彼岸よ、ララバイ!

駄犬

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とある六回忌⑥

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 知らず知らずのうちに男がする話の腰を折ってしまったようだ。もしもこれが、俺達、卒業生を驚かす為の慣例の演出なのだとしたら、悪い事をした。

「恐らくだが、プールでの水難事故が始まりだ」

 酒気が脳天から抜けていく。手を取られて遡るような無邪気さとは相反する、排水溝に渦を巻いて吸い込まれていくやるせなさだ。

「何年前だったか」

 海底を想起する記憶の沈潜は、手をついた途端に舞い上がり、クラスメイトならば誰もが知っている目の上のたんこぶだ。蓋をしてなかった事のようにしてきた俺にとって、男がする話は悩ましかった。もはや傾聴する気は起きず、うつらうつらと合間に相槌を打ってやり過ごす。足に一抹の疲労感を覚えたふいの瞬間、事の顛末を話し終えた男の締めくくりが聞こえてくる。

「脳はいつだって力強い味方だ。あらゆる方法で精神の保護に乗り出し、時に物を忘れて、時にないものを作り出す」

 男は教訓めいた事を実に意義深そうに語り、普段どれだけ口寂しい気持ちを抱いているかがあけすけになった。赤の他人に向けて形而下の胸中を吐き出す背中は、年月を重ねて丸みを帯びて、今や追いかけるのも忍びない。

 記憶は確かに曖昧だが、世界を形成する上で欠かせない重要な手掛かりとなる。今、踏み潰した吸殻も、俺がそこを歩いていなければ存在しない。世界はあるのではなく、常に作られていき、更新されていくのだ。

「一通り回れたね」

 物思いに耽っていれば、いつの間にか歩き終えていた。廃校になったとはいえ、三年間も通った校内だ。隅から隅まで目に留めておくまでもない。しかし、母校への墓参りが期せずして、物質世界と精神世界の脆弱な力関係について思索するとは思わず、そぞろに頭を下げて言った。

「ありがとうございました」

 いつの間にか千鳥足寸前になっていた。帰路に立つのもやっとで、どのようにして家に帰ったのかも、よく思い出せなかった。脛にできた痣から察するに、真っ直ぐ帰れた訳ではなさそうだ。乱暴に脱がれた靴が三和土で転がり、やけに湿った服は洗濯機へ入れ損ねた昨晩の名残だろう。酒を飲むと欠点が露呈するのは、いつもの事だったが、学校に向かってしまうほどの酔いは看過できない。これからは控えよう。どうせこれも、上手く撮れていないはずだ。スマホで撮影した昨夜の動画を確認すると、首が食い入るように伸びた。

「一時間も撮っていたのか」

 保健室から始まるその映像は、やがて警備員と遭遇し、ライト兼カメラの役割をこなすスマホが警備員のライトにかまけて下を向く。足元のみを映す映像は見るに耐えない。それでも、俺は耳をそばだてる。名残惜しい轍を追うように。

――追伸――

 県内で起きた水難事故の幾つかが学校にて起きている。もっとも直近の事故は、刑事事件にまで発展した。時刻は午前十時半。水泳の授業中であった。それは、考えうる最悪のタイミングに起きた。幼少期から抱えていた持病の発作が水面を叩き、引きずりこまれるように沈んだ。彼は元々泳ぎが得意ではなかった。クラスメイトもそれを認識しており、異様に飛び散る水飛沫が、ぎこちない抜き手と区別が付かず、気にもかけなかった。不自然な格好でプールの底に沈んでいる彼を見て、ようやく異変に気付く。クラスメイトの何人かが、プールサイドへ引き上げたとき、彼は青白い生気の抜けた顔をしていた。その場に居た教員は、酷く狼狽したまま救命処置を行い、彼の肋骨を折っている。ひいては、粗野な手順に救急通報は後回しにされ、発信したのは十分以上経ってからのことだった。そのしわ寄せは、病院に到着する前の救急車の中まで迫っていて、賢明な心肺蘇生が施されたものの、彼は二度と目覚めることはなかった。弱冠十六歳の若者の命が杜撰な大人の不法行為によって奪われたのだ。被害者遺族は学校設置者である市と、教員の給与を負担する県、並びに加害者の教員に賠償を求めて訴訟を起こした。物見高いマスコミは一連の出来事をこぞって取り上げたが、損害賠償が決定すると、蜘蛛の子を散らして去った。忌まわしい事件の現場となった学校は、人口減少の煽りを受けて閉校したが、好奇な眼差しは絶えず向けられる。それは、件の事件を基礎に語られがちな、霊魂の所在を指し示し、不意に音が鳴れば稚気な田頭勉の仕業だと紐付けられた。
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