彼岸よ、ララバイ!

駄犬

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未来からの使者

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 代わり映えしない毎日に骨は摩耗し、心は削られ丸くなっていく。年月を経る毎に緩やかな顔付きとなり、薄ぼんやりとした感覚だけが残る。これは、痴呆や認知症などの類いについて言及しているのではない。誰しもが陥る人類普遍の病理のようなものだ。しかし時折、雷に打たれたかのように、馬鹿げたことを考え付いたりするものだ。

 日曜日のとある朝に、天啓の如き疑問が降って沸いた。善悪を越えた殺人は創作でなくとも現実にいくつも存在しているが、それら全て司法にて裁かれながらも、情状酌量の余地があるとして、重刑は取り計られる。人の命の軽重を重刑の差だけで推し量るつもりはない。それでも、望まぬ妊娠を名目に花のように咲かした子を摘み取る処置が社会から許されている。よしんば私が故意に、或いは偶然、妊婦を殺したとしよう。罪の重さは腹に宿る子は頭数に入らないのか。

「馬鹿なことは考えないで」

 腹の重さに比例しない命は実に儚げでなんとも度しがたい。

「あなた、お願い」

 ティッシュに包まれる精子と同じようなものだ。

「あなたの子なのよ」

 多生の縁が導いてくれるさ。

「縄をほどいて」

 できることなら、腹を切開せず臍の緒を切断し餓死させたいが、浅薄な私にとって魔法じみた方法だ。横暴で痛みも伴い外聞も悪いが、私の腕力と出産とでは、天と地の差だろう。

「畜生が」

 逢瀬を重ねて何度も味わった、甘美な唇に凡そ似つかわしくない下品な言葉が、男のような低い声で発せられた。私が見落としたのか。それとも、心の声が伝播したのか。彼女の口は一切動いていなかったような気がする。

「何を見ている。後ろだ」

 けたたましい木琴の音が頭で打ち鳴らされる。スタンガンを受けたように全身は強ばり、受け身も取れず派手に床へ倒れた。手足は痙攣気味に震えて、意思を持って動かすことは到底できなかった。

「よう、腐れ外道。こっちでは俺を殺すつもりだったのか」

 見知らぬ男が、奥歯を潰す勢いで力んでいるのは、たわんだ唇の形から容易に察せられた。おどろおどろしいその形相を向けられる道理が私に在っただろうか。過去を顧みても見当が付かず、理不尽な蛮行の前では床に臥せっていることしか出来ない。次に受ける仕打ちの数々を想像し、睨みつけるなどの反抗的な態度をなるべく避けた。だが、一つ注文できるならば、今度こそ頭をかち割っていただきたい。

 生きることを放棄した投げやりな所感に対して、男はまるで悪路に躓くかのように倒れたようだ。全身を床に叩きつける派手な物音を聞いた。

「足が……」

 路頭に迷う悲哀を声色から受け取り、私はそぞろに耳を傾ける、

「芽衣、ごめんなぁ、助けられなくて」

 今生に於いて必ずやり遂げるべき目的が、泣く泣く果てせなかった後悔の念を語る。私は、男の悲願に対して全くもって関わりがないと寸暇にん思ったものの、天地がひっくり返るほどの衝撃が内部にて起こった。それは本来、起きてはならないことであり、時間の概念や多元世界について思索する必要がある、極めて荒唐無稽な話であった。

「洋太?」

 だが、混濁した意識には丁度いい思考の跳躍だ。その名前を口にした瞬間、男が形容し難い声を上げる原因となったのだから。
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