彼岸よ、ララバイ!

駄犬

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二流小説家

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 凝ったハードカバーは要らぬ。表紙から物語を始めよ。手に取る必要がないのだから、通りがかった消費者に出来るだけ多く目を落としてもらえるはずだ。気に入ってもらえば立ち読んでもらい、購入の流れとさせてもらう。このアイデアに求められるのは、後ろ髪を掴む筆致と、老獪な構成技術だ。いくつもの物語を書き綴った文豪ならば、容易いだろうが、このやり方が隆盛を極めた時、なまじな作家は腐心に病んで筆を折ることになりそうだ。私か? 私はこの通り——

 俺には教養がない。義務教育を疎かにし、そこはかとなく流れる社会の息苦しさに窒息気味になりながら、古代魚のように手足を優雅に動かす。そんな座持ちの悪さを手掛かりに創作へ気炎を吐く俺にとって、焦燥感は肥料であり、蜃気楼の如き読者を相手に相撲を取るバツの悪さだけが頼りなのだ。しかしここ最近、それさえ枯渇してきているような気がしてならない。俺は、身の回りにいる数少ない一人の有識者を訪ねた。  

「夜分遅くにすみません」  

 森のようなヒゲを蓄えるこの御仁の名は、東堂正義。低頭大学の客員教授である。阿呆の頭を阿呆臭く変える社会的に優良な人材だ。

  「中退者が大学の校内に現れる謂れに肌寒さを感じるよ」

「凶兆みたいに扱わないで下さいよ」

 鉛のような尻の重さに椅子が軋みを立てれば、東堂の渋い顔から俺を煙たく思っているのが伝わってきた。長物な世間話を設けて、心ここに有らずといった具合に雲行きの悪さを手繰り寄せる悪手は避けるべきだろう。俺は早々に東堂を訪ねた趣旨を机上に置く。

「以前話しましたよね。小説家を目指していると」  

「あー」 

  失念した記憶の残滓に対する間に合わせの言葉は、空々しく実態が伴わない。顎髭を触り出す東堂の所作は、言い訳がましく見るに耐えない。いちいち糾弾していれば、埒が明かない。

「良かったです。覚えてもらっていて」

 俺は空笑いしながら東堂の記憶の穴を埋めた。すると、目の前の障害を一つ乗り越えたことによる余裕が、口を滑らかに動かす道筋を生んでしまった。

  「君、小説家は砂漠に咲く花みたいなものでね。それは可憐だが、ほとんどが芽吹くことがない」  

 途方もない夢物語であると東堂は俺を断じて、地に足のついた社会的立場を築けと婉曲ながら言っている。

「その種に水を与えようとは思いませんか?」

 挑発じみた俺の言葉は、東堂がこれから何を明言するかによって、その器を図る指針にするつもりであった。

「君に水をやるくらいなら、自分で飲み干すね」  

「なるほど。流石は売れない小説家、余裕がない」

   俺がちょいと突いてやれば、額のシワがより深く割れた。

  「いいか! 通年、社会的に無に等しい存在として机に向かい、軽食で腹を膨らませて、陸の孤島と化した部屋の片隅に想い馳せるのだ。横を通り過ぎる豪華客船を指を咥えながら、たった一人で自分と向き合うのが……」

   鬱積した剣幕を飛ばす東堂は突然に言葉を窮し、思い詰めたように目蓋を下ろした。

「俺は後悔しませんよ」  

 炯々たる眼差しにその覚悟を込めたが、東堂はさめざめとした態度を崩さない。

「くだらん。世間知らずめ」 

 「だって、小説家の一人である貴方を尊敬しているから」

   東堂は咀嚼しきれぬゴムを頬張ったようにむにゃむにゃと口を動かす。舌鋒はすっかり去勢され、身悶えする乙女の先祖返りを見た。

「新作を今か今かと楽しみに待っているんですよ?」

 もはや猫撫で声と変わらぬ阿る発言によって、東堂は面映い恋心を想起させる手遊びに興じながら言うのである。

「昨晩、次の小説の冒頭を書いたんだ。題名は“二流小説家”」
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