を包んだ数人の男達が映っていた。狭い村の中を無遠慮に歩き回り、家々の扉を乱暴に開いて入っていったかと思えば、直ぐに出てきてまた次の家に押し入っている。
人買い、と言っていたあたり、恐らく貧しい人々から娘を買い取りに来ているのだろう。
この西王国イゼルマールでは、国の規制と士隊の監視により人身売買での闇取引は縮小傾向にあるが、他国ではまだ十分横行していた。南国ドルテアなどがその最たるものだが、今見えている村はどちらかと言えば北国ホルベルクに属する地域のようだ。
寒い地では作物も育ちにくく、人は貧困に陥りやすい。恐らくそういう場所に目を付け、人間を買い漁りに来ているのだろう。
「反吐が出る」
長い髪に覆われていても、造形の美しさを匂わせる少年が吐き捨てるように言った。
彼は丈の合っていない汚れた上衣の裾で手を拭うと、何事もなかったように小屋の中へ入っていく。
間違い無い、あれはユリウスだわ。
恐らく……私と出会う前の。
だけど、レンティエル伯爵家の息子である彼がどうして、こんな場所で―――……?
そう……そう、だわ。
確か、確かあの時お父様が言っていたのは……。
目の前で乾いた風に吹かれながら歩いて行くユリウスの細い背を見つめながら、私は昔お父様から聞いた話を思い出した。
確か、ユリウスと私が始めて出会った時の事である。
私達が出会ったのは、ユリウスが十四歳、私が九歳という年齢になってからだった。本来、付き合いのある貴族間では、もっと早くに互いの子息子女を引き合わせるのが通例だ。それは後に政略結婚とする為の前準備であったり、交友があることを見せ他貴族に結びつきを知らしめる為であったりと理由は多くある。
それを鑑みれば、私達はかなり遅くに出会った事になるだろう。
その理由を、私はかつてお父様に尋ねてみたことがあった。当時一目で彼の事を気に入った私は、お父様に「どうして、ユリウスにもっと早く会わせてくれなかったのか」と文句を付けたのだ。
するとお父様は言った。「彼は、お前の想像もつかない、遠い場所にいたのだよ」と。
どこか複雑な表情をして。
あれは、こういう意味だったの。
ユリウスはここで、あの歳になるまで……過ごしていたの。
暗闇の中、私は知らず汗の滲んでいた掌を握り締めた。
汚れているけれど、長い前髪から時折見える透き通った氷色の瞳は、やはり私の知っているユリウスそのものだ。
だけどあんなに痩けた頬をした彼の事など、私は知らなかった。
……子供だといっても、細過ぎるわ。
骨が浮き出てるし、着ている服の丈だって合ってない。
所々破れてるしお世辞にも綺麗とは言えないし、肌だって凄く荒れてる。
ユリウスは、とても綺麗な子なのに。
女の私よりずっと、綺麗で、天使みたいな子だったのに。
同情ではない、悔しさに似た感情が湧き上がってきて、無意識に唇を噛んだ。
ユリウスをなぜこんな場所に置いていたのかと、彼の父であるレンティエル伯に憎悪のような感情すら覚え、闇に立つ自分の足下に視線を落とす。
あれは、ユリウスだ。あれはかつての彼の姿。
だけど私は知らなかった。何も、一つも、ユリウスの事を知らなかった。
それが、なぜか苦しかった。
「っ……何をする!?」
唐突にユリウスの叫ぶ声が聞こえて、ばっと顔を上げれば、彼が黒装束の男達に引きずられているのが見えた。
扉にしがみつこうとする彼の細い手を、男の一人が足で蹴飛ばし離す。
何―――?
一体、どうなってるの!?
思わず駆け出そうとするけれど、足が動かない。まるで何かで固められているみたいに、一歩も動かすことが出来なかった。
夢か現かわからない暗闇の中、私は歯がみしながらユリウスが男達に連れ去られる様を凝視していた。
「お前ら!!何なんだっ……!?離せ!!離せぇーーーっ!!」
黒装束の男達に両腕を拘束され、ずるずると引かれていくユリウスが叫ぶ。
彼の穴の空いた靴が、乾いた大地の砂を掻き、小さな砂埃を上げている。
村のほぼど真ん中で行われているのにも関わらず、ユリウスを助けようとする人は誰一人としていなかった。
皆が皆、諦めた顔で家へと去って行くだけだ。
「ユリウスっ!やめて、その子を連れていかないで……!やめてぇーーーー!」
小屋の中から、年老いた老婆が追いすがるように飛び出して来たが、それも男に突き飛ばされ、土の地面に倒れてしまった。
男は黒い上着の懐から一枚の金貨を取り出すと、地面に倒れている老婆の前に放り投げる。
石にぶつかったのか、金貨はキィンと甲高い音を立てて土に落ちた。
皺だらけの老婆の顔には幾筋もの涙が流れ、瞳が大きく開き連れて行かれるユリウスを見つめていた。
表情は苦悶に染まり唇の端には血が滲んでいる。恐らく、殴られたのだろう。
「――――――っ!」
廃れた村には似合わない豪奢な馬車に押し込まれていくユリウスが、最後に何かを叫んだ。
それが老婆への別れの言葉だったのか、男達への恨みの言葉だったのか、私は聞き取る事ができなかった。
咽び泣く老婆の声が、去って行く馬車の後に残されていた。
◆◆◆
それから、ユリウスは私も知る貴族の邸宅――――レンティエル邸へと連れてこられていた。
けれど場所は客間のように整えられた場所では無く、暗く淀んだ空気に包まれた地下牢らしき場所だ。
そこに放り投げられるみたいに入れられたユリウスは、どさりと音を立てて石床に倒れ込んだ。
あのレンティエル邸に、こんな場所があっただなんて……。
石壁の所々に歪な形の染みがあり、暗いので判別しづらいが拘束具のようなものも見える。かなりの年季が入っている様子から、恐らく屋敷が建設された当初から造られたのだろう。
昔からお父様と交友があるから、さほど気にしていなかったけれど、まさかこんな家だったなんて。
お父様は知っているのかしら。知らないわけは無いわよね……なら、どうして放置しているのかしら。
少なくともレンティエル邸では、年端もいかない少年を攫い、牢に幽閉していた事になる。
西王国では貴族の全てを束ねる立場にあるお父様が、見逃していい筈が無い。
「嫌だっ!!誰がお前達の言う事なんて聞くか……!俺を元いた村に帰せっ!この○×△□……!!」
訝しんでいると、何事かを言われたユリウスが今の彼からは想像のつかない品の無い言葉で牢の前に立つ男を怒鳴りつけていた。
気に障ったのだろう男が舌打ちをしてから、ユリウスを長くしなる鞭で打ち付ける。
暗い地下牢に、ユリウスの声なき悲鳴が響いた。
もう、嫌……!見ていられないわ……!
何なの?どうして私にこんなものを見せるの……!?何の意味があるって言うのっ!
髪を掻き毟り、叫び出しそうになる。
出来ることならここから飛び出して、あの地下牢にいるユリウスを助けたかった。
この先自分が彼に嫌われると分かっていても、あんな仕打ちを受けているのを放っておくのは嫌だった。
あの美しい白金の髪が、地べたに付くなんて許せない。
だというのに、無常にも同じ光景は繰り返されていく。
反抗的な態度をとり続けるユリウスに、牢を訪れた男達は交代で朝も昼も夜も彼を折檻し続けた。その映像が、まるで早送りをするように流れていき、私の胸が潰れそうなほど痛み軋む。知らぬ間に、瞳からとめどない涙が溢れていた。
本当に、これがあのユリウスの、過去だというの―――?
余りにも過酷で、凄惨な光景に目を塞ぎたくなる。
けれど、それを許さないとでもいうように、私の頭に彼女の声が響いた。
「目を逸らしてはいけません。そうです、これが彼の真実。エリシエル嬢、貴女が知ることの無かった、隠された過去です」
「え、エレニー!?」
暗闇の中、突如として響いた声に周囲に目をこらしてみるけれど、彼女の姿は何処にも無く、しかし幼い頃から聞き慣れたメイドの冷静な声だけが頭にはっきりと聞こえていた。
「貴女がこれを見せているの……!?」
「はい。ですがまだ続きがあります。その目で、しっかりと見届けて下さい」
私の問いかけに、エレニーは普段と変わらない様子で答えた。
そして再び口を閉ざしたのか、辺りに沈黙が降りる。
「エレニー!……っ!?」
彼女の声が聞こえなくなった途端、牢で石床に倒れているユリウスの声が大きく聞こえた。
彼は痣だらけの身体を自らの腕で抱き締めながら、呪詛に近い言葉を紡いでいく。
「必ず……!必ず復讐してやる……!この家に、一族に、レンティエルに……っ!」
白金の髪は血と汚れで濁り、倒れた床の上に広がっていて、恨みを口にする彼の瞳は、永久に溶けないと言われる凍土のように、恐ろしいほど冷たく光っていた。
彼の中にこんなにも壮絶で悲しい思いがあったのだと、私の胸に震えが走る。
そして映像は続き、ユリウスは何日目かを最後に、抵抗するのをやめた。
男の一人に何かを言われたのがきっかけのようだったけれど、私に聞こえたのはそれを聞いた彼が歯を食いしばった時の音だけだった。
それから、ユリウスは彼らに従順になり、貴族の男子としての振る舞いや教養を厳しくしつけられていった。
本来なら何年もかけて行うようなものを、瞬く間に彼は身に着けていく。
まるで絵画をスライドしていくように彼が成長していく姿を私は固唾を呑んで見守っていた。
それから、月日が流れたのだろう、最初に見た痩せこけた少年の面影は今は無く、背筋を伸ばし、髪を綺麗に梳いた懐かしい姿の彼が屋敷のどこかの部屋にいるのが見えた。そこに、レンティエル伯が現れ、ユリウスに何かを告げる。
ユリウスは一度だけほんの少し目を見開いたけれど、直ぐに表情を消し静かに頷いた。
そして彼と瓜二つの顔をしたレンティエル伯が去った後、ぽつりと呟く。
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