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第3章
第5話 どこが悪魔なんでしょう
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「本日のクエストは、果物狩りで~す」
目的地に向かう馬車の中で発表されたクエストの内容に、麗しの女性二人は顔を綻ばせ手を叩く。事前に渡された資料には目的の果実の絵と名前が記されており、今回はその果実を十個程持ち帰る事がクエスト達成の条件らしい。
果実の名は『パメの実』。非常に甘く美味であるが採取できる場所が限られており、また栽培法も確立されていない為それなりの希少品となっている。
「これ、聞いたことあります!とっても甘くて美味しいんですよね!これでパイを作ると絶品なんだとか!」
「パイ……」
カリナが瞳を輝かせ、涎を垂らす。
「そうそう。今回はそれの採取なんだけど、たくさん実ってたら少し余分に採ってセラにパイを作ってもらおうと思ってね」
「ホントですか!私、腕によりをかけちゃいます!」
やはりエルフであるセラは植物について詳しいのかこのパメの実の希少性と品質を理解しているようだ。カリナも美味しいパイが食べられると聞いて尻尾を振っている。
「まぁ一応魔獣も出るからそこは注意しないとね」
「そ、そうなんですか?」
「そりゃあね。だからこそギルドに依頼を出すわけだし。まぁ安心しなよ。俺が居るんだから」
レッドデビルが護衛をしてくれるというのだ、これ以上安心できるクエストも無いだろう。だが、やはりセラもカリナも『魔獣』という言葉を聞いて少し表情が引き締まっていた。
「……そう言えば、ミスラさん、とても綺麗な人でしたね」
目的地に着くまで多少時間があり黙って外の景色を眺めていた三人であったがそんな静寂に耐えかねたのか、それとも興味本位なのかセラが先ほどのギルドでの事を話し出した。
「ん?あぁ、まぁそうだね」
「あんなところにあんな美人が居たら、何かちょっと危ない気がしますね……」
「あ、それは大丈夫。ミスラはそこらの男が束になっても敵わないからね」
「えぇ?そうなんです?」
「そだよ?体術も勿論だけど、魔法も使えるからね。結構強いよ」
俺ほどではないけどね、と何の参考にもならない備考を添える。
「人は見かけによらないんですね……」
「だね。あ、それと。本来なら素人の、それも一応奴隷の身分の二人がこうしてクエストに参加できるなんてことは中々無いことなんだよ。彼女が割と無理して通してくれたらしいんだ。だから、帰ったら二人ともちゃんとお礼を言っておくんだよ?」
はい。と二つの良い返事にジルも鉄仮面の下で顔を綻ばせた。
――――――――――
「お客さん、到着したよ」
御者の声に待ってましたと言わんばかりにセラとカリナは馬車から飛び降りた。舗装されていない道を走る馬車の乗り心地は最悪で、二人ともすっかり尻を痛めてしまっていた。ジルはそれもクエストの醍醐味と笑うが、柔らかいお尻の持ち主二人にはそれを楽しむ事は出来なさそうだ。
降り立ったのは深い森への入り口。『魔獣の生息地!一般人立ち入り禁止!』と書かれた看板がいくつも立っている。
馬車も逃げるように来た道を帰って行った。あの馬車が次にここに来るのは五時間後。それまでにクエストを済ませないと徒歩で帰る羽目になってしまう。
「さて、それじゃあ装備の確認といこうか」
既に度が過ぎて準備万端な鎧姿の大男は抱えていた巨大な皮袋を降ろし、中からいくつかの道具を取り出した。
「はいコレ。使って」
セラとカリナに手渡した三つの小袋の中にはどれも細かい粉のようなものが入っている。
「何ですか?これ」
「日焼け止めに虫よけ、それと変な物触った時の消毒薬。結構いい物みたいだから使ってみてね」
「あ、ありがとうございます」
ピクニック気分ではないと言った割には随分とそれに準じた物を持ってきている主人であった。
因みに、彼女達が着ている服は極寒地に生息する伝説の魔獣『ヴォルガニアント』の毛皮が編み込まれたもの。灼熱の陽射しの中でもまるで砂漠のオアシスで水浴びをしているかのように心地よい冷気を発し、尚且つ物理的な衝撃のみならず魔法に対する障壁効果も兼ね備えたとんでもない服だ。
上下セットで小さな村が買える値がする物であるが、着ている当人達はそれを知らず、また、購入したジル本人も『涼しくなる丈夫な服』程度の認識である。
「では、果物狩りに出発しよう!」
「「はい!」」
看板の忠告を意気揚々と無視し森へと足を踏み入れる三人。過去に幾人もこの地に足を踏み入れたのだろう。道はそれなりに踏みしめられていた。
久々に自然の中に身を置いているセラの足取りは軽やかで、小鳥の囀りに合わせて鼻歌を歌いステップを踏んでいる。カリナは逐一足を止めては鳥や草木を物珍しそうに眺めていた。
道中の邪魔な草や小枝は全てジルが薙ぎ払い、大きめの石は蹴飛ばして進む為セラとカリナは快適なピクニックを楽しむことが出来ていた。
上機嫌な従者二人を見て主人もご満悦の様子。これだけ喜んでもらえるならまた連れてくるのも良いかもしれないと思いつつ、しっかりと彼女達の周囲に気を配り続ける。虫の一匹でもどちらかに触れようとしたなら一瞬で粉微塵に消し飛ばすだけの警戒は張り巡らせていた。
十数分歩いただろうか。緑も深みを増し、昼前だというのに随分と薄暗くなってきた。道も途切れ途切れになり、遂には彼らを導く標が無くなってしまう。
まるで世界から隔離されたかのような静けさだが、寧ろセラとカリナにとってはそれもまた非日常を楽しむ要因の一つでしかないようだ。
「さて、ここからどうしようか……」
ジルが足を止めたことにより、自然と後ろの二人の動きも止まる。
「ジル様、どうしました?」
「いや、道がね……。って、何その草?」
顔を覗き込んできたセラの仕草にときめきながらも彼女が胸に抱えた多種多様な草に視線が移る。
「あ、これはですね、主に薬草です。しかも結構珍しい薬草ですね!そこら中に生えてたので、少しもらってきちゃいました」
「へ~……。凄いな。俺には雑草にしか見えないや」
「フフ……でしょう?これは火傷に効きます、これは止血効果がありますね。これは風邪の飲み薬になります。そしてこれは……」
一つ一つの薬草の効能をカリナとジルは聞き入っていた。彼女の眼には森のあらゆる植物が手に取るように解るのだろう。しかも聞けばかなりの高額で取引されている薬草もあるようで、それをギルドに届ければクエストの報酬が増える可能性も大いにある。
(これから森のクエストに行くときは同行をお願いしようかな……。セラも喜ぶだろうし、お金も稼げる……)
思いもよらなかった副産物。流石は森の主と呼ばれるエルフ名だけはあると嘆息を漏らすジル。
「お手柄だね。セラ。ただ、それだと泥が付いて汚いから袋に入れなよ」
「あ、そうですね。ありがとうございます」
腰にぶら下げていた袋を手渡す、その際、本当にただの親切心で付いた泥を払ったのだが、幸か不幸かその手が触れた部分はセラの胸であった。それに気付いたご両人。ほんのりと顔を赤らめ俯くセラに対し、ジルは鎧の中で白目を剥いていた。
「あっ!そ、そう言えば、どうかしたんですか!?道がどうとか言われてましたが!」
「おっ!そ、そうそう!こっから先の道をどう進もうか悩んでてさ!アハハ!」
カリナからのじっとりとした視線に気付いた二人は、取り繕うように早口で会話を続ける。
「……って、道が分からないって、大丈夫なんですか!?」
事の重大さに気付いたセラが悲鳴にも似た声を上げるも、ジルは乾いた笑い声を上げ頬を掻く。
「簡単に採れる場所にあるものは粗方採りつくされちゃってるからね。果実を見つけようと思ったら未開の地を突き進むしかないのさ」
「そ、それで……。検討はついてるんですか?」
「全く!」
「……」
魔獣が生息する深い森の中を宛も無く彷徨わなければならない可能性にセラの表情が若干引き攣る。更に恐ろしい事に、時間通りにクエストを達成しなければ僻地に置いてけぼりなのだ。下手に迷いでもして帰れなくなったら大事である。
「あの、それでは、地道にパメの実を探すという事ですかね……?」
否定してほしいと心から願うセラの言葉は、彼女がパメの実に関して詳しいからこそ出た言葉であった。
パメの実は果樹の枝に成る実なのだが、その樹木は至る所に群生している他種の樹木と区別がつきにくく、更にその果実は自身の発見を逃れるかのように木の葉と非常に酷似した色をしている。適当に散策して簡単に見つけられるようなものではない。
「まぁ勘だよ、勘。日頃の行いが良ければ直ぐに見つかるさ」
つい先ほど女神へのお祈りを怠った男の言葉は随分と説得力がある。セラは最悪の事態を覚悟した。
と、その時。
「……ジル様、ジル様。何だか、甘い匂いがします」
カリナが目を閉じ、鼻をひくひくさせながらそう告げた。
「え?まさか、パメの実の匂いが分かるの?」
「これがパメの実の匂いなのか分かりませんが……。なんだか向こうの方から匂ってきます……」
カリナが指差したのは方角は道どころか、より深く草木が生い茂り人の侵入を拒む自然の中。もし彼らが適当に進もうと判断した場合真っ先に消去される、というより候補にすら挙がらない方向であった。
「う~ん。俺には全く匂いが分からないけどなぁ。流石は獣人と言ったところか……」
そんな鎧を身に着けていては匂いなんて分かるわけもない。と言いたげな乾いた笑みを浮かべる従者二名。何はともあれ、カリナが指示した方角に向け一行は迂回しながらも何とか通れる道を選び奥へと進む。
「こっちですね。あ、だんだん匂いが強くなってきました。もう少し右ですね」
列の先頭に立ち一行を誘導するカリナの背中がいつに無く頼もしく見える。彼女の獣人としての人間離れした感覚は探索系のクエストで大いに力を発揮してくれる可能性があることに気付いたジルは、先ほどのセラの活躍も相まってもしかしたらかなり優秀なパーティーになるのではないかと少し期待していた。
危険なクエストには連れて行けないが、これから同じように探索系のクエストがあれば二人に同行をお願いするのもアリかもしれない。
「あ!あそこ!あそこです!多分あの辺り……!」
彼女の小さな指が示したのは何の変哲も無い樹木。しかし成程、近付いてみると非常に甘い香りが全身に纏わりついてくる。と言っても人工的に作られた甘味料のねっとりとしたしつこい甘みとは違い、鼻を通り抜け身体中に巡るような爽やかな香りだ。
「……あ!ありました!ジル様!パメの実ありましたよ!ホラ!」
セラが樹木に駆け寄り嬉しそうに頭上を指差す。そこにあったのは、樹木に生い茂る木の葉と同じ深い緑を帯びた細長い果実であった。
「うおお、マジであった!しかも結構実ってる!これならここだけ採取すれば依頼達成出来そうだ!凄いぞカリナ、大手柄だ!」
ジルもこれには大層喜び、大活躍の少女の頭を少し乱暴に撫でる。カリナは嬉しそうに目を細めスカートからはみ出た尻尾を振るが、しかし、突如彼女の耳がけたたましく動き出した。
「じ、ジル様!何か来ます!」
「みたいだね」
ジルも気付いていた。カリナは耳で、ジルは気配で感じ取る。唯一セラだけが何も解っておらず、それ故か、『それ』が目の前に現れた時の反応は彼女が一番大きかった。
「き……。きゃあぁぁぁ!?」
森中に響き渡るセラの悲鳴。彼女の前に現れたのは、鎧を着たジルよりも二回りは大きい魔獣、オークであった。
膨れ上がった筋肉に茶色の肌。凹凸の深い顔に大木のように太い手足。着ている衣服は冒険者達から奪った物だろうか、サイズがまるで合っておらず所々が破れ随分と汚れている。草木を掻き分け現れたその巨獣は巨大な鼻で荒い息を立てながらこちらを睨めていた。
「おお、オークか。ギルドの情報通りだな」
軽い口調のジルに慌ててセラが駆け寄り、瞳を恐怖に染め鎧の背後から魔獣の様子を窺う。
「じ、じじじジル様!ま、ま、まじゅっ!魔獣っ!」
故郷の森にも様々な魔物は居たが、ここまで身近で目の当たりにするのはセラにとって初めての経験であった。
「うん、だね。多分この辺が縄張りなのかな?」
「そ、そんな悠長なっ!?どどどどうするんですかっ!」
声を、そして肩を震わせ怯えるセラであったが、その姿はジルから見れば頼もしく映っていた。
見るからに危険で威圧的な魔獣を前に悲鳴を上げあまつさえ走って逃げて来れるのだ。中々に肝が据わっている。隣に居るカリナのように恐怖のあまり声も出せず立ち尽くすのが割と普通の反応であった。
オークは魔獣の中では知性があり凶暴性も低い方だが、縄張りを荒らしたり危害を加えようとすると激怒し襲い掛かって来る習性がある。そしてその力たるや、熟練の戦士が束になって戦っても全滅してしまうことが多々ある。
樹木をいとも容易くへし折ってしまうその腕力と脚力の前では鎧など無意味であり、人間の顔以上に巨大な手に捕まりでもすれば一瞬で身体を引き千切られてしまう。その強大な力故に戦争の道具に使われる事も多い。
『グフゥ……』
「おっと」
オークの攻撃態勢を察したジルは固まっているカリナを背後に隠し、それをセラが咄嗟に抱きしめる。
その瞬間、オークが暴力的な咆哮を撒き散らしながらジル目掛けて突っ込んできた。
巨大な足で地面を抉り、巨体に似合わぬ速さで距離を詰める。丸太のような腕が振られ、オークの両手がジルの顔を掴もうと伸びる。惨劇の予感にセラは瞼を固く伏せ俯くが、しかしジルはそのオークの両手を自分の両手で呆気なく受け止めた。
「落ち着けよ。まだ何もしてないだろ」
威嚇の咆哮を吐き出しながら全体重を乗せ覆い被さるように力を強めていくオーク。しかし、自分より遥かに小さな男は少し足が地面にめり込むだけで微動だにしない。
あらん限りの力を籠め組み伏せようとするも、眼下の鎧の男は随分と涼し気に笑い声を上げている。それどころか、男の指の力が徐々に強くなっていくではないか。
『グ、ガァァァ!』
「ホレホレどうした。もう降参か~?」
途方も無い暴力を前にオークの膝は折れ、次第に頭の標高がジルよりも低くなっていた。いくら力を入れても押し返せず身体が沈んでいく。オークを力比べで圧倒しているジルを目の当たりにしたセラとカリナは目を丸くしていた。
『フ……フォォォォ……』
山のように巨大な岩石に押し潰されているような錯覚を抱いたオークは情けない鳴き声を漏らし、ジルに救いを懇願する。ジルはその懇願を受け入れ手を放してやった。
「え!?何……」
何故このままやっつけてしまわないのか。そんな意味を込めた言葉が投げかけられるよりも先に、ジルは足元に置いていた巨大な袋を手に取るとすっかり戦意を失った顔でこちらを見上げるオークの前に放り投げる。
ジルが手の平を差し出し中を見るように促すと、その意図を察したオークは太い指で器用に袋を広げた。中には、大量の肉や小さな酒樽がぎっしりと詰まっていた。
「縄張り荒らして悪かったな。ここの果物が欲しかっただけなんだ。お前達に関わるつもりはないよ。それはお詫びだ、持って行ってくれ」
野生のオークにはジルの言葉は殆ど理解出来なかった。だが、穏やかな口調と身振り手振りで何が言いたいかは理解出来たようで、オークは袋を抱えると、あっさりと草木の影へと姿を消した。
周囲の安全を確認した後、ジルは警戒を解き背後の二人に声を掛ける。
「もう大丈夫、襲ってくることは無いよ」
「ほ、ホントですか……?」
「あぁ。魔獣だとしてもオークは聡明な生き物だからね。ちゃんと接すれば理解してくれるんだよ」
「よ、よかった……」
緊張の糸が切れ泣きじゃくるカリナを撫でるセラもまた身体に染み付いた恐怖に肩を震わせていた。
「そ、それにしても、ジル様凄いですね……。あのオークを素手で……」
「なぁに、アレぐらい朝飯前さ。伊達にレッドデビルと呼ばれてるわけじゃないんだぜ?」
「ホントに、凄いです……。でも、てっきりあのままやっつけてしまうのかと思ってました。あの袋の中身は元々あの為に用意されてたのですか?」
「そうだよ。縄張りを荒らしたお詫びぐらいは用意しないと」
それにと続ける。
「彼らにも生活があって家族も仲間もいるだろう。そんな相手を殺めたくはない。平和的に解決できるならそれに越したことは無いさ。まぁ今回は相手がオークだったから出来た事であって、知性の無い凶暴な魔獣相手だと難しいんだけどね」
「……」
「さぁて!パメの実、採っちゃいましょうか!これだけあれば俺達の分もあるぞ!」
大きな声を上げパメの実が芳醇に実った樹木へと駆け出す主人の背中を、セラは敬慕に満ちた瞳で見つめていた。
一体彼のどこが悪魔なのだろうか。魔獣にすら敬意を払うその姿は悪魔どころか正義と慈愛の象徴にまで見えていた。
見た目は確かに恐ろしいがしかしその中は優しさに溢れている。セラはそれを知る数少ない者であり、また、彼女にとってそれはとても誇らしい事であった。
「お~い。取り敢えず引っこ抜いて取りやすくしたからどんどん収穫してくれ~」
「え……。ええええ!?」
ジルの声に振り返ってみれば、なんとパメの実が大量に実っている樹木が根っこから引き抜かれ、地面に転がされていた。どうやら彼は植物に対しての慈悲の心は持ち合わせていないようである。
「早く収穫しよう。これだけあれば依頼主も満足だろう!」
「そ、そうです、ね~……」
色々と規格外な主人の振る舞いに先程までの感動が薄れ表情を強張らせるエルフ。その傍らではすっかり元気を取り戻したカリナがせっせとパメの実を千切っては、持ってきた袋に放り込んでいた。
目的地に向かう馬車の中で発表されたクエストの内容に、麗しの女性二人は顔を綻ばせ手を叩く。事前に渡された資料には目的の果実の絵と名前が記されており、今回はその果実を十個程持ち帰る事がクエスト達成の条件らしい。
果実の名は『パメの実』。非常に甘く美味であるが採取できる場所が限られており、また栽培法も確立されていない為それなりの希少品となっている。
「これ、聞いたことあります!とっても甘くて美味しいんですよね!これでパイを作ると絶品なんだとか!」
「パイ……」
カリナが瞳を輝かせ、涎を垂らす。
「そうそう。今回はそれの採取なんだけど、たくさん実ってたら少し余分に採ってセラにパイを作ってもらおうと思ってね」
「ホントですか!私、腕によりをかけちゃいます!」
やはりエルフであるセラは植物について詳しいのかこのパメの実の希少性と品質を理解しているようだ。カリナも美味しいパイが食べられると聞いて尻尾を振っている。
「まぁ一応魔獣も出るからそこは注意しないとね」
「そ、そうなんですか?」
「そりゃあね。だからこそギルドに依頼を出すわけだし。まぁ安心しなよ。俺が居るんだから」
レッドデビルが護衛をしてくれるというのだ、これ以上安心できるクエストも無いだろう。だが、やはりセラもカリナも『魔獣』という言葉を聞いて少し表情が引き締まっていた。
「……そう言えば、ミスラさん、とても綺麗な人でしたね」
目的地に着くまで多少時間があり黙って外の景色を眺めていた三人であったがそんな静寂に耐えかねたのか、それとも興味本位なのかセラが先ほどのギルドでの事を話し出した。
「ん?あぁ、まぁそうだね」
「あんなところにあんな美人が居たら、何かちょっと危ない気がしますね……」
「あ、それは大丈夫。ミスラはそこらの男が束になっても敵わないからね」
「えぇ?そうなんです?」
「そだよ?体術も勿論だけど、魔法も使えるからね。結構強いよ」
俺ほどではないけどね、と何の参考にもならない備考を添える。
「人は見かけによらないんですね……」
「だね。あ、それと。本来なら素人の、それも一応奴隷の身分の二人がこうしてクエストに参加できるなんてことは中々無いことなんだよ。彼女が割と無理して通してくれたらしいんだ。だから、帰ったら二人ともちゃんとお礼を言っておくんだよ?」
はい。と二つの良い返事にジルも鉄仮面の下で顔を綻ばせた。
――――――――――
「お客さん、到着したよ」
御者の声に待ってましたと言わんばかりにセラとカリナは馬車から飛び降りた。舗装されていない道を走る馬車の乗り心地は最悪で、二人ともすっかり尻を痛めてしまっていた。ジルはそれもクエストの醍醐味と笑うが、柔らかいお尻の持ち主二人にはそれを楽しむ事は出来なさそうだ。
降り立ったのは深い森への入り口。『魔獣の生息地!一般人立ち入り禁止!』と書かれた看板がいくつも立っている。
馬車も逃げるように来た道を帰って行った。あの馬車が次にここに来るのは五時間後。それまでにクエストを済ませないと徒歩で帰る羽目になってしまう。
「さて、それじゃあ装備の確認といこうか」
既に度が過ぎて準備万端な鎧姿の大男は抱えていた巨大な皮袋を降ろし、中からいくつかの道具を取り出した。
「はいコレ。使って」
セラとカリナに手渡した三つの小袋の中にはどれも細かい粉のようなものが入っている。
「何ですか?これ」
「日焼け止めに虫よけ、それと変な物触った時の消毒薬。結構いい物みたいだから使ってみてね」
「あ、ありがとうございます」
ピクニック気分ではないと言った割には随分とそれに準じた物を持ってきている主人であった。
因みに、彼女達が着ている服は極寒地に生息する伝説の魔獣『ヴォルガニアント』の毛皮が編み込まれたもの。灼熱の陽射しの中でもまるで砂漠のオアシスで水浴びをしているかのように心地よい冷気を発し、尚且つ物理的な衝撃のみならず魔法に対する障壁効果も兼ね備えたとんでもない服だ。
上下セットで小さな村が買える値がする物であるが、着ている当人達はそれを知らず、また、購入したジル本人も『涼しくなる丈夫な服』程度の認識である。
「では、果物狩りに出発しよう!」
「「はい!」」
看板の忠告を意気揚々と無視し森へと足を踏み入れる三人。過去に幾人もこの地に足を踏み入れたのだろう。道はそれなりに踏みしめられていた。
久々に自然の中に身を置いているセラの足取りは軽やかで、小鳥の囀りに合わせて鼻歌を歌いステップを踏んでいる。カリナは逐一足を止めては鳥や草木を物珍しそうに眺めていた。
道中の邪魔な草や小枝は全てジルが薙ぎ払い、大きめの石は蹴飛ばして進む為セラとカリナは快適なピクニックを楽しむことが出来ていた。
上機嫌な従者二人を見て主人もご満悦の様子。これだけ喜んでもらえるならまた連れてくるのも良いかもしれないと思いつつ、しっかりと彼女達の周囲に気を配り続ける。虫の一匹でもどちらかに触れようとしたなら一瞬で粉微塵に消し飛ばすだけの警戒は張り巡らせていた。
十数分歩いただろうか。緑も深みを増し、昼前だというのに随分と薄暗くなってきた。道も途切れ途切れになり、遂には彼らを導く標が無くなってしまう。
まるで世界から隔離されたかのような静けさだが、寧ろセラとカリナにとってはそれもまた非日常を楽しむ要因の一つでしかないようだ。
「さて、ここからどうしようか……」
ジルが足を止めたことにより、自然と後ろの二人の動きも止まる。
「ジル様、どうしました?」
「いや、道がね……。って、何その草?」
顔を覗き込んできたセラの仕草にときめきながらも彼女が胸に抱えた多種多様な草に視線が移る。
「あ、これはですね、主に薬草です。しかも結構珍しい薬草ですね!そこら中に生えてたので、少しもらってきちゃいました」
「へ~……。凄いな。俺には雑草にしか見えないや」
「フフ……でしょう?これは火傷に効きます、これは止血効果がありますね。これは風邪の飲み薬になります。そしてこれは……」
一つ一つの薬草の効能をカリナとジルは聞き入っていた。彼女の眼には森のあらゆる植物が手に取るように解るのだろう。しかも聞けばかなりの高額で取引されている薬草もあるようで、それをギルドに届ければクエストの報酬が増える可能性も大いにある。
(これから森のクエストに行くときは同行をお願いしようかな……。セラも喜ぶだろうし、お金も稼げる……)
思いもよらなかった副産物。流石は森の主と呼ばれるエルフ名だけはあると嘆息を漏らすジル。
「お手柄だね。セラ。ただ、それだと泥が付いて汚いから袋に入れなよ」
「あ、そうですね。ありがとうございます」
腰にぶら下げていた袋を手渡す、その際、本当にただの親切心で付いた泥を払ったのだが、幸か不幸かその手が触れた部分はセラの胸であった。それに気付いたご両人。ほんのりと顔を赤らめ俯くセラに対し、ジルは鎧の中で白目を剥いていた。
「あっ!そ、そう言えば、どうかしたんですか!?道がどうとか言われてましたが!」
「おっ!そ、そうそう!こっから先の道をどう進もうか悩んでてさ!アハハ!」
カリナからのじっとりとした視線に気付いた二人は、取り繕うように早口で会話を続ける。
「……って、道が分からないって、大丈夫なんですか!?」
事の重大さに気付いたセラが悲鳴にも似た声を上げるも、ジルは乾いた笑い声を上げ頬を掻く。
「簡単に採れる場所にあるものは粗方採りつくされちゃってるからね。果実を見つけようと思ったら未開の地を突き進むしかないのさ」
「そ、それで……。検討はついてるんですか?」
「全く!」
「……」
魔獣が生息する深い森の中を宛も無く彷徨わなければならない可能性にセラの表情が若干引き攣る。更に恐ろしい事に、時間通りにクエストを達成しなければ僻地に置いてけぼりなのだ。下手に迷いでもして帰れなくなったら大事である。
「あの、それでは、地道にパメの実を探すという事ですかね……?」
否定してほしいと心から願うセラの言葉は、彼女がパメの実に関して詳しいからこそ出た言葉であった。
パメの実は果樹の枝に成る実なのだが、その樹木は至る所に群生している他種の樹木と区別がつきにくく、更にその果実は自身の発見を逃れるかのように木の葉と非常に酷似した色をしている。適当に散策して簡単に見つけられるようなものではない。
「まぁ勘だよ、勘。日頃の行いが良ければ直ぐに見つかるさ」
つい先ほど女神へのお祈りを怠った男の言葉は随分と説得力がある。セラは最悪の事態を覚悟した。
と、その時。
「……ジル様、ジル様。何だか、甘い匂いがします」
カリナが目を閉じ、鼻をひくひくさせながらそう告げた。
「え?まさか、パメの実の匂いが分かるの?」
「これがパメの実の匂いなのか分かりませんが……。なんだか向こうの方から匂ってきます……」
カリナが指差したのは方角は道どころか、より深く草木が生い茂り人の侵入を拒む自然の中。もし彼らが適当に進もうと判断した場合真っ先に消去される、というより候補にすら挙がらない方向であった。
「う~ん。俺には全く匂いが分からないけどなぁ。流石は獣人と言ったところか……」
そんな鎧を身に着けていては匂いなんて分かるわけもない。と言いたげな乾いた笑みを浮かべる従者二名。何はともあれ、カリナが指示した方角に向け一行は迂回しながらも何とか通れる道を選び奥へと進む。
「こっちですね。あ、だんだん匂いが強くなってきました。もう少し右ですね」
列の先頭に立ち一行を誘導するカリナの背中がいつに無く頼もしく見える。彼女の獣人としての人間離れした感覚は探索系のクエストで大いに力を発揮してくれる可能性があることに気付いたジルは、先ほどのセラの活躍も相まってもしかしたらかなり優秀なパーティーになるのではないかと少し期待していた。
危険なクエストには連れて行けないが、これから同じように探索系のクエストがあれば二人に同行をお願いするのもアリかもしれない。
「あ!あそこ!あそこです!多分あの辺り……!」
彼女の小さな指が示したのは何の変哲も無い樹木。しかし成程、近付いてみると非常に甘い香りが全身に纏わりついてくる。と言っても人工的に作られた甘味料のねっとりとしたしつこい甘みとは違い、鼻を通り抜け身体中に巡るような爽やかな香りだ。
「……あ!ありました!ジル様!パメの実ありましたよ!ホラ!」
セラが樹木に駆け寄り嬉しそうに頭上を指差す。そこにあったのは、樹木に生い茂る木の葉と同じ深い緑を帯びた細長い果実であった。
「うおお、マジであった!しかも結構実ってる!これならここだけ採取すれば依頼達成出来そうだ!凄いぞカリナ、大手柄だ!」
ジルもこれには大層喜び、大活躍の少女の頭を少し乱暴に撫でる。カリナは嬉しそうに目を細めスカートからはみ出た尻尾を振るが、しかし、突如彼女の耳がけたたましく動き出した。
「じ、ジル様!何か来ます!」
「みたいだね」
ジルも気付いていた。カリナは耳で、ジルは気配で感じ取る。唯一セラだけが何も解っておらず、それ故か、『それ』が目の前に現れた時の反応は彼女が一番大きかった。
「き……。きゃあぁぁぁ!?」
森中に響き渡るセラの悲鳴。彼女の前に現れたのは、鎧を着たジルよりも二回りは大きい魔獣、オークであった。
膨れ上がった筋肉に茶色の肌。凹凸の深い顔に大木のように太い手足。着ている衣服は冒険者達から奪った物だろうか、サイズがまるで合っておらず所々が破れ随分と汚れている。草木を掻き分け現れたその巨獣は巨大な鼻で荒い息を立てながらこちらを睨めていた。
「おお、オークか。ギルドの情報通りだな」
軽い口調のジルに慌ててセラが駆け寄り、瞳を恐怖に染め鎧の背後から魔獣の様子を窺う。
「じ、じじじジル様!ま、ま、まじゅっ!魔獣っ!」
故郷の森にも様々な魔物は居たが、ここまで身近で目の当たりにするのはセラにとって初めての経験であった。
「うん、だね。多分この辺が縄張りなのかな?」
「そ、そんな悠長なっ!?どどどどうするんですかっ!」
声を、そして肩を震わせ怯えるセラであったが、その姿はジルから見れば頼もしく映っていた。
見るからに危険で威圧的な魔獣を前に悲鳴を上げあまつさえ走って逃げて来れるのだ。中々に肝が据わっている。隣に居るカリナのように恐怖のあまり声も出せず立ち尽くすのが割と普通の反応であった。
オークは魔獣の中では知性があり凶暴性も低い方だが、縄張りを荒らしたり危害を加えようとすると激怒し襲い掛かって来る習性がある。そしてその力たるや、熟練の戦士が束になって戦っても全滅してしまうことが多々ある。
樹木をいとも容易くへし折ってしまうその腕力と脚力の前では鎧など無意味であり、人間の顔以上に巨大な手に捕まりでもすれば一瞬で身体を引き千切られてしまう。その強大な力故に戦争の道具に使われる事も多い。
『グフゥ……』
「おっと」
オークの攻撃態勢を察したジルは固まっているカリナを背後に隠し、それをセラが咄嗟に抱きしめる。
その瞬間、オークが暴力的な咆哮を撒き散らしながらジル目掛けて突っ込んできた。
巨大な足で地面を抉り、巨体に似合わぬ速さで距離を詰める。丸太のような腕が振られ、オークの両手がジルの顔を掴もうと伸びる。惨劇の予感にセラは瞼を固く伏せ俯くが、しかしジルはそのオークの両手を自分の両手で呆気なく受け止めた。
「落ち着けよ。まだ何もしてないだろ」
威嚇の咆哮を吐き出しながら全体重を乗せ覆い被さるように力を強めていくオーク。しかし、自分より遥かに小さな男は少し足が地面にめり込むだけで微動だにしない。
あらん限りの力を籠め組み伏せようとするも、眼下の鎧の男は随分と涼し気に笑い声を上げている。それどころか、男の指の力が徐々に強くなっていくではないか。
『グ、ガァァァ!』
「ホレホレどうした。もう降参か~?」
途方も無い暴力を前にオークの膝は折れ、次第に頭の標高がジルよりも低くなっていた。いくら力を入れても押し返せず身体が沈んでいく。オークを力比べで圧倒しているジルを目の当たりにしたセラとカリナは目を丸くしていた。
『フ……フォォォォ……』
山のように巨大な岩石に押し潰されているような錯覚を抱いたオークは情けない鳴き声を漏らし、ジルに救いを懇願する。ジルはその懇願を受け入れ手を放してやった。
「え!?何……」
何故このままやっつけてしまわないのか。そんな意味を込めた言葉が投げかけられるよりも先に、ジルは足元に置いていた巨大な袋を手に取るとすっかり戦意を失った顔でこちらを見上げるオークの前に放り投げる。
ジルが手の平を差し出し中を見るように促すと、その意図を察したオークは太い指で器用に袋を広げた。中には、大量の肉や小さな酒樽がぎっしりと詰まっていた。
「縄張り荒らして悪かったな。ここの果物が欲しかっただけなんだ。お前達に関わるつもりはないよ。それはお詫びだ、持って行ってくれ」
野生のオークにはジルの言葉は殆ど理解出来なかった。だが、穏やかな口調と身振り手振りで何が言いたいかは理解出来たようで、オークは袋を抱えると、あっさりと草木の影へと姿を消した。
周囲の安全を確認した後、ジルは警戒を解き背後の二人に声を掛ける。
「もう大丈夫、襲ってくることは無いよ」
「ほ、ホントですか……?」
「あぁ。魔獣だとしてもオークは聡明な生き物だからね。ちゃんと接すれば理解してくれるんだよ」
「よ、よかった……」
緊張の糸が切れ泣きじゃくるカリナを撫でるセラもまた身体に染み付いた恐怖に肩を震わせていた。
「そ、それにしても、ジル様凄いですね……。あのオークを素手で……」
「なぁに、アレぐらい朝飯前さ。伊達にレッドデビルと呼ばれてるわけじゃないんだぜ?」
「ホントに、凄いです……。でも、てっきりあのままやっつけてしまうのかと思ってました。あの袋の中身は元々あの為に用意されてたのですか?」
「そうだよ。縄張りを荒らしたお詫びぐらいは用意しないと」
それにと続ける。
「彼らにも生活があって家族も仲間もいるだろう。そんな相手を殺めたくはない。平和的に解決できるならそれに越したことは無いさ。まぁ今回は相手がオークだったから出来た事であって、知性の無い凶暴な魔獣相手だと難しいんだけどね」
「……」
「さぁて!パメの実、採っちゃいましょうか!これだけあれば俺達の分もあるぞ!」
大きな声を上げパメの実が芳醇に実った樹木へと駆け出す主人の背中を、セラは敬慕に満ちた瞳で見つめていた。
一体彼のどこが悪魔なのだろうか。魔獣にすら敬意を払うその姿は悪魔どころか正義と慈愛の象徴にまで見えていた。
見た目は確かに恐ろしいがしかしその中は優しさに溢れている。セラはそれを知る数少ない者であり、また、彼女にとってそれはとても誇らしい事であった。
「お~い。取り敢えず引っこ抜いて取りやすくしたからどんどん収穫してくれ~」
「え……。ええええ!?」
ジルの声に振り返ってみれば、なんとパメの実が大量に実っている樹木が根っこから引き抜かれ、地面に転がされていた。どうやら彼は植物に対しての慈悲の心は持ち合わせていないようである。
「早く収穫しよう。これだけあれば依頼主も満足だろう!」
「そ、そうです、ね~……」
色々と規格外な主人の振る舞いに先程までの感動が薄れ表情を強張らせるエルフ。その傍らではすっかり元気を取り戻したカリナがせっせとパメの実を千切っては、持ってきた袋に放り込んでいた。
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