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第2部 第1章
第7話 桃源郷ここに在り④
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「ここは最高だな……もういっそのこと住みたいぜ」
柔肌の海に埋もれながら恍惚とした表情でそう呟くロバートに、彼を取り巻くサキュバス達が嬌声にも似た歓喜の声を上げる。今、この館の中のサキュバスの殆どが彼の周りに集結していた。
「おに~さんなら大歓迎だよ!」
「そうそう、イケメンだし」
「身体も凄く綺麗だし」
「何より魔力と精力が凄いからね!」
自分の全てを肯定する言葉にロバートはすっかり気を良くし高らかに笑う。
「ねぇおに~さん、いっそのこと全員買っちゃわない?ハーレム作っちゃおうよ~」
「んん~……。そうしたいのは山々なんだけど、今日の俺は付き添いだからね。……ってか、アイツどこいった?」
本日の主役の姿が見えないことに疑問を抱き辺りを見渡す。
「白髪のお兄さんならさっきコークさんと三階に行ってたわよ?」
「三階?三階って……あの?」
「そうそう。『あの』三階よ。と言っても今は一人のサキュバスが居るだけなんだけどね」
「ふ~ん……」
ロバートは逡巡の後、自分も様子を見に行ってみるかと重い腰を上げようとしたが、サキュバスに肩を引かれ後頭部が凶悪な柔らかさに埋められた瞬間、ジルの事は頭から消し飛んでいた。
―――――
「今、この三階に居るのはこのサキュバス一人だけです」
ジルが案内された鉄格子の檻の中。そこには豪華な家具を避けるようにして、ベッドと棚の隙間、固く冷たい石畳に座り込む一人のみすぼらしい少女の姿があった。
苔のように黒ずんだ緑色の長髪は手入れがされていないのか、毛先は無造作に跳ね、前髪は右目を完全に覆っている。かろうじて覗く左目は眠そうに半分だけ開かれ重そうな瞼の奥からは光の無い黒い瞳が窺える。
体型も貧相で痩せこけており、肌は白く不健康な印象を受け、そしてカリナより幼そうに見えた。身に着けている衣服は、目に見える範囲では膝下まで覆う巨大な白いシャツのみであり、所々が破れ得体の知れないシミが付着している。
サキュバスらしいが、見た目は人間と何ら変わりなかった。
少女は二人の来訪者の登場にも関わらず、身体どころか視線すら動かす事無くただ黙って座り込んでいた。
「名は?」
「ククル、と、私は聞いております。この子を連れて来た兵士がそう言っていたらしいのですが、それが真名かどうかは定かではありません」
「兵士に?奴隷狩りか?」
「いえ、戦争孤児らしいのです。捕縛しようとした兵士にチャームの魔法を使用した為サキュバスと判明し、当館へと連れて来られました。ただ、あまりにも弱い魔法だったらしくその兵士もかろうじて気付けた程度のものだったようです」
「そうか……」
ジルは檻の前に近付くと、部屋の奥で蹲る少女に優しく声を掛ける。
「こんにちは」
反応は無かった。まるで石に話しかけているような気分だった。もう一度、今度は微笑みながら呼び掛けてみるが結果は変わらない。
行き場の無くなったジルの複雑な感情をフォローするかのようにコークが口を挟む。
「彼女は基本的に何を呼び掛けても無視します。食事もまともに取らなければ水浴びもせず、服も着替えようとしません。なのであのように見苦しい姿になってしまっているのです。反抗的だから、と言うよりは、あのような姿をお客様の前に晒すわけにはいかないのでここに閉じ込めている、といったところでしょうか」
「なるほどな……。まぁ、そういうことなら仕方ないのだろうが、だがそれでこの子は大丈夫なのか?生命活動的な意味で」
「偶に彼女を借りていく物好きなお客様がおられまして……。その際に精と魔力を吸収しているらしいのです。サキュバスは食事と同程度に精と魔力を吸収することが生きていく上で重要ですからね。それで何とか生きているようです」
「借りて行く?この子を?いや、まぁそりゃあ世の中色んな性癖の奴は居るだ……」
慌てて口を閉じるジル。目の前に当事者が居る状況で話す事では無かったと後悔するが、ククルは特に反応を示さなかった。
「需要はどこかには転がっているものですからね。ただ、この子を一晩借りたお客様は例外無く殴る蹴るの暴行を受けたり、時には首を絞められたり刃物で刺されそうになったりしております。非力故に大事に至った事例はありませんが、それも含めて借りられるお客様には念を押しております」
「何故そんな子を店に置き続けているんだ?」
店の評判を気にしての問いだったのだが、コークは達観したように苦笑を漏らす。
「先ほども申し上げましたように、物好きな方は居られますから。一晩の貸し出し料でも意外と稼ぎにはなるのですよ」
「あ、なるほど」
てっきり無料で貸出されていると思ったジルであったがそんな甘い話は無かった。
「無論、そういう趣味のお客様が借りられる場合もありますが、最近では偽善目的で借りられる方が増えておりますね」
「……偽善?」
礼節の塊のような青年の少し感情の籠った声に、ジルは問い返さずにはいられなかった。
「ええ。可哀そうな奴隷に優しくできる自分に酔いたい方が、購入を前提として彼女を借りて行くケースが増えております。尤も、結局は下心ありきなので我慢できず彼女に手を出し暴力を振るわれたり、いくら優しく接しても冷たい彼女に嫌気が差し返品という結果になるのですけどね……」
「……」
人間の性欲以上に醜い何か。その存在にジルも口を閉じた。
「どうです?ジル様もこの子をお借りになられてみますか?」
「……。いや、大丈夫だ」
一瞬、ほんの一瞬だけ考えはした。そしてその一瞬を見逃さなかったコークは、静かに冷たく微笑んだ。
「しかし催淫能力が殆ど無いと言っていたが、実際どれぐらいのものか気になるな」
「試しに受けてみますか?」
「む。出来るのか?」
「やらせてみますので、ジル様は檻の前にお立ち下さい。ただ、今まで効果を実感できたお客様はおりませんが……」
「そんなに弱いのか?」
「と言うよりは、ただ単に発動してないだけなのかもしれません。私もお客様も誰一人として感知できたことが無いものでして……」
その言葉に内心ガッカリしながらも、それでもと期待を胸にジルはククルの居座る檻の前へと立った。相変わらず微動だにしないククルであったが、コークの命令が下されると数秒の静寂の後に、彼女は初めてジルの方へと視線を向けた。
それはほんの僅かな変化。空に浮かぶ星が流れた事に気付けたかどうか程度の薄い感応であったが、彼女の淀んだ瞳に淡い紫の光が差した。
「……う~む。やはり何ともないですね……」
幾度と無く彼女にチャームの魔法を命じているが一度たりとてその効果を実感したことは無く、今回も例外ではなかった。
「いやはや、申し訳ありませ……」
お客様の期待に応えられず申し訳無さそうに半笑いを浮かべ肩を竦めるコーク。しかし、その居心地の悪さは目の前で前屈みになり胸を抑える客人の姿を目にした瞬間消え失せた。
「……ジル様……?」
「ん?んぅ!?な、何かな?」
顔を火照らせ息を荒げ額に汗を滲ませ腰を曲げ……。明らかに『効いている』ようなその反応。
「いや、うん!まぁ、何だな!やっぱり大したことないな!特に何も感じないぞ!」
しかし当の本人のこの言葉からは、何か決して譲れぬ強い意志のようなものを感じた。
「…………。そのようですね。やはり、彼女の魔力は弱過ぎるようです。ご期待に沿えず申し訳ございませんでした」
コークは爽やかな笑みを浮かべると、ジルに対し静かに頭を下げる。そして、一先ず受付に戻ることを進言するとジルはそれを快諾し慌てて階段を駆け下りて行った。
「……」
客人の背を見送った後、コークは檻の中を横目で窺う。すると、そこには客人の去って行った方向を見つめ続けるサキュバスの少女の姿が在った。
(あそこまで耐性が無いのも、それはそれで才能ですね……)
ここに来て初めてサキュバスとしての価値が産まれた『商品』を一瞥すると、コークはククルに声を掛ける事無く黙ってジルの後を追った。
柔肌の海に埋もれながら恍惚とした表情でそう呟くロバートに、彼を取り巻くサキュバス達が嬌声にも似た歓喜の声を上げる。今、この館の中のサキュバスの殆どが彼の周りに集結していた。
「おに~さんなら大歓迎だよ!」
「そうそう、イケメンだし」
「身体も凄く綺麗だし」
「何より魔力と精力が凄いからね!」
自分の全てを肯定する言葉にロバートはすっかり気を良くし高らかに笑う。
「ねぇおに~さん、いっそのこと全員買っちゃわない?ハーレム作っちゃおうよ~」
「んん~……。そうしたいのは山々なんだけど、今日の俺は付き添いだからね。……ってか、アイツどこいった?」
本日の主役の姿が見えないことに疑問を抱き辺りを見渡す。
「白髪のお兄さんならさっきコークさんと三階に行ってたわよ?」
「三階?三階って……あの?」
「そうそう。『あの』三階よ。と言っても今は一人のサキュバスが居るだけなんだけどね」
「ふ~ん……」
ロバートは逡巡の後、自分も様子を見に行ってみるかと重い腰を上げようとしたが、サキュバスに肩を引かれ後頭部が凶悪な柔らかさに埋められた瞬間、ジルの事は頭から消し飛んでいた。
―――――
「今、この三階に居るのはこのサキュバス一人だけです」
ジルが案内された鉄格子の檻の中。そこには豪華な家具を避けるようにして、ベッドと棚の隙間、固く冷たい石畳に座り込む一人のみすぼらしい少女の姿があった。
苔のように黒ずんだ緑色の長髪は手入れがされていないのか、毛先は無造作に跳ね、前髪は右目を完全に覆っている。かろうじて覗く左目は眠そうに半分だけ開かれ重そうな瞼の奥からは光の無い黒い瞳が窺える。
体型も貧相で痩せこけており、肌は白く不健康な印象を受け、そしてカリナより幼そうに見えた。身に着けている衣服は、目に見える範囲では膝下まで覆う巨大な白いシャツのみであり、所々が破れ得体の知れないシミが付着している。
サキュバスらしいが、見た目は人間と何ら変わりなかった。
少女は二人の来訪者の登場にも関わらず、身体どころか視線すら動かす事無くただ黙って座り込んでいた。
「名は?」
「ククル、と、私は聞いております。この子を連れて来た兵士がそう言っていたらしいのですが、それが真名かどうかは定かではありません」
「兵士に?奴隷狩りか?」
「いえ、戦争孤児らしいのです。捕縛しようとした兵士にチャームの魔法を使用した為サキュバスと判明し、当館へと連れて来られました。ただ、あまりにも弱い魔法だったらしくその兵士もかろうじて気付けた程度のものだったようです」
「そうか……」
ジルは檻の前に近付くと、部屋の奥で蹲る少女に優しく声を掛ける。
「こんにちは」
反応は無かった。まるで石に話しかけているような気分だった。もう一度、今度は微笑みながら呼び掛けてみるが結果は変わらない。
行き場の無くなったジルの複雑な感情をフォローするかのようにコークが口を挟む。
「彼女は基本的に何を呼び掛けても無視します。食事もまともに取らなければ水浴びもせず、服も着替えようとしません。なのであのように見苦しい姿になってしまっているのです。反抗的だから、と言うよりは、あのような姿をお客様の前に晒すわけにはいかないのでここに閉じ込めている、といったところでしょうか」
「なるほどな……。まぁ、そういうことなら仕方ないのだろうが、だがそれでこの子は大丈夫なのか?生命活動的な意味で」
「偶に彼女を借りていく物好きなお客様がおられまして……。その際に精と魔力を吸収しているらしいのです。サキュバスは食事と同程度に精と魔力を吸収することが生きていく上で重要ですからね。それで何とか生きているようです」
「借りて行く?この子を?いや、まぁそりゃあ世の中色んな性癖の奴は居るだ……」
慌てて口を閉じるジル。目の前に当事者が居る状況で話す事では無かったと後悔するが、ククルは特に反応を示さなかった。
「需要はどこかには転がっているものですからね。ただ、この子を一晩借りたお客様は例外無く殴る蹴るの暴行を受けたり、時には首を絞められたり刃物で刺されそうになったりしております。非力故に大事に至った事例はありませんが、それも含めて借りられるお客様には念を押しております」
「何故そんな子を店に置き続けているんだ?」
店の評判を気にしての問いだったのだが、コークは達観したように苦笑を漏らす。
「先ほども申し上げましたように、物好きな方は居られますから。一晩の貸し出し料でも意外と稼ぎにはなるのですよ」
「あ、なるほど」
てっきり無料で貸出されていると思ったジルであったがそんな甘い話は無かった。
「無論、そういう趣味のお客様が借りられる場合もありますが、最近では偽善目的で借りられる方が増えておりますね」
「……偽善?」
礼節の塊のような青年の少し感情の籠った声に、ジルは問い返さずにはいられなかった。
「ええ。可哀そうな奴隷に優しくできる自分に酔いたい方が、購入を前提として彼女を借りて行くケースが増えております。尤も、結局は下心ありきなので我慢できず彼女に手を出し暴力を振るわれたり、いくら優しく接しても冷たい彼女に嫌気が差し返品という結果になるのですけどね……」
「……」
人間の性欲以上に醜い何か。その存在にジルも口を閉じた。
「どうです?ジル様もこの子をお借りになられてみますか?」
「……。いや、大丈夫だ」
一瞬、ほんの一瞬だけ考えはした。そしてその一瞬を見逃さなかったコークは、静かに冷たく微笑んだ。
「しかし催淫能力が殆ど無いと言っていたが、実際どれぐらいのものか気になるな」
「試しに受けてみますか?」
「む。出来るのか?」
「やらせてみますので、ジル様は檻の前にお立ち下さい。ただ、今まで効果を実感できたお客様はおりませんが……」
「そんなに弱いのか?」
「と言うよりは、ただ単に発動してないだけなのかもしれません。私もお客様も誰一人として感知できたことが無いものでして……」
その言葉に内心ガッカリしながらも、それでもと期待を胸にジルはククルの居座る檻の前へと立った。相変わらず微動だにしないククルであったが、コークの命令が下されると数秒の静寂の後に、彼女は初めてジルの方へと視線を向けた。
それはほんの僅かな変化。空に浮かぶ星が流れた事に気付けたかどうか程度の薄い感応であったが、彼女の淀んだ瞳に淡い紫の光が差した。
「……う~む。やはり何ともないですね……」
幾度と無く彼女にチャームの魔法を命じているが一度たりとてその効果を実感したことは無く、今回も例外ではなかった。
「いやはや、申し訳ありませ……」
お客様の期待に応えられず申し訳無さそうに半笑いを浮かべ肩を竦めるコーク。しかし、その居心地の悪さは目の前で前屈みになり胸を抑える客人の姿を目にした瞬間消え失せた。
「……ジル様……?」
「ん?んぅ!?な、何かな?」
顔を火照らせ息を荒げ額に汗を滲ませ腰を曲げ……。明らかに『効いている』ようなその反応。
「いや、うん!まぁ、何だな!やっぱり大したことないな!特に何も感じないぞ!」
しかし当の本人のこの言葉からは、何か決して譲れぬ強い意志のようなものを感じた。
「…………。そのようですね。やはり、彼女の魔力は弱過ぎるようです。ご期待に沿えず申し訳ございませんでした」
コークは爽やかな笑みを浮かべると、ジルに対し静かに頭を下げる。そして、一先ず受付に戻ることを進言するとジルはそれを快諾し慌てて階段を駆け下りて行った。
「……」
客人の背を見送った後、コークは檻の中を横目で窺う。すると、そこには客人の去って行った方向を見つめ続けるサキュバスの少女の姿が在った。
(あそこまで耐性が無いのも、それはそれで才能ですね……)
ここに来て初めてサキュバスとしての価値が産まれた『商品』を一瞥すると、コークはククルに声を掛ける事無く黙ってジルの後を追った。
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