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第五部
一進一退
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「よォ、何をしようとしてるんだ?」
まるで人形が独りでに動き出し、語りかけられたかのような驚きが口の中に広がる。魔術師は鋭角な目の形を象り、私を穿つ。そして、瞬く間に満面の笑みを咲かせ、目尻を下げる魔術師は私の邪な右手の手首を掴んで離さない。
「起こして上げようと思って」
「……」
魔術師は私の右手を注視すると、手首を掴む手の力は小指から順に緩んでいき、親指が離れたところで私はしげしげと右手を引っ込めた。
「こんな路上で寝ているのは不用心ですよ」
老婆心を抱いた通行人であることを標榜するように注意を施し、私は魔術師の怪訝な視線から身を守ろうとする。
「ああ、すまないね」
自分の坊主頭をバツが悪そうに掻いて、魔術師は咎めるところがあったと自戒した。私はこの場にそぐわぬ通行人として立ち去る準備に入ろうとする。
「それでは」
背中を向け、ひたすら前進することに集中すれば、不自然に伸びる足元の影に気が付く。私は後ろ髪を引っ張られたかのような勢いで振り返った。
「なんだよ、察しがいいな。背信者」
私を的に見立てて煌々と緑色に光る右手を差し向けた魔術師の慧眼たらしめる鋭い目付きは、仮初の韜晦を寸暇に見抜き、有無を言わせぬ迫力から圧倒される。踵を返し、脱兎の如く逃げようとしても、もう既に手遅れであった。緑色の濁流に巻き込まれた身体は、手足の自由を尽く奪われ、重いはずの頭がカラカラと音を立てるように振り乱れた。上下左右の感覚を失い、いつの間にか硬質な壁に叩きつけられていた。
「くっ!」
肘や膝、頭など出っ張った箇所が主に痛み、一人で抱え込むにはなかなかに苦労した。私はイモムシのように身体を丸めて、痛みを有耶無耶にしようと額の一点に注意を集める。
「私は背信者に煮え湯を飲まされ続きでね。スミスなんて名前を出そうものなら、きっと嘲笑の坩堝なんだろうなぁ」
魔術師もといスミスから、溢れんばかりの怨恨が染み出してきて、石畳に横たわる私の耳元でそれを垂れ流す。覚えのない恨みを私で晴らそうとするこの男にとって、“背信者”であれば怒気をぶつける理由になり得たのだ。
「聞いてるか? 女ぁ」
「……」
「とくにお前は、この街に暮らす人々だけには飽き足らず、守護者である魔術師に手を出した」
筆舌を尽くして鬱積した感情をぶつけてくるスミスの唇が割れてたびたび舌が覗く様から、どのようにして私を痛ぶるかを思案する後ろ暗いものが明け透けになる。
「貴方の目利きは正しかったよ。只……」
私は至って素直にスミスを褒め称えながら、撹拌した意識が明朗になるのを待っていた。そしてそれは、今し方迎えた。
「私を相手にしたのが間違いだ」
懐に隠して持っていた陣を書き込んだ一枚の紙切れを取り出して、魔術の発動を試みる。目を点にしたスミスの心中は想像に難くなく、水の入った袋を破ったように夥しい水が一枚の紙から流れ出す凄まじさは、魔術ならではだろう。
まるで人形が独りでに動き出し、語りかけられたかのような驚きが口の中に広がる。魔術師は鋭角な目の形を象り、私を穿つ。そして、瞬く間に満面の笑みを咲かせ、目尻を下げる魔術師は私の邪な右手の手首を掴んで離さない。
「起こして上げようと思って」
「……」
魔術師は私の右手を注視すると、手首を掴む手の力は小指から順に緩んでいき、親指が離れたところで私はしげしげと右手を引っ込めた。
「こんな路上で寝ているのは不用心ですよ」
老婆心を抱いた通行人であることを標榜するように注意を施し、私は魔術師の怪訝な視線から身を守ろうとする。
「ああ、すまないね」
自分の坊主頭をバツが悪そうに掻いて、魔術師は咎めるところがあったと自戒した。私はこの場にそぐわぬ通行人として立ち去る準備に入ろうとする。
「それでは」
背中を向け、ひたすら前進することに集中すれば、不自然に伸びる足元の影に気が付く。私は後ろ髪を引っ張られたかのような勢いで振り返った。
「なんだよ、察しがいいな。背信者」
私を的に見立てて煌々と緑色に光る右手を差し向けた魔術師の慧眼たらしめる鋭い目付きは、仮初の韜晦を寸暇に見抜き、有無を言わせぬ迫力から圧倒される。踵を返し、脱兎の如く逃げようとしても、もう既に手遅れであった。緑色の濁流に巻き込まれた身体は、手足の自由を尽く奪われ、重いはずの頭がカラカラと音を立てるように振り乱れた。上下左右の感覚を失い、いつの間にか硬質な壁に叩きつけられていた。
「くっ!」
肘や膝、頭など出っ張った箇所が主に痛み、一人で抱え込むにはなかなかに苦労した。私はイモムシのように身体を丸めて、痛みを有耶無耶にしようと額の一点に注意を集める。
「私は背信者に煮え湯を飲まされ続きでね。スミスなんて名前を出そうものなら、きっと嘲笑の坩堝なんだろうなぁ」
魔術師もといスミスから、溢れんばかりの怨恨が染み出してきて、石畳に横たわる私の耳元でそれを垂れ流す。覚えのない恨みを私で晴らそうとするこの男にとって、“背信者”であれば怒気をぶつける理由になり得たのだ。
「聞いてるか? 女ぁ」
「……」
「とくにお前は、この街に暮らす人々だけには飽き足らず、守護者である魔術師に手を出した」
筆舌を尽くして鬱積した感情をぶつけてくるスミスの唇が割れてたびたび舌が覗く様から、どのようにして私を痛ぶるかを思案する後ろ暗いものが明け透けになる。
「貴方の目利きは正しかったよ。只……」
私は至って素直にスミスを褒め称えながら、撹拌した意識が明朗になるのを待っていた。そしてそれは、今し方迎えた。
「私を相手にしたのが間違いだ」
懐に隠して持っていた陣を書き込んだ一枚の紙切れを取り出して、魔術の発動を試みる。目を点にしたスミスの心中は想像に難くなく、水の入った袋を破ったように夥しい水が一枚の紙から流れ出す凄まじさは、魔術ならではだろう。
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